間食 少しでも不安を解消したくて……ハーブティーを
料理教室も無事に終わり、他の人は犬を連れて帰ったりしている中、樹と智里は片付けを手伝っていた。智里は調理室、樹は店長と一緒に石窯の跡片付けをしていた。
「……申し訳ないですね。お客様なのに、手伝わせてしまって……。」
「いえいえ、とんでもないです。お料理教室楽しかったですし、なにより、奥さんお腹大きいのに片付けまでしていたら大変ですもの。ゆっくり休んで下さい。」
「ふふっ、ありがとうございます。実は少し、お腹が張っていて……。」
背もたれ付きの椅子に深く腰かけながら、ゆっくりと息を吐く。辛いのか、お腹を何度も擦っていた。その様子を見た智里は、何か和らぐ物がないかと思案した。だが、生まれて二十数年、女性特有の悩みに関して、ほぼ無縁と言っても過言ではない程、健康体だった智里は、どうしてあげれば良いのか分からなかった。特に妊婦相手だと、体内に居る赤ちゃんにも影響してしまうので、下手な事が出来ない。皿を食洗器にかけながら考えていたら、ふと、母の事を思い出した。母が昔、生理痛でしんどそうにしていた時、身体を温めていた。智里は急いで、自分が羽織っていたカーディガンを脱いで差し出した。
「と、取り敢えず、これ羽織っておいて下さいっ。」
「あら、ありがとうございます……。」
受け取ってくれた女性は、ゆっくりと肩にカーディガンを掛けた。他になにか出来ないかと、食洗器の取っ手を掴みながら頭をフル回転させて考えた。その時、ポケットに入れていた携帯が震えた。見るとディスプレイには「静」と出ていた。智里は直ぐ様、通話ボタンをタップした。
「あ-、やっと出たー。あのさぁ……。」
「し、静っ!! あんた、お姉ちゃん居たよねっ!?」
「はぁ? 居るけど、どうしたの?」
「お姉ちゃん、出産経験ある!?」
「ちょっ、落ち着けっ!! どうしたの、ホントに?」
焦っていた智里は門崎に促され、漸く落ち着いた。一通り事情を説明すると、「うーん……。」と唸られた。もしかしたら、分からないと言われるかもしれないと、一抹の不安が過った。だが、神崎から返って来た返事は、智里の不安を拭い去った。
「あー、確かねぇ、ハーブティー飲んでたかなぁ。マタニティブレンドってやつ。」
「マタニティブレンド……?」
「そ。子宮の働きを整えてくれたり、メンタルを落ち着かせたり……。妊娠中でも飲んでいい何種類かのハーブを配合してるの。ハーブ専門店で買ってたから、大丈夫だと思うよ。これ、むくみとかにも効くから、私持ってるし。」
「ほ、本当!? 持って来れる!?」
「まぁ、そのドッグランまでだったらそんな時間かかんないし、今から出るよ。んじゃっ。」
プツッと電話が切れた。取り敢えず、これで少しは女性がリラックス出来るであろう。智里は安堵の溜め息を吐いた。
「あ、あの、おこがましいとは思うんですが、私の友人がリラックス効果のあるハーブティーを持ってきてくれるんです。良かったら、飲んでみて下さい。きっと、お腹の張りも和らぐと思いますんで……。」
「あらら、気を遣わせてしまって申し訳ないですね。ありがとうございます。では、ゆっくり待たせてもらいますね。あ、そうでだわ。良かったら、お菓子でも摘みながら、お話しませんか? 私、お喋り好きだから。」
「は、はいっ。喜んでっ。」
智里が二つ返事でOKを出すと、女性は嬉しそうに微笑んだ。そして、テーブルの引き出しを引っ張り、ステンレスの箱を取り出した。開けてみると、まるで売り物のお菓子箱の様に、色とりどりの焼き菓子がプラスチック容器で区切って詰められていた。
「わぁ、美味しそうっ。」
「本来は店で出してるワンちゃん用の焼き菓子なんだけどね、主人が失敗したって言って破棄しようとしてたから、私が貰ったの。ほら、妊婦さんって、総カロリーを少し抑え気味にしておかないと、出産にも影響が出ちゃうし、甘い物を摂り過ぎると、赤ちゃんが糖尿体質や、肥満になちゃうからね。だから、低脂肪、低カロリー、自然の甘みで作ってるワンちゃん用のお菓子が結構良いのよ。勿論、食べてるのは手作りのだけどね。」
「……妊婦さんって、大変なんですね。」
一つ摘まんで、口の中に入れる。ホロホロと解けながら、カボチャの程よい甘みが口に広がる。これだと、何枚でも食べれそうな気がしてくる。もう一枚と、智里が手を伸ばすと、店の入り口の戸が大きな音を発てて勢いよく開いた。何事かと慌てて女性が立ち上がったのを引き留め、智里が恐る恐る厨房の壁から覗き込むと、バイクのヘルメットを被った人が、辺りを見渡しているではないか。警察に連絡しようとポケットに手を伸ばして携帯を取ったが、運悪く、手から滑り落ちてしまった。カシャンッと、床に落ちる音が店内に響き渡った。携帯を見下ろしながら顔を真っ青にしていると、智里に影が落ちた。ゆっくりと顔を上げると、ヘルメットを被った人が直ぐ傍まで来ており、店内のライトの逆光で余計に怖く見える。
「あ、ああ、あ、……。」
恐怖で上手く言葉が出てこない。震えていると、その人物は、智里の前に屈んできた。そして、背中の方を探っていると、スッとその手を差し出してきた。何かヤバい物かと思い、身構えた。だが、差し出された物は、使い古された様な紙袋だった。
「ちょっと、智里っ。なぁに、ビクついてんのよ。」
「……へ? その、声……。」
聞き慣れた声に、緊張が少し解れる。すると、ヘルメットを被った人の頭をゴンッと鈍い音を発てて殴った人が居た。ヘルメットの方が硬い筈なのに、殴られた人の方が痛そうに蹲っている。そして、背後から現れた人に、智里は呆気にとられた。
「し、静……?」
「全くもう……。ゴメン、ゴメン。うちの弟が、先走っちゃって、驚かせたね。」
「弟、さん……?」
何が何だか分からなくなっている智里を他所に、門崎はヘルメットを強引に引っ張った。「痛いっ、痛いっ!!」と叫んでいるにも関わらず、手を緩める気配がない。そして、攻防の末、ヘルメットが抜けた。その顔に、智里は今一度、驚いた。多少なりとも違いはあるが、なんと、門崎とうり二つなのである。
「嘘ぉ……。」
「ま、一卵性双生児だからね。無理もないよ。ってか、響っ。ちゃんと謝んなよ。」
「いってぇなぁ、静っ!! ……まぁ、悪ふざけして、申し訳ないです。あ、これ頼まれてたハーブティーっす。」
「あ、ど、どうも……。」
門崎と違って仏頂面をしているが、言葉からは優しさを感じる。智里は、差し出された紙袋を受け取った。その時、厨房の方から、女性が壁伝いにやって来た。
「あの、なかなか帰って来られないから……。大丈夫ですか……?」
「あ、奥さんっ!!」
ヨロヨロとしていたので、すかさず智里は傍に駆け寄り身体を支えた。未だ張り続けているのか、辛そうにお腹を押さえている。門崎は、響と顔を見合わせると、何も言う事もなく頷き、響は外へ行った。門崎は女性に近付くと、何も言わずに自身の肩に女性の腕を乗せた。
「あの……?」
「……顔色が、ちょっと悪いですね。こういう時は、椅子に座るよりも床に寝そべった方が負担軽減になります。従業員の休憩室とかは、どこでしょうか?」
「それなら、この隣です。」
「分かりました。智里、私はこの人を寝かせてくるから、その間にお湯の準備とかしておいて。」
「う、うん……っ。」
智里は言われた通り、急いで厨房に戻り、お湯を沸かした。沸かす間に、ティーポットやカップを準備していると、門崎が戻ってきた。隣に来たので見遣ると、少し困った様な表情をしていた。
「……どうかしたの?」
「いや、んー……。まぁ、未だだろうと思うけど、話を聞いてみた限り、今日辺り来るかもしれないかなぁ、てね。」
「来る?」
「陣痛。」
手に持っていたティースプーンが、指からすり抜け、カシャンッと音を発てて床に落ちた。獣医の勉強をしていると、何度かは目の当たりにする、妊娠、出産。そこそこ慣れてきたとはいえ、動物と人間ではまた違う。目の前に居る人が、もしかしたら今すぐにでも陣痛を起こして、そのまま出産となると、新しい命が誕生するのは喜ばしい事ではあるが、緊張感が半端ない。
「ま、私らが不安がってたりすると、余計にあの人の負担になるから、普通に接してあげよ。」
「う、うん……。」
「おっと、沸騰してきたね。ティーポットに茶葉は入ってる?」
「一応、紅茶と同じ要領で入れたよ。ティーポットは、いったんポットのお湯で温めてる。」
「上出来です。」
親が幼い子を褒める様に、門崎は智里の頭を撫でた。午前中にも樹に撫でられたが、やはり感覚が違う。それは、門崎が女だからとか、友達だからとかそういう次元ではない。好きな相手がしているから、恥ずかしくなるのだろう。智里が、顔を赤くさせながら口を尖らせていると、何かを悟った門崎は、頭から手を退けた。そして、熱めのお湯を注ぎ、素早く蓋を閉める。暫くして抽出できたのを確認すると、お盆にティーポットとカップを乗せた。
「じゃあ、行こっか。」
「うん。」
厨房を出て、隣の休憩室にノックをして入る。
「失礼しま――……。」
そこで、門崎の口が止まってしまった。どうしたのかと、智里が覗き込むと、女性が大量の汗を流しながら、苦しそうに唸っていた。「ちょっと持っといて。」と言われ、お盆を押し付けられる。慌てて持つと、門崎は一目散に女性へ駆け寄った。よく見ると、女性のスカートに染みが出来ている。
「うぅぅっ……!!」
「しっかりして下さいっ。ゆっくり、大きく息を吐いて。はい、吸って。」
「はぁーっ、はぁーっ!! いっ、だいぃっ……!!」
「落ち着いて下さいっ。恐らく、少しだけだけど破水した可能性がありますね……。腰の所に何か、テニスボール的な物……。」
門崎は女性の傍に居ながら、腰に当てれる物を探すが、丁度良い物がないらしい。智里は、呆気に取られていたが、ハッとして、直ぐにお盆を床に置き、店内に置いてある、犬用のボールを取りに行った。テニスボール並の大きさと硬さのボールを掴み、急いで休憩室に戻る。
「静っ!!」
ボールを投げると、門崎は片手でしっかりとキャッチした。その手でブイの字を作りながら、「ありがとっ!!」と言うと、負担がかからない様にゆっくりと腰に手を差し込み、少し浮かせると、そこにボールを置き、腰を下ろす。最初は、「うっ!!」と痛そうな声を上げたが、痛みが逃れているのか、さっきよりかは呼吸も安定してきた。だが、痛そうにしているのは変わりない。
「あ、後は、何をすれば……!!」
「はーい、落ち着け、落ち着けー。焦っても、何にも変わんないから。取り敢えず響には、ここの店長さん探しに行ってもらってるから、来るまでは奥さんのマッサージしたり、水分補給を促そう。一応、病院の方に連絡入れてもらう様にも伝えといたから。後、痛みの間隔を計るのも忘れない様にしとかないとね。間隔が短くなったら活動期に入るから、そこから勝負だよ。」
「わ、分かった。」
言われた通り、手や足をマッサージしながら、携帯のストップウォッチ機能で痛みの間隔を計る。今の所、間隔は疎ら。てんぱっていた智里も、少しだけ落ち着きを取り戻していた。その時、厨房の方からバァンッと、けたたましい音が響いた。そして、バタバタと足音がしたかと思うと、休憩室の扉が開いた。
「美香っ!!」
「はぁー……、誠人、くん……?」
「大丈夫かっ!?」
靴を脱ぎ捨てると、転げる様に女性の元へ走り込んだ店長。頭や衣服には、煤が付いたままで、一目散にここまで来たのが見て取れる。午前中に見た時とは、人が変わった様に落ち着きがなく、別人に見えた。
「旦那さん、ですね?」
「は、はいっ。」
「奥さんからお話を聞きましたら、少し前にお印が出たそうです。ですが、今の所、痛みの間隔はバラバラです。病院の方に連絡して頂けたと思いますので、車がある様でしたら、焦らず、安全運転で病院へ向かって下さい。赤信号とかで停車したら、少しでも奥さんの手を握ってあげて。それだけでも、不安を解消出来ますので。」
「わ、分かりましたっ。」
そう言うと、店長は女性の手をしっかりと握り締め、エプロンを着けたまま、車を取りに行った。その間、残った門崎姉弟と智里、樹で、噴き出た汗を拭ったり、水を飲ませたりと、女性のサポートをした。そして数分後、店長が戻ってきて女性を横抱きすると、焦らず、しかし足早に車の方へ向かった。開けっ放しにするのもいけないので、樹と響はドッグランに残っているお客さんに声を掛けに行き、智里と門崎は出来る範囲内で店内の清掃をし、来られた新規のお客さんに事情を説明して帰ってもらった。
「――はぁー、お疲れ様でしたっ。」
「お疲れっす……。」
「いやはや、まさか姉ちゃんの時以来だったから、緊張したよ。」
「でも、静のお陰で、なんとか乗り切ったみたいなもんだよ。ありがとう。」
――外も暗くなった所で一段落着き、皆で淹れ直したハーブティーを飲んでいる時。智里がそう言うと、門崎は少し微妙そうな表情をした。どうしたのかと思っていると、いきなり床に寝そべりだした。両手で顔を覆っているので、表情までは分からない。大きく肩で息を数回すると、ポツリと呟いた。
「……私のお陰なんかじゃないよ。私だって、智里や皆が居てくれなかったら、冷静な判断なんて出来ないんだから。」
今度は勢いよく起き上がり、皆に見える様に両手を差し出した。その手は、小刻みに震えていた。とても不安で、しょうがなかったんだというのが、見て取れた。智里は、胸が苦しくなるのを感じ、涙が出そうになった。だが、零れ落ちそうなのをグッと我慢し、門崎の手を優しく包んだ。その事に、張っていた気が緩んだのか、門崎は大粒の涙を流し、大きな声を上げて泣いた。
「……お姉さん、優しくて強いですね。」
「……いや、見て分かると思うんすけど、めっちゃ情に厚いし、涙もろいっすよ。」
「そういう所が、ですよ。」
「……っす。」
その時、店の固定電話がカウンターの方から鳴り響いた。時計を見ると、夜の七時頃だ。お客さんからの問い合わせの電話かもしれない。だが、もしかしたら店長からの電話かもしれない。少し迷った挙句、樹は受話器を取った。
「も、もしもし……。」
「あっ、もしかして、片岡さんですか!?」
「店長さんっ!!」
電話をしてきたのは、店長だった。張り詰めた空気が、一瞬で解ける。休憩室の扉から、三人は樹の様子を見守った。樹は、「はい、はい……。」「そうですか。」「えぇ……、えぇ……。」と繰り返し、暫くしてから受話器を置いた。そして、一つ息を吐くと、肩を震わせた。どうしたのかと、三人は樹の元へ駆け寄った。すると、樹は大粒の涙を流していた。顔を真っ赤にさせ、眼鏡を外して目元を袖で何度も擦っている。
「ふっ、うぅ……。」
「どうされたんですか!?」
「店長さん、何て!?」
樹が泣き止まない事に、少なからず不安が過った。暫くして、落ち着きを取り戻し始めた樹は、鼻を啜ると、満面の笑みで呟いた。
「無事、産まれたって……。元気な、女の子って……っ!!」
言い終えた途端、また樹の目から涙が溢れた。呆然としていたが、じわじわと樹が言った言葉を理解しだした三人は、互いに肩を抱き合い、飛び跳ねる程に喜んだ。
――それから一週間後、樹は仕事がある為行けなかったが、智里と門崎がドッグランを訪れると、テラスの所で店長と女性、そしてその腕の中に包まれている新しい家族が、出迎えてくれた――……。
――本日のメニュー――
・犬用クッキー(無添加・無糖)
・マタニティブレンド(ハーブティー)
―追記―
※妊婦さんにハーブティーがおすすめの理由は、ノンカフェインであるからです。カフェインの摂取は、胎盤を通して胎児に移行し、影響を与えてしまうといわれています。また、妊娠中はメンタルが不安定になる事もあり、ハーブティーのもつ香りや味わいでリラックス出来るというのがあります。そして、ビタミンやミネラルなどの栄養素を取り入れることができる点があげられます。
ですが、妊婦におすすめなハーブがある一方、妊娠中に控えたほうがいいとされているハーブもあります。とくに、子宮収縮、刺激が強い物等は、流産、早産への影響が懸念されますし、神経系へ作用する物も注意が必要です。スーパー等で売られている市販のハーブティーを購入するときは、パッケージの成分表示や注意書きをよく見て下さい。注意が必要なハーブが含まれる場合、但し書きに妊娠中は控えてください、というような文言が記されています。
人も食べれる犬用クッキーの作り方
材料:薄力粉七十g/かぼちゃ一〇〇g/オリーブオイル十五g/ヨーグルト(無糖)十五g
かぼちゃの皮をそぎ落として身を小さ目に切り、耐熱皿にかぼちゃと分量外の水を少しだけ入れ、六〇〇Wのレンジで二、三分加熱し、柔らかくなったら熱い内に潰す。オリーブオイルとヨーグルトを入れてよく混ぜ、更に薄力粉を入れて纏める。(もし、かぼちゃの水分量が多くてベトつく様でしたら、薄力粉を足して下さい。)平にのばし、好きなクッキー型で型抜きし、一七〇℃に予熱したオーブンで約二十分焼く(焦げ付きそうになったら、アルミホイルを被せて、残りの時間焼いて下さい)。冷ましたら、完成。
End




