第1話 ドブに落ちたら異世界だった件
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結論から言おう。人間、死ぬときは実にあっけない。
俺、佐藤駆――自称プロギャンブラーは、その日の夜、地元の裏カジノで有り金全部と、ついでにサラ金三社分の借金までスッてしまった帰り道だった。ポケットの中身は小銭が数枚。頭の中は次のツキをどう引き寄せるかで埋め尽くされていて、足元の側溝の蓋が外れていることになど気づきもしなかった。
思い返せば、俺の人生はずっとこんな調子だった。手先の器用さだけは人並み外れていて、カードを切らせれば誰にも負けない自信があった。物心ついた頃には近所の駄菓子屋でメンコの勝負に明け暮れ、学生時代は雀荘に入り浸り、社会人になってからは会社を辞めてまで賭博の道に飛び込んだ。周りからは何度も「まともに働け」と説教されたが、そのたびに笑って受け流してきた。汗水垂らして稼ぐ金より、命を懸けて奪い取る金の方が、何倍も甘い。それが俺の信条だった。
もっとも、その信条のせいで借金がかさみ、闇金に首根っこを摑まれる羽目になったのだから、世話はない。今夜だって、目の前の卓に座っていたディーラーの指先の動きに見惚れて集中を欠いたのが敗因だ。我ながら情けない話である。
それでも、後悔だけはしたことがなかった。負けが込んで有り金をすべて失っても、翌日にはケロリとした顔でまた卓に向かう。そういう性分だった。友人からは呆れられ、家族からは縁を切られ、恋人にも三回振られた。それでも俺は、勝負の熱に取り憑かれたまま生きてきた。今にして思えば、随分と業の深い生き方だったと自覚している。だが、それが俺という男の全てだ。今更変えるつもりも、変えられるとも思っていない。
ズボッ、と間抜けな音がして、視界が反転する。
「――は?」
それが、二十四年間生きてきた俺の、最後の台詞だった。頭を強かに打ち付け、意識が黒く塗り潰されていく中で、俺はぼんやりと思っていた。ああ、今日のディーラー、可愛かったな、と。実に俺らしい末期の想いだと、我ながら思う。
*
気がつくと、俺は真っ白な空間に立っていた。
いや、正確には浮いていた、と言うべきか。床も天井もない、ただ光だけが満ちた空間。そして俺の目の前には、神々しいまでに美しい女性が佇んでいた。長い髪は星屑を溶かし込んだような銀色で、纏う衣は薄く発光している。誰がどう見ても、これは「そういう存在」だ。
「目を覚ましましたね、佐藤駆。あなたは先ほど、不慮の事故で命を落としました」
「……マジか。側溝、恨むぞ」
「……随分と落ち着いていますね」
女神と思しきその人は、少しだけ眉を寄せた。予想していた反応と違ったのだろう。無理もない。大抵の転生者とやらは、ここで泣き喚いたり、混乱したりするものらしい。だが俺に言わせれば、死んだものは仕方がない。それより今は、次の手をどう打つかの方が大事だ。ギャンブラーの性というやつである。
「あなたの魂を、私が管理する異世界へと転生させます。詫びと言ってはなんですが、一つ、特別な力を授けましょう。魔王を討伐し、この世界に平和をもたらすための、力を」
「魔王? 平和? ……悪いんだけどよ、俺、そういうのに興味ねえんだわ」
女神の顔が固まった。
「……は?」
「いや、感謝はしてるよ。生き返らせてくれてよ。でもな、俺は元の世界でも、誰かのために戦うとか、正義のためにどうこうとか、そういう柄じゃなかった。強いて言うなら――」
俺はニヤリと笑って、指先で見えないコインを弾く仕草をした。染み付いた癖だ。
「一番スリリングで、一番儲かる遊びに、全力で首を突っ込みたい。それだけだ」
しばしの沈黙が流れた。女神は額に手を当て、深いため息をついた。まるで手に負えない問題児を見るような目で。
「……いいでしょう。あなたの魂の性質上、無理に使命を課しても碌なことになりません。授ける力は変えませんが、使い道はあなたの好きにしなさい」
「話が早くて助かるわ」
「授けるのは【絶対因果】。この世界に存在する、あらゆる事象の確率を書き換える力です」
「……確率を、書き換える?」
「本来であれば、敵の即死確率を百パーセントにするような、神の権能に等しい力です。ですが、あなたの魂が持つ魔力の総量は、この世界の一般人と同程度。ゆえに、一度に動かせる確率の規模、あるいは連続で使用できる回数には、明確な制限があります」
女神は淡々と説明を続けた。小さな確率操作――たとえばダイスの目を狙い通りにする程度なら、消費する魔力はごく僅か。だが、大きな事象――敵の強力な魔法を不発に終わらせる、といった規模になると、消費は桁違いに跳ね上がるらしい。
「なるほどな。要するに、コツコツ小銭を稼ぐには最適だが、一発逆転のデカい大技を連発はできない、と」
「……その理解で概ね間違いありません。ちなみに、消費した魔力は時間の経過とともに回復します。ただし、この世界の人間並みの回復速度ですので、無理な連発は禁物です」
「へえ。ということは、大博打を仕掛けるタイミングはよく選べ、と。良心的なハンデだな」
「あなたのために配慮したわけではありません。単に、規定通りの力を授けているだけです」
「そのツンとした感じ、嫌いじゃねえよ」
女神は聞こえなかったふりをするように、話を続けた。
「一つ補足しておきます。この力は、確率そのものを書き換えるがゆえに、完全な『絶対』ではありません。事象があまりに複雑に絡み合っている場合、あるいは他者の強大な力が拮抗している場合、狙った結果が出ないこともあり得ます。過信は禁物ですよ」
「上等上等。楽勝のギャンブルなんざ、そもそも興奮しねえからな」
「上等」
俺は口の端を吊り上げた。頭の中では、既に異世界とやらでの生き方が組み上がりつつあった。魔王討伐なんぞ知ったことか。この力があれば、賭場を渡り歩いて、美味い飯を食い、美女に囲まれて、優雅に暮らすことができる。それこそが、俺の求める「平和」だ。
「最後に一つだけ聞かせてください。なぜ、そこまで賭け事に固執するのですか」
女神の問いに、俺は少し考えてから答えた。
「金が欲しいのは本当だ。楽して稼ぎたいのも本当だ。でもな、それ以上に――勝負そのもののスリルってやつが、たまらなく好きなんだよ。心臓が縮み上がるような緊張感、めくれるカード一枚に人生が左右される瞬間。あれに勝る快楽を、俺はまだ知らねえ」
「……変わった人ですね、あなたは」
「よく言われる」
女神は小さく笑ったように見えた。気のせいかもしれないが。
「では、行きなさい。あなたの望むままに」
光が強くなり、視界が白く染まっていく。最後に俺は、軽く手を振ってやった。
「神様、悪いな。あんたがくれた最強のチート、俺は目の前のディーラーの姉ちゃんを脱がすために使うわ」
「……それは、聞かなかったことにします」
*
次に目を覚ましたとき、俺は見知らぬ路地裏に転がっていた。
石畳の地面はひんやりと冷たく、鼻を突くのは饐えた匂いと、遠くから漂ってくる油の焼ける香ばしい匂いの入り混じったものだった。上体を起こし、辺りを見回す。石造りの建物が立ち並び、頭上には見たこともない二つの月が浮かんでいる。
「……マジで異世界か」
思わず声が漏れた。感慨に浸る間もなく、俺は自分のポケットをまさぐった。財布はない。スマホもない。あるのはこの体一つと、着ていた薄汚れた上着だけ。転生特典の「初期資金無限」だとか「最強装備一式」だとか、そういう都合のいいものは一切なかった。実に潔い神様である。
「まあ、こんなもんだろうな」
俺は膝についた土を払いながら立ち上がった。落胆はしていない。むしろ、ワクワクしていた。元手ゼロからどこまで這い上がれるか――それこそが、俺という博徒の腕の見せ所だ。
路地を歩き出してすぐ、足元で何かがカチンと音を立てた。しゃがみ込んで確かめると、泥に半分埋もれた銅貨が三枚、転がっている。この世界の通貨かどうかは分からないが、金属である以上、価値がないということはないだろう。
「……幸先いいじゃねえか」
銅貨を拾い上げ、俺は袖で汚れを拭った。指先でコインを弾き、宙で一回転させてから手の甲で受け止める。染み付いた癖だ。この感触が戻ってくると、なぜだか妙に安心する。
路地の奥から、賑やかな声と、サイコロが盆に打ち付けられる乾いた音が聞こえてきた。誘われるように足を向けると、そこには数人の男たちが車座になって、地面に敷いた布の上でサイコロ賭博――俗に言うチンチロリンのようなものに興じていた。
「へえ……」
俺の口元が自然と緩む。これは、良い。実に、良い。
「よう、俺も混ぜてくれや」
声をかけると、男たちの視線が一斉に俺に集まった。薄汚れた身なりの俺を見て、値踏みするような笑みを浮かべる者もいる。カモが来た、とでも思っているのだろう。結構、結構。そういう空気が一番燃える。
「金はあるのかい、兄さん」
「三枚しかねえけどな」
俺は拾った銅貨を掲げて見せた。男たちがどっと笑う。侮辱するような笑い方だったが、気にはならない。むしろ好都合だ。油断している相手ほど、崩しやすいものはない。
「いいだろう。じゃあ、まずはその三枚からいただくとするか」
賽子を受け取った俺は、指先でそれを弄びながら、頭の中で【絶対因果】の使い方を確かめた。女神の説明が正しければ、この程度の小さな確率操作――サイコロの目を狙い通りにする程度なら、消費する魔力はごく僅かなはずだ。
(さて、初仕事といくか)
俺は賽子を三つ、掌に収めて振った。頭の中で念じるのは、ただ一つ。
(――ゾロ目、出ろ)
カラン、と乾いた音を立てて、賽子が布の上に転がる。目に浮かんだのは、綺麗に揃った六の三つ目だった。
「な――」
周囲がどよめいた。この賭博における最高役が、初手で出た。偶然にしては出来すぎている。だが誰も、それがイカサマだとは気づかない。当たり前だ。俺が動かしたのは、サイコロの物理的な軌道でも、重心でもない。この世界における「確率」そのものを、直接書き換えたのだから。
「もう一勝負、頼むわ」
俺はニヤリと笑って、稼いだ銅貨を親指で弾いた。男たちの顔に浮かぶのは、悔しさと、それでも一発逆転を狙う欲の色。実にいい表情だ。こういう顔を見るために、俺は生きている。いや、死んでからも、生きている。
「言っとくが、俺はしつこいぜ」
それから小一時間、俺は賭場に居座り続けた。とはいえ、毎回スキルに頼っていたわけではない。連発すれば魔力が枯渇することは女神から聞いている。だから、勝負どころだけを見極めて【絶対因果】を使い、それ以外は元の世界で培った純粋な技術――サイコロの出目の癖を読む観察眼と、相手の顔色を窺う心理戦で凌いだ。
男たちは最初こそ余裕の表情を浮かべていたが、負けが込むにつれて次第に顔つきが変わっていく。誰かが「こいつ、絶対に何かやってやがる」と唸ったが、証拠など出せるはずもない。イカサマの痕跡を一切残さない――それが【絶対因果】の最大の強みだった。目に見える不正はどこにもなく、ただ「運が異常に良い男」がそこにいるだけなのだから。
「くそっ……もう一回だ! 有り金全部賭ける!」
業を煮やした男の一人が、懐から皺だらけの紙幣らしきものを取り出して叩きつけた。金貨とは違う、この街で使われているらしい紙の通貨だ。俺は内心でほくそ笑みながら、余裕の笑みを崩さずに頷いた。
「いいぜ。受けて立つ」
勝負は一瞬で決した。結果は語るまでもない。男の悔しそうな顔と、地面に散らばった紙幣の山を見下ろしながら、俺は静かに拳を握りしめた。これだ、この感覚だ。異世界だろうが元の世界だろうが、勝負に勝った瞬間の高揚感だけは、何一つ変わらない。
その夜、路地裏の賭場から俺が立ち去る頃には、懐はそれなりに温かくなっていた。銅貨三枚が、今では両手で抱えるほどの紙幣と硬貨の束に化けている。まだ大したことのない小銭の山だ。だが、これは始まりに過ぎない。道行く人々に聞けば、この街には巨大なカジノがあるという。「フォルトゥーナ」と呼ばれる、街一番の賭博の殿堂が。
「――行くしかねえよなあ」
俺は稼いだ紙幣の束を握りしめ、二つの月が浮かぶ夜空を見上げた。魔王討伐? 世界の救済? そんなものは知ったことか。俺が目指すのは、ただ一つ。
この世界最大の、勝負の舞台だ。
道端で寝そべっていた老人に道を尋ねると、フォルトゥーナは街の中心部、大通りをまっすぐ北へ進んだ先にあるという。噂によれば、そこには一晩で城が買えるほどの大金が飛び交い、身ぐるみを剥がされる者もいれば、一夜にして貴族並みの財を築く者もいるらしい。聞けば聞くほど、腹の奥が疼くような高揚感が湧き上がってくる。
「たまらねえな、おい」
俺は口元を歪めて笑った。元の世界で培った読心術とイカサマの技術、そしてこの世界で手に入れた神級のチート【絶対因果】。この二つが揃えば、負ける道理がどこにある。
もっとも、女神の忠告通り、この力には限界がある。無闇に連発すれば魔力は底を突き、ただの凡人に成り下がる。だからこそ、ここぞという勝負どころを見極める目――それこそが、俺の本当の武器だ。イカサマの技術も、ブラフの度胸も、心理戦の駆け引きも、すべては前世で嫌というほど鍛え上げてきた。
夜風が頬を撫でる。遠くに見える巨大な建造物――おそらくあれがフォルトゥーナだろう。煌々と輝く光が、まるで俺を呼んでいるかのようだった。
「待ってろよ、異世界一のカジノ。俺がお前を、まるごと頂きに行ってやる」
誰にともなく呟いて、俺は懐に金を仕舞い込み、大通りへと足を踏み出した。まだ何も知らない。この先、白銀の髪をしたエルフのディーラーと運命的な出会いを果たすことも、聖騎士やら獣人の少女やらとハーレムじみた騒動を繰り広げることも、悪徳貴族との命懸けの大勝負に巻き込まれることも――今の俺は、まだ何一つ知らない。
ただ一つ、確かなことがある。
この日から始まる俺の異世界ライフは、間違いなく、退屈とは無縁のものになるということだけだ。
異世界転生初日、クズ博徒アキトの本当の物語は、こうして幕を開けたのだった。




