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呉視点三国志:孫権の章②

233年:嘉禾(かか)二年

 空気(くうき)が重(おも)く淀(よど)んでいた。合肥新城(がっぴしんじょう)――魏(ぎ)の最前線(さいぜんせん)に位置(いち)する堅牢(けんろう)な要塞(ようさい)が、静(しず)かに、しかし確(たし)かに呉軍(ごぐん)の侵攻(しんこう)を跳(は)ね返(かえ)していた。

 「……陛下(へいか)、全琮(ぜんそう)より進軍(しんぐん)の報(しら)せが届(とど)いております」

 孫権(そんけん)は玉座(ぎょくざ)の椅子(いす)から腰(こし)を浮(う)かせることなく、軽(かる)く右手(みぎて)を上(あ)げた。近侍(きんじ)が恭(うやうや)しく巻物(まきもの)を手渡(てわた)す。

 「ふむ。『六安(ろくあん)を撹乱(かくらん)しつつ、時機(じき)を見(み)て本隊(ほんたい)と合(ごう)す』、か。あやつもようやく大軍(たいぐん)の使(つか)い方(かた)を覚(おぼ)えたか」

 孫権(そんけん)はわずかに口元(くちもと)をほころばせた。だがその瞳(ひとみ)は鋭(するど)く、視線(しせん)の先(さき)には満寵(まんちょう)の名(な)があった。

 「満寵……あの老(お)いぼれ、なかなかに骨(ほね)ある男(おとこ)よ。だが、老獪(ろうかい)なる者(もの)ほど、策(さく)を読む力(ちから)は衰(おとろ)えぬ」

 孫権(そんけん)は起(た)ち上(あ)がると、地図(ちず)の上(うえ)に手(て)を置(お)き、合肥新城(がっぴしんじょう)を指(ゆび)で叩(たた)いた。皇帝自らの親征(しんせい)を決断したのだ。

 「今度(こんど)こそ、この牙城(がじょう)を崩(くず)す」

 一方(いっぽう)、合肥新城――。

 その天守(てんしゅ)から見下(みお)ろす風景(ふうけい)には、呉軍(ごぐん)の陣(じん)が幾重(いくえ)にも広(ひろ)がっていた。

 満寵(まんちょう)は瞼(まぶた)を細(ほそ)め、老(お)いた顔(かお)に微(かす)かな笑(え)みを浮(う)かべる。

 「……来(き)おったか、孫権(そんけん)」

 「殿(との)、敵(てき)は兵糧(ひょうろう)を分(わ)けて、六安(ろくあん)と合肥(がっぴ)の両面(りょうめん)を狙(ねら)っております」

 副将(ふくしょう)が緊張(きんちょう)した声(こえ)で報(ほう)じた。

 「分進(ぶんしん)して主(しゅ)を惑(まど)わすか。孫権(そんけん)も苦心(くしん)しおる。だがな――」

 満寵(まんちょう)は、脇(わき)に立(た)つ副将(ふくしょう)をじっと見据(みす)えた。

 「城(しろ)を建(た)てた者(もの)として言(い)うが、この合肥新城(がっぴしんじょう)は、ただの壁(かべ)ではない。魏(ぎ)の意地(いじ)と誇(ほこ)りの結晶(けっしょう)よ」

 「全軍(ぜんぐん)に告(つ)げよ。持久(じきゅう)戦(せん)と見(み)た。夜襲(やしゅう)と火計(かけい)にも備(そな)えるべし」

 その夜(よる)、呉軍(ごぐん)の野営地(やえいち)では――。

 「全軍、準備(じゅんび)はよいか。馬蹄(ばてい)には布(ぬの)を巻(ま)き、松明(たいまつ)は風下(かざしも)で焚(た)け。陽動(ようどう)は全琮(ぜんそう)に任(まか)せる」

 孫権(そんけん)は自(みずか)ら兵馬(へいば)を督(とく)し、合肥新城(がっぴしんじょう)の包囲(ほうい)を進(すす)めていた。

 「満寵(まんちょう)……貴様(きさま)が防(ふせ)ぐなら、我(われ)は攻(せ)め尽(つ)くすのみ」

 しかし――。

 魏軍(ぎぐん)は動(うご)じず、むしろ老将(ろうしょう)・満寵(まんちょう)の采配(さいはい)は城(しろ)をまるで鉄壁(てっぺき)のごとく機能(きのう)させていた。

 数日(すうじつ)の攻防(こうぼう)の末(すえ)、呉軍(ごぐん)は次第(しだい)に疲弊(ひへい)し、進撃(しんげき)を断念(だんねん)せざるを得(え)なかった。

 「……退(ひ)くか」

 孫権(そんけん)は一言(ひとこと)だけ呟(つぶや)き、馬上(ばじょう)から西(にし)を見(み)やった。

 合肥新城(がっぴしんじょう)は、またしても落(お)ちなかった。

 満寵(まんちょう)は静(しず)かに、だが誇(ほこ)らしげに頷(うなず)いた。

 「魏(ぎ)の城(しろ)は、そう簡単(かんたん)には崩(くず)れぬよ」



234年:嘉禾(かか)三年

 合肥新城(がっぴしんじょう)の空に、夏の白煙(はくえん)が滲む。眼前には、孫呉(そんご)の諸軍が、幾重もの戦旗(せんき)をなびかせて陣を敷いていた。中心に立つは、老将・孫権(そんけん)その人である。皇帝の威を借りて威風堂々と指揮を執る姿に、兵らの士気も高く保たれていた。

「張承(ちょうしょう)より伝令――孫韶(そんしょう)殿と共に、広陵(こうりょう)・淮陰(わいいん)にて魏軍と交戦中とのこと」

「ほう、張承の若造もやるではないか。……して、朱然(しゅぜん)と諸葛瑾(しょかつきん)の動きは?」

「襄陽(じょうよう)を目指し、江夏(こうか)より沔口(べんこう)に進出。激戦との報あり」

 孫権は「よし」と一言のみをもらし、顎を引いた。

 その一方、芍陂(しゃくひ)では諸葛恪(しょかつかく)が別動隊を率い、六安(ろくあん)には全琮(ぜんそう)が布陣。各将が散開して魏を揺さぶる中、主戦場たる合肥新城では、魏の老将・満寵(まんちょう)が堅固な防衛を敷いていた。張穎(ちょうえい)もまた、満寵の指揮下に入り、城壁を守る。

「この満寵、未だ隙なし、か……」

 孫権の瞳が、わずかに鋭さを帯びた。かつて孫権が兵を率い、この城を包囲したのは前年のこと。しかし満寵は老将ながらも鋭敏な判断で幾度も撃退してきた。

「陛下、南方より急報にございます!」

 伝令の声が幕舎に響く。孫権が顔を上げた。

「魏の皇帝・曹叡(そうえい)、寿春(じゅしゅん)に自ら援軍を率いて入陣とのこと! まもなく、この地へも迫るかと」

 しばし、幕内に沈黙が流れる。

 孫権は沈思の末、扇を静かに閉じた。

「……ふむ。若き皇帝が自ら駆けつけるとは。魏も必死だな」

 その夜、呉軍は一部の精鋭を北側に移動させ、城の虚を突こうとした。火矢が闇を裂き、火の手が魏軍の柵に延焼する。混乱が走る中、満寵は沈着に指揮を執り、張穎らと共に迅速な消火と再編成にあたり、崩れかけた防衛線を立て直した。

 そして――。

 南方の地平より、幾万の旗が押し寄せるように現れる。

 魏の皇帝・曹叡、その本軍である。

 兵の整列、鼓の音、旗の列……その威容に、呉軍の各陣もたじろいだ。

 孫権は夜の帳(とばり)の中、焚火を前に深く腰を下ろし、老将らを集める。

「満寵の防衛、実に堅い。加えて曹叡の援軍……無理押しは、避けるべきか」

 諸葛恪が進み出た。

「合肥を落とす好機ではございましたが、時機は逸しました。ここはいったん、軍を引くべきと存じます」

「――退く、か。あの満寵を討ち果たす夢、またも果たせぬか」

 孫権の声音には悔しさが滲むも、その瞳は冷静であった。

 そして、呉軍は順次、合肥の包囲を解き始める。

 全琮ら各地の将も命に従い、戦線を縮小。戦果こそ乏しきも、魏の各地に動揺を与えたことは事実であった。

 そして――。

 それより程なくして、蜀(しょく)より驚愕の報がもたらされる。

「五丈原(ごじょうげん)にて、諸葛亮(しょかつりょう)死去――!」

 あまりにも大きすぎる死。三国を揺るがす知謀の巨人、ついに力尽きる。

 孫権は報せを聞き、深くうなずいた。

「……天が、ようやく静かになるかもしれぬな」

 戦火は、一時の静寂を見せた。

 だがそれは、束の間の嵐の前触れに過ぎぬ。

 魏、呉、蜀――それぞれの将たちの眼は、次なる火種を見据えていた。



234年:嘉禾(かか)三年

 233年(けいよう七年)、合肥(がっぴ)がなぜ孫呉(そんご)と魏国(ぎこく)との争奪地(そうだつち)になったのか。その理由(りゆう)は主に次の4つに分けられます。

 一つ目は、地理的(ちりてき)に「魏(ぎ)と呉(ご)の国境地帯(こっきょうちたい)」にあったことです。合肥(がっぴ)は現在(げんざい)の中国・安徽省(あんきしょう)中部に位置(いち)し、淮河(わいが)と長江(ちょうこう)という大きな河川(かせん)に挟(はさ)まれた戦略的(せんりゃくてき)要地(ようち)でした。魏(ぎ)にとっては「南(みなみ)の守りの要(かなめ)」、呉(ご)にとっては「北進(ほくしん)するための出撃拠点(しゅつげききょてん)」であり、ここを押さえることが敵(てき)の侵攻(しんこう)を防(ふせ)ぎ、自国(じこく)の領土(りょうど)拡大(かくだい)に繋(つな)がったのです。

 二つ目は、長江(ちょうこう)中流域(ちゅうりゅういき)の防衛ライン上にあったことです。合肥(がっぴ)の近辺(きんぺん)には重要(じゅうよう)な河川(かせん)や交通路(こうつうろ)が集中(しゅうちゅう)していました。ここを制圧(せいあつ)すれば、長江流域の拠点(けんぎょう=後(のち)の南京(なんきん))に圧力(あつりょく)をかけられます。逆に、呉(ご)が合肥(がっぴ)を攻略(こうりゃく)すれば、魏(ぎ)の寿春(じゅしゅん)や許昌(きょしょう)といった中枢都市(ちゅうすうとし)に迫(せま)るルートが開(ひら)かれました。こうして、合肥は両国(りょうこく)にとって「攻防(こうぼう)の最前線(さいぜんせん)」だったのです。

 三つ目は、長期戦(ちょうきせん)に適(てき)した「要塞都市(ようさいとし)」として整備(せいび)されていたことです。魏(ぎ)は合肥(がっぴ)を「鉄壁(てっぺき)の城塞(じょうさい)」に築(きず)きあげました。頻繁(ひんぱん)な呉(ご)の攻撃(こうげき)に備(そな)え、堅牢(けんろう)な城壁(じょうへき)や兵站線(へいたんせん)、補給路(ほきゅうろ)をしっかり整備していました。たとえば有名(ゆうめい)な「合肥新城(がっぴしんじょう)」は、あの名将(めいしょう)張遼(ちょうりょう)らが守(まも)り抜(ぬ)いたことで知られています。このように、合肥は単なる「境界(きょうかい)」ではなく、戦略性(せんりゃくせい)の高(たか)い軍事拠点(ぐんじきょてん)だったのです。

 四つ目は、孫権(そうけん)がたびたび遠征(えんせい)した「悲願(ひがん)の攻略目標(こうりゃくもくひょう)」であったことです。呉の皇帝(こうてい)であり、若くして国を治めた孫権は、生涯(しょうがい)に少なくとも4回以上この合肥攻略を試みました(例:合肥の戦い、合肥新城の戦いなど)。それだけ呉にとって合肥攻略は「魏への道を開く鍵(かぎ)」でした。しかし魏の守りは堅固(けんご)で、どの遠征も決定打(けっていだ)には至りませんでした。こうして合肥は、呉の悲願と挫折(ざせつ)の象徴(しょうちょう)とも言える土地(とち)となったのです。



234年:嘉禾(かか)三年

 空(そら)はどんよりと曇(くも)り、土埃(つちぼこり)を巻(ま)き上(あ)げる風(かぜ)が野営地(やえいち)を吹(ふ)き抜(ぬ)けていた。五丈原(ごじょうげん)の静けさを破(やぶ)るのは、遠(とお)くから聞(き)こえる笛(ふえ)の音(おと)だけ――その旋律(せんりつ)は、やけに胸(むね)に沁(し)みた。

 天幕(てんまく)の中(なか)、諸葛亮(しょかつりょう)は細(ほそ)い指(ゆび)で筆(ふで)を握(にぎ)っていたが、やがてその力(ちから)は抜(ぬ)けてゆき、墨(すみ)の香(かお)りとともに筆(ふで)が床(ゆか)に落(お)ちた。

 「……天(てん)は、我(われ)を見放(みはな)したか……」

 かすかなつぶやきが天幕(てんまく)の隙間(すきま)から外(そと)へ消(き)えていった。

 諸葛亮(しょかつりょう)は五丈原の地にて亡くなった。

 一方(いっぽう)、魏(ぎ)では司馬懿(しばい)が高台(たかだい)から蜀軍(しょくぐん)の陣(じん)をじっと眺(なが)めていた。

 「動(うご)かぬな……諸葛亮(しょかつりょう)は病(やまい)で既(すで)に倒(たお)れているのか、それとも……策(さく)か?」

 そう呟(つぶや)く彼(かれ)のもとへ斥候(せっこう)が駆(か)け込(こ)み、声(こえ)を荒(あら)げて叫(さけ)んだ。

 「報告(ほうこく)! 蜀軍(しょくぐん)、陣(じん)を解(と)き撤退(てったい)を開始(かいし)しました!」

 司馬懿(しばい)は微(かす)かに眉(まゆ)をひそめ、唇(くちびる)をゆがめた。

 「……諸葛亮(しょかつりょう)は、生(い)きているうちに撤退(てったい)など決(けっ)して選(えら)ばぬ。とすれば――もうこの世(よ)にはいないのか」

 その頃(ころ)、蜀軍(しょくぐん)の陣中(じんちゅう)では激論(げきろん)が起(お)きていた。

 魏延(ぎえん)は机(つくえ)を叩(たた)きながら怒(いか)りの声(こえ)をあげた。

 「いま撤退(てったい)すれば、孔明(こうめい)どのが築(きず)いた全(すべ)てが水泡(すいほう)に帰(き)す! 魏(ぎ)軍(ぐん)を追(お)い詰(つ)める好機(こうき)を自(みずか)ら棄(す)てるのか!」

 静(しず)かに声(こえ)を発(はつ)したのは楊儀(ようぎ)だった。

 「丞相(じょうしょう)は……すでに亡(な)くなられました」

 「なぜ知らせてくれない……なぜ、私に……」

 「泣(な)いている暇(ひま)はありません。あなたは将軍(しょうぐん)でしょう。丞相(じょうしょう)の遺命(いめい)に従い、軍(いくさ)を退(ひ)かせる、それがあなたの役目(やくめ)です」

 だがその声(こえ)に、姜維(きょうい)が歩(あゆ)み出(で)る。彼(かれ)の眼差(まなざ)しは静(しず)かで、だが、曇(くも)りなき決意(けつい)が宿(やど)っていた。

 「丞相(じょうしょう)の最期(さいご)は、穏(おだ)やかなものでした。筆(ふで)を天(てん)へ掲(かか)げ、まるで天命(てんめい)に問(と)うておられた……」

 姜維(きょうい)は、若(わか)き知将(ちしょう)である。北伐(ほくばつ)にあっても一歩(いっぽ)も怯(ひる)まず、丞相(じょうしょう)の志(こころざし)を継(つ)ぐべく戦(たたか)ってきた。

 その横顔(よこがお)に、誰(だれ)もが諸葛亮(しょかつりょう)の幻影(げんえい)を見(み)た。

 その時(とき)、馬岱(ばたい)が馬(うま)の鐙(あぶみ)を締(し)め直(なお)し、魏延(ぎえん)に言(い)った。

 「魏延(ぎえん)、あなたが殿軍(しんがり)を?」

 「ああ。丞相(じょうしょう)の遺命(いめい)と言われれば、仕方なかろう。だが、奴らがスキを見せれば逆撃(ぎゃくげき)して叩く」

 「丞相(じょうしょう)の命令はあくまでも撤退です。勝手をされては困ります。」

 楊儀(ようぎ)は抗議(こうぎ)の声をあげる。

 「うるさい、バカ者(ばかもの)!戦いの機微(きび)のわからんヤツめ!逃げるために逃げたら敵の思うつぼだろうが!」

 魏延(ぎえん)は馬上(ばじょう)で怒(いか)り、風(かぜ)にその声(こえ)を散(ち)らした。

 司馬懿(しばい)は撤退(てったい)する蜀軍(しょくぐん)を眺(なが)め、しばし目(め)を閉(と)じた。

 「惜(お)しい男(おとこ)だったな……あれほどの知(ち)を持(も)つ者(もの)とは、もっと語(かた)り合(あ)いたかった」

 部下(ぶか)は追撃(ついげき)を提案(ていあん)したが、司馬懿(しばい)は首(くび)を横(よこ)に振(ふ)った。

 「追(お)わん。死(し)してなお、軍(いくさ)は整(ととの)っている。あの男(おとこ)が遺(のこ)した陣形(じんけい)には、まだ刃(やいば)が潜(ひそ)んでいるかもしれん」

 司馬懿(しばい)は目(め)を細(ほそ)めて言(い)った。

 「やがて、あの諸葛亮(しょかつりょう)の意志(いし)を継(つ)ぐ者(もの)が現(あらわ)れるだろう。そのとき、果(は)たして我(われ)らが勝(か)てる保証(ほしょう)はあるのか……」

 五丈原(ごじょうげん)の風(かぜ)が吹(ふ)き、蜀軍(しょくぐん)の撤退(てったい)を静(しず)かに包(つつ)み込(こ)んでいた。殿(しんがり)を務(つと)めた魏延(ぎえん)は、幾度(いくど)も敵(てき)の追撃隊(ついげきたい)を打(う)ち払(はら)い、味方(みかた)の退路(たいろ)を確保(かくほ)した。

 馬(うま)の蹄音(ていおん)、叫(さけ)び声(ごえ)、槍(やり)の光(ひかり)――それらすべてが風(かぜ)に吸(す)い込(こ)まれていく。

 やがて、すべてが消(き)えたあと、天幕(てんまく)の片隅(かたすみ)には、かすかに香(かお)りが残(のこ)されていた。

 それは、死(し)してもなお軍(いくさ)を動(うご)かした諸葛亮(しょかつりょう)が残(のこ)した、最後(さいご)の戦略(せんりゃく)の香(かお)りであった。

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