称号の獲得と陰謀
謁見の間は異様な雰囲気に包まれていた。怒りを露わにする国王にオルテが縋っている。
「黒い巻き紐……オルテの物であるな……」
「陛下、お待ちください! 私はっ……」
「見苦しいぞ! 一昨年からお主は評判を落としていたが、選定会で飲む氷果酒の味は素晴らしかった。この年はお主にとって苦しいものだったであろうが、この様な物を氷果酒として出す言い訳にはならぬぞ!」
オルテは必死に弁明を試みるが、国王は聞く耳を持たない。
「氷果酒は蜜の様な味わいを内に秘める素晴らしい酒であるが、これは正しく蜜が混ぜられた紛い物だ。他の者の舌は誤魔化せても、私の舌は誤魔化されんぞ!」
いつだかヴァイダルが言った様に、葡萄酒にハチミツが混ぜられていると、国王は言う。候補品を飲み比べた者も罰せねば、とその怒りは髪が逆立つ勢いだ
「その様なことは決してしておりません!」
「往生際が悪ぃぞ、オルテ! お前ぇも造り手の端くれなら、潔く認めろ!」
弁明を繰り返すオルテに、僅かに口の端を吊り上げたヴァイダルが言う。それを見て、オルテの心に言い知れぬ不安が再び浮かび上がってきた。
「お前、まさか……」
どこかで酒をすり替えられた。
そうとしかオルテには思えなかった。しかしヴァイダルにそんな力はない。つまりそれは。
オルテの目がカンエーダへ向く。彼は素知らぬ顔で、前を見ている。
「選定会は終いだ。オルテへの沙汰は追って……」
「待て」
選定会の終わりを告げる国王の言葉を、静かな声が遮った。
今まで静観していたアルクラドが、国王達へ向かって歩き出した。
突然のことに、オルテもカンエーダも止める間がなかった。
「貴様っ、止まれっ!!」
近衛兵達が声を張り上げ、国王達との間に割って入る。しかしアルクラドは歩みを止めない。
「止まれと言っているのが聞こえないのか!?」
彼らの言葉を無視してアルクラドは歩を進める。
そして1人の男の前で足を止めた。
「何故其方は、懐の氷果酒を出さぬのだ?」
オルテの瓶を持つ給仕役の男に向かって、そう言うのであった。
紅い視線が、給仕の男を射貫いている。彼の目は泳ぎ、身体が小刻みに震えている。
「今一度問う。何故其方は、その懐の氷果酒を出さぬのだ?」
無感動な声で無表情に尋ねるアルクラドに、給仕役の男は言い知れぬ恐怖を感じていた。
「まぁ、良い」
アルクラドは男の返事を待たずに、ゆったりとした衣服の裾をめくり、首に提げられていた布袋を奪い取った。そしてその布袋の中身を取り出すと、果たしてそれは首に藍色の紐が巻かれたテビアの瓶だった。そして藍色の紐の上には、細く黒い布が巻き付けられている。
「これがオルテのテビアである。選定は一騎討ちの様な物と聞いていたが、全てを味わう前に選定を終えるのは可笑しくは無いか?」
そう言って、アルクラドは近くの近衛兵に、本物のオルテの瓶を手渡した。
皆が唖然とする。その中で、ヴァイダルとカンエーダは、顔面蒼白、冷や汗を流しながら荒い呼吸を繰り返している。
「お主……ギルドから聞いた、アルクラドという冒険者であるな?」
「うむ」
「……何故それがオルテの物と言い切れる? どちらも同じ色の紐が巻かれておる」
アルクラドの言葉に何か言いたげな様子の国王だったが、新たに現れた酒瓶の正体を明らかにしようと、咎めることはなかった。
「オルテは、我の衣の端切れを瓶に巻き付けておる。これを見れば一目瞭然であろう」
そう言うと、アルクラドは外套の裾を引き裂き、瓶を渡したのと同じ近衛兵にそれを渡す。
受け取った男は、瓶の布と端切れをじっと見つめ、驚いた様子で国王の前にそれらを差し出した。
「これは、何と見事な布か……!」
烈火の如く怒っていた国王だが、触れば汚れが付きそうなほど艶やかな黒布に、思わず感嘆の声を漏らした。そしてそれぞれの瓶に目を向ける。
元々オルテの物だと思っていた瓶に首に巻かれているのは、何の変哲も無い布で、アルクラドのものとは比ぶべくもなかった。そして新たに出てきた瓶に巻かれてものは、細くはあるが溜め息で曇りそうなほど美しい布。
今しがた引き千切られたものと同じ質感であり、アルクラドがオルテの関係者であるならば、後から出てきた物がオルテの酒だと断ずるには充分であった。
「よくもまぁ、それほど離れた所から見分けがついたものよ」
呆れる様な声音で言う国王だが、先程までの怒りはどこかへ去った様であった。
「オルテよ、まずはお主に謝らねばならんな。我が国の誇りとも言える氷果酒を穢されたと思い頭に血が上ってしまった。よくよく思えばあの様なものが、候補品から選ばれるはずもない。私が不明であった、済まなかった」
「そ、そんなっ、めっそうもございません!」
目を軽く伏せる様にして言った国王に、オルテは慌てて平伏する。
「さて、王室献上品の選定は、どちらがどちらか分からぬ様にして行うもの。此度は不測の事態が起こり、本来であれば翌年に再び執り行うことになる。しかしオルテ家の窮状は憂うべきものであり、また謂われなき罪を着せてしまった」
国王はそこで言葉を切り、ヴァイダルに目を向ける。
「私は選定会を続行しようと思う。そこで現献上者たるヴァイダルに問う。お主の造り手としての誇りと自信は、それを許すか? 献上者の資格を失うかもしれぬ瀬戸際で、保身に走らず臆せず戦う勇気があるか?」
選定会を続けてもいいかとヴァイダルに問う国王。しかしその言葉の裏には、オルテとの対決を避けるなという思いがありありと見えていた。
ヴァイダルはチラリとカンエーダを見やる。しかし当の支援者は、眉根を寄せ、唇を引き縛り、何か考えに没頭していた。
「ヴァイダル、カンエーダよ、構わぬであろう? 其方らはオルテの氷果酒を不味いと評していた故な」
ほう、と国王の目が鋭くなる。
「ヴァイダルよ。オルテの氷果酒より美味い自信がある様だが、相違ないか? それにカンエーダ、お主もオルテの氷果酒に、余り良い評価をしておらなんだな」
国王は、2人をその目に捉えて離さなかった。
「もちろん、受けて立つ所存でございます」
ヴァイダルに代わりカンエーダが答える。もう勝負を来年に持ち越すなどと、言える段階ではなかった。
「では引き続き選定会を行う。お主、これを注いでまいれ」
そう言って国王はテビアの瓶を、近衛兵の1人に手渡す。彼は戸惑いながらも受け取り、国王から離れ、前に座る痩せた男の杯に酒を注いだ。
再び表情を引き締めた男は、しかしすぐさまその顔をだらしなく緩める。杯を回し色を見るが、どこか急いている様子で、確認もそこそこに酒を口に含んだ。
首を傾げながら飲んだ先程と違い、夢見心地の様子で酒の味わいに酔いしれている。その陶酔度合いは、ヴァイダルのものを飲んだ者よりも強い様であった。
「よし、私達にも注ぐのだ」
男の様子を見て待ちきれなくなったのか、国王が近衛兵を急かす。瓶を割らぬ様にゆっくりと戻った彼は、国王達の視線に耐えながらそれぞれの杯に酒を注いでいく。
国王達から感嘆の声が漏れる。色を見ることも忘れ、鼻先に近づけた杯を少しも動かさない。いつまでも濃密な香りに浸っていたい。そんな思いが透いて見える様だった。
そこからいち早く脱したのは国王で、誘い込まれる様に杯に口を付けた。僅かな雫を口に含み、大きな溜め息を吐く。
言葉が出ない。
国王に続き王妃に皇太子も氷果酒を飲むが、同様に言葉を発しない。
どれほど沈黙が続いたか、不意に国王が言葉を紡いだ。
「審議の必要はない。顔を見ずとも分かる、私達3人の気持ちは同じであると」
国王の言葉に、2人が頷く。
「オルテよ、見事であった。王室献上品の名は、お主の物である」
国王の静かな宣言。王室献上品の称号が、オルテ家の下へもたらされたのであった。
オルテが王室献上品の称号を勝ち得、選定会は終わりとなった。オルテ夫妻は互いに抱き合って喜びを分け合い、またアルクラド達に何度も何度も礼を言った。しかしまだ明らかにすべきことが残っていた。
「カンエーダよ、お主にいくつか聞きたいことがある」
「はっ……」
怒りが収まり冷静になった国王が言う。カンエーダは青い顔にいくつもの汗を浮かべ、俯いている。
「この選定会において、瓶のすり替えがあった。それは間違いのないことだ」
「……全く以て許し難いことでございます」
「実際にすり替えたのはあの給仕役で間違いなかろうが、影で糸を引いていた者が居る、と私は考えている」
国王は、じっとカンエーダを見つめながら、言う。
「私には皆目見当も付きませんが、神聖な選定会を穢したその愚か者を、即刻縛り首にすべきかと……」
「カンエーダ様、私は貴方のっ……!」
「黙れ! 罪人が口を利くな!」
弁明をしようとする給仕の男を、カンエーダは怒鳴りつける。俯いたまま大きく肩を上下させている。
「まずオルテの瓶に黒い布が巻かれていた、と知ることが出来た者は限られておる。オルテの関係者を除けば、昨日に行われた候補品の味比べに参加していた者だ」
激昂し声を荒らげたカンエーダを咎めることなく、国王は続ける。
「次に偽物の瓶だが、瓶だけは正しくテビアに使用される物であった。加えて口には封蝋がされており、たとえ貴族であっても、葡萄酒造りに携わる者と懇意でなければ、この様な物は用意出来ぬであろう」
感情が昂ぶり赤くなっていたカンエーダの顔が、再び白くなっていく。手や足がフルフルと震えている。
「また城内に偽物の酒を持ち込むにも、城の者に悪事を命じるにも、相応の地位がいる」
国王が徐々に、選定会での悪事を企てた者を追い詰めていく。
「最後にこの企てが上手くいき、利を得るのは誰なのか」
カンエーダだけだなく、ヴァイダルもカタカタと震えている。
「これら全てに当てはまる者が居ると思うのだが、お主はどう思う?」
「そ、それはっ……」
随分と前から国王の胸の内を察していたカンエーダだが、まだ諦めていなかった。どこで何を掛け違えたのか。それが分かれば、それを直すことが出来れば、まだ目はある。そんな思いで時間を稼ぐ。
「ところでカンエーダよ、其方の依頼とは結局何だったのだ?」
そこへ再びアルクラドが声を掛ける。
考えに没頭するカンエーダの耳に、静かなその声は確かに届き、彼は呆けた様にアルクラドへ視線を向けた。
「前金だと言っておったが、依頼が無いのであれば受け取れぬ。何を宜しく頼む、のかは分からぬが、我は直に王都を離れる故、これは返しておこう」
そう言ってアルクラドは、以前受け取った革袋をカンエーダの手に乗せる。
「中に手は付けておらぬ故、金貨10枚、確かにあるはずだ」
最後に付け加えられたアルクラドの言葉に、カンエーダは目を剥き、謁見の間がざわめく。
用途不明の金を、それも金貨10枚の様な大金を渡し、よろしく頼むと言う。それが一体どういうことなのか、この場にいる者皆が分からないはずがなかった。
単純にオルテの氷果酒の悪評を広めてもらおうとしたのか、高名な冒険者の力で以て誰かを害しようとしたのか。
よろしく頼むというその内容が分からないだけに、皆の想像は様々な方向へと広がっていた。
「カンエーダよ、お主とはじっくり話をする必要があるな。またヴァイダルよ、お主にも追って沙汰あるものと思え」
国王の目配せに応じ、近衛兵が何も言わずに項垂れるカンエーダの両脇を抱え、謁見の間から連れ出していく。ヴァイダルも同時に出て行く様に促されていた。
「さてオルテよ、お主のテビアは近頃はついぞ見ぬほどの素晴らしい出来であった。早速お主の氷果酒を買おう」
「それでしたら、王都に運んでおりますので、すぐにご用意できます」
今年の分がなくなってしまわぬうちに、と言う国王に、跳び上がりそうなほどの嬉しさを抑え、オルテは恭しく頭を下げる。氷果酒を積み込んできて良かった、と心の底から思っていた。。
「何とも用意のいいことだ。後日使いを遣るので、好きなだけ売るといい」
「はっ、ありがとうございます!」
選定会の直後、国王が大量に買った。そうと知れれば自ずと売れ行きは良くなり、生活の困窮からも脱することが出来る。涙が溢れそうなほどの安堵を堪え、オルテは深く頭を下げる。
「王室献上品の名に恥じぬ様、これからも励むのだ」
「ははっ!」
一時は波乱の起きた選定会であったが、こうして無事終わり、オルテ家は名実共にリース村で、そしてプルーシ王国で一番の氷果酒の造り手となったのであった。
お読みいただきありがとうございます。
かなりお怒りだった国王ですが、誤解も解消され
無事、オルテが献上品の称号を獲得できました。
次話で11章ラストとなります。
次回もよろしくお願いします。