呉視点三国志:孫堅の章①
156年:後漢 延熹九年
孫堅は、父:孫鍾と母:呉夫人との間に生まれました。
孫堅の兄弟は、苦労人の兄の孫羌と、穏やかで静かな性格の孫静がいました。孫家三兄弟の字は、それぞれ孫羌の「聖台」、孫堅の「文台」、孫静の「幼台」です。
えっ?字とはなんですかって?そうですね、字は、簡単に言うと、人が大人になってからつける、本名とは別の呼び名のことです。昔の中国やその文化の影響を受けた地域では、男性が成人すると、親しい人たちの間で本名の代わりに「字」で呼び合う習慣があったのです。
父の孫鍾は瓜農として生計を立てていました。瓜農とは、ウリ科の植物つまり、スイカ、メロン、キュウリ、カボチャなどを栽培して生計を立てている農家のことを指します。現代でいえば「メロン農家」という所でしょうか。
彼ら孫一族の出身地は呉郡富春でした。現在の浙江省杭州市富陽区です。
この地域は、後漢時代には、「江東」と呼ばれる地帯の一部でした。長江下流域の東南沿岸に位置し、水運に恵まれ、農耕や交易が盛んでした。
後漢以前まで、江南地域は「蛮夷の地」とされていました。「野蛮人の土地」という意味です。このため、中央政権からは田舎扱いされていました。
しかし、漢代中期以降、中原の戦乱や人口増加により、江南への人の移動が進みます。そして、農地開拓や治水工事が本格化しました。富春もその例に漏れず、移住してきた漢人たちによって文化的・農業的な発展を遂げました。
富春江は豊かな水資源を提供した河川です。ここでは、稲作や魚介類の採取が盛んでした。森林資源や山の産物にも恵まれ、木材・竹・薬草なども豊富でした。
このような土地で孫家は地方豪族というよりも、比較的平民に近い家庭として暮らしていました。ちなみに地方豪族とは、村や町で一番力持ちのお金持ちの大家族の事です。だから、孫堅の一家は一般庶民だったのです。
172年:熹平元年
十七歳。若き日の孫堅は、父・孫鍾と共に、ある日、海辺を歩いていました。その時、目に飛び込んできたのは、海賊たちが浜辺で人々(ひとびと)から物を奪い、暴れ回る悪逆の光景でした。
普通の少年であれば、恐れて逃げ出すところでしょう。しかし、孫堅の瞳には、怒りの炎が燃え上がっていました。
「父上、あの賊どもを討ち取ってやりましょう!」
孫堅は、父に強い眼差しを向け、そう言いました。そして、父の腰に差してある武器を借りると、躊躇なく、単身で海賊たちの元へと突撃しようとします。
父の孫鍾は、驚愕の表情で息子を呼び止めました。
「堅よ、やめておけ! 貴様は一人だ! 多勢に無勢。命を落としてしまうぞ!」
しかし、孫堅は、決然とした声で言います。
「父上、あのような悪逆非道な行為。天が見逃しても、私は見逃すわけにはいきません! 退治いたします!」
そう言い放つと、孫堅は、海賊たちに向かって叫びました。
「賊は数が多いが、恐れることはない! 我らが包囲して、皆殺にするぞ!」
叫び声と同時に、孫堅は手にした刀を激しく振り回しながら、海賊たちへと猛然と突き進んだのです。
しかし、これは孫堅の完全なハッタリでした。彼が率いる軍など、どこにもいません。味方の一兵もいないのです。ですが、若き孫堅には、言葉では言い表せない、妙な迫力がありました。
彼の勇敢な様子を目の当たりにした海賊たちは、背後に大軍が潜んでいると、完全に誤解してしまったのです。
「やべーぞオマエら! 逃げろ!」
情けない悲鳴を上げながら、海賊たちは我先にと蜘蛛の子を散らすように逃走しました。実際には孫堅一人だったにもかかわらず、その若さからは想像もできない胆力と、機転によって、見事な勝利を収めたのです。
父の孫鍾は、息子が殺されるのではないかと、心臓が跳ね上がるほどハラハラドキドキしていました。しかし、孫堅がまだ若い身でありながらも、ただ者ではない、驚くべき胆力を持っていることを、まざまざと思い知らされたのです。
「うちの息子は、肝っ玉がすわりすぎているなあ…」
と日々感じていたのですが改めて思い知らされました。
ある日、父の孫鍾は、庭先の手入れをしながら、ふと空を見上げました。「そういえば……」と、彼は独りごちます。「わが孫家は、あの孫武の末裔だと、古老から伝え聞いておったな。」
春秋戦国の時代。七百年の時を超えて語り継がれる、不敗の名将・孫武。彼の著した兵法書は、戦の極意を凝縮した書として、後世の兵たちにとっての羅針盤でした。
「その武人の血筋が、息子の堅の代になって、ついに覚醒したのかも知れぬなあ。」
孫鍾は、息子の勇猛果敢な戦いぶりを思い起こしました。まるで、眠っていた力が今、まさに解き放たれたかのように。
「まさか、幾代もの時を経て、祖先の血が堅の中で滾り始めたというのだろうか……」
そう考えると、孫鍾は背筋に薄ら寒いものを感じました。それは、誇らしさにも似た、言いようのない感覚でした。
戦場を駆ける孫堅の姿が、目に浮かびます。風を切り裂くような速さで敵陣を突き進み、鋼と鋼がぶつかり合う激しい音。雄叫びが戦場に響き渡り、敵兵は次々と薙ぎ倒されていきます。その勢いは、まるで荒れ狂う嵐のようです。一瞬の躊躇もなく、敵を打ち砕く。その姿は、まさに戦の申し子。
孫鍾は、遠い祖先の魂が、確かに息子の中で息づいていることを感じずにはいられませんでした。
172年:熹平元年
「孫堅が、たった一人で海賊を退治した!」
その驚くべき知らせは、瞬く間に地方の人々の耳へと届きました。誰もが口々に語ります。「並外れた勇者だ」「まるで、天から遣わされた武神のようだ」と。孫堅の名は、一躍、近隣に轟き渡るようになりました。
ある日、孫堅が数人の仲間と険しい山道を歩いていた時のことです。突如、唸り声が響き渡り、巨大な猛虎が茂みから姿を現しました。鋭い牙を剥き出し、恐ろしい咆哮を上げながら、通行人に襲いかかります。同行していた者たちは、その威圧感に全身が凍りつき、足が地に着いたように動けません。恐怖で顔は蒼白になり、ただ震えるばかりでした。
しかし、ただ一人、孫堅は微塵も怯みませんでした。
「これは、天が我に勇名を立てさせようとしているのだ!」
低い声で言い放つと、孫堅は背に負っていた弓を素早く手に取り、矢をつがえます。研ぎ澄まされた眼光が、獲物である虎を射抜きました。息を呑む静寂の中、放たれた矢は一直線に虎の喉元へと突き刺さります。
「グォォォ……」
断末魔の叫びを上げ、巨虎が地面に崩れ落ちました。孫堅は、その息絶えた虎を軽々と担ぎ上げ、悠然と村へと戻ってきたのです。
その光景を目にした人々は、言葉を失いました。「孫堅様は、やはり只者ではない!」「なんと勇猛な御方だ!」感嘆の声が津波のように押し寄せ、孫堅の評判は、さらに高まりました。
その時、「虎殺しの英雄」誕生の瞬間を、まさにその目で見ていた人物がいました。祖茂。彼は、孫堅の幼馴染であり、無二の親友です。
後日、祖茂は、その時の様子を興奮気味に語りました。「孫堅は、子供の頃から本当にスゲーやつだったんだ。あの時、俺なんか虎を見た瞬間にチビりそうになったっていうのに……。あいつはもう、涼しい顔で弓を構えていたんだからな!」
173年:熹平二年
若き日の孫堅の、数々の勇猛なエピソードは、瞬く間に近隣へと広まりました。その噂を聞きつけた地元の役人は、彼の非凡な才能を見抜き、孫堅を地方官に取り立てることを決意します。
「これほどの勇猛さを持つ者ならば、武官として最適でしょう。警察官に、保安官に、あるいは岡っ引きのような役目でも、きっと非凡な働きを見せてくれるはずです」
役人の熱心な推薦により、孫堅は任官を果たしました。その職務は、主に軍事、治安維持、そして各地で起こる反乱の鎮圧といった、実戦的なものでした。役人というよりも、まさに地域の平和を守る、頼れる武官としての立ち位置だったと言えるでしょう。
孫堅は、まず地元で跋扈する山賊や盗賊の討伐に乗り出します。その戦いぶりは目覚ましく、次々と賊を打ち破り、治安の改善に大きく貢献しました。その功績は、人々の称賛を集めました。
次なる勤務地は、塩瀆県令。ここでは、県のトップとして、行政、税務、司法、そして治安維持の全てを監督する立場となります。しかし、孫堅はその重責にも臆することなく、卓越した能力を発揮し、県政を見事に治めたのです。
その抜きん出た能力によって、孫堅はトントン拍子に出世の階段を駆け上がっていくことになります。