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探偵編3

探偵編3話です。

今回は魔法師団長の息子リュカです。

王都を脅かした隣国の陰謀が去り、アルジェント公爵家に平和な日常が戻ってきてから数週間。


……と言いたいところだが、この日、屋敷の裏口では少しばかり『物騒な報告会』が行われていた。


「――申し訳ねえ、マリーの姐御! 俺たちがついていながら、また一人、子供が消えちまいやした!」


屈強な体に無数の傷跡を持つ大男が、漆黒のメイド服を着たマリー姉ちゃんの前で、涙と鼻水を流しながら土下座をしていた。その後ろでも、いかつい顔をした数人の男たちがガタガタと震えながら平伏している。


「……またですか。あれほど、夜間の見回りを強化するように言ったはずですけれど?」


「ひぃっ! も、もっちろんでさぁ! 姐御の言いつけ通り、教会の周りは俺たち『黒狼団』の精鋭が二十四時間態勢で警備してました! なのに、気付いたら子供が煙のように消えてたんでさぁ!」


彼らはかつて、スラムを牛耳っていたギャング『黒狼団』の面々である。


私が公爵家に引き取られる前、孤児たちを攫おうとした彼らを、マリー姉ちゃんが単身で『お掃除(物理的壊滅)』したのだ。


その後、圧倒的な暴力と公爵家という絶望的な権力の前に完全に心を折られた彼らは、今ではすっかり改心(強制)し、廃教会の修繕やスラムに残った孤児たちの世話をする「気のいいおじさんたち」へと再就職していた。


父様レオンハルトも鬼ではない。彼らが真面目に奉仕活動をしていることを評価し、マリー姉ちゃんを通じて食料や物資を援助している。その代わり、スラムに蔓延る悪党どもの『裏の情報網』として彼らをこき使っているのだ。


そんな屈強なギャングたちが目を光らせている廃教会から、ここ数日で次々と孤児が姿を消しているという。


「……アイラお嬢様、リリアお嬢様。お聞き苦しいところをお見せして申し訳ありません。ですが、事態は少し深刻なようです」


少し離れた場所でこっそり報告を聞いていた私たちに気づき、マリー姉ちゃんがため息をついた。


「許せないね。私の生まれ育ったスラムで、うちの可愛い後輩たちを攫うなんて」


「はい! どんな悪い人たちか知りませんが、絶対に捕まえてお説教です!」


私とリリアが憤っていると、その話を聞きつけたお父様とセオドア兄様が、怒気を纏いながら裏口へとやってきた。


「マリーから話は聞いている。我が公爵家の庇護下にある廃教会から子供を攫うとは、アルジェント家への明確な宣戦布告と受け取ろう」


「ええ。何より、アイラが育った場所を土足で荒らす輩など、生かしておく理由がありません」


氷の公爵と次期当主の冷酷な言葉に、土下座していたギャングたちは「ひぃぃっ! 本物だぁっ!」とさらに平伏して震え上がった。


「セオドア、直ちに騎士団の精鋭を編成してスラムを封鎖しろ。現場の指揮はお前に任せる。……私は屋敷から総指揮を執り、王都の出入り口を完全に掌握する」


「はっ! 父上、お任せを!」


お父様の号令で、公爵家が誇る情報網と武力が一気に稼働を始める。


私は、お父様の袖を軽く引いた。


「お父様。私もリリアと一緒に現場に行きたい。攫われたのがスラムの子たちなら、私たちのダウジング能力が絶対に役に立つから」


「む……しかし、相手は正体不明の誘拐犯だ。お前たちを危険なスラムへ向かわせるわけには……」


「閣下、ご安心を。お嬢様方の護衛は、わたくしにお任せください」


マリー姉ちゃんが一歩前に出て、静かに頭を下げた。


その背後から立ち昇る『絶対に敵を逃がさない』というメイドの執念オーラを見て、お父様は少し引き攣った顔でコクリと頷いた。


「あ、ああ……そうだな。マリーとセオドアがついているなら、王宮の騎士団のど真ん中より安全だろう。許可しよう、アイラ、リリア。必ず子供たちを取り戻してきなさい」


「はいっ!」


こうして、セオドア兄様が率いる騎士団と、マリー姉ちゃん、そして私たち探偵双子による『スラム孤児連続誘拐事件』の調査隊が結成された。


「――ここが、昨夜子供が消えた部屋か」


スラムの廃教会。


セオドア兄様が周囲の安全を確保する中、私たちは現場の寝室へと足を踏み入れた。


「ええ。窓も扉も内側から鍵がかかっていて、俺たちが見回りをした時には誰も出入りしていやせん。ですが、朝になるとベッドが空っぽで……」


案内役のギャング(副リーダー格の男)が、申し訳なさそうに頭を掻く。


私は現場をぐるりと見渡した。争った形跡もなければ、窓が破られた跡もない。完全な密室だ。


「ギャングのおじさんたちが居眠りしてたって線はないの?」


「そ、それだけは絶対にねえです! もし居眠りなんてしたら、マリーの姐御に文字通り『首の骨を折られる』んで、みんな目ん玉ひん剥いて起きてやした!」


男の必死の弁明に、マリー姉ちゃんは「ふふっ」と優雅に微笑んでいる。怖い。


「物理的な侵入経路がない密室からの誘拐。そして、見張りにも気づかれずに子供を運び出す手口……」


セオドア兄様が顎に手を当てて思考を巡らせる。


「となれば、犯人は『魔法』を使っている可能性が高いな。空間転移か、高度な認識阻害か……」


「魔法、ですか。なら私の出番ですね!」


リリアが銀のスプーンを取り出し、目を閉じた。


「この部屋に残っている、子供たちが攫われた時の『違和感』……。見つけ出して、【白魔法ホワイト・サーチ】!」


リリアの魔力が部屋を満たす。


スプーンがカチリと震え、空中でピタリと床の一点を指し示した。


「お姉様! ベッドの下に、何か……『魔法の痕跡』みたいなものが残っています!」


「ベッドの下ね。……マリー姉ちゃん」


「はい、お嬢様」


マリー姉ちゃんがベッドを片手で軽々と持ち上げて退かすと、そこには埃に塗れた床板がむき出しになっていた。


一見すると何もない木の床だが、よく見ると、微かに青白い光を放つ『魔法陣の跡』のようなものが焼き付いていた。


「これは……『転移陣』の痕跡か? いや、それにしては術式が複雑すぎる」


セオドア兄様が顔を近づけ、険しい顔つきになった。


「この精密な術式の描き方、そして魔力の残滓の質……。野良の魔道士や、その辺の犯罪ギルドに扱える代物ではないぞ。これは間違いなく、正規の訓練を受けた者の手口だ」


「正規の訓練って、つまり……」


「ああ。王宮に属する『魔法師団』で使われている術式に酷似している」


魔法師団。


先日、軍馬の窃盗事件の事後処理で屋敷にやってきた、あの生意気な少年リュカの顔が私の脳裏をよぎった。


(スラムの孤児の誘拐に、国のトップエリートである魔法師団が絡んでいる……?)

ただの誘拐事件ではない。


そこには、魔法という特権階級の力を悪用した、きな臭い思惑が隠されている気がした。


「セオドア兄様。……魔法師団が絡んでるなら、証拠を掴まないと騎士団でも手出ししにくいよね?」


「ああ。連中は特権意識が強く、騎士団との仲も最悪だからな。明確な証拠がなければ、屋敷に乗り込むこともできない」


「なら、私たちの魔法で証拠を引っこ抜くまでよ」


私は床に残された転移陣の跡に手を触れ、ニヤリと笑った。


「相手が魔法のエリートだろうがなんだろうが、私の家族に手を出した落とし前は、きっちりつけてもらうからね」


美食の探求を少しだけお休みして、探偵バディの怒りの追跡劇が始まろうとしていた。


――事の始まりは、数日前に遡る。


「……保管庫の結界が破られ、術式スクロールが盗まれただと?」


王宮魔法師団の奥深く、師団長室。


父である魔法師団長からの報告に、僕――リュカは、金縁の眼鏡を押し上げながら眉をひそめた。


「はい。しかも盗まれたのは、他でもないお前が先日完成させたばかりの『多重座標指定型・空間転移術式』の原本だ。……犯人は、内部の構造を熟知している者の可能性が高い」


「僕の、術式が……?」


その瞬間、僕の胸の中に冷たい怒りの炎が燃え上がった。


僕は魔法師団長の息子であり、百年に一人の神童と謳われる天才魔道士だ。


あの術式は、複雑怪奇な空間座標の計算を僕独自の魔力回路で簡略化し、魔力消費を抑えつつ安全な転移を可能にした、まさに『芸術品』とも呼べる傑作だった。


それを、どこの馬の骨とも知れない泥棒ごときが盗み出し、あろうことか悪用しようとしている?

「……許せません。僕の美しく完璧な術式を、泥棒の汚い手で汚されるなど、魔道士としての誇りにかけて断じて見過ごせない」


「ああ、私も同感だ。だがリュカ、この件は『極秘』に処理せねばならん。厳重な保管庫から術式を盗まれたと知れれば、我が魔法師団の威信に関わる。特に、あの鼻持ちならない公爵家の騎士団セオドアなどに知られれば、何を言われるか分かったものではない」


「分かっています。……僕が自ら追跡し、術式を取り戻した上で、犯人をこの手で灰燼に帰してやります」


盗まれた術式は、僕自身が構築したものだ。その魔力波長のクセは、僕がこの世で一番理解している。


かくして、僕は極秘裏に王宮を抜け出し、独自の魔力探知を頼りに術式の行方を追うことになったのだ。


「……ここか」


数日後。微かな魔力の残滓を辿って僕が辿り着いたのは、王都の裏側に広がる悪臭漂うスラム街……その奥にある、今にも崩れそうな廃教会だった。


「スラムの廃教会……。こんな薄汚い場所で、僕の術式を使ったというのか」


僕は舌打ちをしながら、気配遮断の魔術を展開して廃教会の中へ潜入した。


そして、わずかな魔力反応を頼りに、ある一つの寝室へと足を踏み入れた。


「これは……」


ベッドの下に隠された床板。そこに焼き付いていたのは、間違いなく僕が構築した『転移陣』の術式だった。


だが、その陣を見た瞬間、僕はさらに激しい怒りに震えた。


「なんて不細工で雑な描き方だ……! 座標指定の要である第三術式が歪んでいるし、魔力効率も最悪じゃないか! 僕の芸術的な術式を、よくもここまで愚弄してくれたな!」


犯人は僕の術式を完全に理解しておらず、スクロールの通りに無理やり模写して使用したらしい。


恐らく、ここから誰かを『転移』させて攫ったのだろう。転移先を割り出すため、僕は床の魔法陣に手をかざし、逆探知の解析を始めようとした。


その時だった。


『――ここが、昨夜子供が消えた部屋か』

不意に、部屋の外から複数の足音が近づいてきた。


僕は咄嗟に【光学迷彩インビジブル】の術式を起動し、部屋の隅の暗がりへと身を隠した。


扉が開き、入ってきた者たちを見て、僕は思わず声を上げそうになった。


(なっ……アルジェント公爵家の連中だと!?)

そこにいたのは、僕が最も顔を合わせたくない相手――公爵家の次期当主であるセオドアと、彼が過保護に付き従う銀髪の双子の令嬢、アイラとリリアだった。さらにその後ろには、得体の知れない威圧感を放つメイドまで控えている。


なぜ、王宮のトップエリートである公爵家の人間が、こんなスラムの廃教会にいるんだ?

息を潜めて観察していると、やがて銀髪の令嬢の一人(確か、アイラという名前のふざけた女だ)が、ベッドの下にある魔法陣の痕跡を見つけ出した。


『これは……『転移陣』の痕跡か? いや、それにしては術式が複雑すぎる』

『ああ。王宮に属する『魔法師団』で使われている術式に酷似している』

セオドアの言葉に、僕はギリッと奥歯を噛み締めた。


まずい。彼らに「魔法師団が誘拐に関与している」と誤解されれば、父上の懸念していた通り、騎士団と魔法師団の全面衝突に発展しかねない。


『セオドア兄様。……魔法師団が絡んでるなら、証拠を掴まないと騎士団でも手出ししにくいよね?』

『相手が魔法のエリートだろうがなんだろうが、私の家族に手を出した落とし前は、きっちりつけてもらうからね』

アイラが、ベッドの下の魔法陣を指差しながら、不敵で凶悪な笑みを浮かべた。


その野蛮な発言を聞いて、僕の魔道士としてのプライドが限界を突破した。


「――待て。勝手な推測で、我が魔法師団を貶めないでいただこうか」


僕は光学迷彩を解除し、部屋の隅から堂々と姿を現した。


「なっ!? 貴様、いつからそこに……!」


突然現れた僕に、セオドアが素早く剣の柄に手を掛ける。メイドの女も、どこから取り出したのか数本の銀のナイフを指の間に挟んでいた。


「あ、君は……確か、魔法師団長さんのところの、生意気なメガネ君」


アイラが僕の顔を見て、パンッと手を打った。


生意気なメガネ君とはなんだ、この無礼な令嬢は。


「僕の名前はリュカだ。……剣を収めろ、セオドア卿。僕も今、この魔法陣の解析にやって来たところだ」


「解析だと? つまり、この魔法陣はお前たち魔法師団の所有物であることを認めるのだな? なぜお前たちの術式が、スラムの子供を攫うために使われている!」


セオドアが鋭い声で詰問してくる。


僕は不本意ながらも、重いため息をついて真実を口にした。


「……数日前、我が魔法師団の保管庫から、僕が構築した空間転移の術式スクロールが盗まれた。これはその犯人が、僕の術式を不細工に模倣して描いたものだ。つまり、僕たち魔法師団も『被害者』だということだ」


「盗まれた?」


「ああ。自分の美学の結晶である完璧な術式を、このような三流以下のド下手な描き方で悪用されるなど、僕の誇りが許さない。だから、極秘裏に犯人を追っていたんだ」


僕が言い切ると、アイラとリリアが顔を見合わせた。


「なるほどね。つまりメガネ君は、自分の描いた絵を勝手にパクられて、しかもめちゃくちゃ下手くそにトレスされたからブチギレて追ってきたってわけだ」


「なっ……! え、絵のトレスと一緒にすな! これは高度な魔術の……!」


「はいはい、わかったわかった。要するに、犯人を見つけ出してボコボコにしたいっていう目的は私たちと同じってことね」


アイラが、どこか楽しそうに僕の肩をポンポンと叩いた。


「私たちは攫われたスラムの子供たちを取り返す。メガネ君はパクられた術式を取り返して、自分のプライドを満たす。……利害は一致してるじゃない。なら、一時休戦して協力しましょ?」


「僕が、君たちのような素人と協力だと……?」


「この魔法陣、逆探知して転移先を割り出せるんでしょ? でも、犯人が魔法師団の内部事情に詳しい奴なら、転移先には魔法師団の追っ手を想定した『対魔術用の罠』が張られてるかもしれない。……うちの騎士団と、マリー姉ちゃんの物理攻撃力があった方が、安全に突入できると思わない?」


アイラの指摘に、僕は言葉を詰まらせた。


確かに、術式を盗み出せるほどの手練れだ。単独で乗り込むのはリスクが高い。それに、あの非常識なメイドの戦闘力は、以前軍馬の事件の報告で聞いて知っている。


「……いいだろう。ただし、僕の目的はあくまで術式と犯人の確保だ。君たちの人探しはついでに手伝ってやるだけだからな」


「はいはい、ツンデレツンデレ。よろしくね、リュカ君!」


「ツ、ツンデレとはなんだ! 語源も定義も不明な単語だが、君のその腹立たしいニヤケ面から推測するに、僕の魔道士としての誇りを著しく損なう意味合いが含まれていることだけは絶対に断言するぞ!!」


こうして、僕の不本意極まりない『極秘捜査』は、アルジェント公爵家の規格外な探偵姉妹にペースを握られたまま、合同捜査へと移行することになってしまったのだった。


スラムの廃教会で鉢合わせた、生意気な天才魔道士・リュカとの一時休戦。


かくして、アルジェント公爵家の探偵バディと王宮魔法師団のトップエリートによる、異色の合同捜査がスタートした。


「……ひどい術式だ。素人が見様見真似で描いたから、魔力効率が最悪で陣の形も歪んでいる。よくこんなもので五体満足のまま転移できたな」


リュカはベッドの下の床板に焼き付いた魔法陣を睨みつけ、ブツブツと文句を言いながら両手をかざした。


彼の指先から繊細な金色の魔力の糸が伸び、不細工な魔法陣の残滓を一つ一つ丁寧に解きほぐしていく。


「よし、転移先の空間座標の特定は完了した。……下がっていろ、素人ども。僕の完璧な術式で、この座標へ直通の道を繋いでやる」


「直通の道を繋ぐだと?」


セオドア兄様が、驚愕に目を見開いた。


「残された魔力の残滓から座標を逆探知するだけでも至難の業だ。その上、全く別の場所から『同じ座標』へ正確に飛ぶ独自の転移門を開くなど……並の魔道士では、空間の狭間に弾き出されて一生出られなくなるぞ」


「一緒にしないでいただきたい。僕は並の魔道士ではない、百年に一人の神童だ」


リュカが自信満々に笑い、床に自らの魔力で美しく複雑な幾何学模様の『転移陣』を瞬時に描き出した。


その淀みのない流麗な魔法の行使は、魔法に疎い私から見ても「芸術的」だと思えるほど完璧だった。


悔しいけれど、あの生意気な態度も伊達ではないらしい。天才と呼ばれる片鱗を、私たちは確かに目撃していた。


「さあ、乗るぞ。僕の魔力圏内から一歩でも出れば、異空間の塵になるから気をつけろ」


リュカの言葉に、私たちは円形の陣の中へ足を踏み入れた。


マリー姉ちゃんが私とリリアをしっかりと抱き寄せ、セオドア兄様がいつでも剣を抜ける体勢をとる。


「【多重座標指定型・空間転移】!」


リュカの詠唱と共に、視界が金色の光に包まれた。


浮遊感は一瞬。次に私たちが目を開けた時、周囲の景色はスラムの廃教会から、どこかの薄暗い『地下洞窟』のような場所へと変わっていた。


「……到着だ。僕の計算に狂いはない。奴らが子供を攫って飛んだのは、ここだ」


「見事な腕だ、リュカ殿」


セオドア兄様が警戒しながら周囲を見渡す。


床には、大人が何往復かしたような足跡と、子供が引きずられたような小さな跡が残っていた。


「足跡は奥へ続いている。物理的・魔術的な罠は……不思議なほど、何も仕掛けられていないな」


リュカが魔力探知を広げながら首を傾げる。


犯人のアジトにしては、あまりにも無防備だ。私たちは警戒を解かぬまま、足跡を辿って洞窟の奥へと歩き出した。


しかし。


歩き出して十数メートルほど進んだ時だった。


「…………ッ!!」


私とマリー姉ちゃんは、全く同時にビクリと肩を震わせ、ピタリと足を止めた。


全身の産毛が逆立ち、胃の奥が冷たく重くなるような、強烈な吐き気。


リリアも青い顔をして、私の袖をぎゅっと握りしめている。


「アイラ? どうした」


「お姉様、ここ……なんだか、すごく気持ち悪いです……」


「……ええ。なんだろう、これ。罠の気配じゃない。でも……」


私は冷や汗を流しながら、周囲の岩壁を睨みつけた。


スラムという過酷な環境で生き抜いてきた私の「野性の勘(サバイバル本能)」が、頭の中で警鐘をガンガンと鳴らしている。


『ここに居てはダメだ』と。


「リュカ君。ここ、本当に現実の空間?」


「は? 何を言っている。座標は王都から数十キロ離れた山中の地下空間で間違いない。魔力反応も……」


リュカが怪訝そうに足元の地面に魔力を通そうとした、その瞬間。


「……アイラお嬢様!!」


マリー姉ちゃんが悲鳴のような声を上げ、私とリリアに覆い被さった。


同時に。私たちの周囲の『岩壁』や『足跡』が、まるで水に溶けた絵の具のように、ぐにゃりと奇妙に歪み始めたのだ。


「なっ……なんだこれは!?」


「くっ、剣が通らん! 幻影か!?」


セオドア兄様が歪む岩壁に剣を振り下ろすが、刃は手応えもなくすり抜けてしまう。


景色が溶け落ちた先に見えてきたのは、底なしの暗黒と、赤黒い瘴気が渦巻く『名状しがたい空間』だった。


「ば、馬鹿な……っ! 空間の座標が、書き換えられている!? いや、これはただの空間魔術じゃない! 世界の位相そのものを切り離すなんて……人間に行使できる結界ではないぞ!?」


リュカが顔面を蒼白にして叫んだ。


犯人は罠を仕掛けていなかったのではない。


『この転移先(空間)そのもの』が、足を踏み入れた獲物を世界から隔離し、永遠の暗黒へと飲み込むための巨大な『捕食罠』だったのだ。


「ぐっ……空間が、閉じようとしている……っ!!」


足元の地面すらもドロドロに溶け始め、私たちは文字通り「無」へと落ちようとしていた。


ここで暗黒に飲まれれば、二度と元の世界へは帰れない。本能でそれを悟った瞬間。


「全員、僕にしがみつけええええっ!!」


リュカが喉が裂けんばかりの絶叫を上げた。


私たちは反射的に、近くにいたリュカの腕や服に必死にしがみついた。


「座標指定の計算などしている暇はない! 一番慣れ親しんだ場所へ、強制跳躍するッ!!」


リュカは己の魔力のタガを外し、無理やり空間の壁をこじ開けた。


周囲の暗黒が私たちを完全に飲み込もうと迫り来る中、リュカの金色の魔力が弾け飛ぶ。


パァンッ!!

凄まじい衝撃と爆音。


内臓が裏返るような強烈な空間の揺さぶりを受け、私たちは弾き出されるようにして、硬い石畳の上へと転がり落ちた。


「げほっ、がはっ……!!」


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


冷たい石の床の上で、全員が激しく咳き込み、肩で息をしている。


顔を上げると、そこは暗黒の異空間ではなく、見慣れない広大な敷地の中――高い防壁に囲まれた、訓練場のような場所だった。


遠くで「侵入者か!?」と、ローブを着た魔道士たちが慌ててこちらへ駆け寄ってくるのが見える。


「……ここは?」


「……王宮、魔法師団の……訓練場だ……」


リュカが大の字に倒れ込み、ぜえぜえと荒い息を吐きながら答えた。


彼の金縁の眼鏡はヒビが入り、あれほど綺麗だった制服はボロボロになっている。


「間一髪……だった。あんな空間に巻き込まれたら、二度と帰ってこれなかったぞ……。君たちの、その野性の勘がなければ、僕の対応が遅れて全滅していた……」


天才魔道士をして、そこまで言わしめるほどの圧倒的な脅威。


私たちは無事に生還を果たしたものの、事態の深刻さに言葉を失っていた。


(子供を攫った犯人は、ただの誘拐犯なんかじゃない。……あれは、私たちが以前戦った『悪魔』の残滓……!)

一時休戦の合同捜査は、開始早々、王都の闇に潜む『底知れぬ恐怖』に直面することになってしまったのだ。


リュカの決死の空間跳躍により、底知れぬ暗黒の結界から間一髪で生還した私たち。


不時着した魔法師団の訓練場は、突如として空から落ちてきた血だらけの天才魔道士と公爵令嬢たちの姿に大パニックとなったが、すぐに駆けつけた魔法師団長(リュカの父親)によって事態は収拾された。


そして数時間後。


場所は移り、アルジェント公爵邸の厳重な防音結界が張られた極秘の会議室。


「……つまり。何者かが我が魔法師団から術式を盗み出し、それをスラムの子供の誘拐に利用した。そして、その転移先には『人間の領域を遥かに超えた、未知の空間結界』が張られていたと?」


円卓を挟んで向かい合うのは、王宮魔法師団のトップである初老の魔道士と、包帯を巻いて痛々しい姿になったリュカ。


対するはこちら側、レオンハルトお父様、セオドア兄様、そして私とリリア、背後に控えるマリー姉ちゃんだ。


「はい、父上。あれは単なる幻影や空間魔術ではありませんでした。世界の位相そのものを切り離し、対象を虚無へと飲み込む『捕食の結界』。僕の直感が正しければ……あれは、おとぎ話の産物でしかないはずの魔法です」


リュカは青ざめた顔で、しかし魔道士としての矜持を保ちながら正確に報告した。


彼の報告を聞き終えたお父様は、重々しく腕を組んで目を閉じた。


「……報告ご苦労だった、リュカ殿。お前がいなければ、我が娘たちは今頃次元の塵となっていた。公爵家を代表して、心から感謝する」


「あ、いえ。僕も自分の命が惜しかったですから……」


氷の公爵からの真っ直ぐな感謝の言葉に、リュカは少し照れたように視線を逸らした。


お父様はゆっくりと目を開け、魔法師団長を真っ直ぐに見据えた。


「師団長殿。信じがたいとは思うが、単刀直入に言おう。……今回の誘拐事件の背後にいるのは、人間の犯罪組織ではない。神話の時代より潜む『悪魔族』の残党だ」


「…………は?」


魔法師団長が、間の抜けた声を漏らした。


隣に座るリュカも、目を丸くして固まっている。


「あ、悪魔、ですか? 公爵閣下ともあろうお方が、ご冗談を。確かに息子の報告した結界は未知の規格外なものでしたが、悪魔などという非科学的な……」


「冗談でこのような場を設けると思うか」


お父様が静かに凄むと、魔法師団長はビクッと肩を震わせた。


お父様は、先日この屋敷で起きた『認識阻害の破壊』と、そこに現れた天使から聞いた神話の真実を、かいつまんで説明した。もちろん、私とリリアの『能力』に関する機密部分は伏せた上で、だ。


「……し、信じられん。我々が知らぬ間に、王都が悪魔の陰謀に巻き込まれていたというのですか? しかし、証拠が……」


「証拠なら、ありますよ」


魔法師団長がなおも疑念を拭いきれずにいると、突然、会議室の扉がノックされた。


入ってきたのは、お茶のお代わりを持ってきた、どこにでもいそうな地味なメイドだった。


「おい、今は極秘の会議中だぞ。誰が入れと……」


セオドア兄様が咎めようとした、その瞬間。


そのメイドの雰囲気が一変した。


彼女の瞳が神々しい金色の光を放ち、背後に幻覚のような純白の羽が揺らめいたのだ。


「なっ……!?」


「ひぃっ!? な、なんだこの尋常ではない神聖な魔力は……っ!?」


リュカと魔法師団長が、椅子から転げ落ちんばかりに仰け反った。


長年魔術の深淵を探求してきた彼らだからこそわかる。目の前の存在が放つ魔力は、人間のそれとは次元が違う、『上位存在』の圧倒的なプレッシャーだ。


「やあ、人間ども。深刻な顔をして話し合っているようだな」


メイドの姿をした『天使』が、優雅な手つきでティーカップをテーブルに置きながら、尊大な声で言い放った。


「て、天使さん。なんでまた急に来たの?」


私がのんきにお茶を啜りながら尋ねると、天使は腕を組んで、包帯姿のリュカを見下ろした。


「なぜも何もない。天界から下界の様子を監視していたら、突如として空間が無理やり抉じ開けられ、濃密な『地獄の瘴気』が人間界に一瞬だけ吹き出したのを感じたからだ。慌てて様子を見に来てみれば……」


天使は、金色の瞳でリュカを射抜いた。


「なるほど。そこの眼鏡の人間の魔道士。お前が、悪魔の『捕食結界』を内側から強引に抉じ開けて脱出したのか」


「ぼ、僕が……?」


「ああ。中位以上の悪魔が張る隔離空間を、人間の身でありながら力技で破るとは。その際、結界の奥底にあった地獄の魔力が漏れ出したのだ。……人間の魔道士にしては、大したものだ。褒めてやろう」


神話の存在である天使からの、まさかの大絶賛。


リュカは冷や汗をダラダラと流しながらも、持ち前のプライドがくすぐられたのか、「ふ、ふん。百年に一人の神童である僕にかかれば、悪魔の結界など紙切れ同然さ……」と震える声で強がっていた。


魔法師団長に至っては、目の前の存在が本物の天使であると完全に理解し、白目を剥いて気絶寸前になっている。


「ええと、それで? 天使さんがわざわざ来たってことは、誘拐犯の正体とか居場所が分かったの?」


私が本題を急かすと、天使は真剣な顔つきに戻って頷いた。


「ああ。あの結界から漏れ出した瘴気の残滓を辿り、奴らの拠点の一つを特定した。……どうやら悪魔どもは、王都の地下水脈に身を潜め、スラムの孤児たちを集めて何らかの『儀式』を行おうとしているらしい」


「儀式……? 孤児を使って、ですか?」


セオドア兄様が顔を険しくする。


天使の言葉に、私は思わず眉をひそめた。


「ちょっと待って。悪魔の計画って、私が幸福な公爵令嬢になっちゃったせいで破綻したんじゃなかったの?」


「その通りだ。だから奴らは、当初の世界崩壊の計画を諦め、別の小規模な悪事を働いているのだろう。例えば……人間の魂を対価にして、自らの力を取り戻すための『魂喰いの儀式』とかな」


天使の言葉に、会議室の空気が一気に凍りついた。


スラムの孤児たちは、悪魔の力を取り戻すための『生贄』として集められている。


このまま放置すれば、攫われた子供たちの命はない。


「……許さん」


静かな、しかし確かな殺気が会議室に満ちた。


殺気を放ったのはお父様やセオドア兄様ではない。


私の背後に控える、漆黒のメイド服に身を包んだマリー姉ちゃんだった。


「私の……可愛い弟や妹たちの友達を、悪魔の餌にするなど……。アイラお嬢様。わたくし、少々『お掃除』の範囲を広げてもよろしいでしょうか?」


聖母のような微笑みを浮かべながらも、その背後には般若のような怒りのオーラが渦巻いている。これには本物の天使すらも「ひっ」と一歩後ずさった。


「もちろん。私だって、スラムの子たちを見殺しにするつもりはないから」


私は立ち上がり、テーブルをドンと叩いた。


「お父様、セオドア兄様! そしてリュカ君たちも! 悪魔の拠点の場所が分かったんなら、話は早いわ。すぐに討伐隊を編成して、カチコミに行くわよ!」


「ああ。我が公爵家の総力を挙げて、悪魔どもを地下水脈ごと浄化してやろう」


「僕も行く! 僕の芸術的な術式を不細工にパクった泥棒悪魔に、目にもの見せてやらなければ気が済まないからな!」


私たちが勢いよく立ち上がり、一斉に出陣しようとした、その時。


「待て。勢いだけで突っ込む気か、人間ども」


メイドの姿の天使が、冷や水を浴びせるように静止の声を上げた。


「行くのを止めるわけではない。私も同行しよう。だが……普通の人間の武器や魔法では、上位の悪魔にはかすり傷一つつけられないぞ」


「なんだと?」


「人間とは構造も密度も違う存在だ。物理的な刃はすり抜け、通常の魔力は容易く無効化される。丸腰で突っ込めば、いくら精鋭を揃えようと、ただの餌になるだけだ」


天使の言葉に、騎士であるお兄様や、魔道士であるリュカたちがハッと息を呑む。


現代の人間には、悪魔に抗う術が根本的に欠けているという残酷な事実。どんなに剣術や魔術を極めようと、次元が違うのだ。


「だが、案ずるな。これを持っていけ」


天使はメイド服のポケット(?)へ手を突っ込み、何もない虚空から次々と古びた武器を取り出し始めた。


「アイラとリリア。お前たちにはこれだ。五千年前の大戦で、白魔法使いと黒魔法使いが実際に使っていた『杖』だ」


渡されたのは、漆黒の木材でできた無骨な杖と、純白の水晶が埋め込まれた美しい杖だった。手に取ると、自分の魔力に呼応して凄まじい力が脈打つのが分かる。


「人間の魔道士親子(リュカと師団長)。お前たちにも、悪魔を打倒し得る『神聖属性』を魔法に付与する杖を貸してやろう。それを使えば、お前たちの術式でも悪魔を傷つけることができる」


「なっ……! これほどの純度の魔導具、王家の国宝にすら……!」


魔法師団長とリュカが、震える手で杖を受け取る。


そして天使は、最後に眩い白銀の輝きを放つ両刃の直剣を取り出し、セオドア兄様へと差し出した。


「セオドアよ。お前には以前、この公爵家から一度回収した『天使の剣』を貸し与えよう。悪魔の魂ごと斬り裂く、天界の武具だ」


「おお……! ありがたくお借りする!」


神話級の武器を手にしたお兄様が、闘志を燃え上がらせる。


残るは一人。レオンハルトお父様だ。お父様は「私には何もないのか?」とばかりに、期待の眼差しを天使に向けていた。


「……レオンハルトよ。お前には以前、私から渡した『魔法剣』があるだろう。悪魔相手でも何度か斬りつければ倒せる程度の力はあると言ったはずだ」


「あ、ああ……そういえば執務室に飾ってあったな。あまりにも物騒な力だったため、すっかり封印したつもりでいた」


「……おいおい」


天使が呆れたようにため息をついた。


かくして。


神話の時代から続く因縁の天使から『対悪魔用の神話級フル装備』を貸し与えられた私たち。


アルジェント公爵家と魔法師団のエリート、さらには激怒した完璧超人メイドによる、悪魔の拠点への容赦ない『カチコミ作戦』が、今度こそ万全の態勢で幕を開けようとしていた。


王宮魔法師団の訓練場。


私たちは再び、あの生意気な天才魔道士・リュカの描いた『空間転移陣』の上に立っていた。


「……空間座標、再設定完了。いつでも跳べるぞ」


神聖属性を付与する杖を手にしたリュカが、額に汗を浮かべながら宣言する。


前回は、この座標へ飛んだ直後に強烈な吐き気に襲われ、名状しがたい暗黒の空間に飲み込まれそうになった。しかし、今の私たちはもう丸腰ではない。


「案ずるな。今回は私が同行しているのだからな」


陣の中央に立つ、メイドの姿をした『天使』が薄く微笑んだ。


彼女の体から放たれる神々しい白銀の光が、私たち全員を温かく包み込む。


「いくぞ。……【多重座標指定型・空間転移】!」


リュカの詠唱と共に、視界が金色の光に包み込まれた。


一瞬の浮遊感。そして次に目を開けた時、私たちの周囲には、前回と同じあの『赤黒い瘴気が渦巻く暗黒の空間』が広がっていた。


「やはり……なんて禍々しい空間だ。これほどの巨大な結界を維持するなど、どんな魔力量があれば……」


魔法師団長(リュカの父親)が、震える声で周囲の暗黒を見渡した。


しかし、天使は呆れたように鼻を鳴らした。


「勘違いするな、人間の魔道士よ。これは魔法で作り出された『結界』などではない」


「結界ではない……? では、この空間は一体……」


「ただの『道』だ。悪魔どもが、王都の地下へとショートカットするために、一時的に『地獄』と『人間界』の位相を繋げただけのこと」


地獄、そのもの。


天使の言葉に、お父様もセオドア兄様も、そしてリュカたちも息を呑んだ。


「人間界の座標に偽装して、地獄を経由させていたのか……! だから、前回は足を踏み入れた瞬間に空間が溶け落ちるような感覚がしたのか!」


「ああ。ここは人間とは構造も密度も違う、絶対的な上位次元だ。私のこの光(保護)がなければ、お前たちは今頃、次元の圧力に肉体を圧壊され、魂だけが永遠にこの地獄を彷徨うことになっていただろうな」


淡々と告げられる残酷な真実。


どんなに剣を極めようと、どんなに魔術を極めようと、人間である以上、絶対に越えられない『存在の壁』。神話の次元とはそういうものなのだ。


私とリリアも、お互いの手を強く握り締めながら、天使の光の外側で蠢く赤黒い暗黒の深淵を恐怖と共に睨みつけていた。


やがて。


地獄の道を通り抜けた私たちの視界がパッと開け、生温かい湿った空気が肌を撫でた。


「……着いたな。王都の地下深くを流れる、大水脈の奥底だ」


天使の言葉と共に転移の光が収まると、私たちは広大な地下の天然洞窟に立っていた。


遠くで轟々と水が流れる音が聞こえ、天井からは仄かに発光する苔が不気味な青白い光を落としている。普通の人間世界の、誰も立ち入らないような忘れられた場所。


そして。


「……あそこだ。スラムの子供たちだ!」


セオドア兄様が、鋭い声で前方を指差した。


洞窟の中央には、黒い石を積み上げて作られた不気味な祭壇があり、その上に数十人の小さな子供たちが、深い眠りに落ちたまま無造作に転がされていた。


スラムの廃教会から攫われた、罪のない孤児たちだ。


「よし、一気に制圧して子供たちを……」


お父様が『天使の剣』を抜いて踏み込もうとした、その瞬間。


『――ククク。なんだ? 地獄の道を無理やり渡ってきた馬鹿な人間がいると思えば……』

『まさか、自ら餌になりにやってくるとはな』

洞窟の闇の奥から、低く、地を這うような気味の悪い声がいくつも響き渡った。


ズズッ、ズズッ……と、岩壁の影から、あるいは地下水の底から、禍々しい瘴気を纏った異形の影が次々と姿を現す。


ヤギの頭を持つ者、蝙蝠の羽を生やした者、不定形な泥の塊のような者。


その数は一体や二体ではない。十、二十……数え切れないほどの『悪魔』たちが、祭壇を取り囲むようにして群れをなしていたのだ。


「なっ……! ば、馬鹿な、これほどの数の悪魔が王都の地下に……っ!?」


魔法師団長が、絶望に顔を蒼白にして後ずさった。


リュカも、握りしめた杖をカタカタと震わせている。


「なるほどね……」


私は、冷や汗を流しながら、ギュッと『黒魔法の杖』を握り直した。


「どうして天使さんが、わざわざ私たち全員に天界の武器や古の武器を配ったのか、不思議だったのよ。相手が一人なら、お父様とお兄様が叩き斬れば終わるんだから」


天使が武器を配った本当の理由。


それは、敵が「1体の強力な悪魔」などではなく、「人間を蹂躙するために集まった悪魔の軍勢」だったからだ。


神話の時代に起きたという、天使と悪魔の大戦。その縮図のような絶望的な光景が、今、私たちの目の前に広がっていた。


『さあ、人間ども。貴様らの魂も、我が力を取り戻すためのごちそうにしてやろう……!』

悪魔たちが一斉に嘲笑い、私たちに向かって悍ましい殺意を放つ。


普通の人間なら、そのプレッシャーだけで発狂して死んでしまうだろう。


「……下等な悪魔どもが、私の弟や妹の友達を前にして、随分と大きな口を叩きますのね」


しかし。


私たちの陣形の最後尾から、絶対零度の怒気を纏った漆黒のメイドが一歩前に出た。


「アイラお嬢様、リリアお嬢様。……少々、お掃除が荒っぽくなりますが、よろしいでしょうか?」


「もちろん。残さず綺麗にお願いね、マリー姉ちゃん」


私が頷くと、マリー姉ちゃんは隠し持っていた銀のナイフを両手に構え、般若のような笑みを浮かべた。


その姿を見た天使が、「ん? 人間の分際でなぜ私の加護(光の種)を宿している……?」と不思議そうに首を傾げていたが、今はそんなことを説明している余裕はない。


「公爵! 魔法師団長! 怯むな、お前たちの手にある武器は紛れもなく天界と古の武具! 悪魔を消し炭にする力がある!」


天使が力強く叫び、光の翼を大きく広げた。


「さあ、カチコミの時間だ! スラムの子供たちを救い出し、この王都の地下から悪魔どもを一匹残らず駆除するぞ!」


「「「おおおおおっ!!」」」


私たちが一斉に鬨の声を上げ、絶望の軍勢へと突撃を開始する。


神話の存在である悪魔たちと、それを討ち果たすために古の武器を手にした人間たち。


王都の地下深くで、決して歴史には残らない、しかし世界の命運を懸けた真の最終決戦が幕を開けたのだった。


王都の地下深く、地獄の道を通って辿り着いた大水脈の洞窟。


祭壇に眠らされた孤児たちを取り囲むように、数十体ものおぞましい悪魔の軍勢が、悍ましい殺気を放ちながら私たちへと迫り来る。


「行くぞッ!!」


先陣を切ったのは、レオンハルトお父様とセオドア兄様だ。


お父様が振るう『古の魔法剣』が悪魔の胴体を両断し、セオドア兄様の持つ『天使の剣』が白銀の軌跡を描いて悪魔を魂ごと消し炭にしていく。


後方からは、神聖属性を付与された杖を構えたリュカと魔法師団長が、広範囲の殲滅魔術を放ち、悪魔の群れを次々と吹き飛ばしていた。


「アイラ、リリア! 君たちは下がっていろ! ここは僕たちが……ッ!」


リュカが叫ぶが、敵の数は圧倒的だった。倒しても倒しても、暗闇から次々と新たな悪魔が湧き出してくる。


さらに、数体の素早い悪魔が前衛をすり抜け、孤児たちが眠る祭壇へと向かおうとしていた。


「させませんわ」


祭壇の前に立ちはだかったのは、マリー姉ちゃんだ。


天使の加護(光の種)を宿した彼女が銀のナイフを一閃すると、巨体の悪魔が「ギャッ!?」と間抜けな悲鳴を上げて首を落とされた。物理的にありえない速度と威力の暗殺術。……さすがは我らの完璧超人メイドだ。


「よし、私たちも援護するよ、リリア! この『古の杖』で、悪魔を魔法で吹っ飛ばせばいいんでしょ!」


私は、天使から渡された漆黒の木材の杖をぎゅっと握りしめた。


隣でリリアも、純白の水晶が埋め込まれた杖を構える。


しかし、ここで一つ大きな問題があった。


(……探偵用のダウジングは感覚でできるようになったけど、純粋な『攻撃魔法』の使い手なんて知らないんだけど!? 呪文とかいるの!?)

私が焦って杖を振り回そうとした、その瞬間だった。


『ピコンッ♪』

脳内に、例の軽快な電子音が鳴り響いた。


そして、空中に半透明の青いシステムウィンドウがポップアップする。


【 対悪魔交戦条件のクリアを確認しました 】

【 黒魔法使いチュートリアルを開始します 】

「へっ?」


「お、お姉様! 私の頭の中にも声が響きました! 『白魔法使いチュートリアルを開始します』って!」


リリアも驚いたように目をパチクリさせている。


直後、私たちが手にしている古の杖から、膨大な『魔術の行使方法』が直接脳内に流れ込んできた。


それは、五千年前の大戦で白と黒の魔法使いが実際に使っていた、対悪魔用の戦闘マニュアルだった。


【チュートリアル1:ターゲットを捕捉してください。視線を向け、魔力を一点に集中させることで自動でロックオンします】

「……これ、完全に前世のシューティングゲームのアレじゃん!」


私は脳内に響く無機質なアナウンスにツッコミを入れつつも、すぐさま実践に移った。


マリー姉ちゃんに向かって飛んでいく、三匹の蝙蝠型の悪魔を睨みつける。


「ロックオン!」


【ターゲット確認。黒炎の呪弾アビス・バレットを展開します。代償コストとして、対象の悪魔の魔力を強制徴収します】

おおっ!? 私の魔力やカロリー(食への執念)を消費するんじゃなくて、敵の魔力を代償にして撃ち放題なの!? なにこれ、究極のエコで超親切設計チートじゃない!!

私の杖の先端に、禍々しい漆黒の炎の弾丸が三つ浮かび上がった。


「いけぇっ!」


私が杖を振り下ろすと、黒炎の弾丸はまるで意思を持っているかのように正確な軌道を描き、三匹の悪魔の眉間を同時に撃ち抜いた。


『ギィァァァァァッ!!』

悪魔たちは断末魔を上げる間もなく、自らの魔力を燃料にして内側から爆散し、黒い灰となって消え去った。


「ええっ!? アイラお嬢様、今のは一体……!?」


「マリー姉ちゃん、よそ見しないで! 次のが来るよ!」


【チュートリアル2:前衛に防御・強化バフを付与してください】

私の隣で、今度はリリアの杖が神々しい純白の光を放った。


リリアが杖をお父様たちの方へ向けて、鈴を転がすような声で詠唱する。


「【聖盾ホーリー・シールド】! 【浄化のクリア・レイ】!」


リリアの杖から放たれた光が、前衛で戦うお父様、セオドア兄様、そしてリュカと師団長の体を温かく包み込んだ。


その瞬間、彼らに襲いかかろうとしていた悪魔の爪や牙が、見えない光の壁に触れた途端に「ジュゥゥッ!」と音を立てて焼き払われたのだ。


「おおっ! 体が軽い! 悪魔の瘴気が全く気にならん!」


「素晴らしい! これほどの強力な神聖結界を、一瞬で広範囲に展開するとは!」


お父様たちが驚きと共に歓声を上げ、さらに勢いづいて悪魔の群れを蹂躙していく。


私とリリアは、陣形の最後尾から完全に「固定砲台」と「ヒーラー」として、チュートリアルに従って最適解の魔法を撃ちまくった。


「なるほど、黒魔法で敵の動きを縛って、白魔法で浄化して消滅させるのね! リリア、合わせるよ!」


「はい、お姉様! 私がお姉様の魔法の威力を底上げします!」


私とリリアの息の合った連携魔法が、次々と悪魔の軍勢を消し飛ばしていく。


その規格外すぎる光景を安全圏から見守っていた天使は、腕を組んで感嘆の声を漏らした。


「ほう……。古の杖が共鳴し、あの双子の中に眠っていた『魔法使いの遺伝子』が完全に覚醒したか。この数の悪魔を相手にする状況では、実に有難いな」


天使の呟きに、隣で杖を振るっていたリュカが、ヒビの入った眼鏡を押し上げながら絶叫した。


「有難いとかいうレベルじゃない! なんだあの魔力効率と術式の展開速度は!? そもそもあんな桁外れの魔法、王宮魔法師団の歴史書にすら載っていないぞ! どんだけチートなんだ、あの探偵姉妹は!!」


天才魔道士のプライドを粉々に砕く、神話級魔法のバーゲンセール。


しかし、当の本人たちである私たちは、すっかりゲーム感覚でハイテンションになっていた。


「よしよし、どんどん行くよ! 今日の夕食のフルコースのためにも、ここでカロリーを消費しておかないとね!」


「お姉様、右から大きいのが五体来ます! 浄化の光、合わせます!」


人間を食い物にしようと目論んでいた悪魔たちは、古の魔法使いとして完全に覚醒した私たち姉妹と、神話の武器を手にした過保護な家族たちによって、為す術もなく文字通り『お掃除』されていくのだった。


王都の地下深く、地獄と繋がった大水脈の洞窟。


古の魔法使いとして完全に覚醒した私たち双子の支援を受け、お父様やセオドア兄様、そしてリュカたち魔法師団の殲滅戦は圧倒的な優位に進んでいた。


「ふはははっ! 見たか素人ども、これが僕の真の魔法だ! 神聖属性さえ乗れば、悪魔など恐るるに足らず!」


神聖属性を付与する杖を持ったリュカが、テンション高く広範囲の爆撃魔法を放ちまくっている。


しかし、相手は地獄から無尽蔵に湧き出してくる悪魔の群れだ。いくら私たちがチート級の強さとはいえ、スタミナと魔力には限界がある。


「チッ、キリがないな! このままではジリ貧だ!」


セオドア兄様が『天使の剣』で悪魔を両断しながら叫ぶ。


前衛の疲労が見え始め、数体の悪魔が包囲網を抜けて私とリリアの方へ迫ってきた。


「アイラ、リリア! 危ないッ!」


お父様が血相を変えるが、間に合わない。


……その時だった。


「――全く。人間というのは、本当に世話の焼ける生き物だな」


呆れたようなため息と共に、私たちの前に、モブ使用人の姿をした『天使』がスッと立ち塞がった。


「私が直々に手本を見せてやろう。天界の浄化の光、その目に焼き付けるがいい!」


天使が両手を広げると、背後に幻覚のような巨大な6枚の純白の翼が顕現した。


次の瞬間、洞窟の暗闇を全て吹き飛ばすほどの、強烈で神々しい光の奔流が放たれた。


「「「ギィィィィィィィィッ!?」」」


光に触れた悪魔たちが、まるで太陽に灼かれた雪のように、悲鳴を上げながら次々と蒸発していく。


人間たちには心地よい温かさしか感じないその光は、悪魔にとってのみ絶対的な猛毒だった。たった一撃で、洞窟を埋め尽くしていた数十体の悪魔の群れが、文字通り『消滅』してしまったのだ。


「おおおっ……! な、なんという圧倒的な御力……!」


「流石は神話の存在……次元が違いすぎる」


魔法師団長やセオドア兄様が、戦慄と感嘆の入り混じった声を漏らす。


しかし。


「ふははは! どうだ人間ども、恐れ入ったか! ……おっと、魔力を込めすぎたか。これでは洞窟の地盤ごと王都の地下が浄化(物理的消滅)されてしまうな! わははは!」


「笑い事じゃないわよ!? 早く光を止めて! 上の街が陥没しちゃうから!」


神々しい奇跡の余韻は、天井の岩盤が光で溶け始めたことによる私の全力のツッコミで、あっさりと台無しになった。


時々ポンコツなところはあるけれど……それでもやはり、神話の存在の力は凄まじかった。


「……んん……」


悪魔が全滅し、地獄へと繋がる『道』が完全に塞がれた後。


祭壇に眠らされていた孤児たちは、リリアの【白魔法(浄化と治癒)】によって、一人、また一人と目を覚ましていった。


「よかった……みんな、怪我はないみたいです!」


「流石はリリアだな。よし、これで全員無事に救出完了だ。屋敷へ帰還するぞ!」


お父様の号令で、私たちは孤児たちを保護し、リュカの空間転移で王宮魔法師団の訓練場へと無事に帰還した。


数時間後。


アルジェント公爵邸の執務室にて。


「さて、約束通り、天界の武具は返却してもらうぞ」


使用人の姿をした天使が、手を差し出した。


セオドア兄様が、名残惜しそうに『天使の剣』を返還する。剣は光の粒子となって虚空に消えた。


私とリリアも古の杖を返そうとしたが、天使はフッと笑って首を横に振った。


「お前たち二人は、その杖を持っておくがいい。古の魔法使いとしての遺伝子が完全に覚醒したお前たちにとって、それはただの武器ではなく、己の魔力を制御するための『手足』と同じだ。……見事な戦いぶりだった。これは天界からの、覚醒の祝いだ」


「えっ、いいの!? ありがとう、天使さん!」


「ありがとうございます! 大切にします!」


私とリリアが喜んで杖を抱きしめていると、天使は今度はセオドア兄様に向き直った。


「セオドアよ。お前には天使の剣の代わりに、これを授けよう」


天使が虚空から取り出したのは、以前お父様に渡したものとは意匠が違う、両刃の美しい『魔法剣』だった。


「お前の父親レオンハルトに渡したものと同じ、五千年前に悪魔と戦った人間の騎士が使っていた魔法剣だ。悪魔相手でも、何度か斬りつければ倒せる代物だ」


「おお……! ありがたくお受けする!」


兄様が恭しく魔法剣を受け取る。


そして天使は、最後にリュカと魔法師団長を見た。彼らからも『神聖属性付与の杖』を回収する。


「人間の魔道士よ。お前たちに神話の武具を預けっぱなしにするわけにはいかない。だが、その代わりにお前たちには『五千年前の普通の魔法使いが使っていた技術体系』の知識を授けよう」


「技術体系……ですか?」


「そうだ。それを解読・習得すれば、お前たち人間の魔力でも、ある程度は悪魔に対抗できる結界や退魔の術式が組めるようになるはずだ」


天使が魔法師団長の額に指を当てると、膨大な魔術の知識が直接脳内に転送された。魔法師団長は歓喜に震え、リュカも「僕なら三日で解読してやる!」と目を輝かせている。


「私からの支援は以上だ。……人間どもよ。もし今後、悪魔が関わる事件が起きたなら、まずは今授けた力で対応(自衛)してくれ。そうして持ち堪えてくれれば、私が必ず駆けつける」


それは、神話の存在である天使からの、人間に対する『共闘』の約束だった。


「感謝する、天使殿。……だが、最後に一つだけ私からお願いがある」


レオンハルトお父様が、真剣な顔で一歩前に出た。


「なんだ、まだ武器が足りないか?」


「いや、そうではない。……お前が今使っている、その『肉体』についてだ」


お父様は、天使が憑依している地味なモブ使用人の体を指差した。


「悪魔の監視役として九年間も体を奪われ、解放されたと思ったら今度はお前に勝手に体を使われている。いくらなんでも、我が家の使用人が不憫すぎる。……お前が去る前に、彼女の意識を少しだけ浮上させ、直接事情を説明してやってはくれないか?」


「……む。確かに、無断借用は天界の法に照らしてもグレーゾーンだったな。分かった、善処しよう」


天使が苦笑して頷く。


お父様はさらに腕を組み、密かに心の中で決意していた。


(彼女には、これまでの九年間の補償と、今回天使に体を貸したことへの『特別報酬ボーナス』を弾んでやらねばなるまい。……有給休暇を半年ほど与え、給金も三倍に引き上げてやろう)

氷の公爵と恐れられるお父様だが、身内や使用人に対する情の深さは、やはり筋金入りだった。


「アイラ、リリア。お前たちのおかげで、また一つ公爵家の……いや、王都の危機が去ったな」


「うん。でも、結構疲れたかも。頭も魔力もたくさん使ったし」


「今日の夕食は、お腹いっぱいお肉を食べましょうね、お姉様!」


神話の武具と、強固な家族の絆、そして天使という非常識な味方を得た私たち。


公爵令嬢アイラとリリアの『探偵姉妹』としての伝説は、こうしてまた一つ、華麗に(そして物理的に)幕を下ろすのだった。


スラムの孤児たちを救い出し、地下水脈での悪魔との死闘から数日が過ぎた頃。


私とリリアは、王宮魔法師団のサロンに招かれていた。


名目は「事件解決における多大なる貢献への感謝」だが、私の真の目的は魔法師団長が用意してくれた『王宮御用達の高級焼き菓子』の山である。


「ん〜っ、このフィナンシェ、バターの香りがすごく濃厚!」


「お姉様、こちらのマカロンも美味しいですよ!」


私たちが幸せなティータイムを満喫している向かいの席で、天才魔道士リュカは、ヒビの入った眼鏡を新しいものに変え、ひどく沈んだ顔で紅茶を見つめていた。


いつもなら「ふん、素人どもめ」とふんぞり返っているはずなのに、今日はおとなしい。


「……どうしたの、メガネ君。お菓子食べないなら私がもらうよ?」


「リュカだ。……いや、どうぞ食べてくれ。今日はあまり食欲がないんだ」


リュカが深い深いため息をついた時、魔法師団長(リュカの父親)が重々しい足取りでサロンに入ってきた。


「アイラ殿、リリア殿。お寛ぎのところ申し訳ない」


「いえいえ、お構いなく。何かあったんですか?」


「ええ。……実は、先日我が魔法師団の保管庫から、リュカの転移術式を盗み出した犯人が特定されましてな」


魔法師団長は、苦渋に満ちた表情で隣のリュカを見た。


「犯人は、我が師団の中堅魔道士でした。……幼い頃からリュカの指導役の一人として付き添い、面倒を見てくれていた青年です」


「えっ。身内の、しかも知り合いが?」


私が驚いて尋ねると、リュカがギリッと唇を噛み締めた。


「……動機は、僕への『嫉妬』だそうです。彼は努力家でしたが、魔力量と術式構築のセンスには限界があった。そこへ、年下の僕が『百年に一人の神童』と持て囃され、彼が何年もかかって理解できなかった空間魔術の理論を、数日で組み上げてしまった」


「なるほどね……」


私は小さく息を吐いた。


圧倒的な天才を間近で見せつけられ、自身の才能の限界に絶望した凡人の末路。


「彼の嫉妬と絶望という『負の感情』に、王都に潜伏していた悪魔がつけ込んだのです」


魔法師団長が静かに語り継いだ。


「悪魔は彼に甘言を弄した。『リュカの最新の術式を盗み出せ。そうすれば、お前にリュカを凌駕する強大な魔力を与えてやろう』と。……魔道士としての誇りを見失っていた彼は、その契約に乗ってしまった」


術式のスクロールを保管庫から盗み出した直後、悪魔は文字通り彼に強大な魔力を与えた――悪魔自身の魔力を。しかし、それは己の肉体を悪魔に明け渡すことに過ぎなかったのだ。強大な力に耐えきれず、彼の精神は深い闇の底へと沈められ、肉体は完全に奪われてしまった。


「あの地下水脈での戦闘後、悪魔が浄化されて消滅したことで、操られていた人間たちは一命を取り留めました。彼もその中の一人として発見され……今は廃人同様の状態で、地下牢に収監されています。孤児を攫う実行犯として、肉体を利用されていたのです」


魔法師団長はそう言って、痛ましそうに目を伏せた。


「……僕の才能が、彼を絶望に追いやり、悪魔に魂を売らせてしまった。あの時、僕が彼の心の機微にもっと気付けていれば……」


リュカが拳を握りしめ、自責の念に駆られている。


生意気な態度をとってはいるが、根は真面目で繊細な十五歳の少年なのだ。


「……ねえ、メガネ君」


「リュカだと言って……」


「一つ聞きたいんだけどさ」


私はクッキーを飲み込み、リュカを真っ直ぐに見据えた。


「悪魔は自分自身でも『地獄への道』を開けるくらい強い魔力を持ってるのに、なんでわざわざ人間の……しかも、メガネ君の転移魔法なんて盗ませて、誘拐に使ったと思う?」


「それは……」


「天使さんが言ってたわよね。人間と天使・悪魔は『次元が違う』って。もし悪魔が自分の魔力で直接スラムから孤児を攫おうとすれば、その強大な魔力波動で、一発で天界の天使たちに察知されちゃうのよ」


私の言葉に、リュカと師団長がハッと顔を上げた。


「だから奴らは、監視の目を誤魔化すための『隠蔽工作』として、あえて人間の魔力と術式で誘拐を実行した。でも、次元が違う悪魔には、人間の繊細な術式回路の構造なんて完全には理解できない」


「……だから、あのベッドの下に残っていた魔法陣は、あんなにも不細工でド下手なトレスになっていたというのか……! 強引な魔力で、無理やり陣を起動させていた……」


「そうよ」


私はニシシと笑って、リュカを指差した。


「そんな不細工な描き方でも、ちゃんと安全に転移が成功しちゃうくらい、メガネ君の作った元の術式が『完璧で芸術的』だったってこと。悪魔が利用したくなるくらい、ね」


リュカの目が、大きく見開かれた。


皮肉なことだが、彼の魔法が天才的すぎたからこそ、悪魔の隠蔽工作に利用されてしまったのだ。


「他人の才能に嫉妬して、勝手に身を滅ぼすのはそいつの勝手よ。メガネ君が責任を感じて落ち込むなんて、それこそ悪魔の思う壺じゃない。……美味しいお菓子食べてる時に暗い顔してると、味が落ちるからやめてよね」


「……君という令嬢は、本当に……」


リュカは毒気を抜かれたように息を吐き出し、そして、ふっと肩の力を抜いた。


「……アイラ殿のおっしゃる通りだぞ、リュカ。お前は今、天使殿から『五千年前の魔術体系』を授けられ、それを解読できる唯一の頭脳を持っている。立ち止まっている暇などないはずだ」


「……分かっています、父上」


リュカは眼鏡を押し上げ、いつもの不遜な、しかし自信に満ちた表情を取り戻した。


「僕は百年に一人の神童だ。次は、悪魔のゴリ押し魔力でも絶対に起動しない、完璧なプロテクトを施した術式を創り上げてやる。……アイラ。慰めてくれたことには、一応礼を言っておこう」


「慰めてないよ。私は美味しいお菓子を楽しく食べたいだけ」


「素直じゃないな、君は。そういうのを巷ではツンデレと言うんだぞ?」


リュカがニヤリと笑う。


「それ、こないだ私が教えた言葉じゃん! まったくもう!」


私がむすっとしながら残りのフィナンシェを頬張ると、リリアが「ふふっ」と楽しそうに笑い、師団長も温かい目を向けてくれた。


悪魔の残した爪痕は、確かに人々の心に傷を遺した。


しかし、神話の魔術を継承したリュカや私たち探偵姉妹がいる限り、人間はもう一方的に蹂躙されるだけの存在ではない。


王宮魔法師団のサロンには、再び穏やかで甘いティータイムの香りが満ちていくのだった。



楽しんで頂けましたでしょうか?

連載にしたら読者が離れていくかもと思っておりましたが、なんかまた凄くなってます。

最後にアイラがどうなるのか、リリアがどうなるのかとかは既に決まっているので、その中間を盛っている感じです。

最後まで書けたらいいな。

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― 新着の感想 ―
 王都って王族が住む国の中心を指す言葉で公爵だとしてもそんな王都内で大規模に私兵を動かすのは国軍が役に立たないと言っているか反乱を企てるようなものだけど、国軍を動かす権限を与えられている可能性があって…
姉さんじゃないのよ、姐さんなんだよ、もうマリーさんは! 人外魔境もものとせず、悪魔軍勢へのカチコミの一番手を務めようとするなんて、普通じゃない。 母性本能によるパシッブスキルで、絶対守るとなったら戦…
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