第1話 旅の途中で
辺境の町ヴェイルにその噂が流れ始めたのは、三日前のことだった。
「森の魔物を、たった一撃で片付けたらしい」
「見たことのない魔術師だとよ。若いのに、えらい腕前だってさ」
噂の主――アルヴィンは、そんな話にはまるで興味がなさそうに、宿の隅で黙々とスープをすすっていた。ローブのフードを目深にかぶり、誰とも目を合わせないようにしている。
昨夜、町外れの森で暴れていたワイバーンもどきは、彼にとっては大した相手ではなかった。凍結の術式を一つ、正確に急所へ叩き込んだだけだ。派手さも、見せ場も、何もいらなかった。
ただ――終わった後、討伐を依頼した村長に「ありがとうございます、ぜひ一献」と誘われたときは、少し困った。
「いえ……別に、大したことでは」
言葉が続かない。何か気の利いたことを言うべきなのだろうが、思いつかない。村長が笑顔のまま黙ってしまい、気まずい沈黙が流れた。結局、逃げるように会釈だけして宿に戻ってきてしまった。
(また、うまく喋れなかったな……)
誰かと話すのは、いつまで経っても得意にならない。
人と関わるくらいなら、一人でいるほうがずっと楽だ。そう思いながら、もう何年もこうして旅を続けている。目的の場所も、明確な道筋もない。ただ、失われた魔法の手がかりを求めて、町から町へと渡り歩くだけの日々だった。
「明日には発つか」
誰に言うでもなく呟いて、アルヴィンは荷物の整理を始めた。この町にはもう用はない。次の噂を、次の手がかりを探しに行くだけだ。
――そのはずだった。
翌朝、宿を出たアルヴィンを待ち構えていたのは、一人の少女だった。
年の頃は十四、五歳。粗末なマントを羽織り、薄汚れた鞄を胸に抱えている。まっすぐにこちらを見据える目には、迷いがなかった。
「あなたが、森の魔物を倒した魔術師さん……ですよね」
「……そうだが」
「わたし、ノアといいます。あなたに、弟子にしてもらいたくて」
あまりに単刀直入な物言いに、アルヴィンは一瞬言葉を失った。
「弟子……? いや、俺は――」
「昨日の魔法、見ました。無駄がなくて、綺麗で……あんな魔法、見たことなかった」
ノアは食い気味に言葉を重ねる。断ろうとした言葉が、行き場を失って喉の奥に消えていった。
「悪いが、俺は一人で――」
「お願いします」
深々と頭を下げられて、アルヴィンはますます言葉に詰まった。こういうとき、どう断ればいいのか、彼にはさっぱり分からない。困り顔のまま視線をさまよわせるが、助けなど降ってくるはずもない。
「……その、弟子といっても、俺は旅を――」
「旅なら、ついていきます」
「宿も、飯も、保証できるようなものは何も――」
「自分でなんとかします。今までも、そうしてきたので」
食い下がる声のトーンが、ほんの少しだけ落ちた。今までも――という言葉に、アルヴィンはふと、彼女の身なりの粗末さに目をやった。
「……家は」
「ないです」
あっさりと返ってきた答えに、アルヴィンは何も言えなくなった。ノアは気まずさを誤魔化すように、少し早口で続けた。
「魔法の才能がないわけじゃ、ないと思うんです。でも、わたしの持ってる力……なんか普通と違うみたいで。どこの魔術師学校でも、教えてもらえなくて」
「普通と、違う?」
「属性が、変なんです。誰も見たことない属性だって、いつも言われます」
そう言って、ノアは少しだけ視線を落とした。強がっているように見えて、その一瞬だけ、彼女の年齢相応の心細さが覗いた気がした。
アルヴィンは、しばらく黙っていた。
断る理由なら、いくらでもある。一人旅の気楽さも、面倒事を増やしたくない気持ちも、本音では確かにあった。
けれど――どこにも行き場がないと、あっさり言い切ったその顔が、なぜか頭から離れなかった。
「……俺について来ても、退屈だぞ。魔物退治より、資料探しや調べ物のほうが多い」
「構いません」
「教えるのも、うまくないと思う」
「それも、構いません」
食い気味の即答に、アルヴィンは思わず小さく息を吐いた。これは、もう何を言っても無駄なやつだ。
「……好きにしろ」
それだけ言って、アルヴィンは踵を返し、町の出口へと歩き出した。
断ったつもりだったのか、許可したつもりだったのか、自分でもよく分からない返事だった。それでもノアは、ぱっと表情を明るくして、小走りに彼の後を追いかけてきた。
「ありがとうございます、師匠!」
「師匠と、呼ぶな」
「じゃあ、なんて呼べば」
「……好きにしろ」
二度目の「好きにしろ」に、ノアはくすりと笑った。その笑い方が、やけに気安くて、アルヴィンはなんとなく居心地が悪くなり、フードを少し深くかぶり直した。
町を出て、街道を並んで歩き始めてしばらく。ノアが不意に尋ねた。
「師匠は、何を探して旅してるんですか?」
「……師匠と呼ぶな、と言ったはずだが」
「はぐらかしましたね、今」
鋭い指摘に、アルヴィンは短く沈黙した。
失われた魔法。時間を巻き戻す術式。死者の意識を呼び戻す秘術。――そのどれもが、誰かに気軽に話せる類のものではない。まして、その理由になると、なおさら。
「……いずれ、話す」
「今じゃなくて?」
「今じゃない」
ノアはそれ以上追及せず、「まあいいです」と呟いて、街道の先に視線を戻した。踏み込みすぎない、その距離感が、意外にもアルヴィンにとっては楽だった。
(誰にも、話したことはないんだが……)
胸の奥に、小さな痛みが疼く。もう何年も前に置いてきたはずの記憶が、ふとした拍子に顔を出す。
彼にはまだ、この少女にすら話していない目的があった。
――それを話す日が来るかどうかは、まだ、彼自身にも分からなかった。




