7 はじめてのピクニック
クレヴァリー領は、国の最南端にあるため温暖だ。
アモルフロース王国は年間でゆるやかに気候変動をする国だが、南の地方はやはり他よりも暑さが強い。ノーリッシュ領も同様に温暖地域に当たるためアレクシアは慣れているが、それでも暑いものは暑い。
昨年アルフレッド殿下と婚約してからは、王子妃教育のため年の半分は王都の屋敷で過ごしており、今年の夏季休暇はより暑さが厳しく感じられた。
そして、それは女神も同様だったようだ。
「やっぱりここは暑いわね。特に今の時期は」
『全くだわ。溶けちゃいそう。誰よヒロインの実家を温暖設定にしたやつ。ちょっとはプレイヤーの気持ちを考えなさいよね』
アレクシアの漏らした弱音に反応したのは、ぐったりとテーブルに寝転ぶウサギだった。艶やかなテーブル面が他よりも冷たいのだろう。ぺったりと伏せた状態で、だらしなさを隠しもせず不満を垂れ流している。
「貴方はもうちょっ人目を気にしたらどうなの。女神の威厳が欠片も感じられないわよ。というか、その姿って熱を感じるの?」
『うるさいわね。いいのよ、私はここにいるだけで偉大さに満ち溢れてるんだから。あと、依り代にした時点でこの体は私のものなの。熱も冷気も感じるわよ。無感覚の体に入ってもつまらないじゃない』
でも今はちょーっと失敗したかもって思ってるわよ、と暑さに参っている女神に、アレクシアはそっと扇で風を送ってあげた。
こんなのが女神なのかと目を疑う日々だが、今までの人生で気軽な友人のいなかったアレクシアにとってはこの言い合う奇妙な関係も多少楽しくはある。
『あ~、気持ちい。もうちょっと強い風ちょうだい』
「調子に乗るんじゃないわよ。もうすぐリーンが戻って来るわ、そうしたらちゃんとぬいぐるみしててよね」
『ええー、意地悪』
ぐちぐちと文句を言いながら、女神はころりと仰向けの体制に転がった。側にポシェットを置いておけば、侍女へのカモフラージュは完成だ。
ほどなくして冷たい飲み物をもって帰ってきたリーンは、フィリアを伴っていた。
暑さに苦労していたアレクシアを思ってか、クレヴァリー辺境伯から珍しく外出の許可が出たらしい。
(以前だったら許されないことだったし、フィリア自身も出かけたいとは言わなかったでしょうね。これもフィリアの努力の賜物だわ)
性格も明るく活発になった。少々お転婆が過ぎるところがあるが、良い傾向だ。
都市の城壁外になるが、治安が良く、馬車で日帰りできる距離に小川があるという。子供の足首程度までしか水嵩のない小さな流れは、子どもの避暑の遊び場としてちょうどいい。
アレクシアとフィリアは、数名の侍女と護衛と共に小川へピクニックに向かった。
「きれいな川ですね。きらきらしてる」
楽しそうな顔で小川を見るフィリアに、アレクシアも嬉しくなって微笑んだ。
「水に足をつけてもいい?」
「少しならいいんじゃないかしら。足元気を付けて、」
「わあ!」
侍女の手を借りて小川に足を入れたフィリアは、初めての感触なのか歓声をあげて目が輝かせた。
「アレクシア様もはいりましょう。冷たくて気持ちいいですよ」
手を伸ばしてくるフィリアにちょっと迷ったが、アレクシアも思い切って手を取った。
(貴族令嬢としてははしたないかもしれないけど、子どもなんだもの。ちょっとくらいいいわよね)
前回は訪れることさえなかった小川は、確かに冷たくて気持ちが良かった。
ウサギは濡れたらいけないと侍女に言われて置いてきた。帰ったら女神から恨み言をいわれそうで、それだけが面倒くさい。
「あまり歩き回っては駄目よ。足の裏を怪我してしまうわ」
「大丈夫です。身体強化をすれば怪我しません」
「そ、そう……でもせっかく伯爵様がフィリアの努力を認めて外出を許可してくださったのだから、気をつけないとね」
はしゃぐフィリアをなだめるようにアレクシアが言うと、フィリアの頬がぷくりと膨らんだ。
「違います。お父様は私をお客様に会わせたくなかっただけです」
「え?」
不貞腐れた様な声に、アレクシアは目をしばたかせた。
「今日はお屋敷に大切なお客様がいらっしゃるそうです。でも、お父様は私に会わせたくないみたいで、本当は一日部屋にいなさいって言われてました」
「それじゃあ」
「会わないようにするだけなら、お出かけしたいと言ったんです。それで、お父様も良いよって。だから、お父様は認めてくださったわけじゃありません」
頬を膨らませながらどこか哀し気な声に、アレクシアはついフィリアの頭を撫でた。
辺境伯は今でもフィリアが鍛錬に加わることを快くは思っていないらしい。
本当は部屋に閉じ込めておきたいほど大切な娘を、外出させてまで会わせたくない相手というのも気になる。
「いったいどなたがいらっしゃるのかしら」
「分かりません。でも、とっても偉い方だと思います」
「そうね」
そこまで接触を避けるということは、フィリアの友人として滞在しているだけのアレクシアには当然知らせないだろう。それに、アレクシアは話相手としてフィリアとほとんど一緒に過ごしているため、フィリアに会わせないのなら、アレクシアにも会うことはない。
(嫌な予感がするわね)
前回のアレクシアでは知り得ないことだが、辺境伯がいやいやながらも断れないということは、それなりの権力者だ。
「お嬢様方、そろそろお茶にいたしましょう」
「はーい! 今日のお菓子はなに?」
「本日は料理長自信作のマフィンです」
「やった!」
考えを巡らせるアレクシアの横で、侍女の言葉にフィリアはころりと機嫌を直した。
「アレクシア様もどうぞ」
「ありがとう」
美味しそうにマフィンを食べるフィリアに、アレクシアも侍女からのお茶を手に取る。
柔らかな風と、木々の隙間から漏れる日差しが気持ちがいい。護衛がいるものの、のどかな風景に、アレクシアは肩から力が抜ける思いだった。
気になることはあるが、今考えても分からないことはひとまず脇においておこう。
「おいしいですね、アレクシア」
「ほんとう、さすが料理長自信作ね」
ゆっくりとした時間のなか、アレクシアたちはピクニックを楽しんだ。
しばらくのんびりと過ごしていた一行だったが、お茶の道具を片付け始めたあたりでフィリアが怪しげな動きをしているのを視界の端でとらえ、アレクシアは護衛と慌てて追いかけた。
「フィリア、なにしているの」
「もうちょっとだけ、入りたくて」
余程小川が気に入ったのか、初めてともいえる遠出に高揚しているからか、侍女が片付けに気を取られている間にフィリアは休んでいた木陰から少し離れて再び小川に近づいていた。
「一人で離れたら危ないわ」
「だいじょうぶです。身体強化もかけてるし」
アレクシアの声もきかず、フィリアはあっという間に靴を脱ぐと再び小川に足を下ろした。
「冷たくてきもちいい」
ほうっと息をついたフィリアに、アレクシアはため息をつく。
「もう、あんまりお転婆してると辺境伯に怒られるわよ」
「そのときはちゃんとあやまります」
「まったく」
十一歳になったフィリアは活発になった分、ちょっとやんちゃになった。
ぱちゃぱちゃと水で遊ぶフィリアを見守りながら、アレクシアも気持ちよさそうでもう一度入りたいなとちょっとうらやましく思った。夏期というだけあって、確かに少し暑い。
「フィリア、そろそろあがないとばれるわよ」
「はーい」
どうせ足が濡れているからバレるのだが、侍女が探している気配を感じてアレクシアは声をかけた。
しかし、フィリアがあがるより早く、護衛が庇うようにフィリアの元に駆けた。同時に、小川の反対側の木の影から人影が出てくる。
「おまえたち、何をやってるんだ」
「えっ!」
身なりは簡素だが平民にしては小ぎれいな格好をした茶髪の少年が現れて、全く想定外のことにアレクシアもフィリアも硬直した。