第十一章 神と人間のオリジン①
「ジュノ、今日の仕事終わった。……大丈夫か?」
場面は急変して、都心から遠く離れた最北の古めかしいホテルの一室に変わる。
まるでクレスの言葉が目覚めの合図とも取れるように、自力でベッドから立つことさえ困難になったジュノは、正座を崩すことなく、ゆっくり瞼を開いて丁寧な言葉を発する。
「私は大丈夫よ、見た目は不安定でも中身は頑丈なのよ。……心配を、ありがとう」
大人ではあるが、白髪のストレートに美しい翠眼は健在で、蒼く優美な着物を着用し、金色の簪と大輪の花で鮮やかに彩る姿は、あの見慣れた監視時のジュノそのもの。
この地球には地中深くの鉱物で死守されるように、貴重な酸素も大量に備蓄されている。
それをよく知るジュノは毛髪を巧みに操り、元素記号の下、分解・結合を繰り返して、不純物のない天然の酸素を発掘することで、この危うい命を繋いでいる。
元々、日常の大半を白髪の姿で過ごすジュノにとって、実のところ今の容姿こそ命の危機を知らせる最終形態。
本来、最弱の姿を周知されることは敗北を意味しており、非常に屈辱的且つ危険な行為になるもの。
それを公然と曝け出し、最上級の装飾を施して完美に魅せる姿には一切の隙を感じさせない。
端正な顔と華奢な身体を最大限生かして、手先から足先まで優雅な仕草で魅せることも強く逞しく生きる知恵の一つ。
広い世で最弱な姿形で他を寄せ付ける隙を与えない方法は、自然界でも認知されている基本的な手法とも言える。
「ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって……」
「元々俺は無関係じゃない。それに誓ったはずだ、この罪は共に背負うと」
揺るぎない決心の下、ジュノに対する信頼を示す言葉をはつらつと口にするクレス。
そんなクレスにジュノの決心が揺らぐ。
これから起こるであろう大騒動に、クレスを主軸に多くを巻き込むことに、今更ジュノの良心が痛むのだろうか、頭が徐々に俯いていく。
「……フレイたちを敵として迎え撃つための準備は万端よ。ジェームスをフレイに送ったの。そう期間も開けずに最終決戦へ駒を進められると思うわ」
重い頭を正常に戻したかと思えば、優雅な表情は揺るがないまま一度閉じた瞼を開いて、俯いた背筋を伸ばしたジュノは、唐突に重要な話を切り出した。
「そうか……」
「フレイは勿論のこと、ステラとの敵対関係も避けられないでしょう」
「まあ、そうなるだろうな……」
「あ、貴方はッ! ……貴方は、ステラの許へ行くことだってできるのよッ?」
悠長に飲料を飲み干しながら返すクレスの言葉の歓楽さから、ジュノは勢い余って思いの丈をぶつけるが、哀愁満ちた発言は自身の心にすら大きなダメージを与えるもの。
「へぇ、ここへ来て自虐的な発言なんざぁ、余程御自分に都合の良い感性をお持ちのようで?」
ありったけの皮肉を込めた発言に、ジュノは思わず黙る。
なによりクレスの表情は怒りに満ちていて、ジュノを睨む目はまだ何も知らず、怒りと殺意だけで生きていたあの時のもの。
「そう、そうだ。それでいい……」
思わず睨み返したジュノを指差して、まるで自身にも言い聞かせるように、あの日、あの時の耳打ちを、身体中の血が染みて溶け出すような感覚で、ジワリ、ジワリと思い出す。
***
「は? 地球改革の日が近いだと?」
あまりに奇想天外な妄想を耳打ちされたことで声を荒げたクレスは、ジュノに対して不信感を露わにした。
まだ薄暗い神社で、クレスの傍を雀たちが去ると少し離れた枝に留まり、忙しそうに左右に首を傾げながら、この二人の動向を逐一観察し続けているようにも見える。
「んな笑えない冗談持って来るなよ、馬鹿々々しい」
出会ってまだ間がないものの、一度交えた会話から冗談が似合わないジュノの発言の信頼度は高い。
しかしここまでぶっ飛んだ話には、流石のクレスも着いて行けるはずがない。
「貴方の対応が正常よ。こんな突拍子もない話、すぐ信じるほうがどうかしてるのだから」
着物の袖を持ち、天の人差し指を掲げると、一羽の雀を寄せたジュノ。
気丈な立ち振る舞いと言葉選びには気品があり、大人の余裕まで感じ取れることでクレスに小さな隙を作る。
「あ、アンタが破壊でもするつもりなのか? ……地球を?」
突然真逆な反応を示す発言に、ジュノは堪らず口を隠して上品に、しかし可笑そうに笑う。
「私? 冗談はやめて。そんなことができるのはこの世でたった一人、フレイだけよ」
まるで栄誉のようにフレイの名を出したことで、一度起こした上半身を再度大木の幹に身を委ねたクレス。その上、詰まらなさそうにジュノが視界に入らないようそっぽ向く。
「分かりやすいわね。その子供じみた感情は早々に捨てなさい」
「だ、黙れ! アンタに俺の何が分かるッ!」
怒りに任せてジュノの胸ぐらを掴むと、二人の顔は至近距離に。
その瞳と表情は、互いに譲れない感情に探りを入れるための、まさに本心のぶつけ合い。
「私がこの程度で屈すると思って? 嘗めてかかると痛い目を見るのは貴方の方よ」
「お、女だから、……手加減、しているだけだッ!」
この攻撃的で挑発的なジュノの言葉に上手く脅されている感覚は、きっと間違っていない。
「そんな詰まらないことを言い訳にするの? 私にさえ歯が立たないなら、フレイなんて遥か先よ。大口叩くだけの貴方にこれ以上の話は不要ね。私の人選ミスだったようね、残念だわ」
非情な表情と言葉の重圧だけでクレスを精神的に追い詰める凄みは、恐らくジュノしか持たない。
若干不貞腐れ気味のクレスではあるが、最終的にはジュノを解放する判断に至るほど。
恐らく、これ以上ジュノと張り合うこと自体が無意味と判断したからだろう。
悠々と乱れた着物の衿を整えながら、ジュノは恐ろしいほど見下げた目をする。
まるで光沢を無くした死んだ魚の、それ以上の、光を持たない黒々しい眼。
物理的な攻撃を受けたわけではないのに、耐えられない圧迫感と威圧力からついにクレスが口を割る。
「アンタは何に気付いている? 地球は勿論、宇宙の成り立ちすら把握してるだろ?」
それは疑わしいと思いつつも、大きな期待を寄せた瞳。
一度微笑んだように見えたジュノは目線を外して少し考えると、核心に迫る話に触れた。
「……太陽どころか、宇宙ですら発展途上の遠い昔に【過去で絶滅した分子】が、様々な障害と人間の慢心から埋もれた【未来で誕生した分子】が出会うことで、過去も未来にも前例のない細胞が出来上がったわ。だから私は今、こうして息をして言葉を交わすこともできているの」
能力の異なるジュノとステラは、生命の誕生に他の誰よりも貢献している。
未来で活発な生命活動を維持しながらもその特異性から嫌悪され、身動きが取れなかったステラの分子。
潜在能力は一流でありながら、生き残るための致命的な競争意識が欠けていたために、特に荒波が激しい過去で生存競争に負けたジュノの分子。
そんな二つの分子は欠けたパズルのピースを補うように、互いを引き寄せられたと考えても特別不思議な話ではない。
「それは何かしら言葉で言い表すなら、〈奇跡〉と言うよりは〈必然〉だよな。生命の誕生は星の運動にも深く直結するはずだろう。ある程度の豊かさは星にとってプラスだろうからな」
「本質をよく捉えているのね」
「そりゃどうも。しかしどちらかと言えば、アンタの方が一番重要な役割をこなしている人物だと、俺の脳が忙しなく主張している。実際のところ、どうなんだ?」
右手人差し指でトントンと、頭の中の脳に注目が行くように軽くジェスチャーを加える。
クレスの発言はあまりに核心を突いていて、ジュノを無意識で無言にさせる。
実際のところ、突然変異によってステラの分子が誕生できた時代は、恐らく人間の手によって人工の万能細胞の開発も活発だった黄金時代とも考えられる。
つまりピースの欠けたステラの分子より、有能で完璧な分子で溢れていたと思われ、ステラの分子が埋もれていた可能性は十分あり得るのだ。
事実、同じ未来人であるアイリーンの存在と能力が、その仮説をより高めている。
その点ジュノは星々の成長のために多くの分子が誕生し、多くを篩に掛けられ、多くが死んでいく自然の摂理は、まだ簡単な循環すらもままならない、過酷な時代と知らせているようなもの。
幾度となく生と死の分岐点を廻るために、如何に忍耐の連続だったか、想像を絶する。
だからこそ前代未聞の打開策が開けたことは特別不思議な話にはならないし、決して奇跡とは言えないだろう。
「そうね。ただステラ主体の根幹が無かったら、今のこの人の形はなかったでしょう」
「それはステラの分子が、人間のベースを創る身体を生み出す存在だったってことか?」
クレスの理解力と適応力は、ジュノの考えた可能性の範囲を軽く超えていたようで、一度は噤んだ口も想いが溢れることで、より深い真相を話すことに抵抗がなくなる。
「流石の私にもその頃の詳細な記録は残っていないの。ただ私の場合、生存維持への意欲が削がれるほどの無法地帯で、過去を生き残るには極めて困難な空間だったのよ。そんな環境で絶滅という負のスパイラルから抜け出すための糸口、ステラの分子の誕生こそ希望そのものだったわ」
生き続けるための下地を強固なものにするために、ステラの分子が未来に現れるまで多くの過去の残骸を乗り超えて、ジュノの分子は繋ぐチャンスを狙っていたと考えてもおかしくない。
つまりジュノの分子は生き残ることに消極的だったのではない。
毎日のように起こる多くの出来事に傷つきながら、大した進化も出来ない弱体を理解し、再起を図るための行動を無意識で行っていたのは間違いない。
「なんにしても俺たちが血反吐の努力を経験するのが大前提として、運命と言うか、天命というか……。目に見えない何かによって偶然を装い、上手く導かれましたと宣言しているようなもんだよな、それ」
何事も偶然とは思えない関係性と出来事に、根本から疑問を抱いたクレスの発言。
それを肯定するように、ジュノの話はさらに深い深い真相へと繋げていく。
「現に過去と未来が繋がったから今があるのよ。その法則の下【過去のフレイによる二つの分子の召喚】がなければまた同じ。私、【ジュノが宇宙を創り】、【フレイが太陽を創り】、【ステラが地球を創る】という制約がある以上、例えどんな形であれ、頭角を現すのは宿命でしょうね」
「フレイが故意にアンタとステラを現代へ召喚したということか?」
「フレイはフレイでも貴方の知っているフレイは【現代のフレイ】であって、私とステラを召喚したのは今で言う神に相当する【過去のフレイ】のことよ。私とフレイにとって父とも母とも言える人物でもあって、私たちは敬意をもって【00】と呼んでいるわ」
「それは……、まさかアンタが俺とステラを産んだという過程と同じカラクリか?」
「00はフレイそのものなのよ。何か特別な細工は必要なく、自ら腹を突き破って出たものよ」
「そ、想像しなくとも実に生々しい話だな。なるほど、自然治癒能力か……」
フレイの尋常じゃない力を間近で見ただけに、クレスに否定できる要素はどこにもない。
「常軌を逸した戦いは分子の頃から始まっていたわ。まさに00が生命の金字塔を打ち立てるのは必然で、同時に、メビウスの輪を繋いだ終わりなき地獄の導きすらも必然だったのよ」
まるで大砲のようにジュノの口から放たれる常識を逸脱した内容の数々に、慣れていく過程がクレスの表情から事細かく表現され、既にこの話を否定する選択すら存在していないのがよく分かる。
またこれ以上のショッキングな内容が続くとしても、全て受け入れる覚悟と決意も見受けられるのだ。
そんなクレスが今一度唾を飲み込む過程で喉を大きく鳴らす中、僅かに脳に宿る日々詳細に記録し続けた記憶を、血塗られた軌跡を、ジュノは淡々と話し始めた。




