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呉視点三国志:孫堅の章⑧

190年:初平元年

 洛陽(らくよう)は、後漢(ごかん)王朝の首都として、長きにわたりその威光を誇っていました。理由は、まずその立地にあります。洛陽は黄河(こうが)流域に位置し、交通の要所としての利点を持っていたのです。商業と政治が交差する場所として、歴代の王朝からも重視されてきました。

 「洛陽、か。やはり首都としての器だな」と、董卓(とうたく)は呟きました。その目には、過去の栄光と同時に、今後の支配を決定づける地としての冷徹な視線が光っていました。彼が権力を握る前、この地はまさに漢王朝の象徴でした。

 だが、董卓がこの洛陽を焼き払った時、それは単なる移動ではなく、後漢の崩壊を意味していました。

 「これでよし!」

董卓は高らかに言い放ち、周囲を見渡しました。

「我が行く先に、跡形も残さぬように。焼き尽くせ!」

 命令が下されると、官庁や宮殿、民家までも一斉に火が放たれ、炎が洛陽の空を赤く染めました。数日間、火は消えることなく、洛陽の地を焦土と化しました。

 「董卓め、何をしているのだ!」

一人の将軍が叫びます。「あれが私たちの土地だ!」

 「黙れ! 国家のためだ。反董卓の連合を阻むためには、これしかなかったのだ!」

董卓は冷徹に答えます。その声には、無情さが滲んでいました。

 洛陽の街は、もはやその面影を留めていません。宮殿に住んでいた者、商人や民間人も、家を焼かれ、家族を失った者たちが逃げ惑う光景が広がっていました。

 「どうして、どうしてこんなことを?」と、ある民衆が泣き崩れながら問いかけます。

 「黙れ! これが戦だ。」董卓の側近が冷たく言い放ちます。

 「これが戦だ? ならば、我々は何をすればいい? 生きていけと言うのか?」民衆は絶望の中で呟きました。

 董卓の暴挙は、そのまま洛陽の人々を深い絶望の中に沈めました。それと同時に、後漢の支配の終焉をも象徴していたのです。董卓がこのような手段を取った背景には、反董卓連合との激しい戦いがありました。連合軍の力を削ぐためには、都市を徹底的に破壊することが必要だと考えたのでしょう。

 「次はどこだ?」と、董卓は側近に尋ねました。

 「長安へ向かうべきです。」側近が答えます。

 「そうだな。だが、長安も焼くことになるかもな。うはは。」董卓はそう言って、次なる一手を練っていました。

 だが、彼の目にはもう洛陽の人々の未来など映っていません。彼の頭の中には、次の戦略が練られているだけでした。

 そして、董卓が長安に移動する決断を下した時、洛陽の町はその面影すら残さない灰燼に帰していました。人々の心にも深い傷が残り、今後の戦乱はますます激化することを予感させました。



190年:初平元年

反董卓(はんとうたく)の狼煙(のろし)が上がり、中原(ちゅうげん)は騒然(そうぜん)としていました。諸侯(しょこう)たちがそれぞれの思惑(おもわく)を胸に集う中、孫堅(そんけん)の軍旗(ぐんき)は、ひときわ鮮(あざ)やかに戦場(せんじょう)を駆(か)けていました。その勇猛果敢(ゆうもうかかん)な戦いぶりは、早くも連合軍の中で抜きん出ていました。

 董卓(とうたく)の軍勢は、孫堅の勢いに押され、ついに洛陽(らくよう)からの撤退(てったい)を決意します。しかし、その退却の際、彼は都(みやこ)に深い傷跡(きずあと)を残しました。

「火を放て! 洛陽の全てを焼き払うのだ!長安に逃げるぞ!」

 董卓の冷酷(れいこく)な命令が下(くだ)ると、都のあちこちから炎が上がり始めました。宮殿(きゅうでん)、民家(みんか)、寺院(じいん)――千年以上の歴史を持つ都は、またたく間に業火(ごうか)に包(つつ)まれました。黒煙(くろけむり)が天を覆(おお)い、焦(こ)げ臭(くさ)い匂(にお)いが風に乗って遠くまで漂(ただよ)います。

 さらに、董卓の悪行(あくぎょう)は、歴代皇帝(れきだいこうてい)が眠(ねむ)る陵墓(りょうぼ)にも及びました。

「宝物(たからもの)はどこだ! 徹底的(てっていてき)に探(さが)し出(だ)せ!」

 兵士たちは、墓を暴(あば)き、棺(ひつぎ)をこじ開(あ)け、中から金銀財宝(きんぎんざいほう)を奪(うば)い去りました。神聖(しんせい)な場所は汚(けが)され、静寂(せいじゃく)は怒号(どごう)と破壊(はかい)の音にかき消されました。

孫堅が洛陽に入城したのは、都が焼け野原と化した後でした。

「これは…一体、何という惨状(さんじょう)か!」

 焼け残った瓦礫(がれき)を踏(ふ)みしめながら、孫堅は言葉を失いました。かつての壮麗(そうれい)な都の面影(おもかげ)はなく、ただただ黒焦(こげつ)いた残骸(ざんがい)が広がっているだけです。

 そして、彼は歴代皇帝の陵墓へと向かいました。そこで目にしたのは、さらに目を覆(おお)いたくなるような光景でした。墓石(はかいし)は倒(たお)れ、供(そな)え物は散乱(さんらん)し、棺(ひつぎ)は無残(むざん)に口を開(あ)けていました。

「董卓…! なんということを…!」

 孫堅の顔は、怒(いか)りと悲(かな)しみで歪(ゆが)んでいました。彼は、陵墓の前に跪(ひざまず)き、深(ふか)く頭(こうべ)を垂(た)れました。

「亡(な)き皇帝陛下(こうていへいか)、そして歴代の皇帝陛下。この孫堅、不徳(ふとく)の致(いた)すところとはいえ、このような無残な姿を晒(さら)してしまい、申し訳ございません!」

しばらく沈黙(ちんもく)した後、孫堅は顔を上げ、力強い声で兵士たちに命じました。

「皆の者! ただちにこの陵墓を修復(しゅうふく)する! 散乱(さんらん)した供(そな)え物を集(あつ)め、倒(たお)れた墓石(はかいし)を元に戻(もど)すのだ! 破壊(はかい)された箇所(かしょ)は、丁寧に塞(ふさ)ぎ、清(きよ)めよ!」

 兵士たちは、孫堅の言葉に心を打(う)たれ、一斉(いっせい)に作業に取り掛かりました。彼らは、焼け残った木材(もくざい)を運び、崩(くず)れた石垣(いしがき)を積み直し、汚(よご)れた地面を丁寧に掃(は)き清(きよ)めていきました。

 孫堅自身も、率先(そっせん)して土(つち)を運び、瓦礫(がれき)を片付(かたづ)けました。その姿は、一介(いっかい)の武将というよりも、亡(な)き君主(くんしゅ)に尽(つ)くす忠臣(ちゅうしん)のようでした。

 陵墓は、日を追うごとにかつてのの姿を取り戻(と)っていきました。破壊(はかい)された箇所(かしょ)は塞(ふさ)がれ、供(そな)え物は整然(せいぜん)と並(なら)べられ、清(きよ)められた境内(けいだい)には、静寂(せいじゃく)が戻(もど)りました。

 孫堅のこの行為は、単(ただ)に建物(たてもの)を修復(しゅうふく)したというだけではありませんでした。それは、董卓の暴虐(ぼうぎゃく)とは対照的(たいしょうてき)に、漢王朝(かんおうちょう)の伝統(でんとう)と権威(けんい)を尊重(そんちょう)する孫堅の強い正義感(せいぎかん)と礼節(れいせつ)を示すものでした。

 この行動は、当時の人々に深い感銘(かんめい)を与え、孫堅は反董卓連合の中でも一際(ひときわ)、正義の士(さむらい)としての名声(めいせい)を高めることになったのです。彼の名は、その勇猛さだけでなく、その高潔(こうけつ)な行(おこな)いによって、広く天下(てんか)に知られるようになりました。



190年:初平元年

 焼け落ちた洛陽(らくよう)の都。その崩れた宮城の礎(いしずえ)の間を、孫堅(そんけん)は静かに歩いておりました。

「この地に……まだ、何かが眠っている気がするのだが」

彼はそう呟(つぶや)き、周囲の兵たちに命じました。

「城内の井戸をすべて調べよ。燃え残った場所、地の底にも目を向けよ、と!」

 その時です。一人の兵士が息を切らせて駆け込んできました。

「将軍! 井戸の底より、奇妙な石の箱が見つかりました!」

孫堅は、その報告にすぐさま現場へと向かいました。

 深く口を開けた井戸の中。そこから、泥にまみれた石箱が兵士たちの手によって慎重に引き上げられます。固い縄が軋(きし)み、土の匂いが立ち込める中、ついにその箱は地上へと姿を現しました。

 固く閉じられた石の蓋(ふた)が、ゆっくりと開けられます。中には――

「……これは……!」

思わず、孫堅は息を呑みました。金色に輝く、一つの玉璽(ぎょくじ)がそこに収められていたのです。

 その表面には、篆書(てんしょ)で力強く刻まれておりました。

「受命於天(じゅめい んにおけ)、既寿永昌(すでにじゅながくしょうなり)」

それはまさしく――秦(しん)の始皇帝より受け継がれ、歴代の皇帝が「正統」の証として手にしてきた、伝国(でんこく)の玉璽(ぎょくじ)でした。

「これが……玉璽(ぎょくじ)……」

孫堅は、その神々しい輝きを前に、思わず膝(ひざ)をつき、しばし言葉を失いました。

 ただ静かに、その神聖な印を両手で包み込み、じっと見つめている孫堅。

「天が……我に、この時代を変えよと命じておられるのか……」

その瞳には、これまで培ってきた武人としての光に加え、未来を見据える、ある種の覚悟の色が宿っていたのです。

そして、この屈辱的な出来事を経て――孫堅の心には、これまでとは異なる、一つの強い思いが静かに、しかし確実に芽生え始めておりました。「いつか、この玉璽を堂々と掲(かか)げ、漢の乱れを正す者となる……。その器量(きりょう)が我にあると、天はあの時、示されたのだ」

もはや、彼はただの勇猛な将軍ではありませんでした。孫堅は、この動乱の時代を自らの手で動かす、“王者”としての自覚を、その胸に深く抱き始めたのです。

 ちなみに、玉璽(ぎょくじ)は、古代中国で皇帝や王が国家の権威を象徴するために使用した印章で、通常は高価な玉で作られ、形状は長方形や円形が多いです。特に皇帝の玉璽は「天命」を象徴し、国家の最高権力を示すもので、非常に高い神聖さを持ちます。玉璽が押されることで、公文書や命令が正式に認められるとされ、権威を誇示する重要な役割を果たしました。

 有名な玉璽としては、秦の始皇帝の「和璽(わじ)」や、漢の高祖の「太祖璽(たいそじ)」などがあります。玉璽は単なる印章ではなく、政治的に非常に重要な存在で、誰が持つかによって権力の所在が決まるため、時として争奪の対象となりました。後漢末期や三国時代では、玉璽の行方が政権の正統性に影響を与えることがありました。例えば、董卓(とうたく)が洛陽を焼いた際、皇帝の玉璽も失われ、政権に大きな影響を与えました。



190年:初平元年

 玉璽(ぎょくじ)を手に入れた孫堅(そんけん)は、その重大な事実を誰にも語りませんでした。彼はそれをひそかに胸にしまい込んだのです。しかし、同じく洛陽(らくよう)に滞在していた袁術(えんじゅつ)は、孫堅(そんけん)の様子が以前と違うことに気づきました。彼は、孫堅(そんけん)が、玉璽(ぎょくじ)を手に入れたのではないかと、密かに疑い始めたのです。

 ある日、袁術(えんじゅつ)は孫堅(そんけん)を自身の陣営に呼び出しました。顔には穏やかな笑みを浮かべていますが、その言葉には探るような意図が感じられます。

「孫将軍(そんしょうぐん)、今回の董卓(とうたく)との戦(いくさ)、見事なご活躍でしたな。我々連合軍の士気を大いに高めてくださいました。何か、特別な発見はありましたか?」

 孫堅(そんけん)は、袁術(えんじゅつ)の言葉の裏にある意図を瞬時に見抜きました。しかし、彼は表情を変えず、毅然(きぜん)とした態度で答えます。

「公路(こうろ)殿(どの)、私はただ、民を苦しめる賊軍を討ち、この焼け落ちた都を少しでも清めることに専念しておりました。他に、何か特別な発見などございません」

 しかし、袁術(えんじゅつ)は孫堅(そんけん)の言葉を簡単には信じようとしません。彼は、孫堅(そんけん)が手に入れたであろう玉璽(ぎょくじ)を独り占めしようとしているのではないかと、疑心暗鬼に陥っていました。

 当時、袁術(えんじゅつ)自身も天下への野心を抱いており、その正当性を示す玉璽(ぎょくじ)の存在は、彼の思惑にとって決して無視できないものだったからです。 その後、袁術(えんじゅつ)は様々な手段を用いました。言葉巧みに、あるいは時には強引に、孫堅(そんけん)に玉璽(ぎょくじ)の所在を問い詰めます。しかし、孫堅(そんけん)は決して口を開きませんでした。

 この出来事以来、これまで表面的には協力関係にあった二人の間に、目に見えない深い亀裂が生じ始めたのです。言葉を交わしながらも、その胸の内には拭い去れない不信感が募っていきます。

 この洛陽(らくよう)での遭遇、そして玉璽(ぎょくじ)を巡る静かなる攻防は、後の孫堅(そんけん)と袁術(えんじゅつ)の関係に暗い影を落としました。

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