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呉視点三国志:孫堅の章⑤

190年:初平元年

 洛陽らくようへ続く北への道程は、決して平坦ではありませんでした。

 ちなみに、後漢末期、長沙ちょうさから洛陽らくようまでの距離は、概ね1200〜1500キロメートルに及ぶ長旅でした。当時の交通手段は主に徒歩、馬、牛車、あるいは川を利用した舟運であり、旅の目的や身分、状況に応じて移動速度も大きく異なりました。

 地理的には、長沙は現在の湖南省中部に位置し、豊かな水系と湿地に囲まれた穀倉地帯でした。洛陽は黄河中流域に位置する帝都であり、長沙から向かう場合、まず湘江しょうこうを北上し、洞庭湖どうていこへと至ります。そこから長江ちょうこうを東進し、さらに漢水かんすいをさかのぼって南陽郡なんようぐん方面に入り、陸路を経て洛陽に向かうのが一般的なルートでした。

 ただし、時代は動乱の後漢末期であり、各地では群雄が割拠し、道中には関所や軍閥の支配地が点在していました。そのため、安全に移動するためには、通行証や紹介状などの身分証明が必要でした。場合によっては軍勢に拘束される危険もあり、物資や同行者の確保も重要な課題でした。

 移動日数については、急報を届ける役人や軍使であれば10日から2週間程度での移動も可能でした。しかし、これは非常に例外的であり、役人の通常の移動であればおおむね20日から30日程度、一般人や商人の場合は休憩や停泊を含め、1か月半から2か月以上を要したと考えられます。季節や天候の影響も大きく、雨季には川が増水し、逆に冬には凍結によって通行困難となることもありました。が及んでいたため、安全な通行には通行証や身分の保証が必要でした。この長距離移動は、政治的にも軍事的にも大きな決断を伴う旅だったのです。



190年:初平元年

 行く先々で待ち受けるは、小規模ながらも油断のならない衝突、そして兵士たちの腹を満たす食糧の不足。しかし、孫堅そんけんは、その卓越した統率力と、何があっても決して折れない不屈の精神で、疲弊した兵士たちを叱咤激励し、前へと進ませました。

「我々の行く手に、立ち塞がるものなどない!天下の悪を討つという大義のため、突き進むのみだ!」

 洛陽の董卓とうたくも、孫堅の急速な北上を察知し、その動きを封じようと、密かに兵を差し向けました。白羽の矢が立ったのは、配下の勇将、徐栄じょえいでした。董卓は、精鋭の兵を与え、孫堅軍を梁県りょうけんの地で迎え撃つよう厳命を下したのです。

 そしてついに、両軍は激突の時を迎えました。現在の河南省かなんしょう汝州市じょしゅうし付近、梁県。地を揺るがすほどのときの声が上がり、戦いの火蓋ひぶたは切って落とされました。緒戦、孫堅は全身全霊を込めた果敢な攻撃を仕掛け、鉄壁を誇る董卓軍を怒涛の勢いで押し込みます!「敵はどこだ!我が剣の錆となれ!」孫堅自ら先頭に立ち、磨き上げられた剣術と、天賦の勇猛さで、次々と敵兵を斬り伏せていく!その勢いは、まさに奔流そのもの!主君の鬼神の如き奮戦に、孫堅軍の士気は最高潮に達し、一丸となって敵陣へと突き進む!剣戟けんげきの音が戦場に響き渡り、兵士たちの雄叫びが地を震わせる!孫堅軍の進撃は、止まることを知らない奔馬のようでした。



190年:初平元年

 しかし、徐栄じょえいは、油断なく戦況を見極め、孫堅そんけん軍の勢いが鈍ってきたところを見逃しませんでした。彼は、伏兵を巧みに配置しており、孫堅そんけん軍が深く進軍してきたところで、この伏兵を投入したのです。

 予期せぬ伏兵の出現に、孫堅そんけん軍はたちまち混乱に陥りました。側面からの攻撃を受け、陣形は大きく乱れ、多くの兵士が討たれるなど、甚大じんだいな損害を被りました。孫堅そんけん自身も、この混乱の中で負傷し、撤退を余儀なくされました。董卓配下の徐栄じょえいの軍に敗れた孫堅は、数十騎で包囲を突破して逃走しました。

 この混乱の中、孫堅そんけん自身も敵に追われる身となります。孫堅そんけんの赤い頭巾は非常に目立つため、敵兵はそれを目印に孫堅そんけんを追いかけます。

側近の祖茂そもは、孫堅そんけんに言います。

「このままでは危険です。文台ぶんだい様が討ち取られてしまいます。あ、そうだ。文台ぶんだい様、その赤い頭巾が目立つから危ないんです。俺の頭巾ずきんと交換してください」

孫堅そんけんは言い返します。

「それでは、オマエが狙われるぞ!そんなことできるか!」

「そんな事言ってる場合ではありません。敵を欺く事が戦いの基本です。敵をビックリさせてやりましょう。さあ早く!」

「死ぬなよ!」

洛陽らくようのウマいメシを喰うまでは死にませんよ」

そのようなやり取りを経たあと、孫堅そんけん祖茂そもの進言を受け入れます。自分のトレードマークである赤い頭巾ずきん祖茂そもに被らせました。すると、敵兵たちは赤い頭巾ずきんを被った祖茂そも孫堅そんけん本人と誤認し、一斉に祖茂そもに向かって追撃を開始したのです。

 燃え盛る陽光が、逃げる祖茂の背中を容赦なく照りつけます。赤い頭巾が風に翻弄ほんろうされ、まるで嘲笑うかのように揺れています。背後からは、けたたましい喊声かんせい馬蹄ばていの音が、死神の足音のように迫っていた。

文台ぶんだい様。どうか、ご無事で!」

 祖茂そもの胸には、主君・孫堅そんけんの安否への強い願いが渦巻いていました。赤い頭巾ずきんは、孫堅そんけんの勇猛さの象徴です。それを被ることで、敵の注意を一身に集める。我ながらいい作戦だと思いました。

 やがて、前方に寂れた林が見えてきました。祖茂そもは一目散に駆け込み、人気のない茂みの奥へと身を隠します。息を潜め、背後の音に耳を澄まします。追っ手の足音は、徐々に遠ざかっていくようでした。

「はぁ…はぁ…」

 荒い息をつきながら、祖茂は近くに焼け残った柱を見つけました。黒焦げのその姿は、まるで戦場の亡霊のようです。

「よし、これだ…!」

 祖茂は、頭から赤い頭巾を外し、その柱の先端に丁寧に被せました。遠目には、赤い塊が人の頭のように見えるでしょう。果たして、しばらくすると、再び騒がしい足音が近づいてきました。

孫堅そんけんはどこだ!赤い頭巾の男を見なかったか!」

董卓軍の兵士たちが、林の中に姿を現しました。彼らの目は、一様に赤い頭巾が被せられた柱へと釘付けになっています。

「いたぞ!あそこにいる!」

先頭の兵士が叫び、皆が一斉に馬を走らせ、柱を取り囲んだ。刃がきらめき、柱に無数の傷が刻まれました。

「ぐ…!」

祖茂そもは、茂みの陰で固唾を呑みます。

「役目は果たせた。文台ぶんだい様は、きっとこの隙に逃げ延びたはずだ。」

しかし、敵兵たちが柱に近づき、それがただの燃え残りの木だと気づくのに、そう時間はかかりませんでした。

「騙しやがったな!」

怒号が林に響き渡ります。鋭い視線が、一斉に周囲の茂みへと向けられます。

「そこにいるはずだ!探し出せ!」

数人の兵士が、祖茂そもの隠れる茂みに向かってきます。

「ここまでか…だが、文台ぶんだい様のためだ!」

覚悟を決めた祖茂そもは、腰の剣を抜き、茂みから飛び出します。

「貴様らのような賊に、孫将軍の首など渡すものか!」

突然の祖茂そもの出現に、敵兵たちは一瞬怯みます。しかし、すぐに殺気立った表情で襲い掛かってきます。数本の槍が、祖茂そもの体を貫こうと迫ります。

 祖茂そもは、身を翻し、迫りくる槍を辛うじてかわします。鋭い剣閃けんせんが走り、一人の兵士が悲鳴を上げて地に伏せます。しかし、多勢に無勢。次々と襲い来る敵兵に、祖茂そもは防戦一方となります。

その時でした。

「フン、小癪こしゃくな真似を!」

低い、しかし威圧感のある声が響き渡ります。大柄な武将が、一頭の猛々(たけだ)しい駿馬しゅんめまたがり、悠然ゆうぜんと姿を現しました。顔には深い傷跡が走り、その双眸そうぼうは獲物を射抜くような鋭さがあります。

「誰だ!」

「俺か?俺は華雄かゆうだ!」

祖茂は、その武将の名を聴いて戦慄せんりつしました。董卓とうた軍の中でも、一騎当千の武勇を誇る男です。まさか、こんなところで遭遇するとは思っていませんでした。

 華雄かゆうは、祖茂そもを一瞥すると、冷酷な笑みを浮かべました。

「赤い頭巾の偽物か。だが、その忠義、褒めてやろう。だが、無駄な抵抗はやめよ!」

「孫将軍への忠義は、決して無駄ではない!」

祖茂そもは、渾身の力を込めて叫び、剣を構えた。最後の力を振り絞り、華雄かゆうに斬りかかります。

スキのない剣劇が演武のように舞い、華雄かゆうに襲い掛かります。

しかし、華雄かゆうの振るう巨大な刀は、祖茂そもの剣をやすやすと弾き飛ばしました。圧倒的な力と技の差があったのです。

「愚か者め!」

華雄かゆうの刀が、無情にも祖茂の体を貫きました。

「ぐ…!無念!洛陽の馳走は叶わぬ夢か…」

鮮血せんけつが宙に舞い、祖茂の体は力なく地面に崩れ落ちました。その手から、愛用の剣が滑り落ち、土に突き刺さりました。

遠くで、鳥の悲鳴のような声が聞こえた気がしました。祖茂そもの瞳は、虚空こくうを見つめたまま、二度と動くことはなかったのです。

華雄は、地に伏せる祖茂そもを一瞥し、冷たい声で言い放ちます。

「たかが一人。だが、その忠義、覚えておくことにしよう。」

そして、手下たちに命じました。

「首をね、証拠として持ち帰るぞ!」

残虐ざんぎゃくな命令が下る中、孫堅そんけんは、祖茂が命を懸けて作り出してくれた時間の中で、必死に逃走していました。

その時、伝令からの聞きたくもない報告を孫堅そんけんは受けます。

祖茂そも殿は、奮戦ふんせんしました。しかし、最終的に華雄かゆうという猛将に討ち取られました。」

部下から報告での彼の死を知った孫堅そんけんは逃げながら、激しく慟哭どうこくします。

祖茂そもよ!オマエのかたきは必ずこの手で討つ!」

疾走しつつ、そう誓うのです。

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