5 過保護の理由
少し短いため、本日二回目の更新になります。
『あそこまで引っ込み思案な子だったかしら?』
滞在する部屋に通されると、途端に怪訝な表情のウサギがポシェットから飛び出してきた。
客間の丸テーブルに降り立つと、勝手に備え置かれた水差しからコップに水を注いで飲んでいる。自由なものだ。
「無理もないわよ。貴方も知ってるでしょ」
前回すでに体験したはずだと問いかけるアレクシアに、女神はしれっといった。
『誘拐事件ね。覚えてるけど、この頃の記憶って曖昧なのよ。学園生活の三年間ばっかりを何回も繰り返したせいで、そっちの記憶が焼きついちゃって』
「それも乙女ゲームのため?」
『そうよ。ゲーム本編はフィリアが魔法学園に入学するところから始まるんだもの。子供の頃まで戻ってたら、攻略対象に会うまで時間かかっちゃうし、嫌だったのよね』
だから手っ取り早く教えてよ、と話す女神は、呆れるアレクシアを他所にポシェットから勝手に焼き菓子を取りだして食べ始めた。一枚のクッキーを抱え、頬に屑をつけながら菓子を頬張る姿に毒気を抜かれそうになるが、いや、騙されるな、こいつが諸悪だと自分を叱咤する。
「曖昧でも覚えてるって言ったわね。なら、フィリアさんが一年前に誘拐未遂にあったことは知ってるわよね」
『それで過保護にされてるってのは覚えてる。学園に入学するまで、それでものすごく窮屈だったもの』
「そのせいよ」
うんざりといった表情で話すウサギに、アレクシアはため息をついた。
そう、何故あそこまでフィリアが激しい人見知りをしているかというと、一年前に彼女が誘拐未遂にあっているからだ。
犯人は辺境伯領内で捕まり、誘拐があったこと自体、他家には隠されているが、前回の時間軸でアレクシアは知っていた。
クレヴァリーの妖精姫と呼ばれるほどに可愛らしいフィリアの容姿は人目を惹いていた。上に屈強な兄が二人、父と祖父は部下も恐れる強面、母と祖母も高身長というなかで、小さく可愛らしいフィリアは一族のお姫様だったのだ。
そんなフィリアが九歳のとき、フィリアのための衣装をと招きいれた行商人のひとりによって、フィリアが誘拐された。行商を装った人さらいだったらしく、慣れないことをした穴をつかれたのかもしれない。誘拐犯は鬼将軍が住まう辺境伯領であっという間に捕らえられ、フィリアも傷一つなく無事に救出されたが、それ以降フィリアへの過保護は加速した。
もとより過保護に守られていたが、ますます外に出してもらえなくなったフィリアにアレクシアが会えたのは、年の近い同性の遠縁だったからだろう。
(でも、過保護がすぎるのよね)
要塞のごとき城塞都市の最奥にある、箱庭のような花の邸宅の中で、身内とだけ接して生活するフィリアは、筋金入りの箱入りお嬢様となっていた。
だが、これではいけない。あと六年もしたら魔力を持つフィリアは魔法学園に入学しなければならない。クレヴァリー領から王都は遠く、フィリアは実家から離れて、様々な人の通う学園で過ごさなければならないのだ。
(少しずつでも慣れていかないと彼女のためにも良くないわ)
前回のとき、アレクシアは失敗していた。
フィリアと交流しようにも、人見知りの激しいフィリアは常に家族に引っ付いており、それが出来ない時間は長年彼女に仕えている侍女にべったりだった。何度も声をかけたアレクシアだったが、前回は自身も十歳の子どもだったこともあり、あまり上手くいかなかった。忍耐力も話術も子ども並みだったのだから仕方ない。
結局大した話し相手にもなれず夏が終わり、その次の年は別の令嬢が呼ばれたため次の機会は訪れなかった。
(こうして甘やかされて箱入りに育った結果、魔法学園では貴族の常識を知らないふわふわとした妖精姫が出来上がったと思ったのよね。並外れた容姿と素直な天然さで全てが許されたのだから、傾国の乙女になれそうだったけど……あれって全部こいつだったのよね)
目の前でクッキーを完食して満足気にひっくり返っているウサギに何とも言えない気持ちになった。
学園の天使と目の前のウサギの中身が同じということは、箱入りの天然だと思っていた部分も作り物だったということか。
被害者だと思っていたフィリアの実態に、アレクシアは頭痛がしそうだった。
だが、このままでは同じ過去を持つ今のフィリアもまた箱入りとして育ち、その結果、待つのは何者かによる殺害であり、その罪はアレクシアに飛び火する可能性が高い。
(どれもこれも可能性の段階だけど、そうだった未来を経験してるんだもの、軽視できないわよ)
であれば、ここでフィリアの人見知りを直し周囲との人間関係を改善することは、アレクシアが生き残ることにもつながるだろう。
アレクシアはその日から、辛抱強く待った。
時に微笑みながら、時にお茶を飲みながら、時に本を読みながら。フィリアが自分からやってきてくれるのを待ち、近づいてきたらゆっくりと顔を合わせて挨拶をする。驚かせるような大きな音や声を出さず、目を合わせ続けるのは緊張させてしまうため、ほんの少し視線をずらして接する。
やがてフィリアはアレクシアの側に寄るのを怖がらなくなり、フィリアとアレクシアは一緒に本を読んだりお茶をしたりと、順調に交流を深めた。
女神は、クレヴァリー領の名産果実やお菓子を食べては寝て、ときおり勝手にどこかへ行っては昼寝に帰ってきたりと好き勝手怠惰に過ごしているようだった。順調そうじゃない、良かったわあ、なんて人の苦労も知らず言っていたが、人目につかないでいてくれるのであればアレクシアにそちらに構っている暇はない。
アレクシアとフィリアが互いの名前を敬称なしで呼ぶようになった頃には、二人だけのときは敬語も外して友人として楽しく会話できるほどになった。
ゆえに、アレクシアが未来の悲劇を思ってフィリアに進言したのは、ほんの思い付きだった。
「お外が怖いの?」
「怖い。お外は悪い人がいっぱいって聞いた」
「だったら、フィリアが自分で自分を守れたらいいんじゃない?」
「自分で?」
「そう、フィリアのお兄様もお母様もお父様もとてもお強いもの。フィリアが強くなればいいのよ!」
ほんの少しでもフィリアの生存率が上がればいい。そんな軽い気持ちで言った言葉だった。フィリアはきょとんとしていたし、側に控えていたメイドたちも微笑ましそうに笑っていた。
やがて夏が終わり、アレクシアが領地に帰る頃には、すっかり仲良しの友人となった二人は盛大に別れを惜しんだ。フィリアの涙目にはアレクシアも心を鷲掴みにされたが、また来年もくる約束をして別れたのだ。
だからまさか、その次の夏、アレクシアは自分の発言を後悔することになるとは全く思っていなかった。