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70. 帰城 (サリタニアside)

 転移馬車はわたくし達王族が住む離宮の裏庭に辿り着きました。お父様もお母様も公務で忙しい時期などは城で寝泊まりする事もある為、離宮には最低限の人しかおりません。裏庭などは特に、定期的な手入れの為に庭師が出入りする以外はわたくしやお母様がひと息つく為に赴くくらいです。日も沈むこの時間には使用人も誰もいません。


 国境の村へと向かう前日に城へと帰ったクライスは馬車の杭をここに移動させたのでしょう。このように人目につかない場所を選んだという事は、カティアを城に連れて来るというのはクライスの中では決まっていた事なのですね。


「陛下や王妃様、関係者に報告してまいります。侍女頭に迎えに来させますのでそれまでここで待機していてください」


 そう言ってクライスは城の方へと向かってゆきました。わたくし達は何もする事が見つからず、何かを言葉にする事も躊躇われてただただカティアを心配するばかりです。握ったカティアの手が暖かい事だけが急く心をなんとか落ち着かせてくれます。


 しばらくすると馬車の扉を叩く音が聞こえました。念のためエディが扉を開くと、お母様付きの侍女頭のミラベルが待っていました。


「おかえりなさいませ、サリタニア殿下。簡略なご挨拶で恐縮ですが何よりも先にエカティリア様をお部屋へとお願いいたします」


 エカティリア…それがカティアの本当の名前なのですね。横に座るプリメーラのお守りの入った箱を持つ手に力が入りました。お守りに刻まれた頭文字と一致します。


「構いません。部屋は用意してあるのですね」

「はい、先日一時帰城されたクライス様のご指示で整えております」

「ありがとう、行きましょう」


 エディにカティアを抱き上げてもらってミラベルに付いて離宮の中へと入りました。使用人達はお父様やお母様について城にいるか仕事を終え帰宅しているのでしょうけれど、不思議と警備の騎士達とも顔を合わせませんでした。この短い時間でクライスがそのように手配したのでしょうか。


「こちらになります」


 そんなに長い間離れてはいないと思っておりましたが、懐かしく感じる廊下を進んで案内された部屋は来客用と教えられていたわたくしの隣の部屋でした。ここはプライベートな離宮ですし、仲の良いお友達が城に泊まる時でも城の賓客室に泊まってもらい、わたくしが城の自室で休む形になります。いつ使うのだろうと思っておりましたが…最初からお姉様の為のお部屋だったのですね。


 中に入るとわたくしの部屋と同じような調度品で整えられておりました。わたくしのものと色違いのベッドにカティアを寝かせます。顔色は特に悪くはないようですが、心配は尽きません。


「カティア…」


 カティアの手を両手で強く握り、祈るように顔を近づけて目を瞑りました。どうかカティアの体が無事でありますように、今眠っているだけならば悪い夢を見ていませんように。


「殿下、恐れながら少々よろしいでしょうか」


 ミラベルに呼ばれて顔を上げ許しを出します。


「クライス様より、エレインをお借りしてもよろしいかとのご伝言です」


 エレインはわたくしの侍女で、レティーツィアの姉です。わたくしはクライスの意図を察して大きく頷きました。


「わたくしからのお願いとも伝えて、最終的には本人の意思を尊重してください」

「かしこまりました。それではわたくしはしばし離れさせていただきます。陛下と王妃陛下は夜までは人に知られずこちらに戻る事が難しいだろうとの事でございますが、侍医のザイツェル様はすぐに来られるかと思われます」

「ありがとう、貴女にも無理をさせるかと思いますがしばらくお願いしますね」

「恐れ多い事でございます。何なりとお申し付けくださいませ」


 ミラベルが部屋を出ていくとエディとプリメーラから小さなため息が聞こえました。


「2人とも疲れたでしょう。ザイツェルが来るまで休んでいてくださいな」

「…いえ、申し訳ございません姫様。あまりの事に頭が追いついておりませんが、私は大丈夫です」

「姫様、わたくしは偶然あの場にいただけの身ですが、カティアさんの事は周りに口を閉ざしていればよろしいのでしょうか?何か出来る事はございますかしら?」

「わたくしもカティアの事についてはプリメーラと同じ理解しかありませんから、クライスを待ちましょう。でもきっとカティアは目覚めた時には不安でいっぱいでしょうから、側にいてください」

「かしこまりましたわ」


 カティアがわたくしのお姉様という事と、小屋でクライスが言っていたカティアが宿にいた理由しかわたくし達にはわかりません。憶測でものを言うものではないと散々クライスに教えられて来ましたが、なぜわたくしには何も知らされなかったのでしょうか、知っていたならもっと何か出来る事があったのではないでしょうかと思わずにはいられず、鼻の奥がツンとして視界が歪んできたところで扉を静かに叩く音が聞こえました。


「私が見てきます」


 エディが扉へと向かい、わたくしは溢れそうになる涙をぐっと押し戻して顔を上げます。エディに案内されて扉から入ってきたのは白衣をまとったザイツェルでした。


「サリタニア殿下、おかえりなさいませ。愚息が大変お世話になりました」

「クライスはあちらでもわたくしを支えてくれました。お礼を言いたいのはわたくしの方です」

「恐れ入ります。さて…」


 ザイツェルはベッドの方に視線を向けました。わたくしはザイツェルの穏やかな笑みとゆっくりとした動きに少しだけ安心して、カティアの側を譲ります。


「失礼いたしますね」


 ザイツェルとクライスはお顔がよく似ていますが、お医者様だからでしょうか、笑い方や話し方、所作などはキリリとしたクライスとは違い、相手を安心させてくれるような穏やかさに満ちています。


「ふむ…」


 脈を測ったり医療器具を当てたりしながらしばらくカティアの状態を診ていたザイツェルは小さく頷いてこちらを向きました。


「健康状態も魔力の流れも問題はありません。クライスの話ですとエカティリア様は急激にご自身の魔力を取り戻されたようですから、その衝撃で意識を一時手放されたのでしょう。体が休まれば自然に目覚められるはずですよ」


 ザイツェルの言葉にわたくし達は大きく息を吐きました。無意識でしたが、相当体に力が入っていたようです。


「目覚められましたら沢山水分を摂っていただいてください。食事も制限はありませんから摂れるようでしたら是非に。私もしばらくは毎日診察させていただきますが、何か不安な事があれば夜中でもすぐにお呼びください」

「ありがとう、ザイツェル」


 心強い言葉に感謝の言葉を返すと廊下からばたばたと駆けてくる足音が聞こえ、ノックもせずにクライスが勢いよく部屋に入ってきました。お父様への報告の為か、元々宿で着ていたラフな服装に礼装のジャケットを羽織っただけのちぐはぐな姿からクライスの焦りが見て取れます。

 

「父上っカティアさんは…」

「問題ないよ。魔力が急に戻った衝撃で眠られているだけだ」

「そう、ですか…」


 大きく息を吐いたクライスが安心した所為か膝の力が抜けたところをエディがすかさず支えました。


「ごめん、エディ…」

「大丈夫か?…まったく、どれだけ重いものを抱え込んでたんだ…」

「ごめん…」

「いや、悪い、お前は悪くないよな。でもカティアさんに説明する時と一緒で良いから、今度は俺たちも聞かせてもらうからな?」

「あぁ、もうエディ達には全部話して良いと陛下からも許可を得たから」


 エディに支えられて椅子に座りながらそう言うクライスの顔はいつもより少しだけ穏やかに見えました。本当に、お父様はなぜクライスだけにこんなにも負担になるような命を与えたのでしょうか。秘密にしなければいけなかった事でしょうが、もう一人くらい、秘密を共有してクライスを支えられる人がいても良かったのではないでしょうか。


「クライス」


 ザイツェルがクライスの側へと行き、念の為と脈を取ったり膝の状態を診たりしています。


「お前も問題ないようだね」

「…気が抜けただけです」

「そうか、よく頑張ったな」


 こちらからはザイツェルに隠れてクライスの表情は見えませんでしたが、少しだけ震えながらはい、と返す小さな声だけが聞こえました。


「では私は陛下へ報告に行ってまいります。クライス、陛下方のご案内は私に任せて、お前もこちらでエカティリア様のお側にいて差し上げなさい」

「ありがとうございます、父上」


 ザイツェルが部屋から出てゆき、少しの沈黙が部屋を包みました。


「…すみません、もう少し、うまく出来ると、思っていたのですが」


 椅子に座ったままのクライスは、膝の上で組んだ自分の手を見つめながらぽつり、ぽつりと言いました。


「クライス、カティアは眠っているだけ、じきに目が覚めるとザイツェルが言っていましたよ。何も失敗などしていないのではないですか?」

「姫様…」

「そうですわ、誰も傷ついてなどいないのです。それに、陛下のお許しを得られたという事は、これからはわたくし達は貴方を支えられるという事ですわよね?」

「そうそう、宿では何も出来なかったんだから、今度は何でも言えよな?」


 わたくし達の言葉にクライスは目を潤ませ、立ち上がって頭を下げました。


「ありがとうございます。これからカティアさんには色々と大きな負担がかかると思いますから、どうか一緒に支えてください」


 わたくしはエディ、プリメーラと顔を合わせて頷きました。エディがクライスの肩をぽんぽんと叩くと、クライスも顔を上げました。その、今まであまり見たことのないようなクライスの幼気な表情に、先程から燻っているどうして、という気持ちがまた膨らみますが、今はクライスとカティアを支えなくてはと必死に心の奥に押し込みます。


「う…ぅん…」


 カティアの小さな声と布が擦れる音が聞こえて振り返ると、カティアの綺麗な手がピクリと動きました。


「カティア?」

「カティアさん?」


 顔をのぞき込むと、目を覚ましたのか少しずつ目が開いて、綺麗な深い瑠璃色の瞳が見えてきました。柔らかい茶色の髪にも合っていましたが、金色の髪色にも映える宝石のような瑠璃色がこちらを捉えました。あぁこうして見るとお父様にとてもよく似ていらっしゃいますね。


「カティア、おはようございます」


 わたくしは宿でもそうしていたようにカティアに目覚めの挨拶をして、カティアの不安な気持ちを丸ごと包めるようにそっと抱きしめました。まずはカティアを苦しめる誤解を解かなくてはなりません。


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