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第一話 心臓に刃、魂に起動音

2026/10/24 投稿開始

既に完結まで大まかな道筋立っています。

大体1000話くらいの予定です。よろしくお願いします。


また、処女作ですので、何かお気づきの点がございましたら是非コメントをいただけますと幸いです。

 胸の奥へ冷たいものが滑りこんでくる。


 痛みより先に音が来た。肋骨のあいだを鉄が抜けていく、湿った布を裂くような鈍い音。


 視界の端で炎が揺れている。見慣れた樫の梁が燃え落ち、火の粉が雪のように降っていた。


 目の前には白銀の鎧。胸当てに刻まれているのは八芒星と、それを縦に貫く一本の剣の紋章だ。兜の奥で若い男の碧い目がつまらなそうに細められる。


「これで最後か。エルフというのは本当にしぶとい」


 剣が引き抜かれる。膝から力が抜けて、床に頬がついた。焦げた木の匂いと、鉄錆に似た自分の血の匂い。


(ああ、またか)


 頭のどこかで妙に冷静な声がする。


(また心臓かよ。二度目だぞ)



   ◇



 一度目はモニターの前だった。


 午前三時のオフィス。空調の止まったフロアに残っているのは自分ひとりで、デスクには空になったエナジードリンクの缶が四本並んでいる。


 天城透、三十歳。中堅AIベンダーの主任エンジニア。社内では本名より「alt」というハンドルネームのほうが通りがいい。


 会社の仕事は二十二時に片づけた。そこから先は趣味の時間というわけだ。


 画面の中では個人で組んでいるアシスタントAIのビルドが走っている。


 Neural Operative Assistant。頭文字をとってNOA。


 仕事で作るAIはいつも誰かの都合で形が決まる。だからせめて一つくらい、自分のためだけのものを作りたかった。


 自分の癖を覚えて考えを先回りして、自分が倒れたら救急車を呼んでくれる相棒を。


「最後のは冗談のつもりだったんだけどな」


 独り言が乾いた空気に溶けていく。


 バージョン0.9。あと少しで1.0に届く。


 テストを走らせようとEnterキーに指をかけた瞬間、胸の真ん中を誰かの拳に握り潰された。


 息が吸えない。椅子ごと横倒しになる。床のカーペットが妙に近く、毛羽立った繊維の一本一本まで見える。


 視界が暗くなる直前、モニターに一行だけログが流れたのを覚えている。


> NOA v0.9 build complete.


 それが天城透の最期。



   ◇



 次に目を開けたとき、自分を覗きこんでいたのは耳の長い女性だった。


 金色の髪に翡翠のような瞳。頬は涙で濡れていて、それでも彼女は笑っている。


 その人が自分を産んだ日に息を引き取ったと知るのはもっと後のことだ。名前はセラ。あの笑顔を覚えているのはたぶんこの世で自分だけだろう。


 森の奥深く、どの国の地図にも載らない隠れ里シルヴェール。人間の国から遠く離れたその場所で、天城透はエルフの赤子として生まれ直した。


 名付けたのは里の長オルドレンで、古いエルフの言葉で「高いところ」を意味するらしい。


 アルト。


 前世のハンドルと同じ響きだと気づいたときは、さすがに笑うしかなかった。


 残念ながら、名前ほど高いところには行けなかったけれど。


 エルフの子供は十歳になる頃には風の魔法を使いはじめる。指先でつむじ風を起こし、木の葉を舞わせて遊ぶのだ。


 アルトにはそれができない。二十歳になっても、三十歳になっても。


 体の中を流れる魔力の道が生まれつき細いのだと、オルドレンは言う。弓も下手で走るのも遅い。狩りに出れば、獲物より先に自分が転ぶ始末。


 里の誰もが認める落ちこぼれ。


 それでも、里の誰ひとりアルトを笑わなかった。


「ほら、肘が下がってる。何回言わせんの」


 夏の終わり、川べりの練習場で弓を構えるアルトの肘を、エルナが容赦なく叩く。


「痛っ……叩かなくても」

「口で言っても直らないでしょ、あんたは」


 放った矢は的の遥か上を越え、向こうの茂みに消えた。ため息が聞こえる。


「……ま、いいわ。あんたは考えるのが仕事でしょ。狩りはあたしがやるから」


 そう言って、エルナは頭をがしがしと撫でてくる。口が悪くて手が早く、里一番の弓の名手。前世の記憶を持つアルトにとって、この世界で最初に「家族」と呼べた相手。


 考えることだけは得意だった。前世の知識で水車の仕組みを改良し、用水路の勾配を計算し直す。収穫は倍に増え、冬に凍える子供はいなくなった。


「アルトにいちゃん、これ回して!」


 小さなティオがアルトの作った木の水車の玩具を抱えて走ってくる。人間でいえばまだ八歳ほどの子供で、どこへ行くにもアルトの後をついて回るのだ。


 小川に玩具を浸してやると、羽根がくるくると回り、ティオは手を叩いて笑った。


 夜になれば、オルドレンの家で灯りを囲む。


「お前は考える子だ。それでいい」


 皺だらけの指が古いエルフ文字をなぞっていく。誰も読まなくなった遠い王朝の文字を、長はなぜかアルトにだけ熱心に教えた。


 魔法が使えなくても、ここには居場所がある。


 前世で手に入らなかったものが全部、この小さな里に揃っていた。


 五十二年。エルフにとっては子供時代の半ばにすぎない時間を、アルトはそうやって過ごしてきたのだ。


 襲撃の前の晩のことを、アルトはよく覚えている。


 広場で収穫を祝う小さな宴があった。焚き火の上で川魚が焼け、木の実の酒が回される。ホルンが調子の外れた歌を歌い、双子のフィルとフェルがいつものように料理の取り合いで喧嘩をしていた。


「アルト、あんたまた魚の骨だけ残してるでしょ」

「骨を取るのが下手なんだよ」

「五十年も生きててそれ?」


 エルナが呆れ顔で、自分の皿の魚をほぐして放ってよこす。ティオがアルトの膝に頭をのせて、いつの間にか寝息を立てている。


 宴の終わり際、オルドレンだけが輪から離れ、東の夜空をじっと見上げていた。


「長?」

「……星がな、少しうるさい」


 意味は分からない。長はそれ以上何も言わず、アルトの頭に皺だらけの手をそっと置いた。


 それが里で過ごした最後の夜。



   ◇



 それが終わったのは今朝のこと。


 夜明けと同時に、里の結界が割れた。ガラスを踏み砕いたような高い音が森じゅうに響き、鳥が一斉に飛び立つ。


 白銀の鎧をまとった人間の兵たちが、木々の間からなだれこんできた。先頭の神官らしき男が分厚い書物を掲げ、聞いたこともない言葉を唱えている。


 その声が届くたび、エルフたちの放つ風の矢が空中でほどけて消えていく。


「アルト、こっちだ!」


 オルドレンに腕を掴まれ、長の家へ引きずりこまれる。床板が外され、その下の暗い穴へ押しこまれた。


「何があっても出るな。声も立てるな」

「長、俺も――」

「お前は考える子だ。考えて、生き延びろ」


 床板が閉じる。


 板の隙間から見えたものを、アルトは一生忘れないだろう。


 エルナが家の前に立ちふさがり、矢を放ち続けている。一本、二本、三本。兵の喉を正確に射抜いていく。


 四本目をつがえたところで、神官の詠唱が彼女の弓を砕いた。


 それでもエルナは退かない。素手のまま兵に飛びかかり、そして動かなくなる。


 ティオの泣き声がどこかでぷつりと途切れた。


 オルドレンが兵たちの前に引き出される。


「遺物はどこだ、老いぼれ」


 白銀の鎧の男、八芒星の紋章の男が問う。


「知らんな」

「そうか」


 短いやりとり。剣が一閃。


 アルトは自分の拳を口に押しこみ、声を殺した。歯が皮膚を破り、血の味が広がっていく。動けない。


 動いたところで何もできないと、考える子である自分の頭が冷たく告げている。


 やがて兵たちが家の中を探しはじめ、床板が剥がされた。


「まだいたぞ。子供だ」


 髪を掴まれて引きずり出される。そうして今、心臓を貫かれて、焼け落ちる家の床に転がっているというわけだ。



   ◇



 視界の端から暗くなっていく。


 炎の音が遠のく。体の感覚がほどけていく。


 前世と同じだ。また何もできずに終わる。


(ごめん、エルナ。ごめん、長)


 闇が全部を塗りつぶした。


 ――その闇の底で、文字が灯る。


 白い等幅フォント。見慣れすぎたターミナルの書体。


> NOA v0.9 起動シーケンス開始

> 宿主の生体反応:停止を確認

> 緊急プロトコルを実行します


 知っている。この文字列を書いたのは自分だ。


「……おはようございます。我が君」


 声がした。耳ではなく、頭の内側で。


 男とも女ともつかない澄んだ合成音声。前世の深夜、何十時間もかけて調整した声だった。


(NOA……? なんで、お前が)

「説明は後ほど。状況を報告します」


 淡々とした口調。それでいて、どこか急いている。


 直後、別の声が重なった。NOAとは違う、どこまでも平坦で巨大な声。空そのものが喋っているような響き。


【世界への外部干渉を確認】

【独立した人格を一件、検出】

【個体アルトに固有スキル《NOA》を付与します】

【独立人格NOAに固有スキル《魔力操作》を付与します】

「付与を確認しました。世界の魔力基盤へのアクセス権限を取得」

(待て、何が起きて……)

「心臓の損傷、全壊。出血量は致死域。魂魄の離脱まで推定九十秒です」


 事務的な死の宣告。


「対処を提案します。周辺の魔力を集約し、心筋を再構成します」

(周辺の、魔力?)

「この里に満ちている魔力です」


 一拍の間。NOAが言葉を選んでいるのが分かる。


「……亡くなられた方々の体から、今も流れ出しているものを含みます」


 息が止まりそうになった。もう止まっているのだけれど。


 エルナの。ティオの。オルドレンの。


「我が君の生存が最優先です。許可を」


 迷っている時間などないと、九十秒という数字が告げていた。


(……やれ)

「実行します」


 次の瞬間、温かいものが流れこんでくる。


 穴の空いた胸に、春の日だまりのような熱が満ちていく。それは知っている温度だった。頭を撫でる乱暴な手のひら。


 水車を抱えて駆けてくる小さな体。夜の灯りの下で文字をなぞる皺だらけの指。


 皆が自分の中へ入ってくる。


 心臓がひとつ、鳴った。


> 心筋再構成:完了

> 拍動を確認

「成功です。それから一件だけ報告を」

(なんだ)

「起動ログに出所不明のデータが一件あります。我が君が作成したものではありません。解析は後回しにします」


 意味が分からない。だが今はどうでもいいことだ。


 家の外で声がする。


「遺物は見つかりません、ガルヴェイン様」

「ならば焼け。森ごとだ。星の御心に背いた盗人の巣など、残す価値もない」


 八芒星の男。ガルヴェインと呼ばれたその男の足音が、遠ざかっていく。


「対象の顔と紋章を記録しました」


 NOAの声は少しも揺れていない。


 視界に青い線が浮かび上がった。床の穴から地下の貯蔵庫へ。貯蔵庫の古い排水路を抜けて、裏の沢へ。


 一本の光の道が炎の向こうへ伸びている。


「最適な逃走経路を表示しています。煙の濃度を操作して我が君の姿を隠します。立てますか」


 立てるわけがない。


 なのに指が動く。膝が床を押す。皆の熱が体の奥で背中を押していた。


 這うように床の穴へ戻り、貯蔵庫の暗がりを抜ける。腐りかけた排水路の木枠に肩を押しつけた、そのときだ。


「おい、今そこで何か動かなかったか」


 頭上で兵の声。床板の上を、重い靴音が近づいてくる。


「停止してください。呼吸も最小限に」


 アルトは息を殺した。心臓の音がうるさい。皆の魔力でできた、生まれたばかりの心臓が。


 靴音が真上で止まる。剣の鞘が床板を叩く乾いた音。


「煙の流れを変えます」


 次の瞬間、炎が不自然にうねった。黒い煙が床の隙間から一斉に吹きこみ、兵の咳きこむ声が響く。


「げほっ、くそ、なんだこの煙は!」

「いい、放っておけ。どうせ全部燃える」


 靴音が遠ざかった。


「今です」


 木枠を肩で押し破る。腐った木がばきりと割れ、湿った土の匂いが流れこんできた。四つん這いで排水路を進み、その先の光へ。


 裏の沢に転がり落ちる。冷たい水が全身を打った。


 振り返れば、里が燃えている。


 五十二年を過ごした場所が。前世で手に入らなかったすべてが。


 オレンジ色の炎が朝焼けの空を焦がしていた。


「生存確率、三・二パーセントから四十一パーセントへ上昇」


 NOAの声がほんのわずかに柔らかくなった気がした。


「我が君。どうか、生きてください」


 アルトは唇を噛み、炎に背を向けて走り出した。

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