表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/64

呉視点三国志:孫策の章⑥

196年:建安けんあん元年

 孫策そんさく呉郡ごぐん会稽かいけいを次々に平定し、「小覇王しょうはおう」の異名を天下にとどろかせていたころのことです。

 その軍の中に、ひときわ若く、しかし鋭い光を秘めた瞳の兵が一人おりました。名を呂蒙りょもうと申します。後に「知勇兼備ちゆうけんびの将」として名をせる男でございます。

 彼はまだ十代の後半でございました。出自は高くなく、義兄である呂範りょはんしたがって孫策そんさく軍に従軍じゅうぐんしておりました。

ある日、南方にて反乱の兆しが立ち上りました。孫策そんさくは迅速に鎮圧ちんあつの命を下し、呂範りょはんもまたその任を受けることとなりました。

しかし、兵の数が足りません。

呂蒙りょもう、お前はまだ若い。今回は留守を頼む」

義兄の言葉に、呂蒙りょもうは静かに、しかし力強く首を振りました。

「兄上。私も戦場に出してください。命惜しさに武を学んだのではありません」

その目はまるで炎のようでした。若き情熱が燃え、まっすぐに義兄を射抜いぬいておりました。

呂範りょはんもくして彼の眼差まなざしを受け止め、しばしののち、低く答えました。

「ならば、自らの力であかしを立てよ」

 こうして呂蒙りょもうは、正式な兵籍へいせきにはなくとも、一兵士として戦列せんれつに加わることとなったのです。

 そして――戦いは、激戦げきせんとなりました。

反乱軍は深い林の中に伏兵ふくへいひそませ、周到しゅうとうな策をもって呂範りょはん軍を待ち構えていたのです。突如として矢が飛び交い、四方から敵が現れました。

伏兵ふくへいだっ!囲まれている!」

混乱の声が上がる中、軍は一時、統率とうそつを失いました。

 そのとき、若き呂蒙りょもうが声を張り上げました。

「こっちです!退路を確保かくほします!矢に構わず、下がってください!」

彼は仲間たちをかばいながら、矢の雨をかいくぐって前へ進みます。軽装の身体が風のごとく駆け、敵の中へと飛び込みました。

 鋭い槍がひらめき、敵兵が次々に倒れます。動きは鋭く、速く、そして正確でした。

「な、何者だ!? あの若者……ただ者ではないぞ!」

敵将が思わず叫びました。名も知らぬ若き兵士の姿に、敵味方の視線が釘付くぎづけとなりました。

 呂蒙りょもう孤軍奮闘こぐんふんとうし、敵の動きを断ち切りました。そのすきに味方は体勢を立て直し、再び陣形を整えることに成功します。

やがて呂範りょはん軍は反乱軍を撃破げきはし、見事に鎮圧ちんあつを果たしました。

 戦後、その働きが孫策そんさくに報告されます。

呂蒙りょもう……聞いたことのない名だな」

孫策そんさくは笑みを浮かべ、盃をかたむけながらつぶやきました。

 その傍らで記録を調べていた張昭ちょうしょうが、静かに言葉を添えます。

呂範りょはんの義弟にございます。年若き者にしては、非凡ひぼんの才を見せたとか」

孫策そんさくは顎に手を当て、しばし思案ののち、目を細めて言いました。

「ならば、いずれ試してやろう。江東こうとうには、若き力こそ必要だ」

 こうして呂蒙りょもうは、初めての戦で武功を挙げ、将としての第一歩を踏み出しました。

この時の刃と炎の中で、彼の魂には確かないしずえが築かれていたのです。

 のちに学問を修め、知謀ちぼうを磨いた彼は、「わかれて三日みっかなれば、即ちさら刮目かつもくして相待あいたつべし」と評されるに至ります。

すべての始まりは、この戦いにございました――。



196年:建安元年けんあんがんねん

 大志を胸に抱く若き覇者――孫策そんさくは、父・孫堅そんけんの遺志を継ぎ、江東こうとうへと覇旗を掲げました。齢二十に満たぬ若者の台頭に、世は一笑に付したものです。しかし、孫策そんさくはその笑いを剣で、才で、雷鳴のごとき迅速じんそくな軍略で黙らせていきました。

 その傍らには、いつも一人の男が槍を携え、寡黙に従っておりました。

 ――韓当かんとう

 孫堅そんけんの代から仕える忠臣にして、無骨なる歴戦の猛将であり、特に弓術に優れた男でした。槍の扱いも得意でしたが、その真価は弓を手にしたときに発揮されます。言葉少なく、情も表に出さぬ男でしたが、その背中こそが語っておりました。弓の矢が飛ぶたびに、その忠義は鋼のように強く、戦場せんじょう主君しゅくんを支える柱であり続けたのです。

 風が鳴り、地が震え、戦が始まります。

 韓当かんとうの戦いは静寂から始まり、瞬間、爆ぜるように疾走へと転じます。

全軍ぜんぐん突撃とつげき――!」

 その叫びを号砲ごうほうに、彼は真っ先に敵陣てきじんへと飛び込みました。

 廬江ろこう、そして会稽かいけい――。

 重なる戦の中でも、この地での戦いは苛烈かれつを極めました。韓当かんとうの率いる精鋭部隊せいえいぶたいは、幾度も槍の雨をかいくぐり、敵陣てきじんを突き崩していきました。

 特に彼の弓は、数百の兵を相手にしてもその精確せいかくさと破壊力を持ち、敵将てきしょうたちにとってはまさに恐怖のみなもとでした。遠距離からでも、鋭い弓矢ゆみやは相手の陣形を乱し、敵兵を一網打尽いちもうだじんにしました。

みぎより回り込め! たいを二つに割れ!」

 短く鋭い号令ごうれいに、兵たちは即座そくざ反応はんのうしました。

 斬り伏せ、突き破り、乱れたじんを即座に支えます。

目標もくひょう敵将てきしょう――て!」

 韓当かんとうの槍が閃きました。鋼鉄こうてつ矛先ほこさき真空しんくうを裂き、敵将てきしょうはた穿うがつと、戦場せんじょう空気くうき一変いっぺんします。

 そのとき、兵たちは確かに見たのです。敵を睨み据え、微動びどうだにせぬその背中せなかを。

 韓当かんとうという男は、敵からも味方みかたからも畏れられる“動かぬけん”でございました。

 その活躍の一つに、廬江ろこうの戦いがあります。この戦いにおいて、韓当かんとうは弓を手に取り、その一矢で敵の将軍しょうぐんを討ち取ったと伝えられています。戦場の中央で激しく交戦していた彼の矢が、敵の総大将そうだいしょうを狙い定め、突き刺さる瞬間、味方の士気しきは一気に上がり、戦局を有利に変えました。その瞬間、彼の名は敵味方を問わず、戦場を駆け巡ったのです。

 戦後せんごよる廬江ろこうじんにて、焚きたきびが静かに揺れております。

 そのほむらの前に、孫策そんさくが立っておりました。

「……韓当かんとう

 静かなこえが、やみの中に響きます。

 呼ばれて現れた韓当かんとうは、無言むごんのまま一礼いちれいしました。

はな、おまえはたらきを一つとして見逃しておらぬ。やりの一突き一突きに、いのちを預けておると、そう感じておる」

 孫策そんさくはその場に立ち、やがて一歩いっぽ、彼へと近づきます。

「今日より、おまえには別部司馬べつぶしば官位かんいを授ける。これは、名実めいじつともにぐんを預かるしょうくらいだ」

 別部司馬べつぶしばとは、「特別な部隊をまかされていた軍のリーダー」です。ある程度自分の判断で部隊を動かすことができるようになります。

 韓当かんとうひざをつき、深くあたまを垂れました。

 焚きたきびおとが、二人ふたりあいだに静かに響きます。

「……ありがたきしあわせにございます。このいのち、尽きるまで、殿とのにお仕えいたします」

 そのこえには、一切いっさいらぎがございませんでした。

 孫策そんさく微笑ほほえみます。

「うむ。そなたのやりがある限り、何者なにものにも恐れぬ」

 焚きたきびの明かりが、若き覇者はしゃかおを照らしておりました。そこにあったのは戦の疲れではなく、仲間なかまへの信頼しんらい未来みらいへの希望きぼうです。

 それからも韓当かんとうは、江東こうとう各地かくち先陣せんじんを駆け抜けました。

 けんあめを斬り裂き、乱戦らんせんの中でも揺るがず――彼のやりゆみは常に、みちを拓いてまいりました。

 やがて孫策そんさくが志半ばで倒れたときも、韓当かんとう忠誠ちゅうせいは揺るぎませんでした。そのやり孫権そんけんへと向けられ、変わらぬ忠義ちゅうぎで新たな主君しゅくんを支え続けたのです。

 そして、ときが流れ――くにが建てられたそのとき。

 建国けんこく記録きろくには、確かにこのが記されておりました。

 韓当かんとう――忠義ちゅうぎやりに宿し、ゆみを駆使し、を貫いたおとことして。



197年:建安二年

 戦火はひとまず鎮まり、江東こうとうには久しぶりの静寂が訪れていました。

 その夜、長江ちょうこうのほとり。孫策そんさくの本陣には、松明たいまつが焚かれ、風に乗って酒の香りと笑い声が揺れていました。

 戦勝のうたげです。皖城かんじょう曲阿きょくあ秣陵ばつりょうを次々と攻略し、孫策軍そんさくぐんは今や江東をほぼ平定へいていしていました。

 広い帳中ちょうちゅうの中央では、まだ若き英傑えいけつ・孫策がさかずきを高く掲げています。彼は孫堅そんけん長男ちょうなん剛胆果断ごうたんかだんで、敵将てきしょうすら魅了みりょうするカリスマの持ち主です。

「――諸君しょくん!」

 孫策の声が空気を切り裂きました。

「我らはついに江東をこの手に収めた!だが、これは通過点つうかてんだ。父のこころざしは、まだその先にある!」

「ほう、それは天下てんかか、それとも娘婿むすめむこか」

 周瑜しゅうゆ微笑ほほえみを浮かべて言いました。彼は孫策の幼馴染おさななじみにして無二むに腹心ふくしん知謀ちぼう音楽おんがくに優れた風流ふうりゅうでもあります。

 孫策は笑いながらくびりました。

「どちらも手に入れよう。だがまずは、俺たちの“くに”をつくる。それが先だ!」

理想高りそうたかし。けっこうなことだ」

 冷静れいせいな声が応じました。張昭ちょうしょうです。文官ぶんかん筆頭ひっとうで、厳格げんかく言動げんどう老練ろうれん判断力はんだんりょくぐん屋台骨やたいぼねささえていました。

「ですが、天下は力だけで治まるものではありません。文治ぶんちを忘れれば、あっという瓦解がかいしますぞ」

張公ちょうこう忠言ちゅうげんきもめいじますとも」

 孫策は杯を張昭ちょうしょうに差し出し、素直すなお一礼いちれいしました。

 そのわきでは、程普ていふ豪快ごうかいに酒をあおりながら、黄蓋こうがいと何やら言い合っています。

黄爺こうや、あのとき牛渚ぎゅうしょ突撃とつげき見事みごとだったな。老骨ろうこつとは思えん」

「ほほう、言ったな程普!そちらこそ、うまとし三度さんどちたのは見事だったな。ってなければ、な!」

貴様きさまこそ、火計かけい仕掛しかける前に酒に火をつけたろう!」

 両名りょうめい孫堅時代そんけんじだいからつかえる宿将しゅくしょうです。戦場せんじょうでは一歩いっぽかず、酒の席では一言ひとことゆずりません。

 一方いっぽうすみせきでは、端正たんせいな面差し(おもだし)のおとこが静かにさかずきつめていました。太史慈たいしじです。かつては劉繇りゅうよう配下はいかでしたが、孫策との一騎打ち(いっきうち)を経てそのに感じ、配下はいかとなりました。

太史たいし遠慮えんりょせずめ。ここにいるものみな兄弟同然きょうだいどうぜんだ」

 こえをかけたのは呂範りょはんでした。若くして内政ないせい外交がいこう頭角とうかくあらわし、孫策に重用じゅうようされている知将ちしょうです。

「……その言葉ことばうれしくおもいます。だが、わたしまこと兄弟きょうだいぶには、まだながさねばならぬ」

「だったら、明日あしたからまた一緒いっしょあせをかこうじゃないか」

 呂範はかたたたいてわらいました。

 そこへ、控えのちょうから周泰しゅうたい蒋欽しょうきん姿すがたあらわしました。

 周泰は無口むくち寡黙かもくあと孫権そんけん何度なんどすく忠義ちゅうぎしょうです。このころはまだわかく、だがその鋭い眼光がんこうはひときわ異彩いさいはなっていました。

殿とのみなと巡視じゅんしえました。水軍すいぐん異常いじょうなしです」

「さすが周泰しゅうたい蒋欽しょうきんもありがとう。そなたの船団せんだんがなければ、長江ちょうこうわたれなかった!」

 蒋欽しょうきんわらって応じました。

ふねるのはうおおれだけ、ってね」

 うたげねつはさらにたかまりました。軍旗ぐんきふうにたなびき、笑いわらいごえ幕舎ばくしゃつつみます。

「――我らがゆめは、まだはじまったばかりだ」

 孫策は夜空よぞらを見上げ、つぶやきました。

「この江東を拠点きょてんに、父の志をぎ、兄弟きょうだいとともに――天下を目指めざす!」

 杯がち鳴らされました。

 そのおと夜風よかぜに乗り、はるか、東南とうなんそらへとひびいていきました。



196年:建安元年けんあんがんねん

 孫策そんさく率いる軍団は江東こうとう各地を転戦しながら勢力を拡大していました。戦乱の最中にあっても、兵たちの士気と体力を維持するため、飲食は極めて重要な要素でした。

 この時代、蒸留酒はまだ存在せず、主に米やきびを原料とした醸造酒じょうぞうしゅが飲まれていました。特に「れい」と呼ばれる甘い低アルコール酒は、祝いの場や休息のひとときにふるまわれました。戦の勝利後などには、濃厚で香り高い「ちょう」が用いられることもありました。これは香草を加えた上等な酒で、将軍たちの宴に花を添えたと考えられます。庶民兵たちは「らく」と呼ばれるこごり酒をよく飲んでおり、米の粒が残る素朴な酒が、彼らの喉と胃を潤しました。

 食事は保存性と簡便さが求められます。主食としては、乾餅かんぺいと呼ばれる硬く焼いた穀物こくもつもちが主流でした。携行性が高く、戦場では欠かせぬかてでした。米よりも入手しやすいあわきびを炊いたかゆも重宝され、簡単な調味料と共に鍋で煮込んで供されました。

 副食としては、山野で得られる鹿肉しかにく猪肉いのししにくを干した「肉干にくかん」がよく用いられました。これに豆鼓とうちや野菜の塩漬け、野草の発酵物が添えられることもありました。水の多い江東では魚や水鳥も入手可能で、特に川魚の干物や焼き魚は兵士たちに人気がありました。

 孫策そんさく周瑜しゅうゆ張昭ちょうしょうといった高級将校たちの宴席では、もう少し贅沢ぜいたくな料理が並びました。白米に野禽やきんや魚を炊き込んだ飯、香草入りのあつものなど、滋味豊かな料理が振る舞われ、勝利の酒と共に将来を語り合う場となっていました。なつめすもも柑橘類かんきつるいなどの果物も江南こうなんでは手に入りやすく、甘味として親しまれていたとされます。

 江東は水と緑に恵まれた地であり、農業と漁業が盛んでした。そのため、戦場であっても、食文化は他地域に比べて豊かでした。孫策そんさく軍の力強い進軍の裏には、このような食の支えがあったのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ