第十一話 連絡先
「櫻くん、また会いたいから、これ!」
そう言って紅葉が差し出してきたのは、スマートフォンの画面に表示された連絡先交換用のQRコードだった。
「…連絡先?」
「そう! これがないと、次に会う約束もできないでしょ? それに…その、困ったことがあったら相談に乗ってくれるって、さっき櫻くんが言ってくれたから」
紅葉は少しだけ顔を赤くしながら、それでも上目遣いに僕を見つめてくる。
僕はポケットからスマートフォンを取り出した。
普段、僕のスマートフォンの連絡先に登録されているのは、家族と、あとは拓海くらいのものだ。
他人と繋がるためのアプリを起動すること自体、何ヶ月ぶりだろう。
レンズをかざすと、画面に『紅葉』という名前が表示された。
「追加、できたよ」
「よかった! じゃあ、メッセージ送るからちゃんと返信してね? 既読無視は禁止だから!」
「…善処するよ」
少しだけ誇らしげに胸を張る彼女を見て、僕の口元がほんの少しだけ緩んだような気がした。自分でも驚くほど、自然な感情だった。
改札の手前で、紅葉が足を止めて僕に向き直る。
「じゃあ、私、帰るね。…お母さんとも、ちゃんと話してみる。櫻くんのお父さんを見てたら、私も逃げてばかりじゃダメだなって思えたから」
「うん。…無理はしなくていいけど、お互いの気持ちが伝わるといいな」
「ありがと。…また会おう、櫻くん!」
紅葉は満面の笑みを浮かべて手を振ると、改札機に切符を通して、ホームへと続くエスカレーターを上っていった。
彼女の姿が見えなくなるまで、僕はその場に立ち尽くしていた。
ポケットの中で、スマートフォンが小さく震えた。
画面を開くと、さっき交換したばかりのアカウントから、可愛らしいリスのキャラクターのスタンプと、一行のメッセージが届いていた。
『今日は本当にありがとう。またね!』
それを見つめながら、僕は小さく息を吐き出し、スマートフォンの電源を切ってポケットに収めた。
駅を出ると、雲ひとつない秋の青空が広がっていた。
鋭く冷たい風が頬を撫でていくけれど、不思議と、今朝の風はこれまでのように凍えるほど冷たくは感じられなかった。
家に帰ると、リビングからは結菜と大樹の賑やかな声が聞こえてきた。
台所では、継母が父さんと並んで、昼食の準備を始めている。
「おかえり、櫻。紅葉さんは無事に帰れたかい?」
「うん。ちゃんと駅まで見送ってきたよ」
僕が答えると、父さんは嬉しそうに頷いた。
継母も、僕の方を振り返って静かに微笑む。
「櫻くん、お昼ご飯、もうすぐできるから準備手伝ってくれる?」
継母は僕をくん呼びしている
「……うん。分かった」
僕はカバンを置くと、台所へと向かった。
これまで、僕が自分から家族の輪に入ろうとすることはなかった。いつも一歩引いた場所から、冷めた目で「自分には関係のない温もり」として眺めていただけだった。
けれど、母さんが遺してくれた『櫻を必要としてくれる人は、必ずいるから』という言葉の意味が、今は少しだけ分かる気がする。
僕の手を引っ張って、暗闇から連れ出してくれた紅葉。
そして、不器用ながらも僕を必死に守り続けてくれた、父。
まだ本当の母とは思うことは出来ない。だけど少しずつ頑張って行こうと思う。
僕の止まっていた時間は、今、確かに動き出していた。
ここで最終話とさせていただきます。
続き読みたい人がいれば書きます。
ありがとうございました。




