特別授業で
湊は特別授業を受けていた。
先生は、授業開始からずっと雑談を続けている。 先生の話に飽きた湊は、閉め切られているカーテンの隙間から窓の外を眺めていた。僅かに差し込む光は、眩しくて湊は目を細めた。
湊の学校では、夏休みの間に数回だけだが、休み期間の勉強を促進するために特別授業がある。
部活の試合や遠征がある人は免除されるので、毎年2割くらいの人は参加していないことが多い。去年の湊もその一例だ。しかし、今年はサッカー部はたまたま部活の予定が被らず、湊も奇跡的に参加することになった。
正直、湊は部活より特別授業のほうが気楽だと思っていた。だって、座って受けていれば時間は勝手に過ぎていくから。先生に当てられなければ、必要以上に頑張る必要はない。それに、サッカーと違って、自分をずっと見られることもない。
湊が肩肘をつきながらぼんやりしていると、先生の話はいつのまにか進路に関する話に移り変わっていた。
「いいか、2年生だからって気を緩めるなよ。3年生なるなんてあっという間だ。だから、進路について今のうちに考え始めることは大事だ」
先生はみんなの顔を見回す。
「今年のうちにオープンキャンパスとか行ってみるといいぞ。イメージだけでもあるだけで違うからな。あとは――」
先生の熱意は止まらない。それに反比例するように、湊の心には嵐が吹き荒れる前のような不気味な冷たさ広がっていく。
俺は自分の奥深くに眠るものを起こさなければならなくなる、そんな気がしてもうこれ以上考えたくなかった。
湊は気を紛らわせようと、話しながら一生懸命動かされる先生の手の動きを、ひたすら目で追った。
特別授業は半日で終わるが、3限まである。英語、現代文と続き、次で最後の数学だ。その前に湊はトイレに行きたくなり席を立った。
教室に戻ろうと廊下を歩いている時、遮るもののない青空に二筋の細長く白い線が見えた。
飛行機雲だ。どこまでも伸びていく様子を立ち止まって見続ける。
湊は自分もこの飛行機雲のようだったら、よかったのにと思った。
「何見てるの?」
湊の横に並んで窓の外を眺めながら、橋本さんは不思議そうに尋ねる。
橋本さんは隣のクラスの女子で普段は関わることはない、にもかかわらず話しかけられたのは今日の特別授業で隣になったからだろう。
特別授業では人数が少ないこともあってか成績を加味してクラスが分けられている。ちなみに、智也や仲の良い友達とはクラスが離れてしまった。
「空を見てた。飛行機雲がすごいでしょ」
「ホントだ。今日は雲が全然ないから綺麗だね」
「そうだね」
「それだけ?」
「えっ?」
「だって随分、食い入るように見えたよ」
「そうかな?」
俺は誤魔化すように笑った。何かを悟られてしまったのではないかと不安になる。
「こんなに晴れてるとさ、地球が丸いなって思わない?どこまでも空が広がっていく感じがしてさ」
橋本さんは窓枠に手を添え、窓に近付いて空をもっとよく見ようとした。
「確かにね」
「清原くんには何が見える?」
橋本さんは俺の顔をじっと見上げる。
眼鏡の奥に見える目は逸らされることなく自分を見ている。
言葉が一瞬詰まる。さすがに、飛行機雲になりたいなんて言えない。なんでって言われたらおしまいだ。
だから、別のことを言うことにした。
「晴れ渡った空が真っ青なキャンバスに見える。そこに白いクレヨンで絵を描き始めた瞬間かな。飛行機雲ってクレヨンで描いた線に俺は似てると思うから」
「へ〜」
橋本さんは、湊の言葉を聞いてもう一度空を眺める。
「いいね。まさに、贅沢なお絵かきだね」
橋本さんは宝物を見つけたみたいな顔をして目を輝かせた。
湊と橋本さんはゆっくり歩き出す。
「清原くんは、サッカー部だよね?」
「そうだよ。何で知ってるの?」
「私ね、演劇部なの。部室からちょうどサッカー部が練習するグラウンドが見えるんだ。それでね、よく清原くんのこと見てたんだよ。別にサボってるわけじゃないよ。ただ、演劇部って人数が少ないし兼部してる人もいるから集まり次第では活動にならなくってさ」
「橋本さん、演劇部なんだ。橋本さんは役者? 裏方?」
「私はね〜、脚本と監督やってるんだ」
「すごいね」
「そんなことないよ。他にもにやりたい人もいないからね。今は次にやるミステリーの脚本考えてるんだ」
橋本さんは拳にぐっと力を入れてガッツポーズをした。
俺はあの青空のように眩しいと思った。
こんなにやりたいことと夢中になるようなものが自分にあるだろうか。
「そういえば、橋本さんはなんで俺のこと見てたの?」
湊は忘れかけていた疑問を口にした。
「それはね、清原くんだけサッカー部の中で空気が違う感じがしたんだよね」
「空気?」
「そう。練習してるときとかはあんまり思わないけど、ふとした時に清原くんだけ一緒にいるのに別の場所にいるみたいな?」
「そんなことないと思うけど」
俺は苦笑しながら内心ドキッとした。これ以上は聞かないほうがいいのではないかと。
「なんというかね、他のみんなが熱血スポーツ漫画の登場人物で、清原くんは少女漫画のヒーロー役的な。清原くんがより現実離れしている感じ。纏う空気が、涼しげって言えばいいのかな」
「う〜ん、そんなことないと思うけど。普通だよ」
「本人は納得いかないものかもね。自覚とかないだろうし。でも、私からすると大変参考になるんだよね」
「参考って何の?」
「脚本の。清原くんって物語に登場するキャラにぴったりなんだよね。なんでだろ」
橋本さんが俺の顔を凝視する。俺橋本さんから視線を外した。
「たまたまじゃない?」
そう言いながら手のひらが冷たく湿っていく。
やっぱり自分は部活の中でも普通ではないのだろうか。
自分は橋本さんの言う通り、周りには見えている俺自身を見落としているのだろうか。俺は間違っているのか。
物語の登場するキャラ、この言葉にも引っ掛かっていた。
橋本さんには部室の窓から何が見えていたのだろうか。
俺は橋本さんが何も気づいていないことを願った。
「もうチャイムが鳴っちゃう。急ごう」
「そうだね」
俺はどんな表情をしているだろう。ちゃんと清原湊の顔ができているだろうか。
俺は確認する方法がないことにもどかしさを感じた。
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