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呉視点三国志:陸抗の章④

264年:元興元年

 呉(ご)の都(みやこ)である建業(けんぎょう)は静(しず)まり返(かえ)っていました。この年、若(わか)き帝(みかど)である孫皓(そん・こう)は即位(そくい)して間もなく、国内(こくない)の不安定(ふあんてい)な状況(じょうきょう)に頭(あたま)を悩(なや)ませていました。彼(かれ)は、先代(せんだい)から続(つづ)く魏(ぎ)との国境(こっきょう)線(せん)を守(まも)る重要(じゅうよう)な任務(にんむ)を信頼(しんらい)する武将(ぶしょう)に託(たく)そうと考(かんが)えます。

 その武将(ぶしょう)が陸抗(りく・こう)でした。彼(かれ)は孫呉(そんご)に仕(つか)えた忠実(ちゅうじつ)な将軍(しょうぐん)で、まっすぐな性格(せいかく)と強(つよ)い信念(しんねん)で知られていました。

 王宮(おうきゅう)の玉座(ぎょくざ)に座(すわ)る孫皓(そん・こう)は陸抗(りく・こう)に向(む)かって言(い)いました。「陸抗(りく・こう)──西陵(さいりょう)を任(まか)せたい。」

 西陵(さいりょう)は呉(ご)の西端(せいたん)、魏(ぎ)との国境(こっきょう)に位置(いち)する険(けわ)しい土地(とち)で、守(まも)るのが非常(ひじょう)に難(むずか)しい場所(ばしょ)です。陸抗(りく・こう)は冷静(れいせい)に答(こた)えました。「西陵(さいりょう)は命(いのち)を賭(と)す地(ち)です。陛下(へいか)、理由(りゆう)をお聞(き)かせ願(ねが)えますか。」

 孫皓(そん・こう)は微笑(ほほえ)みながらも、瞳(ひとみ)に何(なに)か深(ふか)い思惑(おもわく)を秘(ひ)めていました。「理由(りゆう)? 簡単(かんたん)だ。余(よ)が信(しん)じられるのは、お前(まえ)のような“まっすぐな刀(かたな)”だけだからだ。」

 陸抗(りく・こう)は礼儀正(れいぎただ)しくも覚悟(かくご)を持(も)って答(こた)えます。「ありがたきお言葉(ことば)。されど“刀(かたな)”は抜(ぬ)くべき時(とき)を見極(みきわ)めねば、ただの凶器(きょうき)となります。」

 孫皓(そん・こう)は言(い)いました。「では抜(ぬ)け、陸抗(りく・こう)。いまがその時(とき)だ。」

 こうして陸抗(りく・こう)は、西陵(さいりょう)の守(まも)りに赴(おもむ)くことになりました。彼(かれ)の側近(そっきん)であり、信頼(しんらい)厚(あつ)い部下(ぶか)の章遼(しょう・りょう)と共(とも)に、険(けわ)しい山道(やまみち)を馬(うま)で進(すす)みます。

 章遼(しょう・りょう)は冷静(れいせい)に話(はな)しました。「西陵(さいりょう)か……陛下(へいか)は“信頼(しんらい)”と言(い)ったが、あれは“左遷(させん)”の意味(いみ)も含(ふく)んでいるのでは?」

 陸抗(りく・こう)は真(ま)っすぐな瞳(ひとみ)で答(こた)えました。「左遷(させん)と見るか、期待(きたい)と見るかは、受(う)け手(て)次第(しだい)だ。曲(ま)がった道(みち)では、兵(へい)の足(あし)も心(こころ)も折(お)れる。」

 西陵(さいりょう)に着任(ちゃくにん)してから十日(とおか)。陸抗(りく・こう)は地形図(ちけいず)と戦略案(せんりゃくあん)を昼夜(ちゅうや)問(と)わず読み込みました。

 「魏軍(ぎぐん)の補給路(ほきゅうろ)がここにあると仮定(かてい)するなら──」彼(かれ)は指(ゆび)を走(はし)らせて机上(きじょう)に戦術(せんじゅつ)を描(か)きます。

 章遼(しょう・りょう)が尋(たず)ねました。「どうなさいます?」

 陸抗(りく・こう)は冷静(れいせい)に答(こた)えます。「敵(てき)が動(うご)く前(まえ)に動(うご)く。それが戦(いくさ)の要(かなめ)だ。」

 数日後(すうじつご)、偵察(ていさつ)に出(で)ていた伝令(でんれい)が駆(か)け込みました。「報告(ほうこく)! 魏軍(ぎぐん)の斥候(せっこう)が南丘(なんきゅう)に現(あらわ)れました!」

 陸抗(りく・こう)は兵(へい)を三隊(さんたい)に分(わ)けました。中央(ちゅうおう)は釘(くぎ)、両翼(りょうよく)は鉤(かぎ)をかける形(かたち)です。敵(てき)の首根(くびね)を捕(つか)まえる作戦(さくせん)です。

 風(かぜ)が唸(うな)り、地(ち)が震(ふる)えました。魏軍(ぎぐん)の斥候隊(せっこうたい)が谷間(たにま)に入(はい)った瞬間(しゅんかん)、左右(さゆう)の山陰(やまかげ)から無数(むすう)の矢(や)が雨(あめ)のように降(ふ)り注(そそ)ぎました。

 陸抗(りく・こう)の本隊(ほんたい)は正面(しょうめん)から現(あらわ)れ、剣(けん)を振(ふ)るいました。魏兵(ぎへい)は叫(さけ)び声(ごえ)も上(あ)げられず、陸抗(りく・こう)は先頭(せんとう)を駆(か)け抜(ぬ)けました。馬(うま)の鬣(たてがみ)が翻(ひるが)え、剣(けん)が白光(はっこう)を放(はな)ちます。

 疾風(しっぷう)のように斬(き)り伏(ふ)せ、敵将(てきしょう)は転(ころ)げ落(お)ちました。「退(しりぞ)け! 呉(ご)の陸抗(りく・こう)がいるぞ!」魏軍(ぎぐん)は混乱(こんらん)し、退却(たいきゃく)しました。

 戦(いくさ)の後(あと)、陸抗(りく・こう)は静(しず)かに野営(やえい)の松林(まつばやし)を見(み)つめていました。「──誰(だれ)のために戦(たたか)うかを忘(わす)れた時(とき)、人(ひと)はただの刃物(はもの)になる。」

 章遼(しょう・りょう)が尋(たず)ねました。「……それでも、将(しょう)は刃(やいば)でなくてはならぬので?」

 陸抗(りく・こう)は答(こた)えました。「そうだ。だが、刃(やいば)である前(まえ)に、“人(ひと)”でなくてはならぬ。」

 その夜(よる)、月(つき)は高(たか)く冴(さ)え、陸抗(りく・こう)の影(かげ)を長(なが)く伸(の)ばしました。彼(かれ)の名(な)は、この地(ち)の兵士(へいし)たちにとって確(たし)かな“盾(たて)”となり始(はじ)めていました。



265年:甘露(かんろ)元年

 中国(ちゅうごく)大陸(たいりく)の歴史(れきし)は大(おお)きく動(うご)きました。三国時代(さんごくじだい)の一角(いっかく)を成(な)していた強国(きょうこく)・魏(ぎ)で、実権(じっけん)を握(にぎ)っていた司馬氏(しばし)がついに政権(せいけん)を乗(の)っ取り、新(あたら)しい王朝(おうちょう)・晋(しん)を建(た)てたのです。

 新帝国(しんていこく)の皇帝(こうてい)となった司馬炎(しばえん)は、名門(めいもん)の家柄(いえがら)に生(う)まれ、政治(せいじ)と軍事(ぐんじ)の才(さい)に恵(めぐ)まれた人物(じんぶつ)でございました。彼(かれ)は祖父(そふ)・司馬懿(しばい)、父(ちち)・司馬昭(しばしょう)の代(だい)から続(つづ)く野望(やぼう)を引(ひ)き継(つ)ぎ、ついに魏(ぎ)の皇帝(こうてい)・曹奐(そうかん)から帝位(ていい)を譲(ゆず)り受(う)けたのでございます。

 こうして「魏(ぎ)」という国名(こくめい)は消(き)え、「晋(しん)」という新(あら)たな国が誕生(たんじょう)いたしました。これは単(たん)なる国名(こくめい)の変化(へんか)ではなく、残(のこ)る呉(ご)を飲(の)み込(こ)もうとする統一戦争(とういつせんそう)の序章(じょしょう)でございました。

 この情勢(じょうせい)は、南(みなみ)の国・呉(ご)にも大(おお)きな衝撃(しょうげき)を与(あた)えました。呉(ご)は長江(ちょうこう)流域(りゅういき)を中心(ちゅうしん)に広(ひろ)がる国で、初代皇帝(しょだいこうてい)・孫権(そんけん)の時代(じだい)には一時(いちじ)は魏(ぎ)と並(なら)ぶ強国(きょうこく)でございました。しかし孫権(そんけん)の死後(しご)、後継者争(こうけいしゃあらそ)いと政争(せいそう)が続(つづ)き、国力(こくりょく)は徐々(じょじょ)に衰(おとろ)えていったのです。

 そんな中、呉(ご)を治(おさ)めていたのが皇帝(こうてい)・孫晧(そんこう)でございます。彼(かれ)は孫権(そんけん)の孫(まご)にあたり、即位(そくい)当初(とうしょ)は聡明(そうめい)で文才(ぶんさい)にも優(すぐ)れていると評判(ひょうばん)でした。しかし次第(しだい)に猜疑心(さいぎしん)が強(つよ)くなり、反対意見(はんたいいけん)を許(ゆる)さない専制君主(せんせいくんしゅ)と化(か)してしまいました。

 その孫晧(そんこう)は一時的(いちじてき)に都(みやこ)を建業(けんぎょう)から武昌(ぶしょう)へ遷都(せんと)しております。具体的には、天璽元年(276年)に、孫晧は建業(現在の南京)から武昌(現在の湖北省鄂州市)へ都を移しました。

 遷都の背景(はいけい)には、政治的(せいじてき)・軍事的(ぐんじてき)な圧力(あつりょく)や不安定(ふあんてい)な状況(じょうきょう)があり、より内陸(ないりく)に位置(いち)する武昌へ移ることで安全(あんぜん)を図(はか)ろうとしたものと考(かんが)えられております。

 また武昌は三国時代(さんごくじだい)の呉にとって重要(じゅうよう)な軍事拠点(ぐんじきょてん)であり、かつて孫権(そんけん)も一時(いちじ)ここに拠点(きょてん)を置(お)いていたことがございます。

 しかしこの遷都(せんと)は長続(ながつづ)きせず、翌年(よくねん)の天璽2年(277年)には再び建業(けんぎょう)に戻っております。遷都に伴(ともな)う混乱(こんらん)や不満(ふまん)、交通(こうつう)・経済(けいざい)の不便(ふべん)さ、建業(けんぎょう)を拠点(きょてん)とする政治勢力(せいじせいりょく)の反発(はんぱつ)など、様々(さまざま)な要因(よういん)があったものと推測(すいそく)されております。

 加えて孫晧(そんこう)の専横(せんおう)や強引(ごういん)な政治(せいじ)もあり、遷都(せんと)に対する支持(しじ)は乏(とぼ)しかった可能性(かのうせいが)ございます。

 このような状況(じょうきょう)の中、孫晧(そんこう)はある日、突如(とつじょ)として首都(しゅと)を建業(けんぎょう)から武昌(ぶしょう)へ遷(うつ)すと宣言(せんげん)いたしました。理由(りゆう)は「建業(けんぎょう)は風水的(ふうすいてき)に陰(いん)の気(き)が強(つよ)く、不吉(ふきつ)な地(ち)である」というものでございました。

 この突飛(とっぴ)な決定(けってい)に、重臣(じゅうしん)たちは沈黙(ちんもく)したままでございました。だが、ただ一人(ひとり)、声(こえ)を上(あ)げた老臣(ろうしん)がいました。陸凱(りくがい)でございます。

 陸凱(りくがい)は名門(めいもん)陸氏(りくし)の出(で)で、若(わか)いころから清廉(せいれん)な人柄(ひとがら)と高(たか)い見識(けんしき)で知られ、孫権(そんけん)時代(じだい)から長年(ながねん)にわたって国政(こくせい)を支(ささ)えてきた人物(じんぶつ)でございました。

 「陛下(へいか)、遷都(せんと)は国家(こっか)の根幹(こんかん)を揺(ゆ)るがす大事(だいじ)でございます」

 陸凱(りくがい)は、堂々(どうどう)と意見(いけん)を申し上げました。その声(こえ)には、重臣(じゅうしん)としての覚悟(かくご)と信念(しんねん)が込(こ)められておりました。

 「建業(けんぎょう)は軍事(ぐんじ)と交通(こうつう)の要地(ようち)であり、長年(ながねん)の首都(しゅと)として人心(じんしん)も安定(あんてい)しております。これを今(いま)捨(す)てれば、混乱(こんらん)は避(さ)けられません」

 しかし孫晧(そんこう)は聞(き)く耳(みみ)を持(も)たず、専横(せんおう)な振る舞いを続(つづ)けたのです。

 結果(けっか)として、遷都(せんと)は国民(こくみん)や重臣(じゅうしん)たちの間(あいだ)で不満(ふまん)を招(まね)き、政治(せいじ)の混乱(こんらん)はさらに深(ふか)まっていったのでございます。

 翌年(よくねん)、孫晧(そんこう)は苦渋(くじゅう)の決断(けつだん)を下(くだ)し、再び建業(けんぎょう)に都(みやこ)を戻(もど)しております。

 この一連(いちれん)の動きは、孫晧(そんこう)の統治(とうち)がいかに不安定(ふあんてい)であったかを象徴(しょうちょう)しており、後世(こうせい)にも呉(ご)の衰退(すいたい)を示(しめ)す重要(じゅうよう)な出来事(できごと)とされております。



271年:建衡三年

 呉(ご)の将軍(しょうぐん)である丁奉(ていほう)は、眉(まゆ)をひそめていました。というのも、魏(ぎ)の後に勢力を拡大した晋(しん)という国の有力な将軍(しょうぐん)・羊祜(ようこ)が、夏口(かこう)という戦略的(せんりゃくてき)に重要な地に駐屯(ちゅうとん)していたからです。その存在(そんざい)は、呉にとって大きな脅威(きょうい)でした。

 この戦いに至るまでの経緯(けいい)を少し説明(せつめい)しましょう。魏が衰退(すいたい)し、その後を継いだ晋は、南方の呉を征服(せいふく)しようと狙(ねら)いを定めていました。夏口は長江(ちょうこう)流域の要衝(ようしょう)であり、ここを押さえることは、南進(なんしん)を進める上で欠かせない戦略(せんりゃく)でした。そんな中、呉は夏口の防衛(ぼうえい)を強化すべく、西陵(さいりょう)に兵を集めていました。

 丁奉(ていほう)、字(あざな)は承淵(しょうえん)。彼は若い頃から勇猛果敢(ゆうもうかかん)で知られ、数々の戦(いくさ)で武功(ぶこう)を立てた経験豊富(けいけんほうふ)な将軍です。性格は豪放磊落(ごうほうらいらく)で部下(ぶか)からの信頼(しんらい)も厚い、頼(たよ)れるリーダーでした。

 「羊祜(ようこ)め……」丁奉は低い声でつぶやき、我慢(がまん)できずに自ら兵を率(ひき)いて西陵へと向かう決意(けつい)を固めました。

 一方(いっぽう)、晋の夏口(かこう)では、羊祜(ようこ)が静かに書物(しょもつ)を読んでいました。彼は名門(めいもん)の家系(かけい)に生まれ、若くして卓越(たくえつ)した才能を開花(かいか)させた人物です。博学(はくがく)で政治(せいじ)にも長(た)けており、温厚篤実(おんこうとくじつ)な人柄(ひとがら)で敵国(てきこく)からも敬意(けいい)を集めていました。ですが、その内側(うちがわ)には、揺るぎない信念(しんねん)と天下統一(てんかとういつ)への強い意志(いし)が秘(ひ)められていたのです。

 そこへ、一人の伝令(でんれい)が駆け込んできました。「申し上げます!呉の丁奉(ていほう)が大軍(たいぐん)を率いて西陵へ向かっております!」羊祜(ようこ)は動じることなく書を置き、「丁奉か……やはり来たか」と静かに告げました。

 西陵の城壁(じょうへき)では、呉の兵士(へいし)たちが鬨(とき)の声をあげています。先頭(せんとう)に立つ丁奉は、鋭い眼光(がんこう)で城壁をにらみつけました。

「者ども!攻め立てよ!」号令(ごうれい)に応(こた)え、呉軍(ごぐん)は一斉(いっせい)に城壁へ殺到(さっとう)しました。矢(や)が雨のように降り注ぎ、激しい攻防戦(こうぼうせん)が繰り広げられます。しかし、西陵の守りは固く、呉軍は突破口(とっぱこう)をなかなか開けません。

 その戦場(せんじょう)から少し離れた場所で冷静(れいせい)に戦況(せんきょう)を見つめる男がいました。呉の若き将軍(しょうぐん)、陸抗(りくこう)です。彼は呉の名将・陸遜(りくそん)の子であり、父親譲(ゆず)りの知略(ちりゃく)と冷静さを備えた人物です。若いながらも、その才能は周囲(しゅうい)から高く評価(ひょうか)されていました。

「丁将軍(しょうぐん)の猛攻(もうこう)は素晴らしいですが……」陸抗は傍らに控える部下に言いました。「相手は羊祜(ようこ)です。ただ力任(ちからまか)せの攻撃では、簡単(かんたん)には落ちませんぞ」

 その言葉通り、呉軍の攻撃は羊祜の巧みな指揮(しき)にことごとく防がれていました。城壁は堅牢(けんろう)で、晋の兵士たちは冷静に弓矢を放ち、侵入(しんにゅう)を許しません。

 日が傾きかけた頃、丁奉は一度(いちど)兵を引かせました。

「くそっ!なかなか手強(てごわ)いな!」苛立(いらだ)ちを隠せない丁奉に、陸抗は静かに近づきました。

「丁将軍、ここは一旦(いったん)退きましょう」

「何だと、陸抗!せっかくここまで来たのに!」

 丁奉は反発(はんぱつ)しましたが、

「しかし、このままでは無駄な損害(そんがい)が増えるばかりです。羊祜は守りに長(た)けた将軍。軽率(けいそつ)な攻撃は避けるべきです」

 陸抗の言葉は理にかなっており、丁奉も渋々(しぶしぶ)その意見を受け入れました。

 その夜、呉の陣幕(じんまく)で丁奉と陸抗は作戦(さくせん)を練りました。

「やはり正面からの攻撃だけでは難しいか……」と丁奉。

 陸抗は地図を指しながら言います。「敵の守りが手薄(てうす)な場所を探り、そこから突破するしかありません」

「ふむ……しかし羊祜のことだ。そう簡単には隙を見せないだろうな」

 陸抗は微かに笑みを浮かべました。「ええ、だからこそ我々も知恵を絞る必要があります」

 二人の間で静かながら熱い知恵比べが続いていました。

 一方、西陵の城内(じょうない)では、羊祜が夜空を見上げていました。

「丁奉……そして陸抗か……」

 彼の瞳(ひとみ)には呉の二人の将軍への警戒(けいかい)と、かすかな期待(きたい)が宿っているようでした。

 数日後、呉軍は再び西陵へ攻撃を開始(かいし)しました。しかし、その動きは以前とは違っていました。一部の兵が正面から激しく攻める一方で、別の部隊が密かに迂回(うかい)し、城の側面へ迫っていたのです。

「敵が側面から回り込んできます!」晋の兵士が慌てて報告しました。

 羊祜は冷静に指示を出します。「慌てるな。側面には予備の兵を配置してある。迎え撃て!」

 しかし、呉軍の勢いは凄まじく、側面を守る晋軍は徐々に押し込まれました。その隙を突き、正面の丁奉率いる本隊も一層激しい攻撃を仕掛けます。

 城壁の一部が崩れ落ち、呉の兵士たちが怒涛(どとう)のように押し寄せました。抜刀(ばっとう)した丁奉は先頭に立ち斬り込みます。その動きは疾風(はやて)のようです。

「うおおお!」丁奉の雄叫びが戦場に響き渡ります。その勢いに押され、晋の兵士たちは後退(こうたい)を余儀なくされました。

 しかし羊祜は決して諦めません。自ら剣を取り、崩れた城壁の前に立ちはだかりました。

「退くな!一歩も引くでない!」羊祜の激励(げきれい)に晋の兵士たちは奮起(ふんき)し、必死に抵抗(ていこう)します。激しい斬り合いが繰り広げられ、戦場は血と砂塵(さじん)にまみれていきました。

 その激戦の中、丁奉と羊祜の視線(しせん)が交錯(こうさく)します。二人の間には言葉を超えた激しい火花が散っていました。

 しかし結局、この戦いで丁奉は羊祜の堅固(けんご)な守りを破ることができませんでした。呉軍は多大(ただい)な損害を出し、やむなく撤退(てったい)したのです。

 西陵の戦いは呉にとって大きな痛手(いたで)となりました。しかし、この戦いを通じて丁奉は羊祜という強敵(きょうてき)を改めて認識し、陸抗の知略の重要性を痛感したことでしょう。羊祜もまた呉の将たちの底力(そこぢから)と決して侮(あなど)れない潜在能力(せんざいのうりょく)を感じ取ったに違いありません。天下統一への道は決して平坦(へいたん)ではないことを、この激しい戦いは静かに物語っていたのです。



271年:建衡三年

春――

 この年、陸抗(りく・こう)はしばらくの間務めていた西陵(せいりょう)の地を離れ、孫呉(そんご)の都である建業(けんぎょう)へ帰ってきました。陸抗(りく・こう)は孫呉の重臣(じゅうしん)であり、優れた武将(ぶしょう)として知られています。彼はこれまで西陵で北方の敵に備え奮闘してきましたが、久しぶりの都の喧騒(けんそう)に戸惑いながらも、懐かしさを感じていました。

 建業の町は、外の戦火の影響を受けることなく、活気にあふれ、人々の声がはずんでいました。そんな中、陸抗(りく・こう)が城門(じょうもん)をくぐると、ふと一人の年老いた臣下(しんか)が目に留まりました。陸凱(りく・がい)――彼は陸抗(りく・こう)の叔父(おじ)であり、孫呉の有力な重臣(じゅうしん)で、陸遜(りく・そん)の従兄弟(いとこ)でもあります。陸凱(りく・がい)は清廉(せいれん)で厳格な人物として知られ、何度も諫言(かんげん)を惜しまず主君に助言をしてきました。

「伯言(はくげん)叔父上(おじうえ)――お元気そうで何よりです」

 陸抗(りく・こう)が笑みを浮かべて声をかけると、陸凱(りく・がい)も笑顔で応えました。

「そなたの顔を見ると、老骨(ろうこつ)に温もりを感じるよ。都も戦地も、年寄りには寒く感じるものだからな」

 しばらく談笑(だんしょう)した後、話は魏(ぎ)の情勢に及びました。ここで補足ですが、魏(ぎ)はかつて曹操(そう・そう)が築いた強国でしたが、彼の子孫(しそん)は次第に力を失い、ついに司馬氏(しばし)が政権を乗っ取る形となりました。その結果、魏(ぎ)は晋(しん)と名前を変え、新たな時代が始まったのです。

「聞いたか、魏(ぎ)は晋(しん)と名を改めたそうだ」

「司馬炎(しば・えん)が皇帝(こうてい)に即位(そくい)したと聞く」

「曹奐(そう・かん)――最後の魏主(ぎしゅ)は、無抵抗に禅譲(ぜんじょう)したらしいな」

「力尽きていたのだろう。曹操(そう・そう)が築いた魏の基盤(きばん)は、もはや司馬一門(しばいちもん)の策謀(さくぼう)に食い尽くされてしまった」

 陸凱(りく・がい)は深いため息をつきながら語ります。司馬懿(しば・い)――彼は忍耐強く、執念深い策略家であり、まずは曹爽(そう・そう)を倒し、次に権力を奪い取りました。そして司馬昭(しば・しょう)に至っては、誰の目にも明らかに政権を掌握していたのです。

「父上(ちちうえ)、陸遜(りく・そん)殿も、曹氏(そうし)への忠義(ちゅうぎ)ゆえに、魏(ぎ)の将来を危惧(きぐ)しておりました」

 陸遜(りく・そん)は陸抗(りく・こう)の父であり、孫呉(そんご)の名将で、政治にも通じた人物でした。彼は曹氏(そうし)に対する忠誠心が強く、それゆえ魏の変化に心を痛めていたのです。

「司馬炎(しば・えん)は寛大(かんだい)で器量(きりょう)が広いが、腹の底を見せない」

「功績(こうせき)のある者を遠ざけることもなく、静かに、しかし確実に手を打つ。まさに皇帝にふさわしい器(うつわ)じゃ」

 一方で、かつて権力を持っていた曹氏(そうし)の人々は悲惨(ひさん)な状況にあり、多くは爵位(しゃくい)を剥奪(はくだつ)され、辺境(へんきょう)に追いやられています。抵抗した曹髦(そう・ぼう)は命を奪われ、もはや血筋だけでは権力を保てない時代となりました。

「時代の移り変わりとは、こういうものか……」

「だが、晋(しん)の支配は長く続くか疑わしい。司馬一族(しばいちぞく)内でも派閥(はばつ)争いが激しいからのう」

 陸凱(りく・がい)が続けて、孫呉(そんご)の今後について尋ねました。

「我々が孫呉(そんご)を守るには、防御を固め、備えを怠らぬこと。それ以外にはない」

「戦いとは、地味で退屈なくらいが良いのじゃ。派手な勝利よりも、しぶとく生き残ることこそが国を支える」

 陸抗(りく・こう)は遠く西陵(せいりょう)の空を見つめながら、まだ見ぬ晋(しん)軍の動きを思い描いておりました。建業(けんぎょう)の春は穏やかに晴れているにもかかわらず、二人の重臣(じゅうしん)が抱える不安は、静かに、しかし重く広がっていたのです。

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