呉視点三国志:孫堅の章③
184年:中平元年
「……なるほど。黄色い頭巾か」
孫堅は、戦場に出る前に敵兵の姿を描いた絵巻を見下ろし、わずかに口元をほころばせた。
「皇帝だけが使える聖なる色を、よもや賊徒が身につけるとはな。挑戦的だ……いや、滑稽でもある」
だが次の瞬間、その眼が鋭く光った。
「……ならば、俺は赤を選ぼう。炎のごとき忠義と、血のような決意を纏ってみせる」
こうして、孫堅は赤い頭巾を身につけるようになった。
戦場でひときわ目立つその姿は、やがて「赤き将」として知られるようになる。
黄巾の乱が勃発すると、孫堅は朱儁の配下に加えられた。
朱儁――字は公偉。
貧しい出自ながら清廉で正義感にあふれ、士民からの信望も厚い将であった。
「孫堅。おぬしに任せたい戦がある。汝南、そして潁川……その地に、反乱の火種が残っている」
「承知!」
朱儁は、孫堅を信頼していた。
孫堅は、その期待に応え、各地で黄巾賊を破っていく。
そしてついに、彼の名を一躍天下に知らしめることとなる戦がやってくる。――宛城攻略戦である。
夜のとばりが下りる頃、宛城は炎に包まれていた。
黒煙が天を覆い、黄巾軍の鬨の声が渦巻く。官軍の士気は沈みきっていた。
「……もう無理です……あの火の中へ突っ込むなど、正気の沙汰では……」
誰かがそう呟いた、その時――。
「我に続けい!!」
雷鳴のような雄叫びが響きわたった。
見ると、真紅の頭巾をつけた孫堅が、馬を駆り単騎で城門へ向かっていた。
赤き烈火のごときその姿に、兵たちは息を呑んだ。
「うおおおおっ!!」
孫堅は愛剣を振るい、敵陣へと突入する。
その剣は唸りをあげ、斬るたびに火花を散らす。
一太刀、また一太刀。
敵兵をなぎ倒しながら、城門の階段を駆け上がる。
「止めろ! 奴を止めろ!!」
黄巾軍の守将は叫ぶが、もはや遅い。
孫堅は疾風のごとく、あらゆる障壁を蹴散らして進む。
その姿に、官軍の兵士たちが呼応した。
「孫堅将軍に続け!!」
堰を切ったように兵がなだれ込み、赤い奔流が城内へと流れ込む。
184年:中平元年
孫堅は城壁の上に、真っ先に立っていた。
赤い頭巾が風になびき、剣を掲げる姿は、まさに戦神のごとし。
「勝ったぞ! 宛城は陥ちた!」
歓声が大地を揺らし、黄巾賊は蜘蛛の子を散らすように逃げ出しました。
この戦で孫堅は、官軍の中でも際立った功績をあげ、「別部司馬」に任じられました。
それは、自らの軍勢を率いることを許された、名誉ある地位でした。
だが、華やかな武勲の陰には、深い傷も残されました。
『呉書』によれば、西華の戦いで孫堅は重傷を負ったとも記されています。
「命知らずの赤き将――孫堅」
その異名は、瞬く間に華夏の地を駆け抜けました。
猛将と呼ばれ、乱世に現れた英雄として、人々の記憶に深く刻まれていきます。
だがそれは、まだ序章に過ぎませんでした。
彼の赤い頭巾が、次に血煙を舞わせるのは――董卓の出現と、さらなる動乱の時代です。
189年:中平六年
宛城での激戦を終えた孫堅は、ついに長沙の地に足を踏み入れました。後漢末期、傷ついた地に吹く一陣の風のように、孫堅はその地を治めるべく赴任します。長沙太守代理という職に就くこととなり、実質的な太守となったのです。
「これが長沙か……」
孫堅は目の前に広がる荒れた景色をじっと見つめました。黄巾の乱の傷跡が生々しく、風の音がその土地の過去を物語るようでした。
孫堅はすぐに、共に戦った武将たちを集めました。
程普、黄蓋、韓当、祖茂、そして朱治。彼らは、孫堅が黄巾党を討伐した頃から共に戦ってきた面々であり、いずれも信頼のおける部下たちでした。
「皆、よく集まってくれた。これから長沙を治めるのだが、この地にはまだ多くの問題が残っている」
孫堅の声は、冷徹でありながらも心に響くものがありました。
程普が一歩前に進み、口を開きました。
「長沙は黄巾の乱で荒れ果てているようでひどいもんですな。まずこの土地の復興が急務ですな」
「その通りだ、程普。」
孫堅はうなずき、続けます。
「だが、復興だけでは足りぬ。この地を守る力を持たねば、また乱が起きるかもしれん。」
黄蓋が顔をしかめながら言いました。
「それに、山賊も根強く残っている。南方の山間部には、未だに不穏な動きがあるとの情報もあります。困りましたな。ガハハ」
韓当がすっと歩み寄り、控えめに言います。
「ならば、山賊の討伐も私が放つ矢のように早急に行うべきです。今こそ、その力を見せつける時です」
朱治は、周囲の議論を静かに聞いていましたが、ふと忙しなく口を開きました。
「食糧や医療、復興の支援を急がねばなりませんよね。手配しておきます。」
祖茂が声を張りました。
「お!街が復興したら。オイシイ獲物になりますよね。反乱者は、それを狙って再び姿を現すでしょうから。そこをやっつけましょう。ふふふ」
孫堅はみんなの顔を見渡しながら、うなずきました。
「よし。皆の意見を参考にし、この長沙を治めるために全力を尽くそう」
孫堅は長沙郡を視察し、早速手を打ちました。
その日、彼は自ら騎馬に乗り、長沙郡内を巡ることに決めました。風が彼の赤い頭巾を揺らし、背中の剣が輝きを放つ。
程普が歩み寄り、言います。
「将軍、街中は治安が悪いようですな。危険な真似をなさらないでください。まずは長たちと協議を」
孫堅は、程普の心配を一笑に付し、答えました。
「いや、私はこの目で見なければならぬ。この目で、民がどれほどの苦しみを味わっているか、そしてどれほどの努力が必要かをな」
その言葉に、周りの将たちは一瞬、言葉を失いました。孫堅の覚悟を感じ取ったからです。
「分かりました。ならば、私も同行させていただきます。イヤなどとは言わせませんぞ」
程普は覚悟を決め、孫堅に付き添います。
長沙郡内を巡った後、孫堅は一つのことに気がつきました。
町の中心部から外れたあたりに、山賊の影がちらほらと見え始めていたのです。
「見たか、程普。あのものたちの動き。"賊"だぞ!すぐに手を打たねば、また不穏な事態になる」
孫堅は鋭い目つきで、山の中を見つめていました。
程普もその目線を追い、しばらく黙っていましたが、口を開きました。
「確かに、あれはただの賊ではありません。ログでもない。すぐに対処すべきですな」
「分かっている。しかし、急ぐべきだ。すぐに戦を挑むぞ!」
孫堅はその場で指示を出し、兵士たちを整列させました。
その夜、孫堅の軍は山賊の拠点を急襲しました。
風を切る馬の足音が、闇夜に響き渡ります。
「進め! 突撃だ!」
孫堅の声が、風を裂くように響き渡る。
赤い頭巾を揺らしながら、孫堅は敵陣に突っ込んでいきました。
愛剣を握りしめ、敵の陣形を一気に崩し、馬を駆け抜けさせます。
「お前らの時代は終わった! 我が軍の前に、立ち止まることは許されん!」
その声と共に、戦が始まりました。
孫堅の剣が火花を散らし、敵の兵士が次々と倒れました。
程普や黄蓋、韓当も続き、一斉に山賊を打ち倒します。
息を呑むほどの激戦が繰り広げられ、ついには山賊の拠点は制圧されました。
戦後、孫堅はその戦果を確認し、再び長沙の復興に邁進しました。
「これで一つ、山賊の脅威を排除できた。しかし、まだまだ道は険しい」
孫堅の目には、決して油断することなく、次の課題が映し出されていました。
程普が近寄り、しみじみと告げました。
「将軍、今日は勝ちましたが。明日はなんとも言えませぬな。これからが本当の戦いです」
孫堅は静かにうなずき、遠くの山々を見渡しました。
「そうだな、程普。この地を支配し、乱れを鎮めるのが私の使命だ」
そして、彼の目には新たな決意が宿っていました。
189年:中平六年
長沙では、盗賊が跳梁跋扈し、民が明日をも知れぬ不安に震えていました。黄巾の乱の荒廃で治安の悪化が激しかったのです。孫堅は静かに、しかし着実に動き始めます。
まず、徹底的な情報収集。自ら駿馬を駆り、夜の闇に紛れて村々を巡視し、苦しむ民の声に耳を傾けます。そこで見たのは、希望を失った人々の瞳、奪われた富、荒れ果てた田畑……。孫堅の胸には、抑えきれぬ怒りの炎が燃え上がります。
「この惨状、断じて許せぬ!」
孫堅は、精鋭の兵を招集し、電光石火の速さで行動を開始します。夜明けを待たず、最初の標的である巨大な盗賊団の根城を急襲します。第一陣は祖茂と共に孫堅自らが努めます。第二陣を率いる程普と黄蓋は不満を漏らします。
「総大将である文台殿が先陣を切るのは危険が過ぎます。我々にその任務を任せて下さい」
しかし、孫堅は首を縦には振りません。
「総大将が最前列で危険な目に遭うからこそ兵士たちはついてくるのだ。」と言うと
「さあ、俺についてこい!」と叫びます。
鬨の声が上がるや否や、孫堅は先頭に立ち、愛用の剣を振るいます。その剣速は疾風の如く、敵は次々と斬り伏せられていきます。抵抗する間もなく、盗賊団は塵芥と化すのです。
その勢いは留まるところを知りません。孫堅は、飢えた狼が獲物を追いかけるが如く、次々と現れる盗賊団を屠っていきます。その采配は大胆でありながらも緻密でした。
敵の意表を突き、決して油断を見せません。一報を受けて集結した賊たちは、孫堅の圧倒的な武力の前に、戦意を喪失し、阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げるのです。
ある日、数百の賊が長沙の城門に押し寄せました。賊の頭目は区星という人物です。区星の軍団は、近隣の桂陽郡や零陵郡にも勢力を拡大していました。
城内の兵士たちが恐怖に顔を歪める中、孫堅はたった一人、悠然と門扉を開け放ちます。
「我こそは孫文台!命惜しければ、今すぐ退け!」
その一喝は、雷霆の如く響き渡ります。賊たちはその威圧感に一瞬動きを止めます。その隙を見逃さず、孫堅は一気に斬り込みました。素早く程普と黄蓋が後に続きます。慌てて飛び出してきた韓当の弓箭兵が矢を掃射して援護します。
孫堅の神業のような剣舞は、敵の包囲網を切り裂き、首魁の首を刎ねると、残りの賊たちは我先にと逃げ散ったのです。長沙太守孫堅軍の圧勝でした。孫堅は愛剣をひと払いして、ついた血を飛ばします。
しかし、孫堅の偉業は、単なる武力による鎮圧に留まりません。彼は、戦火で疲弊した民を深く憐れみ、食料や薬を分け与え、荒れた土地の復興を力強く後押ししました。その温かい心遣いは、民の心を捉え、孫堅は恐るべき武将としてだけでなく、慈愛深き太守として、深く敬愛されるようになるのです。
かくして、孫堅は、その卓越した軍事的手腕と、民への深い愛情によって、瞬く間に長沙の治安を回復させました。その名は天下に轟き、誰もが孫堅の武勇と仁徳を語り継ぐようになったと言われています。長沙の地に、ようやく平和の陽光が射し込んだのは、孫堅の疾風の如き活躍があったからこそなのです。