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偽物令嬢にされて冷遇に文句を言ったら改善されたので本物の令嬢を探してあげました【連載版】  作者: ウナ
回帰編

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ユストゥティア公爵邸の呪い

王都の喧騒から少し離れた場所に、鬱蒼とした森に囲まれるようにして佇む巨大な屋敷があった。


その屋敷は、王都の人々の間で「幽霊屋敷」と呼ばれ、恐れられている。


現在の持ち主は、高位貴族であるユストゥティア公爵だった。


約百年前から不気味な闇の霧に包まれ、屋敷全体が呪いに苦しんでいるという噂だった。


アイラは、以前の時間軸でもその噂を耳にしたことがあった。


当時は未熟だったため深く追究することはなかったが、真の魔女として完全に覚醒した今のアイラとリリアの魔力眼をもってすれば、外から眺めるだけでその異常さがはっきりと理解できた。


「……お姉様、これは間違いなく本物の呪い、それも相当に強力なものですわね」


リリアが隣で静かに魔力眼を凝らしながら、眉をひそめた。


「ええ。しかもこれ、普通の人間の魔法使いが掛けたものじゃないわ。魔女の魔力だわ。どの魔女の怒りに触れたのかは分からないけれど、きっとこの公爵家のご先祖様が何か自業自得なことでもしでかしたのね。とは言え、百年前の呪いがこれほど強力に保たれたまま、未だに現在進行形で当主たちを苦しめ続けているというのは、ちょっと気になるわ。普通、呪いの対象者がとっくに死んでいれば、呪い自体も霧散するか弱まるはずですもの」


アイラは顎に手を当て、持ち前の旺盛な好奇心を瞳に宿らせた。


魔女という生き物は、一度気になった謎を放っておくことなどできない性質を持っている。


「ねえリリア、呪いの主が誰なのか、ちょっと確かめに行ってみましょうか」


「はい、お姉様! 私もとっても興味がありますわ!」


二人は顔を見合わせて悪戯っぽく笑い合った。


ユストゥティア公爵家は、代々貴族派の筆頭として知られている家柄だった。


現在ではかつての権勢を見る影もないほど没落しかけているが、それでも爵位の高さゆえに、保守的な貴族たちの間では今でも象徴的な旗印として祭り上げられている。


現当主のユストゥティア公爵は、氷のように冷たく、まるで研ぎ澄まされた鋭い剣のような人物だという評判だった。


その圧倒的な美貌と、闇に閉ざされたミステリアスな雰囲気が貴族令嬢たちの間で大人気だが、当の本人は一切の婚約話に乗り気ではないらしい。


また、公爵家にはすでに養子として迎えられた十六歳の男児がおり、次期当主として据えられることが決まっているという。


その男児もまた、ジュリアンたちより一つ年上で、かなりの美貌を誇っていると噂されていた。


アイラとリリアは、姿隠しの魔法を展開して公爵邸の敷地内へと足を踏み入れた。


敷地を覆う不気味な黒い霧は、触れると微かに魔力の「流れ」を感じ取ることができた。


その魔力の流れは、まるで一本の細い糸のように、屋敷の奥深くにある起点へと繋がっている。


「この魔力の流れを辿っていけば、呪いの核……呪物がある部屋に行けそうね」


アイラはリリアと手を繋ぎ、姿を消したまま、警備の兵たちの目を容易くすり抜けて屋敷の中へと侵入した。


廊下は昼間だというのに薄暗く、冷ややかな空気が満ちていた。


やがて、魔力の糸が繋がる最奥の部屋の前に到着した。


部屋の扉は固く閉ざされていたが、アイラが魔法で鍵をあっさりと解錠し、二人は音もなく中へと滑り込んだ。


その部屋の机の上には、埃一つ被っていない、古びた、しかし美しい装飾が施された一つのオルゴールが置かれていた。


これこそが、約百年間この公爵家を縛り続けてきた呪いの起点たる呪物であった。


アイラがそっと手を伸ばし、オルゴールの蓋を開く。


すると、室内を優しく満たすように、とても穏やかで美しいメロディが流れ始めた。


それは、およそ人を呪うためのものとは思えない、どこか物悲しくも心安らぐ旋律だった。


「……あっ。このメロディ、聞き覚えがありますわ」


リリアが驚いたように小さな声を漏らした。


「ええ、私も聞き覚えがあるわ。これ、魔女世界で星見の魔女ララスワティお姉様がいつも好んで弾いていた、あのお気に入りのメロディよ」


アイラはオルゴールの側に視線を落とした。


そこには、極めて微細な魔女文字で、強力な呪いのまじないが刻まれていた。


その独特の丸みを帯びた、流れるような筆跡。


「筆跡を見ても、間違いなくララスワティお姉様のものね。普段はおっとりとしていて、穏やかで優しいお姉様なのに、まさかこれほど強力な呪いを残していくなんて。もしかして、あの人、かなり深めのヤンデレ属性だったのかしら」


アイラが少し引きつった笑みを浮かべた。


「謎が解けましたわね、お姉様。それじゃあ、オルゴールの蓋を閉めて、そろそろおうちに帰りましょうか」


「そうね。これ以上ここにいても――」


アイラがオルゴールの蓋を閉め、部屋を後にしようとした、その瞬間のことだった。


「……そこまでにしてもらおうか、侵入者たち」


背後から、低く、冷徹な声が響いた。


扉の前に、いつの間にか一人の男が立っていた。


それは、肩まで届く漆黒の髪に、鋭い紫色の瞳を持つ、噂通りの氷の美貌を誇るユストゥティア公爵その人であった。


彼は扉を背で塞ぐように立ち、アイラたちがいるはずの空間を正確に睨みつけていた。


どうやら、ただの姿隠しの魔法だけでは、鋭い剣のような彼の直感までは欺けなかったらしい。


「空間転移でこのまま逃げても良いけれど、どうしてあのオルゴールにこれほどの呪いが掛けられたのか、その理由にすごく興味があるわね」


アイラは少しだけ考えを巡らせた後、リリアに目配せをして、ふっと姿隠しの魔法を解除した。


何もない空間から、突如としてきらびやかなドレスをまとった、九歳の美しい双子の令嬢が姿を現した。


その光景を目にしたユストゥティア公爵は、さすがに驚愕を隠せなかったようで、鋭い眉を大きく跳ね上げた。


「……子供? 姿を消して我が家に忍び込んだ曲者が、まさかこのような幼い令嬢だったとはな」


「突然お邪魔してしまい、大変申し訳ありません。わたくしはアイラ・アルジェント、こちらは妹のリリアです。少し興味本位が過ぎて、お屋敷に勝手に侵入してしまいました。心よりお詫び申し上げます」


アイラは極めて優雅に、完璧な淑女の礼を披露して謝罪した。


リリアもそれに合わせて、しとやかに頭を下げた。


公爵はしばらくの間、黙って二人を鋭く観察していた。


しかし、九歳とは思えぬ完璧な淑女の礼と、その双眸に宿る底知れぬ魔力——そして何より、悪びれながらもこちらを面白がっているような無邪気な瞳に気圧されたのだろう。


やがて、その張り詰めた氷のような輪郭を、ふっと自嘲気味に緩めた。


「アルジェント公爵家の令嬢か。……なるほど、その見事な胆力に免じて、謝罪は受け入れよう。しかし、これほど容易く我が家の警備をすり抜け、誰も気づかない完璧な隠密魔法を操る少女たち相手となれば、驚くなという方が無理というものだ」


公爵は自嘲気味に息を吐き出すと、二人に向かって手を差し伸べた。


「立ち話も何だ。談話室へ移動しよう。そこでゆっくりと話を聞かせてもらいたい」


公爵の提案に従い、アイラとリリアは格式高い談話室へと案内された。


お茶が用意され、公爵はソファに深く腰掛けた。


「まず、先ほどの侵入方法について聞かせてもらいたい。本当に、正面から誰にも気づかれずに入ってきたのか?」


「はい。姿を隠す魔法で普通に門をくぐって入って参りましたわ」


アイラが事も無げに答えると、ユストゥティア公爵は深く、深く肩を落としてため息をついた。


「……我が家の警備の者たちは、侵入者の気配すら察知できなかったというわけか。これほどの初歩的な侵入を許すとは。警備の者たちには、明日からの訓練はもっと厳しくする必要があるな」


公爵がボソリと物騒なことを呟くのを聞き、アイラとリリアは心の中で「警備の皆さん、どうかご無事で」と静かに合掌した。


「さて、次は私の番だ。なぜ、君たちは我が家に張られたあの呪いに興味を持ったのだ?」


公爵の鋭い視線を受け、アイラは少し首を傾げて答えた。


「ユストゥティア公爵家の呪いが、とても興味深いものだったからですわ。お屋敷全体を覆うほどの呪いの力は、並大抵のものではありませんもの」


「ふ……。確かにそうだな。あのオルゴールに刻まれた呪いは、普通の人間が掛けたものではない。お伽話の中の存在だと思われている、『魔女』が掛けたものなのだ。我が一族は、実在する本物の魔女の怒りを買ってしまったのだよ」


「我が一族は、この呪いの霧のせいで常に微熱と悪夢に苛まれ、光を奪われてきた。私も、あと数年もすれば視力を完全に失うところだったのだ」


公爵が静かに、しかし重々しく口にしたその言葉に、アイラとリリアは思わず驚いて顔を見合わせた。


魔女は人間の世界においては、ただの古い伝承やお伽話に登場する架空の存在として扱われるのが普通であったからだ。


「公爵様、なぜ『魔女』が実在することをご存じなのですか?」


アイラが素直な疑問を口にすると、公爵は自嘲気味に口元を歪めた。


「君たちは『魔女』が実在することを知っていたのか?いや、今は良いか。先ずは我が家の話だな。百年前の先祖が書き残した詳細な日記と、愛した女性の記録が残されているからだ。お伽話ではない、生きた魔女と愛し合い、そしてその魔女によって破滅させられた一族の記録がな。……我が家に伝わる古い記録によれば、約百年前に我が家のご先祖である当時の当主は、ある美しく、不思議な力を持った女性と深く愛し合っていた。彼女の名はララスワティ。だが、国に戦争が勃発し、彼は戦地へと赴くことになった。そして戦地で激しい戦闘に巻き込まれ、彼は頭部に大怪我を負って記憶を失ってしまったのだ」


公爵は静かに紅茶を一口すすり、話を続けた。


「記憶を失った彼は、敵国で命を救われ、その地で別の女性と結婚して静かに暮らしていた。しかし、最期の死に際になって、彼はすべての記憶を突然思い出したのだ。自分が本当に愛していたのはララスワティという女性であったこと、飾ってあった日記に描かれていた彼女を裏切ってしまったことへの深い後悔を、遺言書にして我が家へと送った。戦争が終結し、その遺言書がユストゥティア公爵家の屋敷に届いた。だが、その遺言書が届く前に、悲劇は起きていた」


「……ララスワティお姉様が、魔法で彼の様子を覗き見てしまったのね?」


アイラが先を促すと、公爵は重く頷いた。


「その通りだ。彼女は持ち前の強力な星見の魔法で、彼が敵国で別の女性と幸せそうに暮らしている姿を見てしまった。彼女は、彼が自分を裏切り、心変わりしたのだと絶望し、激しい怒りに駆られた。彼女は、彼の一族と子孫代々に至るまで光を奪い、闇の中で苦しみ続ける呪いを掛け、そのまま魔女世界へと帰ってしまった。遺言書が届いたのは、彼女が去ったすぐ後のことだったそうだ」


公爵の話を聞き終え、アイラとリリアは確信を持って顔を見合わせた。


公爵が魔女の存在を完全に認識しており、その呪いの主がララスワティであることを知っているのなら、これ以上話を濁す必要はなかった。


「そういうことでしたら、話は極めて簡単ですわね。リリア、一度魔女世界へ戻って、ララスワティお姉様をこちらへお連れしましょう」


アイラが立ち上がり、事も無げに告げた。


「え? 魔女世界へ戻る、とはどういうことだ? 彼女は百年前の存在だぞ? とっくに――」


困惑する公爵をよそに、アイラとリリアは二人で息を合わせ、空間の裂け目を作り出す魔法を無詠唱で放った。


「次元の扉【ディメンション・ゲート】」


談話室の空間がぐにゃりと歪み、まばゆい光の渦が広がった。


「公爵様、少しの間、こちらで待っていてくださいね」


二人はそう言い残すと、驚愕に目を見張る公爵を置いて、光の渦の中へと飛び込んだ。


空間の裂け目を通り抜け、二人がたどり着いたのは、色とりどりの不思議な花々が咲き誇る、美しく穏やかな魔女世界の一角であった。


そこには、美しい星空のような模様のドレスを身にまとった女性が、テラスの椅子に腰掛けてのんびりとお茶を飲んでいた。


「あらぁ? アイラちゃんに、リリアちゃんじゃない。そんなに慌てて、一体どうしたのかしらぁ?」


のんびりとした、しかし圧倒的な魔力波動をまとう女性。


それこそが、星見の魔女ララスワティであった。


「ララスワティお姉様! 実は、あなたが百年前にお付き合いしていた方のことで、誤解を解きたくてお話ししに来たのですわ」


アイラは手短に、当時の彼が戦争で記憶喪失になっていたこと、そして死に際にすべてを思い出して遺言書を送っていたという真実を説明した。


ララスワティは、大きな瞳をさらに丸くして、ぽかんと口を開けた。


「ええぇっ!? あ、あの人、私のことを裏切ったわけじゃなくて、記憶喪失だったのぉ!? 最後に私のことを思い出して、遺言まで送ってくれていたのねぇ……。うふふ、私ったら、なんて酷い早とちりをしてしまったのかしらぁ」


ララスワティは恥ずかしそうに頬を染め、てへと可愛らしく頭を叩いた。


「大変なことをしてしまいましたわね。それじゃあお詫びに、今すぐあのご子孫のところに行って、その呪いを解いてあげなくっちゃねぇ」


「ええ、まさにそのご子孫の元から来たのですわ。一緒に来てくださいな」


アイラとリリアはララスワティの手を引き、再び次元の扉【ディメンション・ゲート】をくぐってユストゥティア公爵邸の談話室へと戻っていった。


談話室では、魂が抜けたかのように呆然と立ち尽くしていたユストゥティア公爵が、再び現れた光の渦を凝視していた。


光の渦が収まると、そこにはアイラとリリア、そして彼女たちが連れてきた、古い日記に描かれていた女性と全く同じ容姿の美女が立っていた。


「あ、あなたが……本物の、ララスワティ様なのか……?」


公爵が震える声で問いかけた。


「ええ、そうよぉ。あなたの先祖を呪ってしまって本当にごめんなさいねぇ。これ、お詫びにすぐ解いちゃうわねぇ」


ララスワティがパチンと指先を鳴らした。


その瞬間、屋敷全体を覆っていた重苦しい黒い霧が、まるで嘘のように一瞬で霧散し、窓からは百数十年ぶりに、温かく眩い太陽の光が談話室へと差し込んできた。


「それでは、私は天国にいるあの人に謝りに行ってくるわねぇ。バイバイ、お二人さん」


ララスワティはのんびりと手を振ると、再び光の渦の中に消えて、魔女世界へと帰っていった。


一瞬にして呪いが解け、本来の美しい輝きを取り戻した屋敷を見渡し、ユストゥティア公爵は静かに涙を流した。


「……本当に、呪いが解けた。我が一族を縛り続けてきた、あの絶望の闇が……消えたのか」


公爵はアイラとリリアの前に跪き、深く頭を下げた。


「アイラ様、リリア様。あなた方は我がユストゥティア公爵家にとって、生涯忘れることのない大恩人だ。この御恩、必ずや政治の場においても、私の命に懸けてあなた方の絶対的な味方となることを誓おう」


高位貴族の筆頭である彼の確約を得られたことは、アイラたちにとっても極めて大きな収穫であった。


「顔を上げてください、公爵様。誤解が解けて良かったですわ」


アイラが微笑むと、公爵は立ち上がり、すっきりとした表情で呼び鈴を鳴らした。


やがて、部屋の扉が開き、一人の十六歳ほどの少年が入ってきた。


銀色の美しい髪に、冷ややかで知性的な眼差し。


噂に違わぬ、息を呑むほどの美貌を誇る少年だった。


「父上、お呼びでしょうか。……それに、そちらの可愛らしいお客様方は?」


「ノクシタ、こちらが我が家の呪いを解いてくださった、アルジェント公爵家のアイラ様とリリア様だ。もし私が不在の折に何かあれば、すべてこのノクシタを通してくれれば良い」


「はじめまして、ノクシタ様」


「よろしくお願いいたします」


二人が挨拶すると、ノクシタはふんと鼻で笑うように、あまり興味なさそうに一瞥した。


「……そう。あなたがたが。まあ、父上の呪いが解けたのなら、私からは何も言うことはありません」


彼はどこか冷めた様子で、特にアイラたちに興味を示すこともなく、用件が済むとすぐに一礼して退室していった。


「相変わらず愛想のない息子で申し訳ない。だが、能力は極めて優秀だ。何かあればいつでも頼ってほしい」


「ふふ、構いませんわ。それでは私たちは、これで失礼いたしますね」


アイラとリリアは、ユストゥティア公爵に見送られ、すっきりとした気分で屋敷を後にした。


「謎がすべて解けて、本当にスッキリしましたわね、お姉様」


「ええ。それに、ララスワティお姉様が天国であの人と再会して、今頃お説教でもしているかしらね」


二人は夕暮れに染まる王都の道を、手を繋いで仲良く帰宅の途につくのだった。


ユストゥティア公爵邸の呪いが解けてから、数日が経過した。


不気味な黒い霧が晴れた公爵邸には、かつての輝きと穏やかな日常が戻りつつあった。


そんなある日の午後、アルジェント公爵邸に、予想もしない珍客たちが訪ねてきた。


執事長に案内されて最上級の応接室へと入ってきたのは、ユストゥティア公爵と、その養子であるノクシタ。


そして、彼らの後ろから楽しそうに入ってきたのは、おっとりとした笑みを浮かべる星見の魔女、ララスワティであった。


だが、驚くべきは彼女の隣に並び、しっかりと手を繋いでいる一人の男の存在だった。


その男は、百年前の絵姿に描かれていた、ユストゥティア公爵家のご先祖オーウェンその人の姿をしていたのだ。


「ご機嫌よう、アイラちゃん、リリアちゃん。また会いに来ちゃったわぁ」


ララスワティがのんびりとした調子で手を振った。


「まぁ、ララスワティお姉様! それに、そちらにいらっしゃるお方は……まさか、オーウェン様ですか?」


アイラがソファから身を乗り出し、驚きに満ちた声を上げた。


「いかにも。私がユストゥティア公爵家のご先祖、オーウェン・ユストゥティアです。アイラ様、リリア様、この度は我が一族を長年の呪いから救い出していただき、感謝の言葉もございません」


オーウェンは深々と頭を下げて、誠実な笑みを浮かべた。


「まぁ!ララスワティお姉様。天界から魂を買い取ったのですか?」


「ふふ、よくぞ気づいてくれたわねぇ、リリアちゃん。でも、買取じゃなくて、数十年ほどレンタルなのぉ。買取には手続きに時間が掛かるから,レンタルで借りちゃってぇ、そのまま買い取り申請してきたのぉ。この身体はぁ、私が作った特製の人形なのよぉ。生殖機能もばっちり搭載されているからぁ、その気になれば子供だって作れちゃうわぁ」


「やっぱり人間型の人形は生殖機能付きにしますわよね」


アイラは納得顔でニシシと楽しげな笑みを浮かべた。


「なるほど、魂のレンタルに生殖機能付きの人形ボディですか。ノクシタ様の跡取り対策も十分という事ですわね」


「これからは、私とララスワティはユストゥティア公爵邸の離れで一緒に暮らすことになりましてね。今回は、魔女のことをよく知るアルジェント公爵家の皆様へ、改めてご挨拶とお礼に伺った次第です」


オーウェンが穏やかに説明していると、応接室の奥の扉が静かに開いた。


「おやおや、騒がしいと思ったら、随分と面白いお客様が来ているようだね」


現れたのは、優雅な足取りで歩いてくるマーリンであった。


彼女の姿を目にした瞬間、おっとりとしていたララスワティの顔が劇的に引きつった。


「え、ええええええっ!? マ、マーリン様!? どうしてあなたが現世の、しかもこんな公爵家の中にいらっしゃるのぉ!?」


ララスワティは持っていた日傘を落としそうになるほど驚愕し、大慌てでオーウェンの背後に隠れた。


「ふふ、私は今、ここの可愛い双子ちゃんたちの家庭教師兼教育係を務めていてね。ララスワティ、あなたが百年もの間、ただの早とちりで人間の一族を呪っていた話は、すでに私の耳にも届いているよ」


マーリンは穏やかながらも、底知れぬ威圧感をにじませた瞳でララスワティを見つめた。


「ひゃあぁっ! ご、ごめんなさい、お母様! 本当にただの勘違いだったのよぉ!」


ララスワティはガタガタと震えながら、すべての魔女の母たるマザーシックスの代表に平伏した。


「分かっているよ。けれど、百年もの間、無実の子孫を闇に閉ざして苦しめたのだから、相応の責任は取ってもらわねばね。オーウェンとの暮らしの中で、ユストゥティア公爵家に何か不都合があったり、あなたがまた理不尽な我が儘を言うようなら、この私が直接お仕置きをしてあげるから、そのつもりでおいで」


マーリンが優しく微笑みながら告げると、ララスワティは涙目で感動したように両手を合わせた。


「は、はい! お母様! どこまでも私のことを気にかけてお説教してくださるなんて、私、本当に感動いたしましたわぁ!」


ララスワティのズレた感動の仕方に、アイラとリリアは思わず苦笑いを浮かべた。


一方、ソファの対面では、レオンハルトとセオドアがユストゥティア公爵と並んで座り、真剣な表情で今後の政治的な話を進めていた。


「ユストゥティア公爵。改めて、我がアルジェント公爵家との今後の連携について確認したい」


レオンハルトが鋭い当主の目を向けると、ユストゥティア公爵は深く頷いた。


「もちろんです、レオンハルト公爵。我が家にとって、アイラ様とリリア様は家を救ってくださった唯一無二の大恩人。今後の政局において、ユストゥティア公爵家は全力であなた方の味方をすると誓いましょう。派閥の垣根を越え、両家の強固な同盟を結びたいと考えております」


「それは実に心強い。歓迎しよう」


レオンハルトは満足そうに微笑み、固い握手を交わした。


セオドアは、話の途中でふと、公爵の隣で終始退屈そうに冷めた目をしている少年、ノクシタへと視線を移した。


ノクシタは十六歳とは思えぬほどの美しい容姿をしているが、どこか人を寄せ付けない冷徹な雰囲気をまとっている。


「……おい、ノクシタと言ったか。お前、うちの可愛いアイラやリリアに、変な下心を持ったりはしないだろうな?」


シスコンのセオドアが鋭く牽制すると、ノクシタは冷ややかな紫色の瞳で彼を一瞥した。


「……そんなはずがないでしょう。私は他人に興味がありません。いくら我が家の恩人とはいえ、あのような小さな子供たちに特別な感情を抱くなど、有り得ませんよ」


ノクシタが心底どうでもよさそうに切り捨てる。


「ふん、なら良いが」


セオドアは少しだけ安堵したように腕を組んだ。


ちょうどその時、応接室の扉が軽くノックされ、お茶と焼き菓子の追加を持ったメイドが入ってきた。


「失礼いたします。お茶のお代わりをお持ちいたしました」


入ってきたのは、アルジェント公爵邸で働くメイドのマリーであった。


マリーがワゴンを押してテーブルに近づき、静かにお茶を淹れようとした、その瞬間。


退屈そうにしていたノクシタの動きが、ピタリと止まった。


その鋭い紫色の瞳が大きく見開かれ、マリーの顔を凝視したのだ。


マリーもお茶を配る途中でノクシタの視線に気づき、普段の冷徹な仮面をかなぐり捨てて驚いているその端正な顔を見つめた。


「あっ」


マリーは思わず驚きに声を漏らした。


「……あなたは、あの時の……」


マリーは驚きつつも、丁寧なお辞儀をした。


「ノクシタ様、お久しぶりでございます。先日は貴族街でのこと、本当にありがとうございました。お礼が遅れてしまい、申し訳ありません」


マリーの突然の挨拶に、応接室にいた一同の視線が一斉にノクシタとマリーへと集中した。


ユストゥティア公爵は、息の尋常ではない動揺ぶりに目を見張った。


「ノクシタ、お前、こちらのメイドと知り合いなのか?」


「……ただの、偶然だ。大したことではない」


ノクシタはそっけなく顔を背けたが、その耳の端が微かに赤くなっているのを、アイラの魔力眼は見逃さなかった。


マリーは少し困ったように、しかし感謝を伝えるために当時の出来事を話し始めた。


「実は先日、買い物の帰りに私が貴族街の裏手を通った際、質の悪い下級貴族の若者たちに絡まれてしまったのです。非常に無礼な態度をとられ、あやうく無礼討ちにされそうになったところを、偶然通りかかったノクシタ様が颯爽と助けてくださったのですわ」


マリーが語ると、アイラは内心でニシシと笑った。


「マリー姉ちゃんを無礼討ちにしようとしたですって? もしノクシタが助けていなかったら、マリー姉ちゃんがその無礼な下級貴族の首を物理的にへし折って、闇に葬ってしまったでしょうね。ノクシタはマリー姉ちゃんを助けたんじゃなくて、その馬鹿な貴族を結果的に救ったお約束の展開だわ」


アイラはすべてを察し、ニヤニヤとした表情でノクシタを見つめた。


ユストゥティア公爵は、息子のこの反応をひどく珍しそうに、そして面白そうに眺めていた。


「ほう、それは珍しい。ノクシタ、お前が他人の揉め事に首を突っ込み、ましてや見知らぬ、貴族令嬢でもない女性を自ら助けるなど、これまでの人生で一度もなかったことだぞ」


「うるさいですよ、父上。ただ、あの男たちの品性のなさが、目に余るほど不愉快だったから排除しただけです」


ノクシタは不機嫌そうにそっぽを向いたが、マリーはお茶を淹れ終えると、もう一度ノクシタに優しく微笑みかけた。


「それでも、私にとっては本当に心強いお助けでしたわ。ノクシタ様、本当にありがとうございました」


マリーが給仕を終えて一礼し、部屋を退出していく。


その背中を、ノクシタは無意識のうちにじっと目で追いかけていた。


その様子を特等席で観察していたアイラは、隣のリリアの袖をツンツンと引っぱった。


「ねえリリア。私の直感が言っているわ。今後、マリー姉ちゃんに何かとっても素敵なことが起こるかもしれないわよ」


アイラがニシシと悪戯っぽい笑みを浮かべると、リリアも頬をピンク色に染めて、嬉しそうに何度も頷いた。


「ええ、お姉様! 私もそう思いますわ! 身分を越えた、ちょっぴり不器用で冷たい男の子と優しいメイドのお姉様との恋の物語なんて、本当にロマンチックで素敵ですわ!」


リリアはすっかり身分差の恋バナに大興奮し、二人の周りにはいつものように、甘い妄想のピンク色の空気が漂い始めた。


そんなノクシタの不器用な態度を見て、セオドアは深く腕を組み、得心がいったように大きく頷いた。


「なるほどな、ユストゥティア公爵。あいつはうちの可愛い妹たちには目もくれず、少し年上の、マリーのような落ち着いた女性が好みというわけか。それなら、あいつを警戒する必要は全くないな。むしろ大いに応援してやろうじゃないか」


「ははは、そうだな、セオドア殿。我が息子ながら、あのような分かりやすい反応をするノクシタを見るのは、実に愉快で面白い」


ユストゥティア公爵は、氷の美貌を崩して楽しそうに笑った。


レオンハルトもまた、隣で温かい視線を送りながら、今後の若者たちの行く末を面白そうに見守るのだった。


こうして、勘違いの呪いが解けたユストゥティア公爵家と、アルジェント公爵家との間には、政治的な同盟だけでなく、どこか不器用で愛らしい、新たなる運命の絆が静かに芽生え始めるのだった。



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