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呉視点三国志:周瑜の章⑥

208年:建安(けんあん)十三年

赤壁(せきへき)の戦いがいよいよ迫る中、呉(ご)の陣営は緊張感に包まれておりました。周瑜(しゅうゆ)は戦略家としての名声を賭けて、決戦の準備を進めております。その傍らで、魯粛(ろしゅく)は冷静に状況を見守りつつも、重要な役割を担っておりました。

「周将軍(しゅうしょうぐん)、もう準備は整いました。あとは、風を待つのみです。」

魯粛(ろしゅく)は、手にした戦略書を閉じながら申し上げました。

「そうだな、魯粛(ろしゅく)。だが、風向き一つで勝敗が決まる戦だ。私の計算が外れれば、全てが無駄になる。」

周瑜(しゅうゆ)は鋭い眼差しで遠くの海を見つめておりました。

「それも戦でございます。私も戦に命を賭けた身でございますので、今は信じるのみでございます。」

魯粛(ろしゅく)は淡々とした口調でお答え申し上げました。

一方、黄蓋(こうがい)は、周瑜(しゅうゆ)の命令を受け、火攻(ひぜ)めの準備を整えておりました。彼の手には、火を灯すための矢が握られておりました。

「これが成功すれば、曹操(そうそう)の大船団は一巻の終わりでございます。」

黄蓋(こうがい)は小舟に乗り込む前に、周瑜(しゅうゆ)に向かって申し上げました。

「黄蓋(こうがい)殿(どの)、私の命令であろうと、あなたが命を賭ける覚悟に変わりはございません。この戦が終われば、あなたの名は永遠に語り継がれることでしょう。」

周瑜(しゅうゆ)は目を細め、黄蓋(こうがい)を見送っておりました。

「それでこそ、私が命を捧げる価値がございます。」

黄蓋(こうがい)は一瞬の沈黙の後、深く息を吸い込んでおりました。

戦が始まると、呉(ご)の水軍(すいぐん)は巧妙に曹操(そうそう)の船団に接近し、黄蓋(こうがい)が火矢(ほや)を放ちました。炎が広がる中、曹操軍(そうそうぐん)の船が次々と炎に包まれていきました。

「これが、呉の力でございます!」

周瑜(しゅうゆ)は剣を振り上げ、声を上げました。

その時、甘寧(かんねい)が呉軍の先鋒(せんぽう)として一気に突進してきました。大きな戦斧(いくさおの)を握りしめ、激しい風を切って駆けるその姿は、まさに戦場の鬼神(きしん)のようでございました。

「周将軍(しゅうしょうぐん)、火攻めの効果が出ましたが、曹操(そうそう)は必ず反撃してくるでございましょう。私がその間隙(かんげき)を突きます!」

甘寧(かんねい)はその目に猛々しい光を宿し、周瑜(しゅうゆ)の前に現れました。

「甘寧(かんねい)殿(どの)、頼もしい限りでございます。」

周瑜(しゅうゆ)はしっかりと甘寧(かんねい)の目を見つめ、力強く申し上げました。「行ってください。戦場で勝利を掴んでください!」

「了解でございます!」

甘寧(かんねい)は返事とともに、一気に呉軍の戦線を突破していきました。

その後、甘寧(かんねい)は曹操軍の退路(たいろ)を封じ込めるため、巧妙にその隙間(すきま)を突き、敵軍(てきぐん)の船を次々と沈めていきました。その速さと豪快さに、味方(みかた)の士気(しき)も高まるばかりでございました。

「甘寧(かんねい)殿(どの)、素晴らしい動きでございます!」

韓当(かんとう)はその戦いっぷりに目を見張り、叫び声を上げました。

「ふん、戦はただの力比べではございません。速さと判断力(はんだんりょく)が肝心(かんしん)でございます。」

甘寧(かんねい)は冷静に返答しつつも、手を休めることはございませんでした。

「見ろ、敵の艦隊(かんたい)が崩れ始めたぞ!」

魯粛(ろしゅく)は状況を見て、満足げに申し上げました。

「これで我々の勝利が確定(かくてい)したのでございます。」

一方、呂蒙(りょもう)は戦場で奮闘(ふんとう)しておりました。彼の指揮(しき)のもと、呉軍の陣地(じんち)は堅固(けんご)に守られ、曹操軍の猛攻(もうこう)にも耐え抜いておりました。

「呂蒙(りょもう)殿(どの)、素晴らしい戦いっぷりでございます!」

韓当(かんとう)は彼のもとに駆け寄り、笑顔で声をかけました。

「それほどでもございません。しかし、今は戦況(せんきょう)が有利(ゆうり)でございます。周瑜(しゅうゆ)将軍(しょうぐん)があれだけの戦略(せんりゃく)を立てたのでございますから、我々がそれに応え(こたえ)るのは当然(とうぜん)でございます。」

呂蒙(りょもう)は冷静にお答えしながら、前線(ぜんせん)に目を向けました。

さらに、韓当(かんとう)は弓術(きゅうじゅつ)の腕(うで)を活かし、水戦(すいせん)でもその名を馳せておりました。弓を引き、曹操軍の船に的確(てきかく)に矢を放つたび、彼の名声(めいせい)はさらに高まっていきました。

「韓当(かんとう)殿(どの)、見事(みごと)な腕前(うでまえ)でございます!これで敵の士気(しき)も削(そ)がれることでしょう。」

魯粛(ろしゅく)は戦の進行(しんこう)を見守りつつ、笑みを浮かべて申し上げました。

「へっ、当たり前でございますぞ。しかし、まだ終わっておりません。私の矢(や)が突き刺さるのは、敵の心(こころ)でございます。」

韓当(かんとう)は矢を放ちながら、闘志(とうし)を燃やしておりました。

戦が進む中、呉軍は曹操軍に圧倒的(あっとうてき)な勝利(しょうり)を収め、赤壁(せきへき)の戦いは呉の歴史に刻まれる大勝利(だいしょうり)となったのでございます。

「勝ったな。」

周瑜(しゅうゆ)は静かに呟き、陣地(じんち)を見渡しました。

「ええ、しかし、これは始まりに過ぎません。」

魯粛(ろしゅく)は冷静にお答え申し上げました。

戦の後、周瑜(しゅうゆ)は呉(ご)の勢力(せいりょく)をさらに強化(きょうか)するため、引き続き戦後処理(せんごしょり)に尽力(じんりょく)し、孫権(そんけん)と劉備(りゅうび)の同盟(どうめい)を盤石(ばんじゃく)にしていきました。

「今こそ、我が呉(ご)の未来(みらい)が開けた瞬間(しゅんかん)でございます。」

周瑜(しゅうゆ)は満足げに申し上げました。

「ただ、次の戦いを見据(みす)えなければ、また曹操(そうそう)に狙われることでしょう。」

魯粛(ろしゅく)は慎重(しんちょう)に言葉を続けました。

その言葉を胸に、呉軍は次なる戦いへの準備(じゅんび)を進めていったのでございます。



208年:建安(けんあん)十三年

赤壁(せきへき)の戦いから数日が経ち、呉(ご)の陣営は勝利の余韻に浸っておりました。孫権(そんけん)様は、部下たちが見せた奮闘に対して感謝の意を表すべく、集まった武将たちに褒美を与えようとしておりました。

「周将軍(しゅうしょうぐん)、黄蓋(こうがい)殿(どの)、呂蒙(りょもう)殿(どの)、そして甘寧(かんねい)殿(どの)。貴公(きこう)らの働きは素晴らしかった。」孫権(そんけん)様はその場に集まった武将たちを見回しながら、深く頭を下げました。

「謙遜(けんそん)を。」

周瑜(しゅうゆ)様は一歩前に出て、微笑(びしょう)を浮かべながらおっしゃいました。

「勝利は皆で得たものでございます。それに、まだ次の戦いが控えております。」

「そうでございますな。」孫権(そんけん)様は頷き、そして目を甘寧(かんねい)殿(どの)に向けました。「甘寧(かんねい)殿(どの)、お前の活躍も見事でございました。これからの呉(ご)にとって、貴公(きこう)の力は欠かせません。」

その言葉に甘寧(かんねい)殿(どの)は微かに笑みを浮かべましたが、隣に立つ凌統(りょうとう)殿(どの)の表情は硬く、何とも言えぬ不満(ふまん)を感じさせました。

「甘寧(かんねい)め…。」凌統(りょうとう)殿(どの)は小声で呟くと、腕を組んで横を向きました。

「凌統(りょうとう)殿(どの)、貴公(きこう)の目は少し厳しすぎるのでは?」

周瑜(しゅうゆ)様が冷静に問いかけると、凌統(りょうとう)殿(どの)は不満(ふまん)そうに答えました。

「父(ちち)の敵(かたき)でございます。どうしてもあの男(おとこ)には納得(なっとく)がいきません。」凌統(りょうとう)殿(どの)は甘寧(かんねい)殿(どの)の方(ほう)を睨(にら)みながらおっしゃいました。

「だが、戦場(せんじょう)においては結果(けっか)が全てでございます。」

周瑜(しゅうゆ)様はさらりと返しました。

「彼(かれ)の武勇(ぶゆう)がなければ、我々(われわれ)の勝利(しょうり)もなかったことでしょう。」

凌統(りょうとう)殿(どの)は一度黙(だま)ったものの、しばらくしてから目(め)を伏(ふ)せました。彼(かれ)の心中(しんちゅう)は複雑(ふくざつ)でございますが、戦い(たたかい)の現実(げんじつ)を直視(ちょくし)せざるを得ませんでした。

その後(のち)、呉軍(ごぐん)は曹操(そうそう)軍(ぐん)を見事(みごと)に追い払ったことで、旧(きゅう)劉表(りゅうひょう)の領地(りょうち)である荊州(けいしゅう)の東側(ひがしがわ)を手に入れることとなりました。しかし、その荊州(けいしゅう)の西側(にしがわ)は、同盟(どうめい)を結んだ劉備(りゅうび)軍(ぐん)によって占拠(せんきょ)されてしまいました。

「これで荊州(けいしゅう)が完全(かんぜん)に手に入ったわけではございません。」

孫権(そんけん)様は険(けわ)しい表情(ひょうじょう)でおっしゃいました。

「あの劉備(りゅうび)が西側(にしがわ)を押(お)さえたことで、呉(ご)と劉備(りゅうび)の間(あいだ)に微妙(びみょう)な距離(きょり)が生(う)まれてしまいました。」

「それが問題(もんだい)でございます。」

魯粛(ろしゅく)様は冷静(れいせい)に分析(ぶんせき)されました。「今後(こんご)、劉備(りゅうび)と我々(われわれ)の間(あいだ)に不安定(ふあんてい)な関係(かんけい)が続けば、協力(きょうりょく)し合うのは難(むずか)しくなります。」

「だが、彼(かれ)との対立(たいりつ)を防(ふせ)ぐ方法(ほうほう)がございます。」

魯粛(ろしゅく)様は一息(ひといき)つくと、ふと閃(ひらめ)いたように目(め)を細(ほそ)められました。

「妹君(いもうとぎみ)の孫尚香(そんしょうこう)様を劉備(りゅうび)に嫁(とつ)がせるのはどうでしょうか?」

「え?」

孫権(そんけん)様は驚(おどろ)きの表情(ひょうじょう)を浮かべました。

「妹(いもうと)を…?それは、政略(せいりゃく)結婚(けっこん)ということでしょうか?」

「その通りでございます。」

魯粛(ろしゅく)様は自信(じしん)満々(まんまん)におっしゃいました。

「もし孫尚香(そんしょうこう)様が劉備(りゅうび)の妻(つま)となれば、二人(ふたり)の間(あいだ)には切(き)っても切(き)れない繋(つな)がりが生(う)まれます。そうすれば、今後(こんご)の争(あらそ)いを防(ふせ)げることでしょう。」

孫権(そんけん)様は少(すこ)し考(かんが)え込み、そして決意(けつい)を固(かた)めたように頷(うなず)きました。

「よし、その案(あん)を採用(さいよう)しよう」

そのころ、周瑜(しゅうゆ)様は、赤壁(せきへき)の戦いでの勝利(しょうり)を手にして呉(ご)の勢力(せいりょく)を拡大(かくだい)するため、さらに計画(けいかく)を練(ね)っておりました。

「呉(ご)はここで終(お)わらせるわけにはいきません。」

周瑜(しゅうゆ)様は深(ふか)く息(いき)を吸(す)い込みながら、目(め)を鋭(するど)くされました。

「次(つぎ)は、曹操(そうそう)の領土(りょうど)に攻(せ)め込(こ)む時(とき)でございます。呉(ご)による天下(てんか)統一(とういつ)を果(は)たすために、戦(たたか)いの準備(じゅんび)を整(ととの)えなければなりません。」

「その通りでございます。」

魯粛(ろしゅく)様は周瑜(しゅうゆ)様の決意(けつい)を受(うけ)て、冷静(れいせい)にお答(こた)えしました。

「私たちは一丸(いちがん)となって、次(つぎ)なる戦(いくさ)を戦(たたか)うべきでございます。」



209年:建安(けんあん)十四年

 劉備(りゅうび)は、ついに孫尚香(そんしょうこう)との婚姻(こんいん)を決めました。孫尚香(そんしょうこう)は、その美貌(びぼう)だけでなく、非常(ひじょう)に勇敢(ゆうかん)で男勝り(おとこまさり)な女性(じょせい)でした。武芸(ぶげい)に長け、侍女(さむらいじょ)たちにも武装(ぶそう)させて身辺(しんぺん)警護(けいご)を命じるほどの胆力(たんりょく)を持っていたと伝えられています。その姿(すがた)は、まさに女武将(おんなぶしょう)そのものであり、男性(だんせい)に混じって戦場(せんじょう)を駆け抜けることもありました。

 劉備(りゅうび)は、孫権(そんけん)との同盟(どうめい)を強化(きょうか)するため、この婚姻(こんいん)を結ぶことを決めました。しかし、孫尚香(そんしょうこう)の気(き)が強い性格(せいかく)に、後(のち)の心配(しんぱい)が絶えませんでした。特に、劉備(りゅうび)の側近(そっきん)たちは頭(あたま)を抱(かか)えていました。関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)は、ひそかに顔(かお)を見合わせながらも、口(くち)に出さずに心(こころ)の中(なか)で思(おも)っていたのです。

「どうする、雲長(うんちょう)兄貴(あにき)?」と張飛(ちょうひ)が口(くち)を開(ひら)きました。「この女(おんな)、まるで男(おとこ)みたいだな。俺(おれ)たちの姉者(あねじゃ)とは、とても思(おも)えん。」

「ふん、男(おとこ)のような姉さんだ」と関羽(かんう)が答(こた)えました。

「彼女(かのじょ)の剣(けん)の腕前(うでまえ)は、見事(みごと)なものだ。だが、その気性(きしょう)の荒(あら)さは、どうにも困(こま)ったものだな。」

「それにしても、あの玄徳(げんとく)兄(あに)が、どうしてあの女(おんな)のワガママを受け入れているのか、理解(りかい)できない。」

張飛(ちょうひ)は思わずため息(ためいき)をつきました。「それもまた、劉備(りゅうび)らしいが…」

 そのとき、静(しず)かに立(た)ち上がった諸葛亮(しょかつりょう)が口(くち)を開(ひら)きました。

「皆(みんな)の言(い)う通(とお)り、孫尚香(そんしょうこう)様(さま)はなかなか扱(あつか)いにくい。しかし、この婚姻(こんいん)がもたらす効果(こうか)は大(おお)きい。皆様(みなさま)長(なが)い目(め)で見(み)ましょう。」

「しかし、オレの女房(にょうぼう)ならひっぱたくところだぜぇ」

張飛(ちょうひ)はしばし黙(だま)ってから、再(ふたた)び口(くち)を開(ひら)きました。

「わかっているが、玄徳(げんとく)兄者(あにじゃ)が気(き)の毒(どく)でよぅ」

諸葛亮(しょかつりょう)は微笑(びしょう)んで言(い)いました。

「我(わ)が君(きみ)は、どんなじゃじゃ馬(うま)でも乗(の)りこなすお方(かた)です。それは馬(うま)だけではありませんよ。」

「ウマいこというじゃねえか。軍師度(ぐんしど)の」

そうこうしているうちに、劉備(りゅうび)と孫尚香(そんしょうこう)の婚礼(こんれい)が近(ちか)づいてきました。孫尚香(そんしょうこう)の強気(つよき)な性格(せいかく)が見え隠れ(かくれ)する一方(いっぽう)で、劉備(りゅうび)は彼女(かのじょ)に対(たい)し、温(あたた)かい心(こころ)で接(せっ)していました。彼(かれ)は、彼女(かのじょ)の気(き)の強さを一(ひと)つの魅力(みりょく)として受け入れ、共(とも)に歩む決意(けつい)を固(かた)めたのでした。

その後(ご)、孫尚香(そんしょうこう)は、劉備(りゅうび)の元(もと)での生活(せいかつ)が始(はじ)まりましたが、彼女(かのじょ)の気性(きしょう)の激(はげ)しさとワガママは、周囲(しゅうい)に少(すこ)なからず波紋(はもん)を広(ひろ)げることになりました。それでも、劉備(りゅうび)はその全(すべ)てを受け止(と)め、穏(おだ)やかに対応(たいおう)するのでした。その姿(すがた)を見(み)て、関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)は、ますます頭(あたま)を抱(かか)えながらも、劉備(りゅうび)陣営(じんえい)を振(ふ)り回(まわ)したのでした。



209年:建安(けんあん)十四年

三国時代(さんごくじだい)(208年)の中国(ちゅうごく)における婚姻(こんいん)、夫婦(ふうふ)の別姓(べっせい)、一夫多妻制(いっぷたさいせい)について解説(かいせつ)します。

1. この時代(じだい)の婚姻(こんいん)の方法(ほうほう)

 三国時代(さんごくじだい)の婚姻(こんいん)は、個人(こじん)の自由(じゆう)な意志(いし)よりも家族(かぞく)や社会(しゃかい)の意向(いこう)が強(つよ)く影響(えいきょう)しました。婚姻(こんいん)は通常(つうじょう)、家族(かぞく)同士(どうし)の合意(ごうい)や政治的(せいじてき)な理由(りゆう)で決定(けってい)されることが多(おお)く、特(とく)に有力者(ゆうりょくしゃ)の間(あいだ)では、血縁(けつえん)や政治的(せいじてき)な結びつきが重視(じゅうし)されました。婚礼(こんれい)の儀式(ぎしき)は儒教(じゅきょう)の教義(きょうぎ)に基づき、礼節(れいせつ)を守(まも)ることが強調(きょうちょう)されました。結納(ゆいのう)や贈り物(おくりもの)の交換(こうかん)、正式(せいしき)な誓約(せいやく)を経(へ)て、結婚(けっこん)が成立(せいりつ)します。

2. 夫婦(ふうふ)の別姓(べっせい)について

 三国時代(さんごくじだい)の中国(ちゅうごく)では、夫婦(ふうふ)は別姓(べっせい)を持(も)つのが一般的(いっぱんてき)でした。妻(つま)は結婚(けっこん)後(ご)も実家(じっか)の姓(せい)を名乗(なの)り続け(つづけ)、夫(おっと)の姓(せい)を使(つか)うことはありませんでした。この考(かんが)え方(かた)は儒教(じゅきょう)の家族観(かぞくかん)に基づいて(もとづいて)おり、家系(かけい)の血統(けっとう)を保(たも)つことが重視(じゅうし)されました。男性(だんせい)が家系(かけい)の継承(けいしょう)を担(にな)い、女性(じょせい)は実家(じっか)との関係(かんけい)を続けるという文化(ぶんか)が根強(ねづよ)く存在(そんざい)しました。

3. 一夫多妻制(いっぷたさいせい)について

 三国時代(さんごくじだい)の一夫多妻制(いっぷたさいせい)は、特(とく)に支配層(しはいそう)や有力者(ゆうりょくしゃ)の間(あいだ)で普及(ふきゅう)していました。権力者(けんりょくしゃ)や貴族(きぞく)は、政治的(せいじてき)・経済的(けいざいてき)な理由(りゆう)で複数(ふくすう)の妻(つま)や側室(そくしつ)を持(も)つことが一般的(いっぱんてき)でした。これは、家系(かけい)の拡大(かくだい)や他家(たけ)との同盟(どうめい)を強化(きょうか)するための手段(しゅだん)として活用(かつよう)され、特(とく)に戦乱(せんらん)の時代(じだい)には重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を果(は)たしました。側室(そくしつ)は正式(せいしき)な妻(つま)より地位(ちい)が低(ひく)いものの、家族(かぞく)内(ない)で一定(いってい)の役割(やくわり)を持(も)つ存在(そんざい)とされました。一般民間(いっぱんみんかん)では、一夫多妻制(いっぷたさいせい)はあまり見(み)られませんでした。

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