呉視点三国志:周瑜の章④
207年:建安十二年
時は建安十三年。中原の覇者・曹操は、北を制し、西を屈し、いよいよ南へと野心を伸ばしておりました。
洛陽の新たな軍営。その中枢である書楼の奥で、地図を睨む男の眼光が鋭く光ります。
「……孫策は死んだか。」
地図の江東の地に、指を這わせながら呟いたその声は、静かでありながら冷徹でした。
曹操です。
天下統一を目前としたこの時、彼の耳に舞い込んできたのは、江東の若き獅子・孫策の死の報せでした。
「やはり、運命とはこちらに微笑むものだ。」
曹操の口元が、ゆっくりと歪みます。
しかし——。
彼の視線は、孫家の名の隣に記されたもう一つの名へと移りました。
周瑜。
その名を目にした瞬間、曹操の笑みが僅かに揺らぎました。
「ふむ……周瑜、か。孫策が死んでも、あの男がいる限り、江東はただの獲物ではないな。」
その言葉は、まるで独り言のようでありながら、明確な警戒を滲ませておりました。
すぐに、彼は扇子を振り、侍従に声をかけます。
「郭嘉、荀彧、荀攸、程昱、賈詡、すべて呼べ。策を練る時だ。」
数刻後、軍師たちが書楼に集います。
その場の空気は、まるで戦そのものでした。硝煙こそ漂わねど、知略と策謀が火花を散らす場。
最初に口を開いたのは、郭嘉です。
「殿。江東は確かに孫策を失いましたが、侮るべきではありません。孫権は若くとも、その背後には周瑜、魯粛といった手練れが控えております。」
曹操は頷きます。
「それは分かっている。だが、孫権が兄ほどの胆力を持っているとは思えん。周瑜一人で国は支えられぬ。」
次に声をあげたのは、冷静沈着な荀彧でした。
「殿。戦を仕掛ける前に、一手ございます。降伏勧告を送るのはいかがかと。」
「ほう……ほうほう、それはまた面白い。」
曹操が身を乗り出します。
荀彧は微笑を浮かべ、続けました。
「孫権は兄の急死により、まだ政を掌握しきっておりませぬ。そこへ大軍が迫ると聞けば、内には動揺が広がりましょう。武力を使わずに膝を屈せられるやもしれませぬ。」
「降伏勧告、か……」
曹操の目が細くなりました。
「無論、それで頭を垂れぬなら、兵を起こすまでよ。舟も兵も、すでに揃っている。」
荀攸が口を挟みました。
「水軍の準備、着々(ちゃくちゃく)と進んでおります。荊州を抜けば、長江を下るは容易。呉は紙の盾にすぎませぬ。」
「だが……」と賈詡が鋭く言います。
「周瑜だけは侮ってはなりませぬ。あの男は、見た目は貴公子、腹の底には火を秘めております。」
曹操はにやりと笑いました。
「その火を、降伏の勧告で試すとしよう。もし燃え上がれば、我が大軍で吹き消すまでよ。」
その言葉に、軍師たちの眼光が一斉に鋭くなりました。
戦いの火蓋が、静かに、しかし確かに切られようとしていました。
江の向こうに広がる呉の大地。その地に、曹操の覇道が迫ります。
207年:建安十二年
荊州の地で、劉備は劉表のもとに身を寄せておりました。失意の中、天下統一の夢を諦めかけていた彼の心に、一筋の光が差したのは、一人の稀代の軍師との出会いによるものです。
ついに劉備は、臥龍と称される諸葛亮孔明を、三顧の礼をもって迎え入れました。三度も粗末な庵を訪ね、ようやく会うことができたのです。
「わたくしのような者に、一体何のご用でしょうか」
静かに問いかける諸葛亮に対し、劉備は熱い思いを込めて語りかけました。
「天下を憂い、民を安んじたい。しかし、わたくしにはその力が及ばぬ。どうか、あなたの知恵をお貸しください!」
その真摯な眼差しに打たれたのでしょう。諸葛亮は静かに口を開きました。
「玄徳様。もしあなたが天下を目指すお気持ちをお持ちならば、わたくしに策がございます。」
そして語られたのが、
「天下三分の計」
でした。荊州と益州を根拠地とし、孫権のいる呉と手を結び、魏に対抗するという壮大な計略です。
「なるほど……孫権殿との同盟か。しかし、あの傲岸な男が、容易にわたくしと手を結ぶとは思えぬ」
劉備が懸念を示すと、諸葛亮は自信に満ちた表情で言いました。
「ご心配には及びません。舌戦をもって、必ずや孫権を説き伏せてみせましょう。」
かくして、天下三分の計を実現するため、諸葛亮は単身、長江を下り、孫権のもとへと向かうことを決意するのでした。彼の胸には、天下を揺るがすであろう、熱い信念が宿っておりました。
208年:建安十三年
長江の水面を、冬の冷たい風が渡っていきます。赤壁の地に立つ周瑜の背には、重く広がる雲と、迫りくる巨影――すなわち、曹操の百余万の軍が迫っておりました。
そのころ、建業の朝堂では、孫権を囲む群臣たちの声が錯綜していました。
「曹操殿はすでに河北、中原を制し、今や南征の準備も万全……」
「これ以上の抗戦は、民を苦しめるだけかと……」
家臣たちの大半は、降伏を口にしておりました。若き主君・孫権は、沈思黙考のまま、周囲の議論に耳を傾けています。
その中、凛として一歩進み出たのが、都督・周瑜でした。
「皆々(みなみな)、気弱なことばかり申すでない!」
その声は風を裂き、堂内を制しました。
「曹操が百万の兵を率いるというは見せかけ。実のところ、兵は精鋭に非ず(あらず)、船も北地の兵士には不慣。かの者の強さは虚勢に過ぎませぬ」
孫権は、ゆっくりと目を細めました。
「周都督……降らずとも勝てると申すか?」
周瑜は口元に微笑を浮かべ、指で空を切りました。
「勝てます。連環の計を用いれば」
そのとき、隅に控えていた一人の男が進み出ました。頭巾を深くかぶり、その目はまるで鋭利な刃のようです。
彼の名は、龐統。その才は世に隠れていましたが、周瑜は早くから彼の軍略に注目しておりました。
「ほう統、そなたの策を披露せよ」
周瑜の促しに、龐統はぴたりと孫権の前に立ちました。
「はい。連環の計とは、敵の戦艦を鎖で繋がせ、機動力を奪う策にございます」
「ふむ……それを、曹操が素直に呑むと思うか?」
孫権の問い(とい)に、龐統はまばたき一つせず答えます。
「私が、自ら曹操殿の陣に赴き、巧みに説き伏せてご覧に入れます」
朝堂がざわめきます。
「自ら敵陣へ!?それでは命が……!」
しかし龐統は、薄く笑いました。
「命のやり取りが常の軍師にとって、敵地に赴くことなど、茶請けの一つに過ぎませぬ」
その軽妙な言葉に、孫権も思わず笑みを洩らしました。
「面白い。では、行ってもらおう。ただし……命は惜しめ。そなたを失うには、惜しすぎる」
周瑜は龐統の肩に手を置きます。
「気をつけよ、龐士元。そなたには、まだまだ大いなる働きを期待しておる」
龐統は軽く頭を下げると、ひらりと袍を翻えし、風のように堂を去りました。その背中には、一つの策が静かに燃えておりました。
――かくして、赤壁に至る道は開かれます。曹操の艦隊はやがて、龐統の囁きによって鎖で繋がれ、周瑜の火計によって燃え上がる運命を迎えるのです。
208年:建安十三年
曹操の大軍が、南方の地へとその進軍を開始しました。その規模は数十万に及び、その威圧感は、すでに呉の陣営に重くのしかかっていました。孫権の元には、降伏を勧める家臣が次々に現れます。だが、ただ一人、周瑜殿は徹底抗戦の姿勢を崩しませんでした。
その時、一人の使者が訪れます。使者の名は、諸葛亮。劉備陣営から派遣された、稀代の政治家であり、知恵の才を誇る人物です。
「私は、劉玄徳様の使者として参りました。」
諸葛亮は、礼儀正しく頭を深々と下げました。その静かな態度は、まさに知恵の象徴のようでした。
「ほう、劉備殿の使者、とな?」
孫権は眉をひそめ、諸葛亮をじっと見つめます。彼の眼差しには、慎重さと警戒心がにじんでいました。
「貴殿は、確か…諸葛瑾殿の弟御と伺っておりますが。」
その言葉に、諸葛亮は穏やかに答えました。
「仰る通りです。兄・諸葛瑾も、微力ながら孫権様にお仕えしております。」
その語調に、孫権は不思議な安心感を覚えました。しかし、戦局が緊迫する中での使者の到来には、やはり疑念を隠せませんでした。
諸葛亮は、その後、呉に滞在し、兄である諸葛瑾の邸宅に身を寄せながら、呉の重臣である魯粛と会談を重ねました。
「遠路はるばる、ご苦労に存じます。」
魯粛は柔和な笑顔で諸葛亮を迎え入れました。彼の穏やかな表情は、いつも通りのものでしたが、目の奥には深い思索の色が見え隠れしています。
「いえ、これも主君の命あってのこと。」
諸葛亮は、真剣な眼差しで魯粛に言いました。
「曹操の大軍を前に、共に手を携える道を探りたいと思っています。」
魯粛は、諸葛亮の真剣さに感じ入った様子で言葉を返します。
「しかし、劉備殿の勢力も、決して大きくはありません。私たちが手を組んだところで、曹操に対抗できるのでしょうか?」
その問いかけに、諸葛亮は一度沈黙した後、静かに語り始めました。
「勢力だけが、戦の勝敗を決めるわけではありません。」
諸葛亮の眼差しは鋭く、確信に満ちていました。
「劉玄徳様は仁義の人。その人徳に心を打たれた者が、必ず集まるはずです。私たちが共に力を合わせれば、必ずや曹操の野望を打ち砕けると信じています。」
その言葉に魯粛は、深く頷きました。諸葛亮の言葉に込められた熱い信念に触れた彼は、これこそが最善の策であると確信し、孫権に進言する決意を固めました。
一方、主戦論を唱える周瑜殿は、劉備との同盟には懐疑的でした。周瑜殿の性格上、彼は簡単に他者と手を結ぶことを良しとしません。
「周瑜殿、今は『敵の敵は味方』と言います。劉備殿と手を結んで、共に曹操に立ち向かうのが得策かと。」
魯粛は、辛抱強く周瑜殿を説得します。
「だが、魯粛殿、劉備は油断ならぬ男だと聞いています。」
周瑜殿は警戒の色を隠しません。
「虎と手を組むようなものではないか、という懸念を抱いています。」
「確かに一理あります。しかし、この危機を乗り越えるためには、なりふり構っていられません。」
魯粛は熱心に言いました。
「それに、諸葛亮という稀代の知恵者もおります。彼らの力を借りるべきです。」
魯粛の言葉に、少しずつ周瑜殿の心が動き始めました。最終的に、周瑜殿は劉備との同盟に同意し、孫権にその必要性を訴えました。
「主君、曹操の大軍を打ち破るには、劉備殿との協力が不可欠です。」
周瑜殿の言葉には強い決意が込められていました。
「彼我の兵力を合わせ、水陸両面から曹操軍を挟撃するのです。」
「周瑜殿、貴殿がそこまで言うのならば…」
孫権は、周瑜殿の熱意に心を動かされ、ついに劉備との連合軍結成を決断します。
こうして、呉と蜀の連合軍が誕生したのです。その結成こそが、後に天下の趨勢を大きく左右することとなり、赤壁の戦いへの壮大な物語の序章となったのでした。
208年:建安十三年
この時点で、曹操、孫権、劉備がそれぞれ支配していた地域は以下の通りです。
1. 曹操の支配地
曹操は、主に北方を支配しており、以下の州を所有していました。
・冀州:冀州は、曹操の拠点である許昌が位置する地域です。冀州は北部に広がる広大な地域で、当時の中国北方の中心的な地方でした。
・豫州:冀州の南に隣接している地域で、河南地方を中心に広がっています。曹操はここを支配し、後の戦いの拠点としました。
・並州:並州は、山西地方に位置し、曹操がこれを支配していました。
・陳留:豫州と隣接し、曹操の軍事的な拠点として重要な役割を果たした地域です。
2. 孫権の支配地
孫権は、南方の江南地域を支配しており、以下の州を所有していました。
・呉州:呉州は、孫権が支配する江南地方の中心的な地域で、現在の江蘇省、浙江省、安徽省に相当します。孫権の都は建業(現在の南京)であり、ここから彼の勢力が拡大しました。
・交州:交州は、現在のベトナム北部を含む地域で、孫権はこの地の支配権も握っていました。交州は、孫権の軍事的な拠点としても重要でした。
3. 劉備の支配地
劉備は、南部と西部にまたがる地域を支配しており、以下の州を所有していました。
・荊州:荊州は、長江流域に広がる広大な地域で、劉備はここを拠点としていた時期です。荊州は後に蜀漢の基盤となる地域であり、劉備はここで勢力を拡大していきました。
・益州:益州は、現在の四川省に相当し、劉備が最終的に拠点とする場所です。しかし、208年時点では劉備は益州を支配していたわけではなく、その後の蜀漢建国において劉備が獲得することになる土地です。




