デビュタントの華やぎと予期せぬ吉報
今年の王族主催デビュタント・ボールが目前に迫る中、アルジェント公爵邸は異様な熱気に包まれていた。
真の魔女としての知識と記憶を全て共有していたレイラの淑女教育が遂に修了し、社交界へと華々しくデビューする準備が完全に整ったからである。
今回、アイラたちの中で、このデビュタント・ボールで社交界へ足を踏み入れるのは、アルジェント公爵家に新しく長女として迎え入れられたレイラと、クラエス王国での功績によって騎士爵位を賜ったマリーの二人だけであった。
アイラやリリア、そしてミーアやリーリアといったお茶会年少組のデビュタントは、まだ十歳であるため六年後という遥か先の話である。
逆にお茶会年長組であるヒルディオーネ、エメロード、シズの三人は、昨年のデビュタント・ボールで既に社交界デビューを果たしていた。
だからこそ、今回のデビュタントでアルジェント公爵家からデビューする二人の存在は、屋敷全体にとって最大の関心事となっていた。
「レイラお姉様、淑女教育の修了おめでとうございますわ!」
リリアが両手を叩いて愛くるしい笑顔を咲かせると、サロンにいた全員が温かい拍手を送った。
「ありがとうリリア。知識そのものはアイラから共有されていたけれど、この身体に淑女としての優雅な所作を叩き込むのは、なかなかに面白い経験だったわ」
レイラは軍服風の衣装から一変し、気品あふれる上品な室内着の裾を優しくつまんで、洗練された一寸の隙もない完璧な淑女の礼を披露してみせた。
「流石はレイラ様でございますね。わたくしも騎士としての振る舞いと、淑女としての嗜みを両立できるよう、仕立て屋の方々と入念な打合せを重ねてまいりました」
マリーもまた、いつもの漆黒のメイド服ではなく、しなやかな立ち姿で礼を捧げた。
二人の仕立てるドレスや装飾品の一式は、当然ながら全てアルジェント公爵家が全額を負担し、最高の品を用意することになっている。
特にマリーに対しては、レオンハルトとセオドアの気合の入りようが凄まじかった。
「当たり前だ! マリーはかつて過酷なスラムにおいて、命がけで我が愛しきアイラを育て上げてくれた最高の恩人なのだからな!」
レオンハルトが胸を張り、目元を熱くしながら叫んだ。
「その通りです父上! 元使用人などと抜かす口汚い貴族どもが居れば、我が黒魔法剣で即座に黙らせて見せます! マリーには公爵家の誇る最高の衣装を纏ってもらわねば困ります!」
セオドアもまた、シスコンの血を滾らせて熱弁をふるった。
育ての親であるマリーへの感謝はもちろんのこと、レイラに対する感謝と情熱もそれ以上であった。
一度はスラムで命を落としたアイラが今こうして生きて笑っているのは、彼女の魂の半身であり、命の恩人であるレイラが存在してくれたおかげだからである。
二人は一度死んだアイラを蘇らせてくれたレイラを長女として心から愛しており、今回のデビュタントでは是が非にでもアルジェント公爵家が会場で一番目立つようにするのだと、屋敷全体を巻き込んで大張り切りしていた。
「お父様もお兄様も、相変わらず極端なんだから。でも、その気持ちはすごく嬉しいわね」
アイラが特製のベリータルトを口に運びながら、ニシシと悪戯っぽく笑った。
「ええ、お父様方の暴走のおかげで、王都中の最高級シルクと宝石がうちの屋敷に集められてしまいましたわ」
リリアも苦笑いを浮かべつつ、嬉しそうに目を細めた。
そこへ、サロンの重厚な扉が開かれ、本日の試着会のために招かれた王宮お抱えの最高峰のデザイナーたちと、仕上がったばかりの特注ドレスが運び込まれてきた。
「お待たせいたしました、公爵閣下! レイラ様とマリー様のデビュタント用特注ドレス、完成にございます!」
デザイナーが恭しく掲げた布地を見て、その場にいた全員が思わず息を呑んだ。
レイラのために仕立てられたドレスは、彼女の美しく輝く髪と黄金の瞳を引き立てる、深みのある夜空のような濃紺の最高級シルクをベースに、繊細な銀糸と星くずのようなダイヤモンドが惜しみなく刺繍された至高の一着であった。
動くたびに光を反射し、まるで夜空に輝く銀河を纏っているかのような幻想的な美しさを放っている。
「まあ……なんて美しいドレスなのかしら」
今世のエレオノーラが頬に手を当て、感嘆の声を漏らした。
「ふふ、レイラにぴったりね。私達の知識にあった現代のイブニングドレスの洗練されたシルエットと、この世界の幻想的な素材が見事に融合しているわ」
アイラが満足そうに頷くと、レイラは嬉しそうにドレスの生地を撫でた。
「ええ、とっても気に入ったわ。これなら美味しい宴会料理を食べてもお腹が締め付けられないように、見えない位置に魔導伸縮の工夫がされているものね」
レイラが食いしん坊らしい着眼点でニッコリと微笑むと、周りの者たちは思わず吹き出した。
続いて披露されたのは、騎士爵となったマリーのためのドレスであった。
過度な装飾を削ぎ落としたシルエットは、騎士として鍛え上げられたしなやかな肢体を際立たせ、ドレスでありながら武具としても機能しそうな凛とした気品を放っていた。
「……素晴らしいですわ。騎士としての誇りと、女性としての華やかさが完璧に調和しております」
マリーが珍しく少し頬を染めて感無量といった様子でドレスを見つめた。
「おおおっ! 完璧だ! これならば会場のどんな高位貴族の令嬢やカバリエたちも、二人の前には霞んでしまうだろう!」
レオンハルトが滝のような感動の涙を流しながら大絶叫した。
「ええ、完璧です父上! これで我がアルジェント公爵家が一番目立つことは確定いたしました! 今から当日の社交界の連中の驚く顔が楽しみでなりません!」
セオドアも満足そうに腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。
そこへ、王宮での執務を終えたジュリアンとエドワードが、挨拶を兼ねてサロンへと姿を現した。
「やあ、みなさん。なにやら物凄い熱気が廊下にまで漏れてきていたけれど……ほう、これが二人のドレスかい」
十六歳となり完璧な王太子の風格を漂わせるジュリアンが、翠緑の瞳を輝かせてドレスを見つめた。
「素晴らしい出来栄えですね。レイラ様の幻想的なドレスも、マリー殿の騎士ドレスも、王宮の舞踏会に新しい風を吹き込むことでしょう」
十二歳のエドワードも、生真面目な表情の中に深い感嘆を滲ませて頷いた。 「ジュリアン様、エドワード様。当日は私たち年少組は高見の見物だけど、二人のエスコートはしっかり頼んだわよ」
アイラがニシシと笑うと、ジュリアンはアイラの頭を優しく撫でて微笑んだ。
「もちろんだよ、私の愛しいアイラ。アルジェント公爵家の素晴らしい輝きを、最高の形で演出してみせよう」
「リリア嬢、君たちが安心して楽しめるよう、当日の警備とエスコートは私と兄上で完璧にこなしてみせます」
エドワードがリリアの手を優しく握ると、二人の周囲にはいつものように甘くキラキラとしたピンク色のオーラが立ち上り、それを見たレオンハルトとセオドアがまたしても背後で歯ぎしりを始めるのであった。
「ふふっ、本当に賑やかで良い家族ね」
レイラは完成したドレスを全身に合わせながら、愛おしそうに家族たちの姿を見つめた。
マリーもまた、胸に飾られた騎士の勲章をそっと指で撫でながら、温かい眼差しでアイラたちを見守っていた。
かつて以前の時間軸でスラムの泥と寒さに震えていた彼女たちが、今や公爵家の愛娘と輝かしい騎士として、王国で最も華やかな舞台へと立とうとしている。
是が非にでもアルジェント公爵家が一番目立つようにと、使用人たちまでが総出で靴や小物の磨き上げに精を出し、屋敷全体が前夜祭のような興奮と幸福感に包まれていた。
「さあ、明日は最高のデビュタント・ボールにするわよ!」
アイラの元気な宣言がサロンに響き渡り、全員が力強い歓声と笑い声でそれに応えるのであった。
◆◆◆
王族主催のデビュタント・ボールを明日に控えたアルジェント公爵邸の朝、サロンには突如として異様な緊迫感が走り抜けていた。
普段であれば氷のように冷徹なポーカーフェイスを崩さないユストゥティア公爵家の長男、十七歳のノクシタが、息を切らせて駆け込んできたからである。
「公爵閣下、突然の不躾な訪問をお許しください!」
応対したレオンハルトとセオドアは、呼吸を乱したまま真剣な表情で頭を下げるノクシタの姿に、思わず目を丸くした。
彼がこれほどまでに余裕を無くし、慌てふためいて屋敷を飛び出してきたのには明確な理由があった。
今朝方、ノクシタは当主である父親のドレスデン公爵の執務室で、書類整理の手伝いを行っていた。
普段であれば毎年開催される社交界の催しや他人の動向などには一切の関心を示さないノクシタであったが、明日のデビュタント・ボールに関する公式参加者資料にふと目を落とした瞬間、その指先がピタリと止まったのである。
そこには、アルジェント公爵家に新しく長女として迎え入れられたレイラの名前と共に、先日騎士爵位を賜ったマリーの名前が明確に記されていた。
マリーが社交界デビューを果たすという事実をそこで初めて知ったノクシタは、衝撃のあまり手にした書類を落としそうになり、即座に身を翻してアルジェント公爵邸へと向かったのだった。
『あの』冷徹で動じない息子が、なりふり構わず必死な形相で部屋を飛び出していく。
その背中を見送ったドレスデンは、書斎で腹を抱えて大いに爆笑していた。
「単刀直入に申し上げます! マリー殿のデビュタント・ボールにおけるカバリエを、私に変更していただけないでしょうか!」
深々と頭を下げるノクシタの言葉を聞き、レオンハルトは内心でニヤリと笑いを深めつつも、当主としての厳格な表情を崩さなかった。
当初の予定では、十二歳のエドワードがマリーのエスコートも兼ねて務めることになっていた。
しかし、十七歳であり同格の公爵家の嫡男であるノクシタがカバリエを務める方が、年齢的にも立場的にも家格としてもアルジェント公爵家と同列であるユストゥティア公爵家であれば、相手として何の申し分もない。
客観的に見て圧倒的に妥当であることは間違いなかった。
「気持ちはよく分かった。だが、午後に最後の打ち合わせとしてジュリアン殿下とエドワード殿下が当邸を訪れることになっている。カバリエの変更については、その場で殿下方と直接話し合うとしよう」
レオンハルトの申し出に、ノクシタは安堵の息を吐きながら力強く頷いた。
そして約束の午後、王宮での執務を終えたジュリアンとエドワードが、最終打ち合わせのためにアルジェント公爵邸へと到着した。
カバリエの変更はデビューを控える令嬢にとって極めて重大な案件であるため、サロンに全員が揃うと、真っ先にこの議題が上がることとなった。
「なるほど、マリー殿のエスコートをノクシタ殿が引き受けたい、と」
エドワードは、ノクシタの熱意と申し出の妥当性を素直に受け入れ、笑顔で快諾の意思を示した。
「私は全く構いませんよ。同年代で騎士としての誇りを持つノクシタ殿がカバリエを務めてくださるなら、マリー殿にとってもその方が望ましいでしょう」
しかし、その横で翠緑の瞳を細めた腹黒王太子、十六歳のジュリアンは、実に面白そうな考えを頭の中に浮かべていた。
「だがノクシタ殿、王族から公爵家へのカバリエの変更だ。いくら君たちが同格の公爵家とはいえ、王家の顔を立てる以上、只というわけにはいかないよ」
ジュリアンの言葉に、ノクシタは表情を引き締め、覚悟を決めたように頷いた。
「勿論、相応の対価や条件は覚悟しております」
「よろしい。では条件については後日、当主であるユストゥティア公爵と我が父上、ジェラール国王との間で直接話し合ってもらうことにしよう」
王家との話し合いとなれば、ノクシタ側にとっては極めて不利な交渉になることは目に見えていた。
だが、事前の出がけ際に父親のドレスデンから「王家との不利な話し合いになるだろうが、覚悟しておけ」と告げられていたノクシタは、迷うことなくその条件を呑んだのである。
しかし、何も知らないのはノクシタただ一人であった。
実はジェラール国王もこの一連の騒動が起きることを前もって予見しており、裏では既にドレスデンとの間で取引が完全に完了していたのだ。
そして、その取引の一部の内容が明かされるのが明日のデビュタント・ボールの場であるということは、このサロンにおいてジュリアンとエドワードの二人以外は誰も知る由がなかった。
無事にカバリエの変更が認められ、胸を撫で下ろしたノクシタが挨拶を終えて帰宅した後、ジュリアンとエドワードはアイラ、リリア、レイラ、そしてマリーに向き直った。
「さて、ノクシタ殿が帰ったところで……明日のデビュタント・ボールでは、会場で最高のサプライズを用意してあるよ」
ジュリアンが極上の腹黒い笑みを浮かべると、アイラは興味津々に目を輝かせた。
「ふふっ、一体何が起きるのかしら! 明日の会場の連中の驚く顔が、今から本当に楽しみね!」
アイラがベリータルトを一口で頬張りながらニシシと悪戯っぽく笑うと、サロン全体が温かな笑い声に包まれた。
こうしてすべての準備と密約が整い、アルジェント公爵邸の夜は静かに更けていき、波乱と祝福に満ちたデビュタント・ボールの当日を迎えるのであった。
王宮の広大な大舞踏会会場は、眩いばかりの光と豪華絢爛な装飾に包まれていた。
年に一度の王族主催デビュタント・ボールの夜、会場内には王国中から集まった高位貴族たちが一堂に会していた。
その華やかな会場の一角にあるビュッフェコーナーは、他のどの場所よりも異様な熱気と圧倒的な存在感を放っていた。
そこに集まっていたのは、アルジェント公爵家とユストゥティア公爵家の二大公爵家をはじめとする、王国の中枢を担う豪華すぎる面々であった。
エメロードやシズをはじめとする、お茶会組の令嬢たちの生家である高位貴族の当主たちに加え、若き天才魔道具技師であるミーア・マギクラフト子爵一家も顔を揃えていた。
さらには、いまやデュエル社交界の頂点たる実力者として名高いリーリア男爵令嬢やチェイシー子爵令嬢の生家までもが、同じ一画にずらりと陣取っていた。
各家の家族たちは和やかに高級な料理や酒を手に談笑を交わしつつ、間もなく始まる主役たちの入場を今か今かと心待ちにしていた。
「ん〜っ! 今夜のローストビーフも肉汁が溢れて最高に美味しいわね!」
十歳となったアイラが、特製のソースがたっぷりかかった肉を幸せそうに頬張りながら声を弾ませた。
「お姉様、もうすぐ令嬢方のお披露目が始まりますわ。お口の周りを拭いて整えましょうね」
リリアが優しくハンカチでアイラの口元を拭い、二人の周囲にはいつものように温かい空気が漂っていた。
「二人とも、今夜の主役はレイラとマリーなのだから、あんまり食べ過ぎてお腹を壊すんじゃないぞ」
父親であるレオンハルト公爵が、目元を優しく和ませながら愛娘たちに声をかけた。
「そうだぞ、アイラ。マリーの晴れ舞台を、最高の笑顔で迎えてあげなければ」
隣に立つセオドアも、妹たちの無邪気な様子に目を細めていた。
やがて、会場内に重厚なファンファーレが鳴り響き、大広間の扉が開かれた。
「これより、本日社交界デビューを果たす令嬢たちの入場を行います!」
儀典官の朗々とした声が響き渡り、会場全体の視線が一斉に正面の扉へと集中した。
慣例に従い、デビューする令嬢たちは家格の低い貴族家から順に入場してくることになっていた。
現場の空気を包む緊張感の中、一番最初に姿を現した令嬢——もとい、騎士の姿を目にした瞬間、会場全体に電撃のような衝撃が走り抜けた。
「……っ!?」
最初に足を踏み入れたのは、純白のドレスに美麗な銀の軽甲冑を纏った、美しきドレス騎士マリーであった。
しかし、会場の貴族たちが真に息を呑んだのは、彼女の隣で優雅に手を添えているカバリエの姿であった。
そこに立っていたのは、十七歳となり凄絶なまでの美貌を誇る、ユストゥティア公爵家の嫡男ノクシタであった。
「バ、バカな……! ユストゥティア公爵家のノクシタ様が、カバリエを務めておられるだと!?」
「あの氷のように冷徹で、他人に一切関心を示さず、剣のごとき冷たさで有名なお方が……なぜ令嬢騎士のエスコートを!?」
会場のあちこちから、抑えきれない驚愕とどよめきの声が沸き起こった。
普段のノクシタであれば、他人のデビュタントやカバリエの依頼など不機嫌そうに切り捨てるのが常であった。
その彼が、見たこともないほど緊張した面持ちで、だが誇らしげにマリーをエスコートしている光景は、貴族たちの常識を根底から覆すものであった。
驚きが冷めやらぬまま、入場は順調に進み、ついに最後の主役が告げられた。
「最後に、アルジェント公爵家長女、レイラ殿の入場です!」
再び開かれた扉から現れたレイラは、夜空の銀河をそのまま織り込んだかのような、濃紺にダイヤが煌めく至高のドレスを纏っていた。
そして、彼女の繊細な指先を優しく取り、完璧な王太子の微笑みを浮かべて並び歩くカバリエは——第一王子ジュリアンであった。
「……っ!? ジュリアン殿下が、アルジェント公爵家の新しい長女様のエスコートを!?」
「何ということだ……! 一夜にして、これほどの衝撃が連続するなど……!」
二度目の特大のどよめきが会場を大きく揺らした。
王太子であるジュリアンが公爵家のデビュー令嬢を直接エスコートするという事実は、王家とアルジェント公爵家の繋がりがどれほど揺るぎないものであるかを雄弁に物語っていた。
美しい音楽が流れ始め、主役たちによる華やかなファーストダンスが披露された。
マリーとノクシタ、レイラとジュリアンは、一寸の乱れもない完璧で洗練されたステップを踏み、観客たちを魅了した。
拍手喝采の中で最初のダンスが終わり、歓談の時間へと移行すると、件の二人と二人のカバリエたちは迷うことなく一歩を踏み出した。
彼らが向かったのは、アイラたち豪華メンバーがずらりと顔を揃える、あのビュッフェテーブルの一画であった。
主役たちが自然とその場所に集まり、グラスを交わし合う姿を見て、会場の貴族たちははっきりと悟った。
「あそこだ……あの一画こそが、現王国における絶対的な中心であり、王家に最も近い極上の派閥なのだ」と。
だが、今夜の波乱はそれだけでは終わらなかった。
会場の空気が少し落ち着きかけたその時、壇上から重々しい声が響き渡った。
「皆のもの、少し耳を傾けてほしい」
姿を現したのは、ヴァリエール王国を統べるジェラール国王その人であった。
隣にはテレーゼ王妃、そして第二王子エドワードが静かに控えている。
ジェラール国王は鋭い視線を巡らせると、朗らかな声を響かせた。
「ユストゥティア公爵家嫡男、ノクシタ。そして、騎士マリー。前へ出よ」
突然国王直々に名前を呼ばれ、会場は三度目のどよめきに包まれた。
ノクシタとマリーが国王の前に進み出て、恭しく膝をついた。
ジェラール国王は満足そうに深く頷くと、会場全体へと通る朗々とした声で宣言した。
「ここに、王家として正式に承認した特大の祝報を発表する! ユストゥティア公爵家嫡男ノクシタと、我が国の誇る美しき騎士マリーの婚約を、王家は正式に承認し、ここに発表するものである!」
「「「「な、なんだとぉぉぉっ!?」」」」
会場にいた全貴族が、今度こそ目ん玉が飛び出そうなほど驚愕し、大絶叫しそうになるのを必死で耐えた。
公爵家の嫡男と、平民の侍女から成り上がった騎士爵の令嬢の婚約。 本来であれば身分差を理由に反対の声が上がってもおかしくない組み合わせであったが、それを王家が直接承認し、公の場で発表したのだ。
壇上では、ジェラール国王、テレーゼ王妃、ジュリアン、そしてエドワードの王家四人が、二人へ向けて心からの温かい祝福を贈っていた。
「おめでとう、ノクシタ殿、マリー殿。素晴らしい未来になることを祈っているよ」
ジュリアンが腹黒くも楽しげな笑みを浮かべて祝福すると、ノクシタは耳を真っ赤にしながらも力強く頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下……!」
マリーもまた、胸に手を当てて静かに礼を捧げた。
その瞬間、王家に最も近いあの豪華なテーブルから、割れんばかりの万雷の拍手が沸き起こった。
「おめでとう、マリー! ノクシタ!」
アイラが身を乗り出して元気に手を叩き、リリアも天使のような笑顔で拍手を送った。
レオンハルトやセオドア、ミーアやチェイシーたちも、惜しみない祝福の拍手を贈っている。
この圧倒的な王家の承認と中心派閥の賛同を目の当たりにし、状況を瞬時に察した他の貴族たちも、慌てふためきつつも割れんばかりの祝福の拍手を送り始めた。
会場全体が祝福の歓声と拍手で満たされていく中、壇上のジェラール国王は、密かに不敵な笑みを口元に浮かべていた。
実は、この一連の劇的な流れのすべては、ジェラール国王が裏でドレスデン公爵やジュリアンと密かに手回しし、画策していた盤上であった。
王家に反発する反王族派や、保守的な貴族派勢力に対する絶対的な牽制として、このデビュタントの場を利用したのである。
ジェラール国王は、祝福の拍手が鳴り響く中、アイラたちが陣取るあの豪華すぎるテーブルの一画をチラリと見やった。
アルジェント公爵家とユストゥティア公爵家という二大公爵家。
勢いのある高位侯爵家・伯爵家の群れ。
国家の至宝である天才魔道具技師ミーア子爵。
カードバトル社交界を牛耳る実力者たちの生家。
そして、その中心に鎮座する、神や天使すらも手玉に取る無敵の魔女たち。
ジェラール国王は、自身の企みが完璧以上の成果を収めたことに満足しつつも、貴族派に対する牽制のつもりで組んだ盤面が少々過剰戦力になりすぎてはいないだろうかと、内心で冷や汗をかいていた。
あそこに集まっている戦力だけで、下手をすれば他国どころか世界そのものを数日で平らげかねない密度であった。
ジェラール国王は、あまりにも強大すぎる自派閥の過剰戦力ぶりに戸惑いを覚えつつも、これ以上にないほど頼もしく思いながら、満足げに深い頷きを返すのであった。




