↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冴えないサラリーマンの、冴える手料理  作者: 九十九ユウキ
第二章 歩み出す調理器具
PR
24/73

二十一食目 片岡家流・風邪っぴきの為のくたくたうどん

「――え? インフルエンザですか?」


 少し寒くなってきた九月下旬。樹が務める会社では、あるモノが流行していた。それは、インフルエンザである。本来ならば、十一月辺りから流行し始めるのだが、今年は流行る時期が早い為、ワクチン接種している人が少なく、感染する人が多いのだ。風邪には無縁と言わんばかりの岡元でさえ、高熱で倒れたらしい。この一週間で新人も何人かインフルエンザにやられ、最後の砦だった司さえも、電話口でゴホゴホ言っている。


「そうなんですよ……。実は、俺の妹が学校でインフルエンザにかかってたらしくって、それを貰っちゃいました……。」

「それは、お気の毒に……。ゆっくり休んで下さい。夕方頃に、何か栄養のある物とか持っていきますんで。」

「すみません……。」


 辛そうな声に耳を傾けながら通話ボタンを切り、ポケットにスマホをしまう。何故、司の家に寄るのかというと、実は司の家が、樹の帰るアパートのすぐ近くにあるのだ。なので、ここ最近では、作り過ぎた手料理をおすそ分けに行ったりしている仲だ。


「インフルエンザ、か……。」


 自身のデスクに戻り、頬杖を突きながら思い浮かべるのは、智里の事。朝会った時は、風邪予防の為にマスクをしていたが、学校でうつされていないか心配だった。大学には動物も居るので、それから貰う可能性もある。もし、かかったら一大事だ。ソワソワしながら、インフルエンザで倒れた職員の分のデータ処理をしていった。カタカタと、キーボードの軽快な音がオフィス内に響く。その時、肘辺りが変に軋んだ。


「……?」


 一応触って確かめてみるが、関節痛の様だった。ハクの散歩を兼ねて、適度な運動をしているから、関節痛になる事はないと思っていた。可笑しいと思いつつも、時折襲ってくる関節痛に耐えながら、樹はパソコンに向かい直した――。


「――ゴホッゴホッ、片岡先輩、ありがとうございます……。」

「いいえ、大丈夫ですよ。兎に角、ゆっくり安静にしてくださいね。妹さんも、お大事に。」

「はい。本当に、ありがとうございます。早く、治しますね。」


 定時で帰れた樹は、スーパーで食材と共に買ったゼリーを司に手渡し、アパートに戻った。玄関の戸を開け、大家に預かってもらっていたハクを部屋の中に放した途端、何故か一気に身体の力が抜けた。下駄箱に手を付き、何とか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。先にリビングに走っていっていたハクが、いつまで経っても来ない樹を心配してか、小走りで戻ってきた。


「クゥン……クゥン……。」

「あ、はは……。ごめんね。なんだか、今日は疲れちゃったみたいなんだ……。」

「クゥン……。」


 心配そうに見上げてくるハクに、笑顔で応えるが、上手く笑えてる気がしない。なんにせよ、今すぐにでも倒れ込んで眠ってしまいたかった。節々が悲鳴を上げている。樹は、買ってきた食材と鞄を玄関に置いたまま、壁を頼りに千鳥足でリビングに向かった。ベッドの前まで行くと、糸が切れた人形の様に、崩れ落ちた。


「あぁ、そうだ……。ハクに、ご飯……あげ、な……。」


 樹の目の前に居る筈の、ハクのキャンッキャンッと吠える声が遠くで聞こえる。目の前も、だいぶぼやけて見える。身体が熱い。鳴き叫ぶハクの頭を撫で様と手を伸ばした時、樹の目の前は真っ暗になった――……。


「――ふぁあ、今日も疲れたなぁ。」


 夜八時過ぎ。バイトが終わった智里は、欠伸をしながら帰路についていた。学園祭の準備も並行してバイトをしているので、結構疲れる。だが、元々北海道出身で、毎年冬になると自分の身長よりも高い雪を家族総出で雪かきしているので、体力には自信があった。筋力も、普通の女性よりかは有ると自負している。だが、流石に疲れが溜まってきていて、肩が凝っていた。カチカチに固まった首に手を当て、首から肩にかけて揉み解す。


「ふぅ、クラスでもインフルエンザが流行ってきてるし、気を付けないとなぁ。」


 智里の大学でも、インフルエンザは流行っていた。念の為にと、マスクをして行ったが、学校に来ている人全員がマスクをしていた。帰ったら手洗いうがいをしないとと、考えながらアパートの階段を昇る。もう少しで自分の部屋に着くといった所で、聞き慣れた声が聞こえた。


「あれ? ハクちゃん?」


 ハクが、智里の部屋の前で、扉を引っ掻きながらクンクン鳴いていた。智里に気が付いたハクは、小走りで駆け寄った。傍まで来たハクを抱き上げる。いつもなら、抱き上げると頬を舐めてくるのだが、いつまで経っても鳴き止む気配がない。寧ろ、何かを訴えている様だ。


「クゥンクゥン……。」

「どうしたの? どこか、調子が悪いのかな……?」

「キャウンッ!!」

「あっ……。」


 大きく鳴いたと思ったら、智里の腕を抜け出して、走っていき、ほんの少し開いていた樹の部屋の扉から入っていってしまった。こんな夜遅くに不用心な事に対し、不信に思った智里は、恐る恐るハクの後を追いかけた。


「お、お邪魔します……。」


 もしかしたら、泥棒が入っているかもしれない。智里は全身の神経を逆立てて、樹の部屋へ入った。部屋の電気は、ちゃんと点いていた。玄関には、樹のくたびれた革靴が無造作に脱がれている。いつもなら、キッチリと揃えて脱がれているのに、おかしい。不安が過る智里は、ハクが走っていったリビングの方へ足を進めた。壁から顔を出した瞬間、見えた光景に智里は目を見開いた。


「ワンッワンッ!!」

「へ……? い、つき、さん……?」


 そこには、ベッドに倒れている樹が居た。ハクが懸命に顔を舐めているが、一向に動かない。智里の肩に掛かっていた鞄が、ドサッと音を発ててフローリングに落ちた。フラフラと、樹の方へと足を進める。最悪の事しか、頭を過らない。血の気がどんどん引いていく。傍まで行った途端、足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちた。


「樹、さん……? ね、寝てるん、ですか……? ですよ、ね……?」


 泣きたくなるのを抑える様に、震える唇を噛み締めながら、手を伸ばす。樹の癖っ毛に指先が触れた瞬間、微かにだが樹の身体が動いた。今度は、しっかりと樹の頭に手を乗せてみる。温かい。と、いうよりも、熱すぎる位だ。智里は、まさかと思い、俯せになっている樹を仰向けにした。すると、顔を真っ赤にさせ、息を荒くしていた。


「大変っ!! 一体、何度あるの!?」


 樹の身体に異変がある事が分かった智里は、急いで自身の鞄に駆け寄った。そして、念の為にと買ってきた赤外線式の検温器を取り出した。箱から取り出し、樹の額にそれを宛がった。スイッチを押してみると、モニターは四十度近くを示していた。


「やだっ、インフルエンザ!?」


 高熱だという事だけで判断はしにくいが、取り敢えず、様子を見ておかなければならない。智里は、一つ深呼吸すると、自身の頬を両手で叩いて喝を入れた。


「ふぅー……。よしっ、汗をかいてるから、先ずは樹さんを着替えさせよう。それから、脱水症状の予防をしないといけないから、温かい飲み物を用意して……。」


 しなければならない事を一通り確認してから、行動に出る。先ずは浴室に行き、汗をかいた身体を拭く為に、タオルを濡らして硬く絞る。タンスからパジャマを出し、樹の元に戻った。


「樹さん、失礼しますね。」


 聞こえていないかもしれないが、一応声をかけておく。そして、ワイシャツのボタンに手を掛けた。ドっドッドッと心臓が早鐘を打ち、指先が震える。生まれてこの方、看病の為とはいえ、異性の服を脱がせた事などないのだ。頭の中では、一大事なのは分かっているが、身体の方が言う事を聞かない。もどかしさに唇を噛み締めながら、一つ一つボタンを外していく。


「う、わぁ……。」


 脱がした途端、更に恥ずかしくなった。ワイシャツが智里の手からすり抜け、フローリングに落ちる。見た目からしてヒョロヒョロなんだと思っていたが、いざ脱がせてみると、樹は男らしいガッチリした腕をしていた。それに、シャツの隙間から見える胸板も、結構ガッチリしている。間近で、しかも好きな人の意外な一面に、全身の血液が沸騰してきた。暫く見惚れていたら、寒かったのか、樹が身震いした。それを見て漸く我に返った智里は、急いで身体を拭き、パジャマを着せた。


「――さ、さて、取り敢えずは着替えさせれたから、次は食事だよね……。」


 結構な時間を使って、何とかパジャマに着替えさせた智里は、台所に立った。未だ、顔に熱が籠ったままだが。不審ながらもにやけてしまっている口元を両頬を摘みながら抑え、落としたままにしていた鞄に手をかけた。


「えっと、着替えさせてる時、身動ぎはしてたけど未だしんどそうだったし、胃に負担の無い消化の良い柔らかい食事が良いよね。」


 バイト先のスーパーで買った物を漁りながら、メニューを考える。だが、樹の様に料理が直ぐに出てくる訳でもなく、頭を抱えてしまった。


「うぅ……、ちょっとは料理出来る様になったけど、いざってなると、全然出てこないよ……。」


 栄養豊富で食べやすい、病人食。ワードだけならポンポンと浮かんでくるのだが、料理が出てこない。食材片手に頭を抱えていると、部屋のチャイムが鳴った。こんな時間に、しかも非常事態に誰だろうと、智里が玄関まで行くと、出るよりも先に扉が開いた。


「やっほー、お兄。今日さぁ、清ちゃんが保育園でインフルエンザ貰っちゃってさ、あ……。」

「あ……。」


 顔を合わせた途端、お互いに固まってしまった。玄関先で立っていたのは、樹の妹である双葉だった。約半年前に一度会った時以来だ。突然の再会に思考停止してしまい固まっていたら、リビングから聞こえた樹の咳でハッと我に返った。


「あぁ、いけないっ。樹さんに栄養ある物を作らないとっ。」

「え? お兄、風邪ひいてるんですか?」

「そ、そうなんです……。でも、何を作ってあげたら良いか分からなくて……。」


 頭がこんがらがって右往左往していたら、双葉が智里の腕を曳(ひ)いて台所の方へ向かった。何が何だか分からず呆然としていると、双葉が、持っていたエコバッグを漁り始めた。


「……私たちが風邪をひいた時には、母はよくコレを作ってくれました。」

「う、うどん……?」


 双葉が取り出したのは、半生うどんの袋だった。鍋を戸棚から出し、水を勢いよく入れていく。兄妹だからか良く似ていて、テキパキと手際が良い。ポカンと、その光景を見詰めていると、双葉が不意にこちらを向いた。


「私、うどんの準備してますんで、お姉さんは樹の看病をお願いします。これ、冷えピタです。あと、濡れたタオルと、飲むゼリーです。」

「は、はいっ!! 行ってきますっ。」


 的確な指示に、ついつい敬礼してしまった。ハッと気が付いた時には、双葉は鍋の方を向いて口元を手で隠している。肩も微かに震えている事から、笑うのを必死になって押し殺している様だ。恥ずかしさに顔を真っ赤にさせながら頬を膨らませて、いそいそとリビングへ向かった。


「……さて、我が家流くたくたうどん、作りますか。」


 沸騰した鍋に麺をほぐす様に入れ、タイマーを十五分で掛けて、うどんが浮かんでくるのを待つ。浮かんできたら、菜箸で軽くほぐしながら鍋の底に麺がくっついていないかを確かめる。ポイントとしては、あまりぐるぐるかき混ぜない事だ。たっぷりの水を鍋で沸騰させると、うどんは鍋の中をぐるぐる回る様になる。そうすれば、菜箸を使ってかき混ぜなくても、しっかりと温度がうどんに伝わるのだ。この間に、トッピングである長ネギ等を切ったりして、茹で上がった後の準備をしておく。


「えっと、麺つゆ――は無いから、鰹節から作るかな。」


 引き出しを漁ってみたが、即席麺つゆが見当たらなかった。代わりに、鰹節が業務用の袋で置いてあった。双葉は片手鍋にたっぷりの水を入れ、火にかける。沸騰したら火を止め、鰹節を入れる。一~二分置いたら、キッチンペーパーを敷いたザルに流してこし、更に一分置く。


「こす時に絞るとえぐみが出るから、絞らない様にして、と……。んんー、良い香り……。」


 鼻を抜ける香ばしい鰹節の香りに、頬を緩ます。一頻り堪能したら、その出汁に薄口しょうゆ、みりん、酒、砂糖を入れ、アルコールが飛ぶまで火にかける。そこで、タイマーが鳴り響いたので、うどんを湯がいていたコンロの火を消す。そして、流しに置いたザルで湯を切り、たっぷりの水でぬめりを洗い落とす。


「さぁ、仕上げだよっ。」


 戸棚から、一人暮らしをしているには大き過ぎる土鍋を取り出し、そこに洗ったうどんを入れる。そして、トッピングである長ネギ、油揚げ、椎茸を乗せ、だし汁を注ぐ。そして、少しくぼませた麺の真ん中に、生卵を落とす。


「よしっ、後は蓋をしてしっかりと湯がけば完成っ。」


 吹きこぼれない様に見張りながらも、リビングの様子を窺った。ワタワタしながらも汗を拭いたり、ゼリーを飲ませようとしている智里の後ろ姿に、実兄の遅い春の訪れに口元を押さえた。


「――出来ましたよっ。片岡家流、くたくた煮込みうどんですっ。」


 先にリビングのテーブルに鍋敷きを置いてから、ドンッと土鍋を置く。時間も時間な為、人数分の箸とお椀も用意する。蓋を開けると、蒸気と共に、出汁の良い香りが部屋を包んだ。


「ふぁ、良い香り……。」

「取り分けますね。」


 プツッと、半熟卵の黄身の部分に箸を入れると、開いた穴からトロットロの黄身が溢れ出てきた。柔らかい白身も崩しながら麺に絡め、お椀に移す。油揚げと長ネギ、椎茸をトッピングし、最後に出汁を注ぐ。


「はい、お兄。くたくたうどんだよ。」

「う……。」

「ありゃりゃ、完全にダウンしちゃってるね。んー、しょうがないから、お兄の分を別の鍋に取っといて、二人で食べましょうか。」

「え、で、でも……。」


 言い淀んでいた智里だが、部屋に充満した良い香りが、鼻孔を擽り、腹の虫を泣かせた。咄嗟にお腹を押さえたが、腹の虫は治まる事を知らない。顔を真っ赤にさせながら、俯いていると、目の前にお椀が差し出された。


「私もお腹空いてるんで、一緒にたべましょう。それに、温かい時が一番美味しいんですから。」

「……は、はい。」


 おずおずと、お椀を受け取る。掌に、じんわりと熱が伝わってくるのを感じた。ゴクリと喉を鳴らすと、「い、いただきます。」と、お椀に向かって頭を下げ、二、三回息を吹きかけた後、口を付けた。その瞬間、口の中に広がる鰹節の旨味と絡まる卵の濃厚さに、目を見開く。箸をしっかりと持ち、大きな音を発てながら、うどんを啜る。噛めば噛む程、うどんに浸み込んだ出汁が出てくる。


「はぁぁ、美味しい……。」

「でしょ? お兄の好物でもあるんですよ。あちち。はふっ、せっかく、この双葉様が作ってあげたっていうのに……。」

「こう、ぶつ……。」


 ベッドで唸っている樹を見遣り、食べかけのうどんを見詰める。智里は、お椀を静かに置くと、双葉に詰め寄った。


「お願いします。私にも、このくたくたうどんの作り方、教えて下さいっ。」

「……へ?」

「と、と言いますか、その、い、樹さんの、好物をもっと、教えて……ください……。」


 恥ずかしさで、頬が強張る。額や掌から、変な汗まで出てきた。自分でも、おかしな事を聞いているのは、重々承知している。だが、樹の事をよく知る人物を双葉以外、知らないのだから、こんなチャンス逃す訳にはいかないのだ。双葉は少し唸ると、腕時計を智里に見せた。


「教えるのは良いんですけど、今日は遅いので、また今度にしましょう。連絡先、交換しても?」

「は、はいっ。けけけ、携帯……っ。」


 ポケットの中から、なんとか携帯を取り出した智里は、双葉と連絡先を交換した。智里の電話帳の中に、「片岡 樹」に並んで「立花 双葉」の文字が表示された。


※因みに、双葉が帰った後で、樹は目を覚ました。微熱前後位まで下がり、食欲も出てきていたので、智里は温め直して樹にお椀と一緒に差し出した。だが樹は、余程お腹が空いていたのか、お椀を使わずに、直接鍋に箸を突っ込んで、並々と入っていたうどんを汁も残さずペロリと平らげた。その姿は、ちょっと前まで弱り切っていたとは思えなかった。


――本日のメニュー――

・くたくた煮込みうどん





End

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。