68. 小屋の秘密
ずいぶんと長い時間クライスは祈り続けていた。丁寧に報告してくれているのだろうか。もし祖母が生きていて、クライスと直接話をしたらどんな風に話すのだろうと考えた。きっと私が好きな人なら、祖母も気に入ってくれるだろう。
—そのうち、あなたに大切だと思う人が出来て…
ふと、祖母の声が頭の中に響いた気がした。響いた、というよりは思い出したと言った方が良いかもしれない。昔聞いた祖母の言葉が記憶の引き出しを飛び出してきたような感覚だった。それと同時に思い出した。プリメーラがエドアルドに贈ったお守りをどこで見たのかを。
「お待たせしました…カティアさん?どうしました、顔が真っ青ですよ?!」
「クライスさん、すみません、私、帰って確かめたい事が…」
確かに祖母が持っていた。いつ言われたのか覚えていないけれど、あなたに大切だと思う人が出来て、ここを離れる時がきたらこれを持って行きなさい、あなたに贈られた大切なお守りだから、と言いながらお守りを一度だけ見せてくれた。名前が刻まれていたのかまでは覚えていない。まだ文字が読めない頃だったのかもしれない。ただ、ひとつだけ、記憶違いであってほしい、プリメーラのものとは異なる点があった。
再び吹き始めた冷たい風に足を早めながら、短い帰路でプリメーラとお守りの話をした事、それに見覚えがあった事、祖母が持っていたのを思い出した事をクライスに説明した。
「あの、クライスさん、一緒に祖母の部屋に入ってもらえませんか…?」
もし記憶通りなら、クライスには知られたくない。クライスだけじゃない、今宿で待っていてくれている全員、何よりサリタニアに知られたくはなかった。けれどこの状態で祖母の部屋に一人で入ると思うと、足が震えて動けなくなりそうだった。
「カティアさんがよろしければ、もちろん」
そう言って、行きとは違って繋いだ手を励ますように強く握ってくれた。
宿に着くと、私の顔を見たみんなが心配してくれた。事情を説明して、祖母の部屋にお守りを探しに行くと告げるとみんなも協力すると申し出てくれた。もし記憶通りの結果だった時にサリタニアにはその場にいてほしくはなかったけれど、こんなに心配してくれている顔を前に無碍に断る事など出来なかった。
祖母の部屋は小屋にある。亡くなってから、遺品を整理しなくてはと何度も思ったけれど、どうしても出来なくて、鍵をかけてしまった。
「何の部屋かと思っていたが、カティアさんのお祖母様の部屋だったんだな」
久しぶりに鍵を開けて扉を開けると、少しこもった空気が流れてきた。誰も使っていない部屋はそこまで埃も出ておらず、祖母が生きている時と変わりない姿を見せていた。
「……っ」
中に入ろうと足を出そうとしたが、うまく動かない。みんな後ろに待っているのだから、早くしないと。
「ゆっくりで大丈夫ですよ、カティアさん」
肩に手を置かれ、その温もりを感じて深く息を大きく吸って、もう一度足に力を入れた。
一歩部屋に入ると、祖母との思い出が次々と蘇ってくる。まだ幼かった日、一人で寝るのが怖くて入れてもらったベッド、手伝えると言い張って片付けようとしたのに落としてしまった本たち、定期的に身長を刻んでいた柱、黄色と紫の花が好きだった祖母の為にいつも用意していた花瓶、眼鏡をかけて本を読んでいたお気に入りの椅子…目に入る全てに祖母との思い出があり、胸が締め付けられるようだった。でも、感傷に浸る前にやる事がある。
「何でも触っていただいて大丈夫です。お願いします」
出来れば、自分で見つけたい。そして記憶の通りだったらそのまま見つからなかった事にして、後でクライスに相談する時間がほしい。そう思いながら私は棚を端から確認していった。
「見つかりませんわね…そこまで物があるお部屋ではありませんが…どこかに隠してあるのでしょうか?」
「…うん?」
「どうなさいました?旦那様」
「いや、ちょっと…すまない、一度外に出る」
そう言いながら小屋の外へ出て行ったエドアルドはすぐに戻って来て今度は部屋の端から端へと歩き始めた。
「エディ?どうしたのです?」
「いえちょっと長さが…あぁ、やっぱり。カティアさん、この小屋に外から入れる別部屋なんてものは?」
「え…?ない、ですが…」
少なくとも20年近く住んでいて見たことはないし、祖母からも聞いていない。
「小屋の長さと、この部屋の奥行きが合わないんだ。逆側は今姫様が使われている部屋で窓があるから、お祖母様の部屋の、この壁の向こうにまだ少し空間があるはずだ」
エドアルドはコンコン、と壁を叩きながら言った。それを聞いてクライスも壁に近付き、コンコン、と色んな場所を叩き始めた。
「確かに空間がありそうな音ですね。隠し部屋…でしょうか…と、すみません、ここ動かしますね」
突然の自宅への事実に驚いて何も言えないでいると、クライスが壁際に積んであった箱を動かした。確か、昔お茶を壁に向けてこぼしてしまったとかで隠していたと祖母が言っていた。
「…これは……」
祖母の言っていた通りそこにはお茶がかけられた染みが広がっていた。けれど、今の私には染みよりも目立つように見えるものがあった。壁にいくつかの石が埋め込まれている。そして、染みに隠されているけれど、何か模様のような文字のようなものも書かれているように見える。何も知らなければ、材木の模様に見えるかもしれない。私が気付くくらいだ、クライスももちろん気付いているだろう。
「魔石術…ですね」
壁に触れながらクライスははっきりとそう言った。どうして、祖母の部屋にあるのだろう。祖母は魔術は使えないと言っていた。魔石術の話だって聞いた事がない。
「カティア…?大丈夫ですか?」
足と手の先が冷たくなってがくがくと震えてくる。立っているのも精一杯な状態で、気にかけてくれるサリタニアの方を見ることが出来ない。
「…発動出来そうですが、どうしますか?」
壁を調べていたクライスがこちらに問いかける。この先を見たくないという気持ちと、見なくてはいけないというどこかから湧き上がってくる義務感がせめぎ合う。私の不安を煽るように外の風も強くなってきて、木々を大きく揺らしながら鳴る風の音が耳障りだった。
「カティアさん」
何も言えずにいる私の前にいつの間にかクライスが立っていた。
「あ…」
「この先を見るのに抵抗があるならここでやめましょう。貴女に負担をかけてまで調べる事ではないと思います」
「で、でも…」
「真っ青ですよ。カティアさんの体調が一番ですから…」
極度の緊張と不安で全身が冷たいのに心臓だけはばくばくと膨らんではじけてしまいそうに鳴っている。そんな状態から逃げたくてたまらない。でも、ここで見なかったふりをして、本当に解放されるのだろうか?ずっと気になったまま、もやもやとした不安を抱えて今までのように生活出来ずに、平気なふりをして、作り笑いをして、そんな私をきっとこの人達は心配してこうして気を遣ってくれるのだ。なら、どうせ苦しむなら別の形が良い。
「…クライスさん、お願いします」
「良いのですか?」
「……はい」
こくりと頷く。クライスの顔は見れなかった。この先、私の不安が思っていた通りのものだったらこんな風に優しい声で話しかけてくれることもなくなるかもしれない。
「では」
再び壁の方へと向かったクライスは腰のポーチから何かを取り出して壁に手を置いた。その瞬間、壁に埋め込まれた石から光の線が生まれて壁を伝っていく。蔦が伸びるように光は広がってゆき、壁を四角く囲ったと思うとその囲まれた空間が透けてゆき、透けた向こうに空間が見えた。
「部屋だ…な」
エドアルドがぽそりと呟いた。クライスの開いた壁の向こうは小さな長細い部屋になっていた。ここにいる6人がギリギリ入れるくらいの広さだろうか。
「カティアさん」
クライスに呼ばれて冷たい足を必死に動かして部屋へと入った。そこには、数々の瓶に入れられた枯れた植物に色とりどりの石、古くなった本や紙束、それに、以前クライスに見せてもらった魔石術の道具の数々がところ狭しと置かれていた。
「まるで研究室のようだな」
エドアルドが言った。
「カティアのお祖母様は研究者の方だったのでしょうか」
そんな話は聞いたことがない。
「もしくはご両親が…」
両親は、両親の事は何も知らない。顔も、名前も、どういう人だったかも。幼い頃に一度だけ祖母に聞いた事があったけれど、あの困った笑顔をされて、聞いてはいけない事だと思ってそれ以降考えないようにしていた。
立っているのが限界になり近くにあった机に手をつくと、小指にこつりと箱の角が当たった。綺麗な磨かれた石が埋め込まれ、金属の模様で縁取られた、この部屋には似つかわしくない豪奢な、けれど品のある箱だった。何だか無視できなくて、箱の蓋に手をかけた。鍵はかかっていないようですんなり開いた箱の中には、記憶の中にある通りのお守りが入っていた。そう、黄金色をしたお守りが。
「……っ」
頭から全ての血が引くような感覚にぐらりと視界が揺れた。箱に手を引っ掛けてしまったようでガシャンと落ちる音が聞こえると同時にパキンパキンと石が続け様に割れる音が頭に響く。
「カティアさん…!」
クライスの声が遠くに聞こえた。頭が割れるように痛くて、今度は全身の血が熱くて噴き出しそうな感覚がするけれど、どうしても言葉にしなければいけないことがある。
「ごめんなさい、ごめんなさいターニャ」
お守りは、家族に自分の魔力の適性の色の石を使って作るとプリメーラが言っていた。ここにある、私に贈られたというお守りは黄金色をしていた。黄金色の魔力は王族のもの、それは髪色と同じくこの国に住む者なら誰でも知っている。両親の話をしたがらない祖母の顔が思い浮かぶ。仕方なかったのだ、だってそこで王族の名前なんて言えないから。祖母が貴族の生活の知識があるのも、魔石術の研究をしていたのもきっと元々そちら側の人だったから。私がここにいるのは王都から離れなくてはならない理由があったから。
おそらく私は、サリタニアの家族を奪って、苦しめる、不義の子…。
「カティア…?」
サリタニアの不安に揺れる声が聞こえたけれど、どうしても顔を見ることが出来なかった。
「ごめん、なさい」
絞り出すように謝罪の言葉を口にした後、一際大きい石の割れる音が聞こえて、視界は暗闇に包まれた。




