呉視点三国志:孫策の章②
194年:興平元年
夕暮れが迫る寿春の郊外は、薄紅色の帳に包まれ始めておりました。一つの軍営の奥深く、静かな会議が開かれておりました。集うは、かつて孫堅に仕えた猛将たちです。
「……それで、孫策様は?」
最初に口を開いたのは、剛毅な表情の孫賁でした。孫堅の甥である彼の眉間には、深い皺が刻まれております。
「すでに、廬江で軍を挙げられたとのことです」
知略に富む朱治が答えました。その手には、密使から届けられた文が握られています。
「若殿は、呉の地に覇を唱えようとしておられる。我らに再びお声をかけてくださったのです」
「孫堅様の血を引くお方が、ついに立ち上がられたのですね……!」
白髪交じりの老将・黄蓋が静かに呟きました。その瞳には、熱い光が宿っております。
「だが、我らは今、袁術殿の配下という立場にあります」
分別ある程普が低く言いました。彼は常に、先を見据えた判断を下します。
「無断で去れば、謀反とみなされましょう。下手をすれば、一族も危うくなります」
「だが!」
鋭い声が、静寂を切り裂きました。若き猛将、韓当です。
「このまま、恩義ある主君の御子を見捨てるおつもりですか!?私は、あの日、孫将軍と共に矢雨をくぐったあの誓いを、今も胸に抱いております!」
その言葉に、黄蓋が深く頷きました。
「孫堅様は、我らを信じて戦場に送り出してくださった。その志を継がずして、何が忠義か……」
「忠義か……」
程普は、ゆっくりと目を閉じました。脳裏に浮かぶのは、かつての江夏の戦の光景。血まみれになりながらも、ひたすら前を見続けた孫堅の背中。その背を追い続けた、熱き日々。
「……皆、どう思う?」
孫賁が、静かに問いかけました。一人、また一人と、確固たる決意を宿した顔で頷いていきます。誰もが、迷いを断ち切り、新たな道を見出したようです。
朱治が立ち上がりました。
「袁術殿に義理がないとは言いません。しかし、我らの主は孫家です。時が来たら、孫策様のもとに参りましょう。それが、私の答えです」
「俺も行くぞ!」
韓当が、間髪入れずに応えました。
「老骨ながら、まだ刀は振れます」
黄蓋も、手にしていた酒盃を静かに置きました。
「行こう。孫堅様の魂が、我らの行く道をきっと照らしてくださる」
最後に、程普が重々しく口を開きました。
「……ならば、行こう。我らが再び、孫家の旗のもとへ集うのだ」
その声には、かつてと寸分変わらぬ、熱い誓いが込められておりました。
やがて夜の帳が下り、五つの影がひっそりと寿春を離れていきました。彼らが向かう先は東方。若き鷹が今まさに羽ばたこうとしている、希望に満ちた地です。その背には、再び忠義の旗が高らかに翻っておりました。
こうして、孫堅の五名の旧臣たちは、孫策のもとに馳せ参じました。そして、彼らの力は、やがて江東を制する大きな力となっていくのです。
194年:興平元年
時は興平元年――。
春の足音がまだ遠い寿春の城下に、一人の若武者が静かにその姿を現しました。その男こそ、亡き英雄・孫堅の嫡子、孫策でございます。長江から吹き寄せる冷たい風を背に受けながら、彼は静かに馬から下り、高くそびえ立つ袁術の居城の城門を、じっと見上げました。その若き瞳には、父の遺志を継ぐという、揺るぎない強い意志と、未来への覚悟が深く宿っておりました。
「父上……どうか、我が歩むこの道が、決して迷いなき、正しきものでありますように」
やがて、孫策は、袁術が待ち受ける、城の奥深くへと案内されました。豪奢な玉座に深々と腰を下ろした袁術は、きらびやかな金襴の衣を身にまとい、傲然とした態度で、謁見する若き孫策を見下ろしました。
「ほう……久しぶりに見る顔じゃのう、孫策殿。して、本日は一体、どのようなご用向きかな?」
孫策は、袁術の尊大な態度に臆することなく、静かに懐から、丁寧に包まれた一つの小さな箱を取り出しました。それは、かの洛陽の激しい戦乱の中、父・孫堅がその手に入れたと伝えられる、伝国の玉璽――すなわち、漢王朝の正統性の象徴であり、天下の至宝でございました。
「袁将軍。これは、亡き父が、焼け落ちた洛陽の都より、命がけで持ち帰りました、かけがえのない大宝でございます。しかし、若輩の我が手にあっては、この宝の真の価値を活かすことは、到底できません。されど、この玉璽を将軍の御手にすれば、将軍の天下への覇道は、必ずや一歩も二歩も大きく進むことでしょう」
その瞬間、袁術の目は、射抜くような妖しい光を放ちました。
「なに……?そなたが差し出すというのか……?これは……まさか、本物の……伝国の玉璽か?」
孫策は、迷いのない強い眼差しで袁術を見据え、深々と頭を下げました。
「はい。この玉璽と引き換えに、亡き父の旧兵と、父に長年仕えてきた忠実な臣下たち、そして、わずかばかりの軍勢千余、どうか私にお貸しください。孫策、父の遺志を必ずや継ぎ、この手で江東の地に、我らの旗を打ち立てたく存じます!」
しばしの沈黙の後、袁術は、まるで獲物を捉えた猛獣のように、その妖しい光をさらに強め、差し出された玉璽を両手で掴み取りました。そして、堪えきれない狂喜の笑みを浮かべ、高らかに哄笑しました。
「ふはははは……よかろう!そなたの亡き父の、精強なる兵ども、全てそなたに預けようぞ。千の兵、そして、朱治、黄蓋、韓当、程普ら、古くからの忠臣たちも、全てお前に返すとしようぞ!……その代わり、この天下の宝、伝国の玉璽は、朕のものだ!これで漢室など、もはや恐るるに足りんわ!」
孫策は、袁術の貪欲な笑みを静かに見つめ、一瞬だけ唇を噛み締めましたが、やがて、覚悟を決めたように、再び深々と頭を垂れました。
「ありがとうございます。必ずや、このお借りした兵をもって大義を成し遂げ、亡き父の熱き志を、天に届けてみせます!」
こうして、若き獅子・孫策は、天下の至宝である伝国の玉璽を手放すという、あまりにも大きな代償を支払い、父の残してくれた忠臣たちと、わずかな兵千余を手に入れたのでございます。
やがて、寿春の重い城門を後にした孫策のもとには、かつて父・孫堅と共に幾多の戦場を駆け抜けた、忠義に厚い臣下たちが、一人、また一人と、続々と集まってまいります。まず、白髪の老将・程普が、孫策の傍らに恭しく跪きました。
「策様。この老将・程普、今よりこの身に宿る剣、そしてこの命、全て策様にお捧げいたします!」
次いで、屈強な体躯の黄蓋が、腕を組みながら一歩前に進み出、その武骨な顔に深い忠誠の色を浮かべました。
「亡き孫堅様のご嫡子とあらば、この黄蓋、命を賭すに、何の迷いもございませぬ!我ら一同、再びこの旗の下に、喜んで集いますぞ!」
弓術に長けた達人・韓当、そして、その律儀さで知られる将軍・朱治もまた、口々に熱い忠誠の言葉を述べました。
「策様、我ら、この命、決して惜しみはいたしません!」
孫策は、彼らの熱い言葉を、一つ一つ噛み締めるように聞き入り、そして、深い感謝の念を込めて、静かに一礼いたしました。
「皆さま……父の熱き志を共に継ぎ、必ずや、江東の地に、我らの誇りの旗を打ち立てましょう!」
こうして、若き孫策は、天下の至宝を捨て、父の遺志を継ぐべき軍勢と忠臣たちを得て、新たな、そして険しい戦いの道へと、力強く歩み出すのでございました。その時、この若き獅子の一歩が、やがて、江南の地に強大な勢力を誇る大国・呉の、堅固な礎となるなどと、当時の誰が予想できたでありましょうか――。
194年:興平元年
時は興平元年、春――江南の大地に、鮮やかな孫策の軍旗が、誇らしげに翻っておりました。亡き父・孫堅の遺志を胸に抱き、わずか千余の兵をもって、再び天下への道を切り開かんとする若き英傑。その若き胸には、父への熱い誓いと、自らの壮大な野望が、静かに、しかし確実に燃え盛っておりました。
「策よ、廬江の陸康は、いまだにわし、袁術に従おうとせぬ。お前の並外れた武勇をもってすれば、必ずや、あの頑迷な老将を討ち果たせるであろう。遠慮はいらぬ、存分に力を振るってまいれ」
袁術は、いつものように尊大で、冷酷な眼差しを孫策に向けながら、そう命じました。
孫策は、その言葉に深く頷き、従兄弟の孫賁、老将・程普、豪傑・黄蓋ら、頼りになる宿将たちを率いて、意気揚々と寿春の城門を後にいたしました。
廬江の郊外、春の穏やかな陽光を浴びて広がる緑の草原が、突如として血と鉄の匂いが立ち込める、凄惨な戦場へと変貌いたしました。陸康が守る堅牢な城塞は、容易には落ちそうにありません。守備兵たちもまた、老将の指揮のもと、よく訓練されており、容易に寄せ付けようとはしませんでしたが――
「全軍、突撃だ!我が刃には、亡き父・孫堅の、天下への熱き志が宿っておるぞ!」
孫策の雷のような号令が戦場に轟くと同時に、孫策軍の兵士たちは、まるで燃え盛る炎のように、一斉に敵の城塞へと襲い掛かりました。
老将・程普は、降り注ぐ矢の雨の中を、熟練の剣技で切り開きながら進み、豪傑・黄蓋は、その屈強な体躯を活かし、巨大な鉄槌を振るい、敵の堅固な門を粉砕いたします。そして、勇猛な孫賁は、敵の将をいち早く見つけ出し、一騎打ちの末、見事討ち取るという目覚ましい活躍を見せました。激しい攻防の末、ついに、堅牢な廬江の城は、若き孫策の手に落ちたのでございます。
戦後、孫策は、誇らしい戦果を胸に、意気揚々と袁術の元へ凱旋し、深々と頭を下げ、礼儀正しく戦の顛末を報告いたしました。「袁術殿、陸康の首、確かにここにございます。廬江の民も皆、将軍の御前に平伏いたしました」しかし、孫策の期待とは裏腹に、袁術の顔には、微塵も喜びの色が見えませんでした。それどころか、冷ややかな眼差しを孫策に向け、突き放すように言い放ちました。
「うむ、骨折りであったな。しかし、廬江の地は、以前よりわしの腹心である劉勲に預けることと決めておる。お前は、しばらくの間、そこで待機しておれ」
「……は?」
孫策は、あまりにも予想外の、そして理不尽な裁定に、思わず言葉を詰まらせました。自らの命を懸け、共に戦った家臣たちの血と汗によって、ようやく手に入れた土地を、何の功績もない、胡乱な男・劉勲に、いとも簡単に与えるというのか――。「我らが、命を懸けて戦い、ようやく手に入れた土地を……なぜ、そのような男に、やすやすと渡すというのですか?」孫策は、抑えきれない怒りを込めて、袁術に問い詰めました。
「策よ、口を慎め。わしは、お前の忠誠を信じているがゆえに、次の戦の機会を与えておるのだ。焦るでない」
袁術は、まるで 彼を諭すかのように、表面的には穏やかな口調で語りましたが、その冷たい眼の奥には、微塵も信義の光は宿っておりませんでした。孫策は、怒りに震える拳を強く握り締め、悔しさを噛み締めながら、無言で袁術に背を向けました。
その時、若き孫策の心の中には、確かに何かが――堪えきれない失望と怒りとともに、音を立てて崩れ落ち始めていたのです。
「袁術殿……もはや、わたくしが、あなたに従うべき時は、近い将来、必ず終わるやもしれませんぬ」
この時、孫策の胸には、静かに、しかし決して消えることのない、一つの明確な決意が芽生えておりました。“自らの旗を、自らの手で立てねば、父の遺志を、真に果たすことなど、決してできはしないのだ”――と。この廬江の一件こそが、後に孫策が、頼るべき主君であったはずの袁術のもとを離れ、自らの力で独立を目指すという、大きな転換点となったのでございます。
194年:興平元年
この頃の江東と孫呉政権における豪族連合体制について
紀元194年、後漢末の混乱期にあって、江東/現在の江蘇・安徽南部・浙江北部)一帯では、中央政権の力が及ばず、地方豪族が実質的な支配権を握っておりました。豊かな水資源と農業地帯に恵まれたこの地域では、地元に根を張った名門豪族が、自前の兵や土地をもち、半独立状態で存続していたのでございます。
当時の江東には、会稽太守として君臨していた許貢や、その下で儒学者として仕えていた王朗、呉郡の厳白虎など、名望ある勢力が並び立っておりました。劉繇も漢朝により揚州刺史に任命されておりましたが、彼の支配力は限定的で、地元豪族と連携する力を欠いていたのでございます。さらに、山越族の勢力を率いた張英・成瑨らも割拠しており、江東はまさに群雄割拠の地でございました。
このような状況の中、孫策が袁術から兵を借りて江東に入ります。彼は地元豪族を次々と打ち破りつつも、彼らをすべて排除するのではなく、有能な者は登用し、懐柔と武力を巧みに使い分けていたのでございます。王朗や張昭、張紘、厳畯、顧雍ら地元の名士は、孫家の政権に取り込まれ、後の呉の中枢を支える柱石となってまいりました。これらの名士は文官・幕僚として政務を主導し、軍事だけでなく行政・儒教統治にも関与していったのでございます。
このように形成された孫呉政権は、いわば「豪族連合政権」でございました。孫家は単なる軍閥ではなく、江東豪族の力を取りまとめる盟主的存在として機能し、中央集権的な統治ではなく、地元勢力と緩やかな協調体制を築いていったのでございます。豪族側にとっても、乱世において軍事力を備えた孫家の庇護を受けることは、自らの地位と領地を維持する上で合理的な選択であったと申せましょう。
やがて孫権の治世下で、朱然や陸遜、顧雍といった地方名族の出身者が高官に登用され、次第に「貴族化」していく家系も生まれてまいります。孫呉は、地方に根ざした有力氏族と中央政権が一体となった形で発展し、戦乱の中でも比較的安定した政体を築くことに成功したのでございます。
このように、孫呉は江東における豪族の力を巧みに活用し、彼らとの協調によって政権の基盤を固めてまいりました。まさに「名士と軍閥の連合政権」としての特色をもつ体制であり、それが孫呉の存続と繁栄の鍵となったのでございます。




