ep.17 南シナ海
「アニキ、これ、たべる」
「ああ、ありがとう」
南シナ海洋上。マカオに向けての航海中、操舵室にいるカイリにツァンが声をかけてきた。手には乾いたパン。お礼を言って受けとり、口にした。
出港前の夜、これ迄のツァンの経緯をじっくりと聞いた。それから、どうもなつかれたらしい。彼の父親である海賊リム・アホンは、この辺り一帯を仕切る大海賊だったようだ。昔からマニラやその周辺を拠点にして、明や東南アジアの人々、現地人らと交易も行っていた。
その後、マニラに大きな変化が訪れる。スペイン人の襲来だ。
ミゲル・ロペス・デ・レガスピ。スペインの征服者である、彼の部下達がマニラの街を包囲した。武器や装備の差が大きく響き、海賊達はマニラを去ることになる。幼い頃のツァンも、ルソン島北部の小島に預けられた。
スペイン人は、現地のムスリム達と組み遂に恒久的な入植地をマニラに得ることとなる。簡単に言えば植民地だ。当然、既得利益を奪われた海賊達の怒りは治まらない。レガスピは程なくして亡くなったが、スペインの統治体制はその後も続いた。
リム・アホンは海賊達を一つにまとめた。その数は三千人と伝えられている。いかに、彼の影響力が大きかったかが分かる出来事だ。大海賊はマニラを包囲し戦争を始めたが、新大陸を制覇したスペイン人達の方が一枚上手だった。兵士の数こそ六百人程度だったが、次々と海賊を撃破していく。
結果、海賊達はマニラから退却しマニラ北部のバンガシナンまで追い詰められる。バンガシナンでは苛烈を極めた。海賊達を追い込んだスペイン人は実に三ヶ月の間彼らを包囲する。海賊達の団結は崩壊し、内紛や裏切りが横行した。
こうして、首謀者リム・アホンを含めた海賊達は全員処刑されることとなる。
避難していたツァンは、その最後を見届けることができなかったようだが、その光景たるや凄惨だったらしい。銃殺はもちろん、スペイン人達は海賊をゴミのように扱った。
幼子ツァンはこの時からスペイン人達に復讐を誓う。まずは、現地人からエスクリマを習った。エスクリマはカリとも呼ばれるフィリピンの伝統武術で、現在ではフィリピンの国技とされている。
徒手空拳でも、武器を使用しても扱える武術だ。ツァンが得意としているのは、ダガを使用するタイプらしい。ちなみに、彼の持っている両刃のナイフのことをダガと言う。
年を重ね、今度は資金を集めることにした。イントラロムス内に入るのは自殺行為なので、カイリ達と遭遇したエリアで追い剥ぎ行為を続けていたらしい。ある程度、資金が貯まったら海賊団を結成してスペイン人達に挑もうと考えていたようだ。
「稚拙すぎる」
カイリは、これ迄の経緯を告白したツァンをそう言って一刀両断した。余りにも無謀。相手の武器は銃である。更に兵士として訓練された軍隊を相手に、有象無象の海賊達が勝てる訳がない。父親の二の舞になることは明らかだ、とも続けた。
カイリの最初の言葉を聞いて、再び襲い掛からんと目をひん剥いていたツァン。続けたカイリの言葉に項垂れる。じゃあ、どうすれば良いのか。カイリには、彼の心の声がはっきりと聞こえたように感じた。
「俺達と来い。復讐はいつでも出来る。お前はまず、世界をその目で見て経験を積んだ方が良い。その上で、復讐するというなら今よりはマシな行動がとれるはずだ」
「……」
カイリとしてはこのままツァンが無駄死するくらいなら、見聞を広げるという新たな目的を彼に提案したつもりだった。どう受け止められたか分からないが、それからツァンは別人のようにカイリになつくこととなった。
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