第十章 自分の証明(フレイ視点)②
ぼんやりとした目が最初に映し出したのは、一つの照明と白い天井で、僕の意識が現実に戻ったことを認識した。
あの時の温もりがなくなった手先を動かして、順調に身体の感覚を取り戻す。
ゆっくり上半身を起こすと、すぐ傍で絶えず祈るステラを見る。
泣き疲れて腫れぼったい目にはクマもできていて、それでも祈りは止めず必死なステラに、申し訳ないと思いつつもどこか嬉しい感情もあって、穏やかな気持ちで僕はステラの名を呼ぼうとした。
「お、おい! ステラ、フレイがっ!」
マサヤの慌てた言葉にステラの大きな瞳が更に大きく開いて、ゆっくりこっちを向く。
「……ふ、ふぅれぇぇいぃ……いぃ……ッ!」
「ステラ、助けてくれてありがとう。全部君のおかげだよ」
泣き疲れただろう目に多くの涙を溜めて、ゆっくり近づくステラを僕は強引に抱き寄せた。
「フッ、フレイィィ……、…………、」
「ッ? ステラ、ステラッ? ……ああ、よかった、寝ただけなんだ……」
どうやら僕の目覚めに安堵を得たようで、見るからに疲労困憊なステラは僕に抱き着いたまま、でも安心しきったように深い眠りに落ちている。
「ステラの奴、頑張ったんだぜっ! 丸三日間フレイの帰還を祈っていたんだからよぉ?」
このマサヤの発言に、僕は目を限界まで見開いて大いに驚く。
突然寝てしまったのも合点がいく。
疲れ切っていて、でも嬉しそうな寝姿を見せるステラの頬を、更に丁寧に優しく撫でた。
そんな感謝の気持ちを表す僕の表情は、いつになく険しい表情に変化させる。
確定されたジュノとの直接対決を視野に入れながら、どう先陣を切るのか、ある程度予測を立てる必要があるからだ。
なにより、相手はあのジュノと、加担したクレス。
生半可な行動を起こせば、地球上に住む全生体に多大なリスクを伴うだけに、小さな選択が大きな命運に変わるかもしれない。
加えてジュノのこと、何か奇策を投じるのだろう。
「ジュノは既にこの都心にはいない。どこか遠くへ移動した後だろう」
「……どうしてわかる?」
「ジュノは肉体を最終形態へ開放させてしまった。長く存命させるために自然に溢れ、空気の澄んだ場所に移動している可能性が高い。クレスを足として使っている、昔の僕と同様に……」
ジュノとの思い出は苦しいことだけではなかったけど、今はただ辛さしかない。
ただそんな感傷に浸るよりも今、この場で解決させないといけない重大な問題が残っている。
「……マサヤ、一つ確認したいことがあるんだ」
「おう、なんだ?」
「君は何が目的だ? 僕の網膜に注ぎ込んだ映像はどこから捻出したものだ?」
ステラが幸せそうに眠ったことを自分のことのように喜んでくれるマサヤに対して、僕はとても酷なことを問う。
原点はフレイの解放を発動させた上、後にその行為を『土産』と称した行動のことだ。
あの時はただこの現実と恐怖から逃れたくて必死だったし、その後もこの歓楽さに呆れたけれど、深く考えるほどにこの瞬間のための、用意周到な計画と位置付けられる。
「あの時君が無理矢理見せた映像は、遠い過去に嵐の中の教室で僕の身体を削ぎ落す過去を突きつけたものだった。例えばそうだね、チェーンソー……、だったりね」
たっぷりの皮肉を加えながら、マサヤへの積もり積もった鬱憤をぶつけた。
僕がただひたすら脳の奥底へと頑丈に閉じ込めていた記憶と、あの時マサヤが見せた映像とは見る角度が少し違うだけで、驚くほど同一場面であることは既に確定している。
「君はあの時、あの場にいたと考えて間違いないと思ってる。違うのか?」
僕の心臓は五月蝿く鳴り響いている。
仮にも恩人に揺さぶりを掛けているんだ、良心に針を刺す行為ではあっても、後悔なんてない。
計算なら尚更許すことは出来ない話なんだから。
一度小窓の夜空を眺めて、驚くほど冷静な態度で右の口角を上げてマサヤは答えた。
「ああ、いたが?」
この予想外な答えに僕の心臓の音はさらに高ぶる。
あっさり関与を認めたんだ、僕はぐうの音も出ない。
ただあの残虐な場面で、マサヤが助長した可能性は無に等しい。
僕が見た映像を詳しく分析した結果、どちらかと言えば僕を虐める者たちから一歩引いた場所で静観していただけのように思う。
それでも無抵抗な僕一人に注がれた汚い感情と、残酷な仕打ちの数々をのうのうと傍観していたのだと思うと、少なからずマサヤへの信頼は落ちる。
しかしあの混沌とした暗闇の中で、強く望んだ同胞は確かに存在していて、懸命に求めた現実が今、目前で公然と立っているのだから複雑な心境から心がくしゃりと痛む。
だって僕は《あの人》に対して妄言を吐いた。
人類の未来を切り開くなんて豪語して、実際は理想ばかり求めていただけで、僕はなんて、なんて浅はかなんだと恨みすら抱く。
失望と絶望と。
甘い夢から叩き起こされて、突然厳しい現実を突きつけられて。
改めて理解に達した僕自身に対する怒りと情けなさは強く激しく、また酷い後悔の念にも項垂れる。
なにより懸命に理解を示そうとしたあの人に対しての、懺悔と罪悪感は殊の外大きい。
「……まあ、普通は俺を責めるのが常だろ。なぜお前がお前をそこまで追い詰める必要が?」
マサヤの素直な発言は、僕の心を驚かせながら混乱も起こさせる。
問い詰めることが正論とは言わないが、感情論的に言えばマサヤの意見が正しい感情としか言えない。
悪いこと、痛いこと、苦しいこと、全てを傍観者しただけのマサヤを責めてもきっと罰は当たらない。
感情の流れるまま罵倒したり、金輪際無視を貫いたって、その決断に誰も批判できない事態なのは明らかで、僕の失態と言うよりはマサヤの疑問の方が妥当としか思えない。
「お前はそれを直せよ。面倒だし、ストレス溜まるだけだろ。そのすぐ自分を否定する癖」
「でも、でも僕は……、あの人に嘘をッ!」
「自虐的になって何ができる? 自分の内だけで解決させることが美学か? 他人に迷惑かけないことが優しさか? そんな上っ面の礼儀なんざ、俺にとっちゃ糞食らえだなッ!」
マサヤは僕の無意味に繰り返すだけの底なしの迷いと混乱を、ハッキリと否定する。
決して僕を根性無しと罵ったわけではなく、僕の悩む心がマサヤの苛立ちを煽るのだろう。
あの教室の中、一方的に注がれた悪意そのものの愚行に対して、僕が抗議や抵抗すべき態度と行動に出ることへの勇気の無さから、結果、こんな世界へ導いた現実は心底悔やんでいる。
「お前には不公平という言葉が分からないのか? お前の悪い部分ばかり切り取って、自責の念に駆られるこの状況がッ! 今の今も極限の精神状態を強いられているお前の現状がッ!」
マサヤはとても悲しそうな表情をして、僕の立ち位置と認識のおかしさを訴えてくれる。
ごめん、僕も分からない訳じゃないんだ。
でもこの究極の理不尽に対して、今の僕に解決の糸口は残されてなくて。
そんな道理に反する立ち位置の中でも、世界を崩壊に導く爆弾と守るべき大切なものを繊細な天秤に置かれるこの鬼畜。
大切な存在を人質にされて、アンバランスな状態を平行に保つことを強制されたことで、本能が感じた不合理を無理矢理心が押し殺した。
全て分かっていてもそれを言葉にしたら、僕の脳が限界を、心が悲鳴を上げそうですごく怖い。
再び耐え難い悲しみからこの世界を終わらせてしまうなんて、そんな失態、二度としたくないんだ。
「それは、……それは、分かっている、結局は僕の独りよがりだって……」
「ならなんでも自虐的にすり替えるな。俺の言葉の真意をそんな考えで変えられては困る」
ちゃんと意味を理解出来ているのはずなのに、僕はマサヤの言葉を肯定できない。
これはほんの数十年の間に刷り込まれた話ではなくて、遠く分子の頃から現在に至るまで息を吸うように迫害されてきた背景が、本能すら委縮させた、深刻な症状だと知っている。
例えるなら一生治らない持病のようなもので、僕の身体には弱虫が染みついているんだ。
「何でも一人で抱えるなッ! 幸い、お前には心底信頼できる奴がいるだろ?」
僕は今、君の前でどんな表情をしているのだろう。
マサヤは話す勢いこそ怒り狂いそうな雰囲気なのに、表情はとても辛そうに、悲しそうに僕を見ているように思う。
「フレイ、お前は正しい認識と感情を好きなように展開させていいんだ。世の全責任を背負う覚悟を持つお前を利用する奴らの尻拭いはしなくていい。果てしない要望を聞き分けるために心の壊死と引換えに永遠に使われるだけの努力よりも、自分の幸せのための努力に尽力しろ」
僕を説得する度に目を潤ませながら、アドバイスをくれるマサヤの訴えに僕は混乱する。
マサヤの言葉は正しい。
僕は必要以上に気を使い過ぎている感覚も理解しているのに。
僕を中心に起きた出来事は、明らかに常軌を逸している。
それでも生を掴むことを選んだ僕に、覚悟という言葉では表現できないほどの、強い決意を持って生きているつもりだ。
だからマサヤの助言ほど、素直に身に染みるものは無い。
「……君は一体、何者なんだ?」
今までの出来事に加えて今回の発言に至るまで、マサヤと言う人物に偉大さを感じ取ったことで僕の疑問は尽きない。
マサヤは何か、特別な何かを纏っているような気がしたんだ。
「はっ、ただのしがないマサヤじゃあねぇの?」
その一言を口にするとポケットから煙草を取り出して、そそくさと部屋から出たマサヤ。
真意に迫りたい気持ちが勝ってもマサヤがやんわり拒否するのなら、僕の性格上どうしても遠慮してしまう。
でも思いやり溢れる言葉の数々は、きっとこれからの僕を良い方向へ導いてくれる最高の指南になるだろうと、そんな気がしてしょうがないんだ。
マサヤが部屋からいなくなって今一度、深い眠りについたステラを見る。
安心しきった表情でとても幸せそうに寝ている。
僕はこの笑顔を守りたい、守るためにずっと奮起してきた。
きっとそれぞれが大切な人の幸せを願い守るための決心があって、それぞれの立場と不安から必然的に悪を仕立てて犠牲を生み出す構造になるのは悲しいけれど、人間とは永久に相容れない関係と理解できた今世、衝突は避けられない天命そのもので、残酷な話、幸せとは必ず誰かの犠牲があって得られるものと、自然が廻るための方程式と定められている。
今後僕は自分自身の幸せのために、犠牲を生む覚悟とその大罪に耐えうるだろうか。




