表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/64

呉視点三国志:孫策の章③

195年:興平2年

 興平二年の春。風は湿り気を含み、長江ちょうこうの流れは静かに見えて、底では時勢のうねりが渦巻いていました。

 孫策そんさくはまだ二十にも満たない若武者です。父・孫堅そんけんの遺志を継ぎ、江東こうとう平定の大志を胸に燃やしていました。

 この日、孫策は牛渚ぎゅうしょの陣に迫っていました。江東の地は劉繇りゅうようという名士が支配しており、各地に将を配していました。その一人、于糜うびは強気の猛将で知られていました。

「敵は高台に陣を張り、兵は千。こちらは……五百か」

 副将がそうつぶやいたとき、孫策は軽く肩をすくめて笑いました。

「ならば、俺が二百。お前たちで三百ってところだな」

「冗談を。殿が三百で、我らが二百かと」

 陣幕の中で笑いが起こりました。

 孫策は、背丈はそれほど高くないものの、鍛え抜かれた体に烈しい眼差しを宿していました。その気迫は、まさに父・孫堅譲り。敵にとっては雷鳴の如き恐怖であり、味方にとっては夜の灯火でした。

 その夜、月が雲間に覗いた頃――孫策は馬上にて出撃の号令を発しました。

「風がある。夜露も深い。行くなら今だ!」

 先陣に立ったのは孫策自身です。火矢を手にとり、自ら松明を掲げて突進しました。

 彼の馬が地を蹴るたび、兵たちの血が沸き立ちました。

 ――そのときです。

 敵の将・于糜が前線に現れました。重厚な鎧をまとい、巨剣を振るう姿はまさに一騎当千の気迫。

 しかし、孫策はひるみませんでした。

于糜うびよ、耳が遠くなったか! 孫堅の子、孫策が来たぞッ!」

 孫策の一喝が、夜の静寂を突き破りました。

 ――瞬間、于糜の馬が驚き、足をもつれさせて転倒しました。

 その隙を、孫策は見逃しません。

 疾風の如く駆け寄り、刀が閃きました。

 一閃。

 于糜の首が飛びました。

 敵陣は総崩れとなり、牛渚はあっという間に孫策の手に落ちました。

 戦が終わると、孫策は部下たちとともに陣を整えました。

「殿、あの一喝……もはや軍神ですね」

「軍神? 俺の喉を心配してくれ。明日は声が出せるか怪しい」

「ならば、明日は筆で指揮を?」

「否、明日は剣のみで語る!」

 孫策の顔に、少年のような笑みが浮かびました。

 この若武者の進軍は、やがて江東全土を震わせることになります。

 その始まりこそ――牛渚ぎゅうしょの雷鳴でした。

 ちなみに、「牛渚ぎゅうしょ雷鳴らいめい」とは、勢いが盛んで、世間を揺るがすような大きな出来事や評判 をたとえる言葉です。



195年:興平2年

 時は、興平二年――天下は依然として混乱の極みにあり、各地で野心を持つ群雄たちが、互いに覇を競い合っておりました。そのような中、若き日の猛虎・孫策そんさくは、ついに自らの運命を切り開くべき地、豊かなる江東こうとうへと、雄々しく駒を進めたのでございます。

さくよ、わしの部下の、呉景ごけいが、かの地で劉繇りゅうようの軍勢に苦戦を強いられておる。お前の並外れた武勇をもって、必ずや叔父上を救い出せ」

袁術えんじゅつは、相変わらず尊大な態度で、孫策そんさくにそう命じました。

 呉景ごけいは、孫策そんさくの叔父にあたり、現在は丹楊たんよう太守として、強敵・劉繇りゅうようの軍勢と、日夜激しい攻防を繰り広げていたのです。「叔父上が、今まさに窮地きゅうちに陥っておられるというのであれば、この孫策、たとえ火の中、水の底であろうとも、助けぬわけには参りませぬ!」孫策そんさくは、その若き瞳に、たぎるような熱い決意の炎を燃やし、即座に力強く応えました。

 黄蓋こうがい程普ていふ韓当かんとうら、父・孫堅そんけんの代からの忠義に厚い宿将たちも、若き主君・孫策そんさくの後に、迷うことなく従います。

江東こうとうの地を得る。これこそが、亡き孫堅そんけん将軍の悲願を継ぐ、唯一の道でございます」

そう静かに語ったのは、孫策そんさくの参謀役を務める、知略に優れた名士・朱治しゅちでした。彼は常に冷静沈着に、的確な策を献じる、頼りになる存在でございます。

 孫策軍は、一路、丹楊たんようの地を目指して進軍を開始いたしました。その道中、長江ちょうこうの要衝である牛渚ぎゅうしょの堅固な砦に立ち寄ったその時――「さく!」背後から、雷鳴のように響き渡る、懐かしい声が、孫策そんさくの耳を強く打ちました。

 その声の主こそ、盟友――周瑜しゅうゆその人でした。

!なんと、お前が、このような場所に!」

孫策そんさくは、驚きと喜びがないまぜになった表情で、振り返り、盟友の名を叫びました。

「ああ、さく!お前がついに、その秘めたる力を解き放ち、動き出したという知らせは、私の耳にも届いていたぞ。江東こうとうの民も、きっと、お前の到来を待ち望んでいるに違いない」

二人は、熱い友情を込めて固く握手を交わし、その瞬間、遠い日の少年時代の、忘れかけていた熱い日々が、鮮やかによみがえるのでした。

 周瑜しゅうゆは、すでにこの地の近く、居巣きょそうという場所で、自らの私兵を組織し、地元住民からの厚い信頼を得て、確固たる地位を築いておりました。彼は、旧友・孫策そんさくの熱い志と、その秘めたる才能を深く信じ、迷うことなく、自らが率いる全兵力を、孫策そんさくに預けることを決意いたします。「さく、俺はお前を、誰よりも深く信じている。だから、俺の命も、そして、この兵も、全てお前に託そう。共に力を合わせ、この江東こうとうの地をおこし、一大勢力を築き上げようではないか!」孫策そんさくは、盟友の熱い言葉に、感動のあまり目を潤ませながら、深く頷きました。

「ありがとう、!お前のその熱い志、この孫策、決して裏切るようなことはしない!」

 こうして、孫策そんさくは、かけがえのない強力な支援を得て、叔父・呉景ごけいの救援のため、再び力強く進軍を開始いたしました。彼の軍勢の進撃は、まるで風を切り裂く矢のように迅速であり、行く先々の山賊や、小規模な群雄たちを、瞬く間に一蹴いっしゅうしてまいります。そして、ついに、叔父・呉景ごけいが必死に守る丹楊たんようの地へと、辿り着いたのでございます。

 呉景ごけいは、孫策そんさくの父である孫堅そんけんの妻、呉夫人の実弟にあたります。したがって、孫策から見ると、呉景は母方の叔父にあたるわけです。

 敵軍の包囲を受け、苦戦を強いられていた呉景ごけいの陣営を視認した孫策そんさくは、満を持して、高らかに叫びました。

「叔父上!ご安心ください!おい孫策そんさく、今、こうして叔父上の窮地を救いに参じました!」

若き猛虎・孫策そんさく率いる精鋭たちの猛攻は、まさに鬼神の如くすさまじく、叔父を苦しめていた劉繇りゅうよう配下の将兵たちを、次々と撃破してまいります。激しい戦場の砂煙が舞い上がる中、包囲網から解放された呉景ごけいは、おいの目覚ましい成長した姿を見て、喜びのあまり血の涙を流しながら、声を震わせました。

さく……その勇猛果敢な姿、まるで、わしの義兄上あにうえ孫堅そんけんの若き日を見るようだ……!」

こうして、呉景ごけいは無事に救出され、孫策そんさく江東こうとう進出は、歴史に大きく刻まれるべき、重要な第一歩を踏み出すこととなったのでございます。



196年(建安元年)

 建安元年の春。大江南岸の空に、雷光が走るような気配が漂っていました。

 孫策そんさくは二十二歳。父・孫堅そんけんの遺志を継ぎ、江東こうとうの地に覇を唱える若き猛将です。その姿は風のように俊敏で、火のように熱きものでした。

 この時、彼は曲阿きょくあへ向け進軍していました。そこは劉繇りゅうよう配下の張英ちょうえいが堅く守る要衝の地です。攻めあぐねるには十分な堀と城壁を持つ堅城でした。

 戦陣の前、孫策は配下の将たちと地図を広げて作戦を練っていました。

「……ふむ、張英は城を閉ざして籠城の構えですな」

 そう口にしたのは朱治しゅち。穏やかながら、緻密な策を練る文武の将です。

 孫策は苦笑して、彼を見やりました。

「まるで寒がりの狸だな。暖かい城に閉じこもって、春を待つつもりか」

 周瑜しゅうゆ――孫策の盟友にして、名門・周家の俊才――が袖を払って笑いました。

「狸なら皮でも剥いで、冬物の毛皮にしますか」

「皮より中身が欲しいな。張英の首、それと曲阿きょくあの城!」

 孫策は馬の鞍に拳を叩きつけ、全軍へ進軍の命を下しました。

 そして、夜が明けるとともに戦端が開かれました。

 ――弓兵が矢を放ち、火矢が城門を照らします。

 孫策は最前線で敵兵を蹴散らしながら、城壁下へと迫りました。

「門を破れ! 俺が先に行く!」

 馬上の彼の声が戦場に響き渡ります。

 その姿に兵は奮い立ち、破城槌が火花を散らしました。

 張英は城内からそれを見て歯噛みしていました。

「……やはり、孫堅の子か。あの奔流のような軍勢、止められぬ……!」

 数刻の激戦ののち、ついに門が破られました。

 孫策は飛ぶように馬を躍らせ、先頭を切って城内に突入しました。

 剣を振るうたび、敵兵が倒れます。風のような動きに誰もついていけません。

 張英は逃げ場を失い、ついに降伏しました。

 その日の夕刻、戦の煙が晴れた城内にて、孫策は勝利の報告を聞いていました。

「殿。張英、首を垂れております。処置はいかがいたしましょうか?」

 部下が問うと、孫策はわずかに笑みを浮かべました。

「降った者には情けを。戦で名を立てたいのなら、首を刎ねるより人心を得る方が早い」

「なるほど、戦も商売も、人付き合いが肝要というわけですな」

 周瑜が茶をすすりながら笑いました。

「いや、俺は戦が終われば温酒おんしゅが欲しい。それだけさ」

「まるで老将のようなことを言いますな」

「老将だって、若い頃は馬で駆け回ったろう。俺も、今はその時だ」

 孫策は地図を広げ、さらに東を指差しました。

「次は、秣陵ばつりょうだ。江東の龍となる道が、ようやく見えてきた」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ