王都に向けて
アルクラドがオルテの護衛依頼を引き受けた翌日、誰もが寝静まった夜更け頃。
アルクラドは目を窓の外から別の場所へと向ける。気配を殺した人の足音と息遣いが、オルテの家に向かって来るのを感じたのである。
この様な夜更けに来客とは珍しい事もあるものだ、とアルクラドは部屋を後にする。
護衛を引き受けたのだから、オルテ達に害が及ぶ可能性は出来る限り排除しなければならない。深夜の来訪者から殺気を感じないので、時間外れの訪問客であろうが、氷果酒を割りにきた者かも知れない。もしそうであれば、何が何でも阻止しなければならない。
そんなことを考えながら、アルクラドは扉を開け、音もなく外へと出ていった。
雲のない夜空に、丸く大きな月と星々が輝き、それらが灯りが不要なほどに夜の村を照らしていた。そんな夜道で、灯りを持たぬ1人の男が、静かにオルテの家に向かってきていた。周囲に視線を巡らせながら家に近づく男は、自身の姿を深紅の双眸が映していることにまだ気づいていない。
男はオルテの敷地の外で1度足を止め、家や作業場など敷地内をじっと観察する。
静かな夜で、地上に灯りはない。
男は再び歩を進め、作業場へと向かっていく。そしてその大きな扉に手をかけた。
「其方、この家に何か用があるのか?」
真後ろから聞こえた静かな声に、男は跳び上がり、しかし声は出さずに勢いよく振り向いた。
星の輝きを遮る黒い人影、その丁度眼に当たる場所に、深紅の輝きが2つ。僅かに吹く風と共に、幾本かの銀糸が躍っている。
「もう1度問おう。其方はこの家に何の用があるのだ?」
絶句する男に向かって、アルクラドが再度尋ねる。
「人を訪ねる予定がありまして……ここは氷果酒を造っている方の家で、間違いないですかい?」
「うむ。ここは氷果酒の造り手、オルテの家である」
男の答えに、やはりただの訪問客であったか、と思ったアルクラドは、彼の問いに応じる。
「オルテさん……? こりゃあ尋ねる家を間違えたみたいだ、道が暗いですからね」
オルテの名を聞くと、それじゃあ失礼しやす、と男は、そそくさとアルクラドの前から立ち去ろうとする。
「待て」
「何でしょうか……?」
自身を引き留めるアルクラドの声に身体を強張らせ、男はゆっくりと振り返る。
「其方が訪ねる者の名は?」
「……ヴァイダルさん、という方です」
アルクラドの問いに、男はたっぷりと間を置いてから答える。なかなか言おうとしなかった彼であるが、アルクラドの有無を言わせぬ様な視線に耐えられなかったのだ。
「その者の家であれば識っておる。ここへ来る途中の分かれ道を左へ往き、そのまま進めば直に着く」
男がヴァイダルを訪ねると聞いて、オルテに聞かされていたヴァイダル家への行き方をアルクラドは伝える。
「こりゃあ、親切にどうも。それじゃあ今度こそ失礼しやす」
「うむ」
不安げな表情でアルクラドを見つめていた男だが、これ以上追及されないと分かったのか、安堵の表情を浮かべ、オルテの家から離れていった。
その後ろ姿を見送ったアルクラドは、そのまま何事もなかったかの様に部屋へと戻っていった。そして陽が昇るまでの間、窓の外に目を向けながら周囲の様子に耳を傾けるのであった。
翌朝、陽が昇るのと同時に目覚めたオルテ夫妻は、速やかに出発の準備を整えた。1刻もしないうちに準備は終わり、後は出発を待つばかり。アルクラド達も準備は万端で、皆で軽い朝食を取り、出発となった。
酒瓶を詰めた荷車を馬につなぎ、傾斜のきつい坂を下っていく。馬に負担がかかり過ぎない様に荷車を支えるオルテに、アルクラドが言う。
「随分と詰めたものであるな」
「王都で売れる可能性もありますからね。3等級全て、出来るだけ積んでますよ。もちろんアルクラドさんの飲む分も」
選考会に必要なのは、候補品同士の戦いを含め、テビア2本だけだが、販売の機会を失しない為に、上等の氷果酒から順に荷車に詰め込まれていた。
「選定会の前は無理かも知れませんが、王室献上品となった後は流石に売れるはずですし」
昨年の選定会で王都へ行った時も同様にたくさんの氷果酒を荷車に積んでいたオルテ。その時は全くと言っていいほど売れず肩を落として帰った彼だったが、今回はそんなことにはならないだろう、と期待をしていた。
「それじゃあアルクラドさん、王都に着くまでの護衛、改めてお願いします」
「うむ」
坂を下り麓の家々を抜けたところで、オルテが言う。盗賊の被害などほとんどない場所であるが、積み荷が積み荷だけに、オルテはいつもより気を張っていた。静かに答えるアルクラドに頷きを返し、オルテは馬を牽いて歩き始めた。
オルテ夫妻を先頭に、まずはフランクの町を目指す一行。多くの酒瓶を積んだ荷車は重いが、いつもであれば積むはずの水が無い為、幾分か馬の足は軽かった。加えて水場を経由することなく一直線でフランクを目指すことが出来た為、常より僅かに早く町に着いたのであった。
昼鐘が鳴る前にフランクに着いた一行は、そこから王都までの間の食糧を買う為に町の中を歩いていた。
「まだ昼にもなってませんので、食料を買ったらすぐに出発しようと思います。野宿をすることになるかも知れませんので、お2人が良ければですが」
少しでも時間的な余裕を作りたいオルテの提案に、アルクラドとシャリーは構わないと頷いた。目的地に着くまでずっと野宿をすることも珍しくない2人にとって、1度や2度の野宿は大した問題ではないのだ。
「お~い、兄ちゃん! もうメシは済んだのか? まだならウチで買ってってくれよ!」
そうして4人が通りを歩いていると、ある露店から声をかけられた。声の主は、アルクラドが大量に串焼きを買った露店の店主だった。その目には以前の様な猜疑の色はなく、純粋にアルクラドに対する好意が感じられた。
「未だであるが、今は時が無い故に、そこにあるだけを貰おう」
時間が無いと言うアルクラドに落胆の表情を見せる店主だが、渡された銀貨に笑みを浮かべる。既に焼かれている串は10本強。釣銭を返し、皿代わりの葉に串を包んでアルクラドに渡す。
「まいどありぃ! 次は時間がある時に、たっぷり食いにきてくれよ!」
串焼きを受け取るアルクラドに、店主とその妻は明るい笑顔を向けた。先に金を払えと言っていた初対面の時とは大違いである。その後も黒ずくめのアルクラドとシャリーに猜疑的な目を向ける者は多く居たが、見惚れるほどの美貌を持つ2人だと分かると、その色は失せていた。
店から訝しげな視線を向けられ悪い扱いを受け、しかし言われた通りに金を払うアルクラド。加えて悪さをしていた黒ずくめの2人を通りの真ん中で懲らしめたアルクラド。それらの様子は噂となっており、露店を営む者達はアルクラドに好意的な印象を持っていた。
「……アルクラドさん、本当にすみません」
「既に赦した故、更なる謝罪は不要だ」
1日にも満たない滞在で、商売人達の心を掴んだアルクラドの人となり。何て人を貶めてしまったのかと、その様子を見て、オルテは恥じ入る思いだった。
「我らはギルドへ往く。用が済めば厩へ戻っている」
暗い表情を見せるオルテ達にアルクラドは言う。カンエーダが既にフランクを通ったかは分からないが、噂の出所を確かめる為だ。
「分かりました。俺達も食料を買い終えたら、馬のところで待っています」
そうしてアルクラド達はオルテ夫妻と別れ、フランクのギルドへと向かった。
フランクのギルドは、田舎の町にあるものらしく小さな建物であった。中に入るとアルクラド達に視線が集まり、2人が黒ずくめだと見るとギルド内が静まり返った。そして少し間を置いた後、ひそひそと囁く声がそこかしこから聞こえてきた。他所のギルドとは違う反応だが、アルクラドは気にしない。
「我はアルクラド。ギルドの者しか知り得ぬ事を、町の住人までもが識っておった訳を聞きたい。話の分かる者は居るか?」
緊張の面持ちで受付に座るギルド職員の女性にアルクラドは尋ねる。表情の無いアルクラドの視線に、彼女の目が泳ぐ。
「す、少し、お待ちください」
彼女はそう言うや否や、受付を離れギルドの奥へ駆けていった。ややあって少し歳を取った痩せ気味の男がやってきた。
「貴方がアルクラド殿ですね。フランクの町へようこそ、お会いできて光栄です」
そう言って恭しくアルクラドに礼をする彼は、周辺の町々を纏めるギルド長の補佐役で、このギルドの代表であった。
「カンエーダ様から聞いています。今日はその件で来られたのですか?」
「うむ。我らの事がギルドの外にも識れていた訳を聞きに来た」
どうやらカンエーダは既にフランクを通っていた様で、アルクラド達と約束した通り、ギルドに調査を命じていた様だった。
「それについてですが……未だ調査中なのです」
「そうか。我らは王都へ向かう故、分かれば王都のギルドに伝えよ」
代表の男は僅かに言い淀むも、アルクラドは調査の継続と王都に向かう旨だけを告げる。
「分かりました。必ず原因を突き止めます」
緊張の面持ちで言葉を返す男に、アルクラドは静かに頷き踵を返し、ギルドを後にした。
先程の露店で再び串焼きを買って、馬を停めている厩舎へ戻ったアルクラド。オルテ夫妻は既に戻っており、すぐにフランクを出発するのであった。
フランクの町を出たその日、辺りが薄暗くなってきたところで野宿となった。野営地を決め、焚き火や料理の準備を各々が進めていく。
すぐに準備は終わり、フランクで買った肉を焼き、夕食が始まった。色よく焼けた肉を頬張りながら、4人は水で割ったカネットを飲み談笑していた。水を加えることで和らいだ甘味は料理を邪魔することなく、食中の酒として楽しめるのである。
「お~い、あんた達! 悪ぃけど、火を貸してくんねぇか!」
そんな4人の野営地へ、1人の旅人が現れた。馬を連れず小さな荷物を背負っただけの、身軽な出で立ちの男であった。
「フランクの町へ向かってんだが、時間を読み違えてよ……」
4人から少し離れたところで立ち止まり、男は恥ずかしそうに頭をかく。言葉遣いも風貌も粗野な男であったが、一通りの礼儀は弁えている様であった。
アルクラド達が居るのは、2つの宿場のちょうど間にあたる場所で、進むにも戻るにも夜の暗闇を歩かなければならない。それを避ける為にオルテは、この場所を野営地としたのである。
「あぁ、別に構わないよ」
互いに見知らぬ者同士であるが、困った時はお互い様ということで、オルテは彼を快く招き入れた。
「助かるぜ。俺ぁトーガって言うんだ、よろしくな」
アルクラド達の輪に加わった旅人の男は、焚き火の前で身体を震わせながら手をこすり合わせている。
「俺はオルテ。こっちは妻のシルヴァで、このお2人はアルクラドさんとシャリーさんだ」
名乗りを上げたトーガに応え、オルテも自分達を順に紹介していく。
「美人なカミさんだ、羨ましいねぇ!」
冗談めかして悪態を吐き、トーガは荷物の中から干し肉を取り出し、焚き火で炙っている。
「良かったら飲むかい? 俺の造った酒だ」
「こいつぁすまねぇ……って何だこりゃ?」
水割りのカネットを差し出すオルテ。酒と聞いて嬉々としてそれを飲むトーガだが、その味わいに驚き目を丸くしていた。自分には上品すぎるなどと言っているが、その味を気に入ったのは一目瞭然だった。
「こんな美味い酒、さぞかし高ぇんだろうな」
「まぁ、安くはないな」
「やっぱりな……しがない冒険者の俺にぁ手は出ねぇか……」
「けど今日会ったのも何かの縁だ、気にせず飲んでくれ」
空になった杯を見て溜め息を吐くトーガに、オルテは再び水割りのカネットを注ぐ。
「おいおい、良いのか? 遠慮しねぇぜ?」
「構わないさ、ほらもう1杯っ」
初めて会ったというのに気があったのか、2人はすぐに肩を組んで笑い合うまでになっていた。
本来であれば見知らぬ相手は警戒しなければならないが、そういうことに慣れていないのか、また困窮から脱し栄誉の挽回も近いからか、相手を疑う様子は一切なかった。だが幸いにもトーガは酒をよく飲んだだけであり、楽しげなまま陽は沈み、夜となったのである。
そうして陽が完全に沈むと、各々場所を決めて、眠りに就いていった。
オルテ夫妻は荷車の中で眠り、トーガは自前の毛布にくるまり木にもたれている。シャリーは黒布に包まれ眠り、アルクラドは毛布や黒布を被ることなく、岩に腰掛け目を閉じている。
パチパチと薪の燃える音が、月の照らす空の下で響いている。
トーガがその目を開いた。身体は一切動かさず、目だけで周囲の様子を探る。
焚き火の向こうで人形の様に動かない美貌の男と、その隣で丸い黒布が規則的に上下しているのが、その目に映る。
焚き火の音以外、何も聞こえない。
トーガはゆっくりと、そして静かに毛布を剥がし、立ち上がった。足音を、息を、気配を殺し、そっと荷車へと近づく。手が届く距離で止まり、耳を澄ませる。
焚き火の音以外、何も聞こえない。
トーガは更に1歩、足を踏み出した。
「どうした、眠れぬか?」
「っ……!」
焚き火の音にかき消されそうな静かな声が、鮮明にトーガの耳に届いた。跳び上がりそうになるのをぐっと堪え、彼はゆっくりと声のした方を振り返る。
炎が朱く照らす美しい容貌の中で、深紅の双眸が鮮烈に浮かび上がっていた。
「……寝ぼけてたみたいだ」
「そうか」
たっぷりと間を置き答えた後、トーガは元の場所に戻る。
「ずっと起きてたのか?」
「うむ」
「眠くねぇか、代わるぜ?」
「不要だ」
再び毛布を被ったトーガが問えば、アルクラドは再び目を閉じて答える。
「……そうか。じゃあ頼むぜ」
「うむ」
じっとアルクラドを見つめた後、トーガは再び目を閉じた。
その後、陽が昇るまで何度か目を開けたトーガ。その度に紅い瞳を目にし、歯噛みをしながら目を閉じた。
そうして夜は過ぎ、空が白み始めた。
今宵も何もなかった。
山の稜線から僅かに顔を覗かせた陽を見ながら、アルクラドはそんなことを考えるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
選定会に向けて王都へ往くアルクラド達ですが、
何事も起きなさそうです。
次回もよろしくお願いします。





