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呉視点三国志:陸遜の章⑦

226年:呉の黄武5年 

 傷(きず)は深(ふか)く、寒気(かんき)は骨(ほね)まで届(とど)いておりました。陣幕(じんまく)の中(なか)、老将(ろうしょう)・韓当(かんとう)は静(しず)かに床(とこ)に伏(ふ)しておりました。

「……よくぞ、生(い)きて戻(もど)られましたな。韓将軍(かんしょうぐん)」

 陸遜(りくそん)はひざまずき、傷(きず)だらけのその身(み)を支(ささ)えます。韓当(かんとう)の唇(くちびる)には微(かす)かな笑(わら)みが浮(う)かんでおりました。

「おや、あの頃(ころ)は……わたしが若造(わかぞう)の肩(かた)を抱(だ)かえて戦場(せんじょう)を駆(か)けておりましたのに……今(いま)はおまえが、こうして老兵(ろうへい)の手(て)を取(と)るとは……ふふ、時(とき)は流(なが)れるものですなあ……」

「お言葉(ことば)ですが、将軍(しょうぐん)はまだ老兵(ろうへい)などでは――」

「よい、よい。もう、剣(つるぎ)も持(も)てますまい」

 韓当(かんとう)はゆっくりと首(くび)を横(よこ)に振(ふ)りました。血(ち)のにじむ唇(くちびる)で、懐(なつ)かしそうに語(かた)り始(はじ)めます。

「……思(おも)い出(だ)しますな。最初(さいしょ)にお仕(つか)えしたあの方(かた)――孫堅(そんけん)様(さま)。あの方(かた)は、まさしく猛虎(もうこ)でした」

「猛虎(もうこ)、ですか」

「ええ。戦(いくさ)となれば、真先(まっさき)に敵陣(てきじん)へ突撃(とつげき)する。矢(や)が飛(と)ぼうが、槍(やり)が来(こ)ようが、お構(かま)いなし。わたしなど、何度(なんど)『せめて盾(たて)を持(も)ってください』とお願いしたことか」

 陸遜(りくそん)は思(おも)わず吹(ふ)き出(だ)しました。

「その猛虎(もうこ)の背(せ)を追(お)いかけて、祖茂(そも)殿(どの)も必死(ひっし)でしたな。あの方(かた)、火(ひ)の中(なか)でも笑(わら)って突(つ)っ込(こ)んでいく。鎧(よろい)を焼(や)いて帰(かえ)ってきたこともありました」

 韓当(かんとう)は目(め)を細(ほそ)め、頷(うなず)きます。

「ふふ、火(ひ)の粉(こ)を払(はら)って、『ちょっと熱(あつ)かった』と言(い)いましてな……命(いのち)知ら(し)らずにも程(ほど)がある」

「……黄蓋(こうがい)殿(どの)は?」

「うん、あれはもう、鉄(てつ)のような人(ひと)。重(おも)く、強(つよ)く、曲(ま)がらぬ心(こころ)の持(も)ち主(ぬし)。己(おのれ)の背(せ)に何十(なんじゅう)の矢(や)を受(う)けようとも、びくともしなかった。まさに呉(ご)の礎(いしずえ)です」

 外(そと)から、遠(とお)く太鼓(たいこ)の音(おと)が聞(き)こえてきました。誰(だれ)かが軍(ぐん)を動(うご)かしているようです。

「そして、孫策(そんさく)様(さま)。あれは……あれは、若(わか)き雷(かみなり)でしたな」

「我(わ)が義父(ぎふ)は、雷(かみなり)、ですか」

「走(はし)り、斬(き)り、駆(か)け、すべてが一瞬(いっしゅん)。敵(てき)に回(まわ)せば震(ふる)えるが、味方(みかた)ならこれほど心強(こころづよ)い主君(しゅくん)はない。……よく、わたしの槍(やり)を笑(わら)って奪(うば)っていきました」

「奪(うば)ったのですか?」

「『貸(か)してみろ、わたしが刺(さ)した方(ほう)が早(はや)い』と……ええ、早(はや)かったとも。戻(もど)ってきたとき、槍(やり)の穂先(ほさき)は赤(あか)く染(そ)まっておりました」

 陸遜(りくそん)はその光景(こうけい)を思(おも)い浮(う)かべ、静(しず)かにうなずきました。

「そして、周瑜(しゅうゆ)……あれはまことに美(うつく)しき風(かぜ)のような人(ひと)でした」

 韓当(かんとう)の目(め)は遠(とお)くを見(み)つめておりました。

「風(かぜ)が舞(ま)い、言葉(ことば)が踊(おど)り、戦(いくさ)が詩(うた)になる……。計略(けいりゃく)を一(ひと)つ耳(みみ)にするだけで、わたしなどではとても追(お)いつけなかった。……でも、心根(こころね)は優(やさ)しかった。わたしが寒(さむ)いと手(て)を差(さ)し出(だ)してくれた」

「周都督(しゅう・ととく)は、戦(いくさ)の中(なか)でも詩(うた)を忘(わす)れなかったのですね」

「まさしく。それが、あの人(ひと)の強(つよ)さでした」

 韓当(かんとう)の呼吸(こきゅう)が少(すこ)し荒(あら)くなります。しかし、彼(かれ)は苦(くる)しさを押(お)し隠(かく)すように、最後(さいご)の一人(ひとり)を語(かた)ります。

「そして、呂蒙(りょもう)。あれは……賢(かしこ)く、厳(きび)しく、そして誰(だれ)よりも努力家(どりょくか)でした」

「はい、わたしも呂将軍(りょしょうぐん)には多(おお)くを学(まな)びました」

「かつては無学(むがく)と笑(わら)われ、将(しょう)の器(うつわ)ではないと言(い)われた……。だが、彼(かれ)は変(か)わりました。文字(もじ)を学(まな)び、兵法(へいほう)を学(まな)び、ついには関羽(かんう)を討(う)つほどに……あれほど己(おのれ)を高(たか)めた者(もの)を、わたしは他(ほか)に知(し)りません」

「確かに努力家でしたな。あのお方は…」

「あっ!程普(ていふ)殿を語るのを忘れ…」

 言葉(ことば)が止(と)まりました。韓当(かんとう)はしばし目(め)を閉(と)じ、静(しず)かに息(いき)を吐(つ)きました。陸遜(りくそん)はその手(て)を強(つよ)く握(にぎ)り、涙(なみだ)をこらえました。

「……皆(みな)、よく戦(たたか)いましたな。わたしは幸(さいわ)いにも、こうして生(い)きていられます。しかし、あの時(とき)の傷(きず)は……わたしの体(からだ)にだけでなく、心(こころ)にも深(ふか)く刻(きざ)まれております」

「どうか、将軍(しょうぐん)、安(やす)らかにお休(やす)みください。われわれは必(かなら)ず、孫呉(そんご)の未来(みらい)を築(きず)いてみせます」

 陸遜(りくそん)の声(こえ)は震(ふる)えながらも、力強(ちからづよ)く響(ひび)きました。韓当(かんとう)は薄(うす)く笑(わら)みを浮(う)かべ、静(しず)かに息(いき)を引(ひ)き取りました。

 風(かぜ)が吹(ふ)き、陣(じん)の外(そと)の木々(きぎ)がざわめきます。韓当(かんとう)の想(おも)い出(で)と共(とも)に、孫呉(そんご)の未来(みらい)もまた、静(しず)かに動(うご)き始(はじ)めておりました。



226年:黄武(こうぶ)5年

 魏(ぎ)の皇帝(こうてい)・曹丕(そうひ)の死(し)が、孫呉(そんご)の朝廷(ちょうてい)に冷(つめ)たい風(かぜ)のように吹(ふ)き込みました。しかし、その風(かぜ)はやがて熱(あつ)を帯(お)びたささやきに変(か)わっていきます。

 孫権(そんけん)の私室(ししつ)では、軍議(ぐんぎ)を兼(か)ねた密談(みつだん)が開(ひら)かれていました。彼(かれ)の眼(め)はまるで炎(ほのお)のように燃(も)えております。隣(とな)に控(ひか)えるは孫呉(そんご)の名将(めいしょう)・陸遜(りくそん)。夷陵(いりょう)の戦(たたか)いで蜀(しょく)の劉備(りゅうび)を破(やぶ)り、国(くに)を救(すく)った英雄(えいゆう)であり、文武両道(ぶんぶりょうどう)の才(さい)を示(しめ)す冷静沈着(れいせいちんちゃく)な知将(ちしょう)です。

 「陸遜(りくそん)、今(いま)こそ魏(ぎ)を攻(せ)める好機(こうき)かもしれぬ。曹丕(そうひ)が亡(な)き今(いま)、魏(ぎ)は骨抜(ほねぬ)きとなっているだろう?」

 孫権(そんけん)がそう言(い)うと、陸遜(りくそん)はわずかに目(め)を伏(ふ)せ、静(しず)かに答(こた)えました。

 「陛下(へいか)。夜(よる)に咲(さ)く花(はな)は朝(あさ)までは持(も)ちません。ですが、夜(よる)が明(あ)ければまた別(べつ)の花(はな)が咲(さ)くこともございます」

 「つまり、急(いそ)いでは事(こと)を仕損(しそ)じると申(もう)すか?」

 「はい。新帝(しんてい)・曹叡(そうえい)は若年(じゃくねん)ながら、父(ちち)に劣(おと)らぬ血気盛(けっきざか)んなお方(かた)と聞(き)きます。魏(ぎ)に混乱(こんらん)があっても、それが我(わ)らの好機(こうき)とは限(かぎ)りませぬ」

 「だが、国境(こっきょう)を固(かた)めているだけでは、兵(へい)も民(たみ)も張(は)り合(あ)いがない。敵(てき)が弱(よわ)った今(いま)、何(なに)もしないわけにはいかぬ」

 陸遜(りくそん)は微笑(びしょう)を浮(う)かべ、一歩(いっぽ)前(まえ)に出(で)ました。

 「ならば、我(わ)が軍(ぐん)は動(うご)きしましょう。ただし、剣(けん)ではなく影(かげ)にて動(うご)くのです」

 「影(かげ)とは?」孫権(そんけん)が問い返(かえ)すと、

 「魏(ぎ)の辺境(へんきょう)にて小規模(しょうきぼ)な動(うご)きを見(み)せ、敵(てき)の反応(はんのう)を探(さぐ)ります。軍(ぐん)を本格的(ほんかくてき)に動(うご)かすのはその後(のち)で遅(おそ)くはありません。あるいは、蜀(しょく)と連携(れんけい)し陽動(ようどう)を図(はか)るのも手(て)の一(ひと)つ。敵(てき)の陣形(じんけい)を見極(みきわ)めてからこそ、本陣(ほんじん)を動(うご)かすに値(あたい)するのです」

 孫権(そんけん)は机(つくえ)を軽(かる)く叩(たた)き、笑(え)みをこぼしました。

 「おぬしの話(はなし)はいつも詩(し)のようだな。だが耳(みみ)に心地(ここち)よく、理(り)にもかなっておる」

 「詩(し)とは言(い)え、今(いま)はまだ韻(いん)を踏(ふ)むには早(はや)すぎます」

 その言葉(ことば)に、室内(しつない)は一瞬(いっしゅん)の沈黙(ちんもく)ののち、笑(わら)いに包(つつ)まれました。

 ――数日後(すうじつご)。

 陸遜(りくそん)の命(めい)で呉軍(ごぐん)は国境地帯(こっきょうちたい)にて小規模(しょうきぼ)な奇襲(きしゅう)を展開(てんかい)します。

 素早(すば)く、静(しず)かに、矢(や)のように。

 夜陰(やいん)に紛(まぎ)れて前線(ぜんせん)をかすめ、敵陣(てきじん)の動(うご)きを探(さぐ)るのです。

 魏(ぎ)の兵(へい)は警戒(けいかい)を強(つよ)めましたが、陸遜(りくそん)の狙(ねら)いは敵(てき)の裏(うら)をかくこと。真正面(まっしょうめん)から挑(いど)まず、あくまで揺(ゆ)さぶるのです。まるで水面(みなも)に投(な)げられた石(いし)が波紋(はもん)を広(ひろ)げるように。

 ある夜(よる)、陸遜(りくそん)は親衛(しんえい)の将(しょう)とともに地図(ちず)を広(ひろ)げ、静(しず)かに言(い)いました。

 「大軍(たいぐん)を動(うご)かすには、大義(たいぎ)と勝算(しょうさん)の両方(りょうほう)が必要(ひつよう)です。今(いま)はその種(たね)を蒔(ま)く時(とき)。焦(あせ)って咲(さ)く花(はな)は、根(ね)が腐(くさ)ります」

 「ですが、敵(てき)が隙(すき)を見(み)せれば……」

 「その時(とき)こそ――刀(かたな)もまた詩(し)を詠(よ)むもの」

 そう言(い)うと陸遜(りくそん)は剣(けん)を抜(ぬ)き、卓上(たくじょう)のろうそくの灯(ともしび)を斬(き)り落(お)としました。

 火(ひ)は音(おと)もなく消(き)え、ただ細(ほそ)い煙(けむり)だけが空(そら)へ昇(のぼ)っていきました。

 曹丕(そうひ)の死(し)は確(たし)かに一(ひと)つの機会(きかい)。されど陸遜(りくそん)は浮(う)き足立(あしだ)つことなく、深(ふか)く大地(だいち)を踏(ふ)みしめ、その先(さき)を見(み)つめていました。勝利(しょうり)の種(たね)を正(ただ)しく蒔(ま)くために――誰(だれ)よりも冷静(れいせい)な瞳(ひとみ)を持(も)つ将(しょう)の姿(すがた)がそこにありました。



228年(ねん):黄武(こうぶ)7年(ねん)――

 濡須(じゅしゅ)の冷(つめ)たい風(かぜ)が吹(ふ)きすさぶ中(なか)、呉軍(ごぐん)の陣営(じんえい)には緊張感(きんちょうかん)がみなぎっていました。魏(ぎ)の名将(めいしょう)・曹休(そうきゅう)が大軍(たいぐん)を率(ひき)いて南下(なんか)してきたとの報(ほう)が届(とど)いたからです。

 この曹休(そうきゅう)という人物(じんぶつ)は、魏(ぎ)の中(なか)でも屈指(くっし)の戦略家(せんりゃくか)として知られており、その軍勢(ぐんぜい)は数(かず)だけでなく質(しつ)も高(たか)いことで恐(おそ)れられていました。呉(ご)としては、この強敵(きょうてき)を迎(むか)え撃(う)つにあたり、慎重(しんちょう)かつ綿密(めんみつ)な戦略(せんりゃく)が必要(ひつよう)でした。

「――面倒(めんどう)な相手(あいて)が来(き)ましたな、陸(りく)大都督(だいととく)」

 濡須(じゅしゅ)の守備(しゅび)を任(まか)されている老練(ろうれん)な将軍(しょうぐん)・徐盛(じょせい)が、皮肉(ひにく)を込(こ)めた笑(え)みを浮(う)かべながら陸遜(りくそん)のもとに現(あらわ)れました。

 陸遜(りくそん)は呉軍(ごぐん)の若(わか)き指揮官(しきかん)ながら、冷静(れいせい)な判断(はんだん)と卓越(たくえつ)した戦術眼(せんじゅつがん)で多(おお)くの戦(いくさ)を勝利(しょうり)に導(みちび)いてきた人物(じんぶつ)です。彼(かれ)は地図(ちず)を広(ひろ)げ、冷静(れいせい)に敵(てき)の動(うご)きを分析(ぶんせき)していました。

「魏(ぎ)の諸侯(しょこう)は、いつも兵力(へいりょく)の数(かず)だけで勝(か)てると思(おも)い込(こ)んでいます。ありがたいことに、私(わたし)たちにとっては最高(さいこう)の学(まな)びの機会(きかい)です」

 陸遜(りくそん)は柔(やわ)らかな笑(え)みを浮(う)かべながら答(こた)えました。

「学(まな)びの機会(きかい)とはまた……余裕(よゆう)ですね」

 徐盛(じょせい)が感心(かんしん)したように言(い)うと、陸遜(りくそん)は静(しず)かに続(つづ)けます。

「焦(あせ)りは禁物(きんもつ)です。焦(あせ)れば知恵(ちえ)は働(はたら)かず、ただの力任(ちからまか)せの戦(いくさ)になってしまいます」

 そこへ、若(わか)き猛将(もうしょう)・丁奉(ていほう)が駆(か)け込(こ)んできました。兜(かぶと)を脱(ぬ)ぎ捨(す)て、豪快(ごうかい)に声(こえ)をあげます。

「さて、会議(かいぎ)でしょうか?それとも雑談(ざつだん)?どちらにせよ、私(わたし)にも加(くわ)えてくださいよ」

 徐盛(じょせい)は苦笑(くしょう)いを浮(う)かべ、丁奉(ていほう)もまた戦(いくさ)への熱意(ねつい)を隠(かく)しません。

 陸遜(りくそん)は指(ゆび)で地図(ちず)のある地点(ちてん)を指(さ)しました。

「ここ、石亭(せきてい)にて敵(てき)の分断(ぶんだん)を仕掛(しか)けます。徐盛殿(じょせいどの)、あなたは濡須(じゅしゅ)で敵(てき)の主力(しゅりょく)を引(ひ)きつけてください」

「心得(こころえ)ました。これは私(わたし)の得意分野(とくいぶんや)です」

「丁奉殿(ていほうどの)、潘璋殿(はんしょうどの)、別働隊(べつどうたい)を率(ひき)いて石亭(せきてい)へ向(む)かい、敵(てき)の退路(たいろ)を断(た)ちます」

「面白(おもしろ)くなってきましたな!火(ひ)でも煙(けむり)でも派手(はで)にやってやりましょう!」

 こうして夜陰(やいん)に紛(まぎ)れ、呉軍(ごぐん)の別働隊(べつどうたい)は石亭(せきてい)へと忍(しの)び寄(よ)ります。

 冷(つめ)たい風(かぜ)に肌(はだ)が切(き)られるような夜(よる)でしたが、丁奉(ていほう)の眼(まなこ)は燃(も)えるような闘志(とうし)に輝(かがや)いていました。

「潘璋(はんしょう)、合図(あいず)は忘(わす)れるな。火矢(かや)は左(ひだり)の崖(がけ)からだ。先走(さきばし)ると俺(おれ)が背中(せなか)を叩(たた)くぞ」

「はいはい、丁奉将軍(ていほうしょうぐん)。背中(せなか)は勘弁(かんべん)してくださいよ」

 やがて、石亭(せきてい)の静寂(せいじゃく)を破(やぶ)り、火矢(かや)が闇(やみ)を切(き)り裂(さ)いて飛(と)びました。敵陣(てきじん)に火(ひ)の手(て)が上(あ)がり、魏兵(ぎへい)たちは混乱(こんらん)し始(はじ)めます。

「今(いま)だ、叩(たた)け!」

 丁奉(ていほう)の号令(ごうれい)とともに、呉兵(ごへい)たちは疾風(しっぷう)のごとき突撃(とつげき)を仕掛(しか)けました。刃(やいば)が閃(ひら)き、盾(たて)が砕(くだ)け散(ち)ります。

 一方(いっぽう)、正面(しょうめん)の濡須(じゅしゅ)では徐盛(じょせい)が巧(たく)みに敵(てき)の注意(ちゅうい)を引(ひ)きつけ、退却(たいきゃく)を許(ゆる)しません。

「まだだ……退(しりぞ)くな!ここで敵(てき)を釘付(くぎづ)けにしろ!」

 徐盛(じょせい)の号令(ごうれい)に兵(へい)たちは奮起(ふんき)し、耐(た)え抜(ぬ)きました。

 その時(とき)、石亭(せきてい)で丁奉(ていほう)の別働隊(べつどうたい)が敵(てき)の背後(はいご)を襲(おそ)い、魏軍(ぎぐん)は大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)りました。

「今(いま)が勝負(しょうぶ)だ!全力(ぜんりょく)で突(つ)け!」

 陸遜(りくそん)の冷静(れいせい)な判断(はんだん)と部隊(ぶたい)たちの奮闘(ふんとう)が実(みの)り、魏軍(ぎぐん)はついに敗走(はいそう)を余儀(よぎ)なくされました。

 この濡須(じゅしゅ)の戦(たたか)いは、呉(ご)が魏(ぎ)に対(たい)して示(しめ)した強(つよ)い意志(いし)と巧(たく)みな戦略(せんりゃく)の象徴(しょうちょう)となったのです。



228年(こうぶくななねん)黄武七年(こうぶしちねん)

 石亭(せきてい)の戦(いくさ)。魏(ぎ)の曹休(そうきゅう)が率(ひき)いる大軍(たいぐん)を打ち破り、陸遜(りくそん)は戦場(せんじょう)を離(はな)れ、ようやく家路(いえじ)につきました。長(なが)い戦(たたか)いから解放(かいほう)され、剣(つるぎ)を納(おさ)めたのです。

 門(もん)をくぐると、聞(き)き慣(な)れた声(こえ)が耳(みみ)に届(とど)きました。

「遜様(そんさま)!」

 走(はし)り寄(よ)ったのは妻(つま)でした。彼女(かのじょ)は孫策(そんさく)の娘(むすめ)であり、凛(りん)とした美(うつく)しさの中(なか)に父上(ちちうえ)譲(ゆず)りの強(つよ)さを秘(ひ)めておりました。

「ただいま戻(もど)りました。……少(すこ)し、痩(や)せましたか?」

「そちらこそ、甲冑(かっちゅう)の下(した)に骨(ほね)だけしか残(のこ)っていないのでは?」

 微笑(ほほえ)み交(か)わしながら、妻はそっと陸遜の腕(うで)に触(ふ)れました。

「また勝(か)ったのですね」

「ええ。しかし、勝(か)って帰(かえ)っても、こうして迎(むか)えてくれる者(もの)がいなければ、ただの孤独(こどく)な将軍(しょうぐん)で終(お)わります」

「またそうやって、口(くち)が滑(すべ)らかなんだから」

 ふと柱(はしら)の影(かげ)から小(ちい)さな姿(すがた)がのぞきました。

「ちちうえ?」

 2歳(さい)になったばかりの陸抗(りくこう)が、あどけない瞳(ひとみ)で見上(みあ)げています。

 陸遜は目(め)を細(ほそ)め、そっと膝(ひざ)をつきました。

「抗、ただいま。待(ま)っていてくれたか?」

「うん!」

 笑顔(えがお)で駆(か)け寄(よ)ってきた小(ちい)さな体(からだ)を、陸遜は優(やさ)しく抱(だ)き上(あ)げました。その温(ぬく)もりに、どれほど救(すく)われたことでしょう。

 その後(うし)ろから、ゆっくりと歩(ある)み出(で)たのは大喬(だいきょう)です。孫策の正室(せいしつ)にして孫権(そんけん)の義姉(ぎし)、呉(ご)の良家(りょうか)を支(ささ)える女傑(じょけつ)です。

「ご無事(ぶじ)で何(なに)よりです、陸遜殿(りくそんどの)」

「義母上様(ははうえさま)、ご心配(しんぱい)をおかけしました」

「心配など、通(とお)り越(こ)しておりました。ですが、あなたは帰(かえ)ってきた。……ならば、申し上(あ)げるべきことがございます」

 大喬は静(しず)かに視線(しせん)を孫――陸抗へと向(む)けました。

「この子(こ)は、孫策様(そんさくさま)の血(ち)を引(ひ)いております。そして、あなたの血(ち)も継(つ)いでいる。やがて、この呉を支(ささ)える者(もの)となるでしょう」

「……あの小(ちい)さな子が、ですか?」

「今(いま)はまだ幼(おさな)くとも、時(とき)は育(そだ)てます。あなたのような父(ちち)が導(みちび)けば、この子はきっと……」

 陸遜は黙(だま)って息子(むすこ)を見(み)つめました。小(ちい)さな手(て)が、無垢(むく)な笑(え)みとともに、彼の頬(ほお)をそっと叩(たた)きます。

「つよい? つよい?」

「……ああ、強(つよ)くなる。父(ちち)よりも、ずっと」

 すると妻が歩(ある)み寄(よ)り、口(くち)を開(ひら)きました。

「父(ちち)の意志(いし)を継(つ)ぐ者(もの)が、この家(いえ)にはふたりおります。一人(ひとり)は抗(こう)。そしてもう一人(ひとり)は、あなた」

 陸遜は驚(おどろ)いたように目(め)を見開(みひら)きます。

「私(わたし)が、孫策殿(そんさくどの)の……?」

「そうです。父(ちち)は剣(つるぎ)で呉(ご)を築(きず)きました。けれど、今(いま)は知(ち)で守(まも)る時代(じだい)。あなたの才(さい)こそ、父(ちち)が望(のぞ)んだ『次(つぎ)』なのです」

「……それは、光栄(こうえい)に過(す)ぎます」

「ならば、その光(ひかり)を絶(た)やさないで。私(わたし)も、母上(ははうえ)も、そして抗(こう)も――あなたに託(たく)しております」

 陸遜は静(しず)かに頷(うなず)きました。戦場(せんじょう)では剣(つるぎ)を、家(いえ)では言葉(ことば)を。すべては、呉(ご)の未来(みらい)のために。

「承知(しょうち)しました。私は、この家(いえ)と、この国(くに)を背負(せお)って立(た)ちましょう。父上(ちちうえ)の意志(いし)と、あなたの信(しん)を受(う)けて」

 その夜(よる)、灯(あか)りのともる座敷(ざしき)には、家族三人(かぞくさんにん)の笑(わら)い声(ごえ)が響(ひび)いておりました。それは、嵐(あらし)の中(なか)にも絶(た)えぬ、確(たし)かな光(ひかり)でございました。



228年(こうぶねん):黄武七年(こうぶしちねん)。

 陸遜(りくそん)は戦(いくさ)から帰還(きかん)し、建業(けんぎょう)の邸宅(ていたく)にて、妻(つま)が用意(ようい)した料理(りょうり)を前(まえ)に座(すわ)っていた。疲(つか)れた表情(ひょうじょう)を浮(う)かべつつも、香(かお)り豊(ゆた)かな料理(りょうり)を口(くち)に運(はこ)ぶと、その旨(うま)さに心(こころ)がほっとする。

「今日(きょう)の料理(りょうり)も素晴(すば)らしいですね、まさに戦(いくさ)の疲(つか)れが癒(いや)されます」

 妻(つま)は微笑(ほほえ)んで、軽(かる)く首(くび)をかしげる。

「お気(き)に召(め)していただけて何(なに)よりです。ところで、戦(いくさ)で得(え)た知識(ちしき)が少(すこ)しは役立(やくだ)ちましたか?」

「ふむ、戦(いくさ)のことばかり考(かんが)えていたが、そういえば食事(しょくじ)のことも考(かんが)えるべきだな。魏(ぎ)の庶民(しょみん)はどうしても粗食(そしょく)が多(おお)い。特(とく)に西北(せいほく)の方(ほう)では、主食(しゅしょく)は粟(あわ)や大麦(おおむぎ)、それに豚肉(とんにく)や干(ほ)し魚(ざかな)がメインになる。しかし、戦争(せんそう)で物資(ぶっし)が不足(ふそく)している時期(じき)が長(なが)く続(つづ)くと、ひたすら粟(あわ)の粥(おかゆ)ばかりになったりするのだ」

「それは辛(つら)そうですね…でも、きっと大切(たいせつ)な食材(しょくざい)があるのでしょう?」

「もちろんだ。長江(ちょうこう)を挟(はさ)んで呉(ご)の食文化(しょくぶんか)はずいぶん異(こと)なる。呉(ご)では、主(おも)に米(こめ)が食(た)べられるのだが、そこでも地域差(ちいきさ)がある。例えば、江南(こうなん)では魚介類(ぎょかいるい)が豊富(ほうふ)で、焼(や)き魚(ざかな)や干(ほ)し魚(ざかな)、海藻(かいそう)を使(つか)った料理(りょうり)が定番(ていばん)だ。それに、新鮮(しんせん)な野菜(やさい)をふんだんに使(つか)った料理(りょうり)が、庶民(しょみん)には嬉(うれ)しいものだろう」

 妻(つま)は頷(うなず)きながら、テーブルの上(うえ)の料理(りょうり)を少(すこ)し整(ととの)えた。

「呉(ご)では、これらが食生活(しょくせいかつ)の中核(ちゅうかく)なのですね。それに比(くら)べて蜀(しょく)の食生活(しょくせいかつ)はどうですか?」

「蜀(しょく)は、山(やま)が多(おお)いため、農業(のうぎょう)に適(てき)した土地(とち)が限(かぎ)られている。だからこそ、蜀(しょく)の庶民(しょみん)は特(とく)に野菜(やさい)を大事(だいじ)にしているが、肉(にく)を手(て)に入(い)れることが少(すく)ないのが現実(げんじつ)だ。蜀(しょく)では、豆腐(とうふ)や野菜(やさい)を中心(ちゅうしん)に、米(こめ)を多(おお)く使(つか)った料理(りょうり)が多(おお)い。また、四川(しせん)地方(ちほう)特有(とくゆう)の辛味(からみ)を効(き)かせた料理(りょうり)が好(す)まれているため、香辛料(こうしんりょう)の使用(しよう)も多(おお)いな。唐辛子(とうがらし)や花椒(かしょう)をたっぷり使(つか)った料理(りょうり)が一般的(いっぱんてき)だ」

「辛(から)い料理(りょうり)が好(す)まれているのですね…まさに地元(じもと)の気候(きこう)に適(てき)した食材(しょくざい)です」

「その通(とお)りだ。蜀(しょく)は戦場(せんじょう)で食事(しょくじ)が限(かぎ)られることも多(おお)いから、庶民(しょみん)は食材(しょくざい)を工夫(くふう)して食(た)べ物(もの)を無駄(むだ)にしないようにしている。だが、どこの地域(ちいき)でも、人々(ひとびと)は工夫(くふう)を重(かさ)ねて、毎日(まいにち)の生活(せいかつ)をしっかりと支(ささ)えている。私(わたし)たち呉(ご)でも、何(なに)か食材(しょくざい)に不自由(ふじゆう)すれば、その土地(とち)の特色(とくしょく)を生(い)かして食事(しょくじ)を整(ととの)える。何(なに)より、食事(しょくじ)が心(こころ)を豊(ゆた)かにするからな」

 妻(つま)は満足(まんぞく)げに笑(わら)った。

「戦(いくさ)を終(お)え、あなたが帰(かえ)ってきてくれて本当(ほんとう)にうれしいです。少(すこ)しでも元気(げんき)が出(で)るような料理(りょうり)を作(つく)ったつもりですが、少(すこ)しでも役(やく)に立(た)ったなら、何(なに)よりです」

「あなたの料理(りょうり)は、何(なに)より私(わたし)にとって最高(さいこう)のものだよ」

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