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呉視点三国志:陸抗の章④

264年:元興元年

 みやこである建業けんぎょうしずまりかえっていました。この年、わかみかどである孫皓そん・こう即位そくいして間もなく、国内こくない不安定ふあんてい状況じょうきょうあたまなやませていました。かれは、先代せんだいからつづとの国境こっきょうせんまも重要じゅうよう任務にんむ信頼しんらいする武将ぶしょうたくそうとかんがえます。

 その武将ぶしょう陸抗りく・こうでした。かれ孫呉そんごつかえた忠実ちゅうじつ将軍しょうぐんで、まっすぐな性格せいかくつよ信念しんねんで知られていました。

 王宮おうきゅう玉座ぎょくざすわ孫皓そん・こう陸抗りく・こうかっていました。「陸抗りく・こう──西陵さいりょうまかせたい。」

 西陵さいりょう西端せいたんとの国境こっきょう位置いちするけわしい土地とちで、まもるのが非常ひじょうむずかしい場所ばしょです。陸抗りく・こう冷静れいせいこたえました。「西陵さいりょういのちです。陛下へいか理由りゆうをおかせねがえますか。」

 孫皓そん・こう微笑ほほえみながらも、ひとみなにふか思惑おもわくめていました。「理由りゆう? 簡単かんたんだ。しんじられるのは、おまえのような“まっすぐなかたな”だけだからだ。」

 陸抗りく・こう礼儀正れいぎただしくも覚悟かくごってこたえます。「ありがたきお言葉ことば。されど“かたな”はくべきとき見極みきわめねば、ただの凶器きょうきとなります。」

 孫皓そん・こういました。「ではけ、陸抗りく・こう。いまがそのときだ。」

 こうして陸抗りく・こうは、西陵さいりょうまもりにおもむくことになりました。かれ側近そっきんであり、信頼しんらいあつ部下ぶか章遼しょう・りょうともに、けわしい山道やまみちうますすみます。

 章遼しょう・りょう冷静れいせいはなしました。「西陵さいりょうか……陛下へいかは“信頼しんらい”とったが、あれは“左遷させん”の意味いみふくんでいるのでは?」

 陸抗りく・こうっすぐなひとみこたえました。「左遷させんと見るか、期待きたいと見るかは、次第しだいだ。がったみちでは、へいあしこころれる。」

 西陵さいりょう着任ちゃくにんしてから十日とおか陸抗りく・こう地形図ちけいず戦略案せんりゃくあん昼夜ちゅうやわず読み込みました。

 「魏軍ぎぐん補給路ほきゅうろがここにあると仮定かていするなら──」かれゆびはしらせて机上きじょう戦術せんじゅつきます。

 章遼しょう・りょうたずねました。「どうなさいます?」

 陸抗りく・こう冷静れいせいこたえます。「てきうごまえうごく。それがいくさかなめだ。」

 数日後すうじつご偵察ていさつていた伝令でんれいけ込みました。「報告ほうこく! 魏軍ぎぐん斥候せっこう南丘なんきゅうあらわれました!」

 陸抗りく・こうへい三隊さんたいけました。中央ちゅうおうくぎ両翼りょうよくかぎをかけるかたちです。てき首根くびねつかまえる作戦さくせんです。

 かぜうなり、ふるえました。魏軍ぎぐん斥候隊せっこうたい谷間たにまはいった瞬間しゅんかん左右さゆう山陰やまかげから無数むすうあめのようにそそぎました。

 陸抗りく・こう本隊ほんたい正面しょうめんからあらわれ、けんるいました。魏兵ぎへいさけごえげられず、陸抗りく・こう先頭せんとうけました。うまたてがみひるがえ、けん白光はっこうはなちます。

 疾風しっぷうのようにせ、敵将てきしょうころちました。「退しりぞけ! 陸抗りく・こうがいるぞ!」魏軍ぎぐん混乱こんらんし、退却たいきゃくしました。

 いくさあと陸抗りく・こうしずかに野営やえい松林まつばやしつめていました。「──だれのためにたたかうかをわすれたときひとはただの刃物はものになる。」

 章遼しょう・りょうたずねました。「……それでも、しょうやいばでなくてはならぬので?」

 陸抗りく・こうこたえました。「そうだ。だが、やいばであるまえに、“ひと”でなくてはならぬ。」

 そのよるつきたかえ、陸抗りく・こうかげながばしました。かれは、この兵士へいしたちにとってたしかな“たて”となりはじめていました。



265年:甘露かんろ元年

 中国ちゅうごく大陸たいりく歴史れきしおおきくうごきました。三国時代さんごくじだい一角いっかくしていた強国きょうこくで、実権じっけんにぎっていた司馬氏しばしがついに政権せいけんっ取り、あたらしい王朝おうちょうしんてたのです。

 新帝国しんていこく皇帝こうていとなった司馬炎しばえんは、名門めいもん家柄いえがらまれ、政治せいじ軍事ぐんじさいめぐまれた人物じんぶつでございました。かれ祖父そふ司馬懿しばいちち司馬昭しばしょうだいからつづ野望やぼうぎ、ついに皇帝こうてい曹奐そうかんから帝位ていいゆずけたのでございます。

 こうして「」という国名こくめいえ、「しん」というあらたな国が誕生たんじょういたしました。これはたんなる国名こくめい変化へんかではなく、のこもうとする統一戦争とういつせんそう序章じょしょうでございました。

 この情勢じょうせいは、みなみの国・にもおおきな衝撃しょうげきあたえました。長江ちょうこう流域りゅういき中心ちゅうしんひろがる国で、初代皇帝しょだいこうてい孫権そんけん時代じだいには一時いちじなら強国きょうこくでございました。しかし孫権そんけん死後しご後継者争こうけいしゃあらそいと政争せいそうつづき、国力こくりょくは徐々(じょじょ)におとろえていったのです。

 そんな中、おさめていたのが皇帝こうてい孫晧そんこうでございます。かれ孫権そんけんまごにあたり、即位そくい当初とうしょ聡明そうめい文才ぶんさいにもすぐれていると評判ひょうばんでした。しかし次第しだい猜疑心さいぎしんつよくなり、反対意見はんたいいけんゆるさない専制君主せんせいくんしゅしてしまいました。

 その孫晧そんこう一時的いちじてきみやこ建業けんぎょうから武昌ぶしょう遷都せんとしております。具体的には、天璽元年(276年)に、孫晧は建業(現在の南京)から武昌(現在の湖北省鄂州市)へ都を移しました。

 遷都の背景はいけいには、政治的せいじてき軍事的ぐんじてき圧力あつりょく不安定ふあんてい状況じょうきょうがあり、より内陸ないりく位置いちする武昌へ移ることで安全あんぜんはかろうとしたものとかんがえられております。

 また武昌は三国時代さんごくじだいの呉にとって重要じゅうよう軍事拠点ぐんじきょてんであり、かつて孫権そんけん一時いちじここに拠点きょてんいていたことがございます。

 しかしこの遷都せんと長続ながつづきせず、翌年よくねんの天璽2年(277年)には再び建業けんぎょうに戻っております。遷都にともな混乱こんらん不満ふまん交通こうつう経済けいざい不便ふべんさ、建業けんぎょう拠点きょてんとする政治勢力せいじせいりょく反発はんぱつなど、様々(さまざま)な要因よういんがあったものと推測すいそくされております。

 加えて孫晧そんこう専横せんおう強引ごういん政治せいじもあり、遷都せんとに対する支持しじとぼしかった可能性かのうせいがございます。

 このような状況じょうきょうの中、孫晧そんこうはある日、突如とつじょとして首都しゅと建業けんぎょうから武昌ぶしょううつすと宣言せんげんいたしました。理由りゆうは「建業けんぎょう風水的ふうすいてきいんつよく、不吉ふきつである」というものでございました。

 この突飛とっぴ決定けっていに、重臣じゅうしんたちは沈黙ちんもくしたままでございました。だが、ただ一人ひとりこえげた老臣ろうしんがいました。陸凱りくがいでございます。

 陸凱りくがい名門めいもん陸氏りくしで、わかいころから清廉せいれん人柄ひとがらたか見識けんしきで知られ、孫権そんけん時代じだいから長年ながねんにわたって国政こくせいささえてきた人物じんぶつでございました。

 「陛下へいか遷都せんと国家こっか根幹こんかんるがす大事だいじでございます」

 陸凱りくがいは、堂々(どうどう)と意見いけんを申し上げました。そのこえには、重臣じゅうしんとしての覚悟かくご信念しんねんめられておりました。

 「建業けんぎょう軍事ぐんじ交通こうつう要地ようちであり、長年ながねん首都しゅととして人心じんしん安定あんていしております。これをいまてれば、混乱こんらんけられません」

 しかし孫晧そんこうみみたず、専横せんおうな振る舞いをつづけたのです。

 結果けっかとして、遷都せんと国民こくみん重臣じゅうしんたちのあいだ不満ふまんまねき、政治せいじ混乱こんらんはさらにふかまっていったのでございます。

 翌年よくねん孫晧そんこう苦渋くじゅう決断けつだんくだし、再び建業けんぎょうみやこもどしております。

 この一連いちれんの動きは、孫晧そんこう統治とうちがいかに不安定ふあんていであったかを象徴しょうちょうしており、後世こうせいにも衰退すいたいしめ重要じゅうよう出来事できごととされております。



271年:建衡三年

 将軍しょうぐんである丁奉ていほうは、まゆをひそめていました。というのも、の後に勢力を拡大したしんという国の有力な将軍しょうぐん羊祜ようこが、夏口かこうという戦略的せんりゃくてきに重要な地に駐屯ちゅうとんしていたからです。その存在そんざいは、呉にとって大きな脅威きょういでした。

 この戦いに至るまでの経緯けいいを少し説明せつめいしましょう。魏が衰退すいたいし、その後を継いだ晋は、南方の呉を征服せいふくしようとねらいを定めていました。夏口は長江ちょうこう流域の要衝ようしょうであり、ここを押さえることは、南進なんしんを進める上で欠かせない戦略せんりゃくでした。そんな中、呉は夏口の防衛ぼうえいを強化すべく、西陵さいりょうに兵を集めていました。

 丁奉ていほうあざな承淵しょうえん。彼は若い頃から勇猛果敢ゆうもうかかんで知られ、数々のいくさ武功ぶこうを立てた経験豊富けいけんほうふな将軍です。性格は豪放磊落ごうほうらいらく部下ぶかからの信頼しんらいも厚い、たよれるリーダーでした。

 「羊祜ようこめ……」丁奉は低い声でつぶやき、我慢がまんできずに自ら兵をひきいて西陵へと向かう決意けついを固めました。

 一方いっぽう、晋の夏口かこうでは、羊祜ようこが静かに書物しょもつを読んでいました。彼は名門めいもん家系かけいに生まれ、若くして卓越たくえつした才能を開花かいかさせた人物です。博学はくがく政治せいじにもけており、温厚篤実おんこうとくじつ人柄ひとがら敵国てきこくからも敬意けいいを集めていました。ですが、その内側うちがわには、揺るぎない信念しんねん天下統一てんかとういつへの強い意志いしめられていたのです。

 そこへ、一人の伝令でんれいが駆け込んできました。「申し上げます!呉の丁奉ていほう大軍たいぐんを率いて西陵へ向かっております!」羊祜ようこは動じることなく書を置き、「丁奉か……やはり来たか」と静かに告げました。

 西陵の城壁じょうへきでは、呉の兵士へいしたちがときの声をあげています。先頭せんとうに立つ丁奉は、鋭い眼光がんこうで城壁をにらみつけました。

「者ども!攻め立てよ!」号令ごうれいこたえ、呉軍ごぐん一斉いっせいに城壁へ殺到さっとうしました。が雨のように降り注ぎ、激しい攻防戦こうぼうせんが繰り広げられます。しかし、西陵の守りは固く、呉軍は突破口とっぱこうをなかなか開けません。

 その戦場せんじょうから少し離れた場所で冷静れいせい戦況せんきょうを見つめる男がいました。呉の若き将軍しょうぐん陸抗りくこうです。彼は呉の名将・陸遜りくそんの子であり、父親譲ゆずりの知略ちりゃくと冷静さを備えた人物です。若いながらも、その才能は周囲しゅういから高く評価ひょうかされていました。

丁将軍しょうぐん猛攻もうこうは素晴らしいですが……」陸抗は傍らに控える部下に言いました。「相手は羊祜ようこです。ただ力任ちからまかせの攻撃では、簡単かんたんには落ちませんぞ」

 その言葉通り、呉軍の攻撃は羊祜の巧みな指揮しきにことごとく防がれていました。城壁は堅牢けんろうで、晋の兵士たちは冷静に弓矢を放ち、侵入しんにゅうを許しません。

 日が傾きかけた頃、丁奉は一度いちど兵を引かせました。

「くそっ!なかなか手強てごわいな!」苛立いらだちを隠せない丁奉に、陸抗は静かに近づきました。

「丁将軍、ここは一旦いったん退きましょう」

「何だと、陸抗!せっかくここまで来たのに!」

 丁奉は反発はんぱつしましたが、

「しかし、このままでは無駄な損害そんがいが増えるばかりです。羊祜は守りにけた将軍。軽率けいそつな攻撃は避けるべきです」

 陸抗の言葉は理にかなっており、丁奉も渋々(しぶしぶ)その意見を受け入れました。

 その夜、呉の陣幕じんまくで丁奉と陸抗は作戦さくせんを練りました。

「やはり正面からの攻撃だけでは難しいか……」と丁奉。

 陸抗は地図を指しながら言います。「敵の守りが手薄てうすな場所を探り、そこから突破するしかありません」

「ふむ……しかし羊祜のことだ。そう簡単には隙を見せないだろうな」

 陸抗は微かに笑みを浮かべました。「ええ、だからこそ我々も知恵を絞る必要があります」

 二人の間で静かながら熱い知恵比べが続いていました。

 一方、西陵の城内じょうないでは、羊祜が夜空を見上げていました。

「丁奉……そして陸抗か……」

 彼のひとみには呉の二人の将軍への警戒けいかいと、かすかな期待きたいが宿っているようでした。

 数日後、呉軍は再び西陵へ攻撃を開始かいししました。しかし、その動きは以前とは違っていました。一部の兵が正面から激しく攻める一方で、別の部隊が密かに迂回うかいし、城の側面へ迫っていたのです。

「敵が側面から回り込んできます!」晋の兵士が慌てて報告しました。

 羊祜は冷静に指示を出します。「慌てるな。側面には予備の兵を配置してある。迎え撃て!」

 しかし、呉軍の勢いは凄まじく、側面を守る晋軍は徐々に押し込まれました。その隙を突き、正面の丁奉率いる本隊も一層激しい攻撃を仕掛けます。

 城壁の一部が崩れ落ち、呉の兵士たちが怒涛どとうのように押し寄せました。抜刀ばっとうした丁奉は先頭に立ち斬り込みます。その動きは疾風はやてのようです。

「うおおお!」丁奉の雄叫びが戦場に響き渡ります。その勢いに押され、晋の兵士たちは後退こうたいを余儀なくされました。

 しかし羊祜は決して諦めません。自ら剣を取り、崩れた城壁の前に立ちはだかりました。

「退くな!一歩も引くでない!」羊祜の激励げきれいに晋の兵士たちは奮起ふんきし、必死に抵抗ていこうします。激しい斬り合いが繰り広げられ、戦場は血と砂塵さじんにまみれていきました。

 その激戦の中、丁奉と羊祜の視線しせん交錯こうさくします。二人の間には言葉を超えた激しい火花が散っていました。

 しかし結局、この戦いで丁奉は羊祜の堅固けんごな守りを破ることができませんでした。呉軍は多大ただいな損害を出し、やむなく撤退てったいしたのです。

 西陵の戦いは呉にとって大きな痛手いたでとなりました。しかし、この戦いを通じて丁奉は羊祜という強敵きょうてきを改めて認識し、陸抗の知略の重要性を痛感したことでしょう。羊祜もまた呉の将たちの底力そこぢからと決してあなどれない潜在能力せんざいのうりょくを感じ取ったに違いありません。天下統一への道は決して平坦へいたんではないことを、この激しい戦いは静かに物語っていたのです。



271年:建衡三年

春――

 この年、陸抗りく・こうはしばらくの間務めていた西陵せいりょうの地を離れ、孫呉そんごの都である建業けんぎょうへ帰ってきました。陸抗りく・こうは孫呉の重臣じゅうしんであり、優れた武将ぶしょうとして知られています。彼はこれまで西陵で北方の敵に備え奮闘してきましたが、久しぶりの都の喧騒けんそうに戸惑いながらも、懐かしさを感じていました。

 建業の町は、外の戦火の影響を受けることなく、活気にあふれ、人々の声がはずんでいました。そんな中、陸抗りく・こう城門じょうもんをくぐると、ふと一人の年老いた臣下しんかが目に留まりました。陸凱りく・がい――彼は陸抗りく・こう叔父おじであり、孫呉の有力な重臣じゅうしんで、陸遜りく・そん従兄弟いとこでもあります。陸凱りく・がい清廉せいれんで厳格な人物として知られ、何度も諫言かんげんを惜しまず主君に助言をしてきました。

伯言はくげん叔父上おじうえ――お元気そうで何よりです」

 陸抗りく・こうが笑みを浮かべて声をかけると、陸凱りく・がいも笑顔で応えました。

「そなたの顔を見ると、老骨ろうこつに温もりを感じるよ。都も戦地も、年寄りには寒く感じるものだからな」

 しばらく談笑だんしょうした後、話はの情勢に及びました。ここで補足ですが、はかつて曹操そう・そうが築いた強国でしたが、彼の子孫しそんは次第に力を失い、ついに司馬氏しばしが政権を乗っ取る形となりました。その結果、しんと名前を変え、新たな時代が始まったのです。

「聞いたか、しんと名を改めたそうだ」

司馬炎しば・えん皇帝こうてい即位そくいしたと聞く」

曹奐そう・かん――最後の魏主ぎしゅは、無抵抗に禅譲ぜんじょうしたらしいな」

「力尽きていたのだろう。曹操そう・そうが築いた魏の基盤きばんは、もはや司馬一門しばいちもん策謀さくぼうに食い尽くされてしまった」

 陸凱りく・がいは深いため息をつきながら語ります。司馬懿しば・い――彼は忍耐強く、執念深い策略家であり、まずは曹爽そう・そうを倒し、次に権力を奪い取りました。そして司馬昭しば・しょうに至っては、誰の目にも明らかに政権を掌握していたのです。

父上ちちうえ陸遜りく・そん殿も、曹氏そうしへの忠義ちゅうぎゆえに、の将来を危惧きぐしておりました」

 陸遜りく・そん陸抗りく・こうの父であり、孫呉そんごの名将で、政治にも通じた人物でした。彼は曹氏そうしに対する忠誠心が強く、それゆえ魏の変化に心を痛めていたのです。

司馬炎しば・えん寛大かんだい器量きりょうが広いが、腹の底を見せない」

功績こうせきのある者を遠ざけることもなく、静かに、しかし確実に手を打つ。まさに皇帝にふさわしいうつわじゃ」

 一方で、かつて権力を持っていた曹氏そうしの人々は悲惨ひさんな状況にあり、多くは爵位しゃくい剥奪はくだつされ、辺境へんきょうに追いやられています。抵抗した曹髦そう・ぼうは命を奪われ、もはや血筋だけでは権力を保てない時代となりました。

「時代の移り変わりとは、こういうものか……」

「だが、しんの支配は長く続くか疑わしい。司馬一族しばいちぞく内でも派閥はばつ争いが激しいからのう」

 陸凱りく・がいが続けて、孫呉そんごの今後について尋ねました。

「我々が孫呉そんごを守るには、防御を固め、備えを怠らぬこと。それ以外にはない」

「戦いとは、地味で退屈なくらいが良いのじゃ。派手な勝利よりも、しぶとく生き残ることこそが国を支える」

 陸抗りく・こうは遠く西陵せいりょうの空を見つめながら、まだ見ぬしん軍の動きを思い描いておりました。建業けんぎょうの春は穏やかに晴れているにもかかわらず、二人の重臣じゅうしんが抱える不安は、静かに、しかし重く広がっていたのです。

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