罠だらけの遺跡
全体が僅かに光を放ちながら、音も無く左右に開く石扉。扉の奥から、シャリーが灯す光とは別の光が漏れ出ていた。
「シャリーよ、何をした?」
「何も……扉に触れただけなんですけど」
「そうか」
シャリーが触れたことで扉が開いたが、その理由は分からなかった。魔力を込めたわけでも、精霊の力を借りたわけでも、エルフの秘術を用いたわけでもない。
「まぁ良い、往くぞ」
「はい」
理由は分からないが、ひとまず扉が開いたので良しとして、2人は歩を進める。アルクラドに促されたシャリーが扉を通り、それにアルクラドが続く。
その時、アルクラドがほんの僅かに動きを止めた。しかしそれも一瞬のこと。
パキッ……
「……?」
薄氷が割れた様な音が微かに響き、シャリーが振り返った。
「どうした」
「いえ……」
もし音がしたのならアルクラドが聞き逃すはずがない。ゆっくりと閉じていく扉から視線を外し、足を止めないアルクラドの後を、シャリーは追っていった。
扉の奥は、それと変わりない大きさの通路が真っすぐに伸びていた。ラインから聞いた通り、等間隔に光が灯り、幾つかの横道を見ることが出来た。光は揺らぎのない魔法的な光であったが、余り強いものではなく、全体的に薄暗い通路であった。
またシャリーの生み出す光も通路を全て照らすほど強くはなかったが、アルクラドにはその全容がしっかりと見えていた。
真っすぐな通路は100歩ほどで行き止まりとなり、横道への入り口が左右に5つずつあった。そしてこれもまたラインに聞いた通り通路は僅かに傾斜していたが、それが地下へ続くのかどうかは、横道に入ってみなければ分からなかった。
「往くぞ」
「はい」
ともかく進んでみなければ分からない、とアルクラド達は歩き出した。
2人はコツコツと音を立てながら歩いていく。およそ10歩毎に置かれた光が照らす、光と影の通路を。
そして3つ目の光の下に来た時、不意にアルクラドが立ち止まり、視線を床に向けた。
「どうしたんですか?」
「死臭がする」
下を見ながら言うアルクラド。彼の鋭い嗅覚は、長く放置され骨だけとなった死体の臭いを捉えていた。
「死臭、ですか?」
「うむ」
頷くアルクラドに、シャリーは下を向くが、死臭を放つものなど目に入らなかった。
「この下に大きな空間がある。死臭はそこから漂っておる」
「下……横道から行けるんでしょうか」
シャリーの見る限り地下へ入り口はどこにもなく、アルクラドが言葉を返さないことから、それは明白だった。
地下空間の謎はひとまず横に置き、再び2人は歩き出す。しかし5歩も歩かぬうちに、アルクラドが再び立ち止まった。その視線はやはり足下に向けられていた。
「どうしたんですか?」
シャリーの問いに、アルクラドは答えない。
光と光の狭間。背後からの光が濃い影を落とし、前方の光が闇に慣れた眼を刺す。足下が最も暗くなり、暗闇が一層際立つその場所に、アルクラドの視線は注がれている。
今まで、僅かに傾斜しながらも、真っ平らだった通路に、僅かな出っ張りが見えていた。そこから行き止まりに至るまで、出っ張りは1つもない。ただ足下の石材1つだけが、僅かに浮いていた。
これは何か。
アルクラドは考える。何やらその石材の下から魔力の流れを感じるが、それは通路全体に言えること。
単なる建造者の失敗か。
そう断じて、アルクラドは再び歩を進めた。
ガコンッ……
アルクラドが浮き出た石材を踏むと、そんな音と共に出っ張りが沈み込んだ。
「……? 何の音でっ……」
「……む」
ヒュッ……!
薄暗い通路に、アルクラドの声と鋭い風切り音が響くのは、同時だった。
「えっ……? ……っ!!」
アルクラドの動きに合わせて立ち止まったシャリーの目に映ったのは、漆黒の外套から生えた銀の輝き。鋭く尖った鏃の先がすぐ目の前にあった。
慌ててその場から飛び退くシャリーをよそに、アルクラドは自身の身体に突き刺さった物を引き抜く。鏃の返しが身体の中を引き裂くが、お構いなしに。
カランッと、通路の光を照り返す矢が、地面に投げ捨てられて音を立てた。
「あの、アルクラド様……それは……」
「矢だ」
シャリーが聞きたかったのはそんなことではなかった。
「……前から飛んできたんですか?」
「うむ。奥の壁の一部が開き、そこから飛んで来たのだ」
薄暗い通路の100歩も先をシャリーは見ることが出来ないが、アルクラドには矢が放たれるまでがはっきりと見えていた。だが身体を貫かれようがどうでもいい、と矢を無視して進もうとしてしまったのである。傍にいるのがシャリーだけであり、吸血鬼としての力を隠す必要がなかったからだ。
そうして矢が目の前まで迫り、身体に刺さった時、ちょうど後ろにシャリーがいることを思い出したのだ。アルクラドは慌てて矢を掴み、シャリーに達するのを防いだ、というわけであった。
「…………大地に眠りし精霊よ、我は汝に希う……闇より迫る死の手より、汝の友を護り給えっ!」
本音を言えば、矢が眼前に迫る前に、打ち払って欲しかった。しかしそうしなかったのは傍にいるのが自分だけだったからであり、またアルクラドに護ってもらう為にその傍にいるわけではない。
「行きましょう、アルクラド様」
「うむ」
シャリーは気を引き締め直し、精霊の護りと共にアルクラドの横に立った。
ガコンッ……!
改めて2人が歩を進めようとした時、一際大きな音が聞こえた。それも足元から。
今度は何だろう。
そう思う間もなく、腸が浮き上がる様な途轍もない不快感が、シャリーを襲うのであった。
ここはなんて酷い場所だろう。
そんなことを思いながら、シャリーはしきりに周囲に意識を配りながら、薄暗い通路を恐る恐る歩いていた。
大きな音が地面から聞こえた後、瞬きの間もない速さで、2人の前後20歩ほどの範囲の床が、扉の様に開いたのである。
揃って落下する2人だが、アルクラドがシャリーを通路の上に放り投げた為、彼女は下へ落ちずに済んだ。アルクラドは、地べたに手をつき膝をつき息を整えるシャリーの隣に、少ししてから跳び上がってきた。
「無数の槍と骸があった」
その言葉が、遺跡に入り戻ってこなかった者達の末路を示していた。
暗闇から放たれた矢に身体を貫かれ、突如として現れた落とし穴に落ち、その先の槍で更に身体を貫かれる。たとえ矢を躱すことが出来ても、あれほどの範囲の落とし穴から逃れられる者は少ない。空を飛べでもしなければ逃れることは出来ないだろう。加えて落とし穴は、アルクラドが戻ってきた時にはもう塞がっていた。仮に穴の先の槍の餌食にならずとも、すぐに閉じ込められてしまい、その中で緩やかな死を待つしかないだろう。
落とし穴を過ぎ、2人は1つの横道に入り更に奥へと進んでいくが、幾度となく遺跡が2人を殺しにかかってきた。
通路の床から飛び出してくる、幾本もの槍。
通路の左右から、胴体を切断する様に振るわれる大きな刃。
通路の天井から降ってくる、燃え滾る油。
通路の後ろから物凄い速度で迫ってくる、通路の幅ぴったりの石の玉。
などなど、遺跡にはいくつもの罠が仕掛けられていた。そしてそれらの罠の後には、ご丁寧にも必ず床が抜け落とし穴となるのだ。
遺跡の先にはどれほどの宝が眠っているのか分からないが、誰1人として生かすつもりはない様な罠であった。
そんな遺跡の通路を1刻か2刻ほど歩いた頃、ようやく今までとは違う景色の場所に出たのであった。
横道から続く曲がりくねった先にあった、長く真っすぐな通路。そこへ通じる出口の傍には、上への傾斜がついた道が9つあった。試しにその1つを行ってみると、最初の、開かずの扉の先へと戻ってきた。どうやら横道は、全てこの通路へとつながっている様であった。
道を引き返し真っすぐな通路に戻ってきたアルクラド達は、その先へと歩を進めた。最初の真っすぐな通路とは違い、その奥にあるのは行き止まりではなく、大きな扉だった。その扉は、2人が近づくと、触れるともなくひとりでに開き、その先は遺跡の入り口の様な広間となっていた。
「ひと段落でしょうか?」
扉を開けた瞬間に落とし穴が開く、などということがなく、シャリーはひとまず安堵の息を吐いた。
広間に灯りはあるものの、全体を照らすほどの明るさはなく、やはり薄暗かった。今までも灯りと灯りの狭間の、もっとも暗い場所に罠の仕掛けがあったのだ。この広間にもそれが無いとは限らない。
「そういえば、最初の扉ですけど、アルクラド様は通れましたよね?」
今いる広間へと続く扉を通った時、シャリーはふと最初の扉のことを思い出した。
プルーシのギルド長補佐より、開けた本人しか通れないと聞かされていた遺跡の扉。それが開いた時、強い魔力を感じはしたものの、シャリーは何の抵抗もなく扉を通ることが出来た。それに続いたアルクラドが余りにも普通に通ってきたので気にもしなかったが、1人しか通れないという話はどうなったのか、とシャリーは思ったのだ。
「うむ、結界を破った故な」
「結界……あっ」
思いがけない言葉に少し困惑するシャリーであるが、しばらくの沈黙の後、あることに思い至った。
シャリーが扉を通ったすぐ後に聞こえた、薄氷を割る様な音。あれは、アルクラドが結界を破った音だったのだ。
「簡単に破れる結界だったんですか?」
「我にとっては容易いが、あれを破れる者はそう居らんであろう。龍の吐息は防げまいが、それなりの強度であった」
龍の吐息を防げる結界がそうあるとは思えないが、アルクラドにそれなりと言わしめるだけで魔法としての完成度は充分だと言えるだろう。またアルクラドによれば結界の発動は、扉に触れた者の魔力が鍵となっており、それ故に扉を開けた者だけが通れるのだと言う。
「凄い魔法ですね……一体どうやってるんでしょう」
呪文の詠唱だけが魔法を発動させる方法ではないことを、シャリーは知っていた。魔力を込めながら文字を刻んだ杖や、血を混ぜた顔料で呪文を書いた巻物など、物を用いて魔法を発動させる方法はいくつかある。シャリーも、簡易的なものであればそれらを使うことが出来る。
しかしこの遺跡の魔法は、決して簡易的などと言えるものではなかった。魔法を施した者が生きているのか死んでいるのかは分からないが、その本人が魔力を込めずとも発動する魔法の仕組み。通れる者を選別する結界を張る魔法の知識。それらを300年以上維持し続けること。
そのどれをとっても容易ならざることであった。
「我はあの手の魔法は使わぬ故、分からぬ」
対するアルクラドも、文字を使った魔法を少しは知っているが、遺跡の魔法のことは分からなかった。この魔法の様に永く続くものであっても、その気になれば力ずくで使えてしまうアルクラドには、この様な魔法を使う機会も、必要もなかったからである。
ただ扉が開いた時の魔力の流れ、扉に込められていた魔力が結界を張ったこと、シャリーの魔力が呼び水の様な役割を果たしたこと、それらはしっかりと見えていた。だが分かったのは開けた本人だけが通れる理由であり、石扉を開く条件は分からないままであった。
「ここで考えていても仕方あるまい。奥へ着けば何や分かるやも識れぬ。往くぞ」
「はい」
その分からないことを調べるのが目的だが、魔法の仕組みを調べるのは帰路でも出来ること。これだけ罠が張り巡らせられた建物なのだから、一番奥には相当な何かがあるのは想像に難くない。
まずはそれを目指そう、と2人は広間を横切り、奥の扉へと歩いていく。
広間に設置された光は壁沿いだけであり、中央は暗くぼんやりとしていた。そこを魔法の光で照らしながら歩いていく2人。
カコンッ……
ガコンッ……!
小さな音が足元から、大きく鈍い音が頭上から聞こえてきた。
視線を下から上へ向ける2人。
その目に映ったのは、迫りくる遺跡の天井であった。
お読みいただきありがとうございます。
遺跡とくれば罠、ということで、タイトル通りの遺跡です。
今話ですが、個人的な今章のハイライト回だったり……笑
次回もよろしくお願いします。