閑話:引きこもりトップランカーの憂鬱と、完璧な秘書の履歴書
東京の地下深く、あるいはどこかの廃ビルの中か。
その正確な位置は、日本政府はおろか、探索者ギルドの最高幹部すら把握していない。
ただ暗闇の中に、何十枚もの巨大なモニターの青白い光だけが浮かび上がっている。
床に散乱するエナジードリンクの空き缶と、ピザの空き箱。
ゲーミングチェアに深く腰掛け、スナック菓子を齧りながらキーボードを叩く、ボサボサ髪の細身の青年。
彼こそが、日本の防衛網の要であり、最高戦力。
【S級第1位】――コードネーム『ヨミ』。
「……あーあ。またB級のポイントCでエラー(変異種)発生かよ。運営(役員)、クソアプデしすぎだろマジで……」
ヨミは気怠げに呟きながら、手元のコントローラーを操作する。
画面の向こう、数百キロ離れたダンジョンで、彼が遠隔操作する無数の光学兵器が、レベル数千のモンスター群を一瞬にして蜂の巣に変えていく。
彼のステータス画面の隅には、ひっそりと【Lv. 1,205】という、既存システムの限界(999)をとうに超えた数値が表示されていた。
1年前、とあるシステム外のバグ空間をハッキングで攻略した際、彼はすでに『限界突破』を果たしていたのだ。
だが、極度のコミュニケーション障害にして生粋のネトゲ廃人である彼は、「そんなこと報告したら、国から絶対面倒くさい仕事(防衛任務)を押し付けられる」という理由で、その事実を誰にも言わず、今日も自室で一人、ゲーム感覚で国を守り続けていた。
「……それにしても」
ヨミの視線が、中央の巨大なモニターへ移動する。
そこに映っているのは、ギルド地下の最高機密病室の監視カメラ映像。今しがた、長い昏睡から目覚めた『漆黒のスーツの男』の姿だった。
ヨミは先日、この男が北海道のメインサーバーを単騎で粉砕したという情報をハッキングで得てから、ずっと監視を続けていた。
「会社が倒産したから、有給のために自分で会社を創る……? マジで言ってんのか、このおっさん」
ヨミはドン引きした顔で画面を見つめた。
病室で健人が「ふざけんな!!」と叫び、その身から無意識に特異点(神竜)の魔力を漏らした瞬間――ヨミの部屋のモニター群に「ピーーーッ!!」というけたたましいエラー音が鳴り響き、監視カメラの映像がノイズで完全に焼き切れた。
「うおっ!? ま、マジかよ……俺の組んだ世界最高峰の監視プロテクトが、ただの『怒りのオーラ』だけで物理的にクラッシュしたってのか……?」
ヨミは震える手でスナック菓子を落とした。
「……関わらんとこ。あんなリアル(社会人)の塊みたいな理不尽バケモノ、俺みたいな引きこもりが一番相性悪いわ。絶対ブラック労働させられる……」
S級第1位は、ガクガクと震えながらゲーミングチェアで膝を抱え、絶対にあのスーツの悪魔とは接触しないと固く心に誓うのだった。(※のちに強制的に業務提携を結ばされることになる)
◇ ◇ ◇
同じ頃。静岡県・A級ダンジョンの入り口。
「……ふぅ。今日のノルマ(討伐)は、これくらいでいいかな」
返り血で汚れた頬を拭いながら、雨宮しずくはダンジョンの外へ足を踏み出した。
彼女の足元では、神獣クロが「キュルンッ」と満足げに鳴いている。
この二週間の間、クロの『概念隠蔽』を利用した完全な暗殺を繰り返し続けた結果、しずくのレベルは【Lv. 890】という、既存S級のトップ層に肉薄する異常な領域にまで達していた。
「ピロリンッ」
ポケットのスマホが鳴る。S級第2位の天羽から送られてきた、たった一言のメッセージ。
『――あの平社員が目覚めた。会社が倒産したから、自分でギルドを立ち上げるらしい』
その文面を見た瞬間、しずくの瞳に、太陽のようなパッと明るい光が灯った。
「……朝倉さんが、目覚めた。それに、新しい会社を……!」
S級第3位のミレイや、第5位の天才女医が、朝倉の病室に付きっきりで看病していたことは知っている。
純粋な戦闘力や、治療というアプローチでは、今の彼女たちには敵わないかもしれない。
――でも。朝倉さんが『会社』を立ち上げるなら、話は別だ。
しずくは、ダンジョンの入り口で泥だらけのリュックを開け、クリアファイルに入った数枚の紙を大切そうに取り出した。
それは、彼女がダンジョンに潜る合間を縫って徹夜で書き上げていた『完璧な履歴書』と『朝倉商事(仮)の事業計画書』だった。
「会社を回すには、絶対的に優秀な【秘書(右腕)】が必要です。……お嬢様や女医さんに、コピー機のトナー交換や、ダンジョン素材の経理処理ができるとは思えません」
しずくは不敵に微笑み、神獣クロの頭を撫でた。
「行くよ、クロちゃん。……転職(面接)の時間です。私が、朝倉さんの最高のパートナーになってみせます」
最強のサラリーマンが起業を決意した日。
日本の防衛をゲーム感覚で担う引きこもりのトップランカーは震え上がり、異常な成長を遂げた後輩社員は、完璧な履歴書を手に東京へと歩き出した。
新たな戦い(ビジネス)の舞台が、いよいよ整おうとしていた。




