隣国、サイフリートの野望
数日後の朝。今日はセオドアが非番ということで、アイラとリリアは、セオドアとマリーを護衛に伴って王都の街へと繰り出していた。
目的はただ一つ、王都の喫茶店巡りという名のスイーツ爆食いツアーである。
「お姉様、あそこのお店の焼き菓子、とってもいい匂いがします!」
「リリア、あれはスパイスケーキね。マリー、お土産に3ダースほど確保しておいて」
「かしこまりました、アイラお嬢様」
完璧超人侍女へと進化したマリーが、涼しい顔で大量のお菓子を買い付けていく。
その後ろで、両手に荷物を抱えたセオドアが、アイラ、リリア! 人混みで逸れないよう、俺の服の裾をしっかり掴んでおくんだぞ! と言ったあと、思い出したかのように呟いた。
「そういえば、サロン・ド・ルミエールという令嬢に人気の店があったな、パルフェが絶品なんだとか」
それを聞いたアイラは食い気味に身を乗り出した。
「お兄様、その話を詳しく!」
それに気分を良くしたシスコン丸出しで話し出すセオドア。
「王都一等地に最近できたサロン・ド・ルミエールだったか。高級サロンで、隣国から輸入した珍しい果物を使った幻のパルフェが絶品だとか言ってたな。……このまま行くか?」
「行く! 絶対に行く!」
アイラの即答に、セオドアはデレデレに顔をほころばせながらサロン・ド・ルミエールへアイラとリリアを案内するのであった。
サロン・ド・ルミエールは、白と金を基調とした内装に、華やかなシャンデリアが輝く、いかにも貴族令嬢が好みそうなお店だった。
アイラたちは広々とした個室に通され、お目当ての幻のパルフェを堪能していた。
「ん〜っ! この桃みたいな果物、すっごく甘くてとろける〜!」
「本当ですね、お姉様! クリームもフワフワです!」
至福の時間を過ごしていると、ふいに、廊下の方からガシャンッ! という陶器の割れる音と、女性の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああっ! 誰か、泥棒よ!」
悲鳴を聞いた瞬間、セオドアが反射的に席を立ち、扉を開けて廊下へ飛び出した。アイラとリリア、マリーも後に続く。廊下の先にある別の個室で、派手なドレスを着た令嬢が、顔を真っ青にしてへたり込んでいた。彼女の足元には、割れたティーカップと零れた紅茶が散乱している。
「どうしました⁉ 私は公爵家騎士団のセオドアだ」
「セオドア様……! わ、私、この個室でお茶を飲んでいたのですが……急に猛烈な眠気に襲われて、少しだけうとうとしてしまったのです。そして目が覚めたら……首につけていた青星の魔石のペンダントが、消え失せていたんです!」
「なんだと……?」
令嬢の訴えに、周囲がざわめく。青星の魔石といえば、単なる宝石ではなく、強力な魔力を秘めた軍事転用すら可能な代物だ。個室の窓は内側から鍵が掛かっており、出入り口は廊下に面したこの扉一つと、壁に掛けられた鏡だけ。カイルが素早く状況を確認し、顔をしかめた。アイラは、零れた紅茶の匂いを嗅いでいたマリーと視線を交わした。マリーは静かに頷き、耳打ちをしてくる。
「アイラお嬢様。この紅茶の香り……高級な茶葉に紛らせていますが、微量の睡魔草が混ざっています。スラムで人攫いがよく使う、遅効性の睡眠薬ですわ」
「やっぱり。ねえお兄様、このお嬢様にお茶を出した給仕は誰?」
「給仕? 確か、背の高い黒髪の男だったが……」
セオドアが答えると同時に、店の奥から、従業員専用の裏口へ向かって早足で立ち去ろうとする黒髪の給仕の姿が見えた。
「――リリア!」
「はい、お姉様! 物体の記憶……再生します!」
リリアが壁に掛けられた鏡に触れる。そこに記録されていたのは、うとうとと眠りについた伯爵令嬢の首元から、先ほどの黒髪の給仕が手慣れた手つきでペンダントを外し、自らの靴底の隠しスペースへと滑り込ませる映像だった。
「ビンゴ! お兄様、あの給仕の靴底よ!」
「逃がすかッ!」
アイラの声に反応し、セオドアが一瞬で給仕との距離を詰め、その腕を背後にねじ上げて床に押さえつけた。
「ぐはっ……! 離せ、私は何も……!」
「黙れ!」
アイラが給仕の靴を剥ぎ取ると、踵の隠しスペースから、眩い光を放つ青星の魔石が転がり出た。完全な現行犯。言い逃れの余地はない。
「さすがセオドア様。鮮やかな捕縛術でした」
マリーが拍手を送ると、セオドアは、当然だと誇らしげにアイラとリリアに胸を張るのだった。そんなやり取りの中、セオドアの表情が、不意に険しいものへと変わった。抵抗して暴れた給仕の袖が捲れ上がり、その腕に刻まれた黒い刺青が露わになったのだ。
「……この刺青の紋様は、以前王都で暗躍していた隣国の工作員特有のものだな」
セオドアは、そのまま給仕の胸倉を掴み上げた。
「貴様、ただの泥棒ではないな。隣国の工作員か! なぜ、こんなスイーツ店に潜伏し、貴族の令嬢から魔石を盗んだ!」
給仕はチッと舌打ちをし、憎々しげにアイラたちを睨みつけた後に、話す訳ないだろと言いたげに口を閉ざした。
セオドアがギリッと奥歯を噛み締める。平和な休日のスイーツ巡りは、水面下で進行する国家間の巨大な陰謀へと、アイラたちを再び引きずり込んだのだ。
「アイラ、リリア。済まないが、スイーツ巡りはここで終わりだ。この男を直ちに王宮騎士団の地下牢へ連行する」
緊張感が高まる中。アイラは、まだ半分以上残っている幻のパルフェを見つめ、そっと手を挙げた。
「あのー。お兄様がお仕事モードなのは分かるんだけど……このパルフェ、溶けちゃう前に食べ切ってもいい? なんなら、事件解決のお祝いにもう一個おかわりしたいんだけど」
「ア、アイラ……お前という奴は、国家の危機よりパルフェが大事なのか……」
呆れ果てるセオドアをよそに、アイラはスプーンを握り直した。隣国が何を企んでいようと、美味しいものを食べる時間は邪魔させない。もし王都の美味しいスイーツ店が工作員に脅かされているというのなら、アイラの探偵スキルと食欲で、残らず炙り出して叩き潰すだけだ。
「よしリリア、マリー! パルフェのおかわりが終わったら、王都のスイーツ店に潜むスパイ狩りに出発よ!」
「はい、お姉様!」
「畏まりました。毒見はわたくしにお任せを」
頼もしい二人の返事を聞きながら、アイラは追加のパルフェを頬張りつつ、内心で少しばかり不穏な考えを巡らせていた。
先ほどの男を見ていて思ったのだが、アイラの新スキルである血の記憶は、落ちている血痕から過去を読むだけでなく、生きた人間の血液を直接触媒にすれば、相手の精神そのものにダイブして、記憶や思考を全部覗き見ることができるのではないか。
そしてリリアの物体の記憶も、対象者が肌身離さず身に着けている物を使えば、もっと詳細で生々しい手がかりが引き出せるはずだ。
アイラとリリアが本気で能力を応用すれば、どんなスパイだろうと秘密を丸裸にできる。
黒と白の魔法使いの探偵コンビは、まだまだ進化の余地を秘めているのだ。
白と黒の探偵バディは、新たなる美食と陰謀の舞台へと高らかに宣言するのだった。
パルフェのおかわりを堪能したアイラたちは王宮の奥深くにある、堅牢な防音魔術が施された極秘の作戦会議室に呼び出されていた。
「よく来てくれた。非番のところを呼び出してすまないな、セオドア。そしてアイラ、リリア」
円卓の上座に腰を下ろし、鋭い緑の瞳を光らせているのは、今回の事件の総指揮を任された王太子ジュリアンだ。
そしてその隣には、歴戦の猛者特有の重圧感を放つ厳格な初老の男、王宮騎士団のトップである騎士団長スタンが腕を組んで立っていた。
「スタン殿も、お疲れ様です」
「うむ。セオドア様、そしてアイラ嬢、リリア嬢。先日の軍馬の件に続き、またしても我が騎士団が助けられた。感謝の言葉もない」
騎士団長が深く頭を下げる。
「さて、本題だ。君たちがスイーツ店で捕縛した工作員だが……王宮の地下牢で尋問を行っているものの、一向に口を割らない。毒薬はマリー殿が事前に回収してくれたおかげで自決は防げたが、完全に訓練されたスパイだ」
「強情なやつね」
「ああ」
物理的な拷問は王太子の権限でも限界があり、何より時間がかかりすぎる。会議室に重苦しい空気が漂う中。
アイラは、たっぷり補給したパルフェの糖分でフル回転している頭を働かせ、小さく手を挙げた。
「殿下。普通の尋問で吐かないなら、私の新しいアイデアを試してみませんか?」
「新しいアイデア、だと?」
「はい。私の新スキル、血の記憶。この間は現場に残っていた血痕から過去を読み取っただけでしたけど……もし、今生きているあの工作員の傷口から直接血液を媒介に体、特に悩へアクセスしたらどうなると思います?」
アイラの言葉に、セオドアと騎士団長が訝しげに眉をひそめた。
「どうなるって……お前、まさか」
「ええ。直接繋がった血液を通して、相手の精神そのものにダイブするんです。そうすれば、隠している記憶も、組織の全容も、黒幕の顔も……頭の中から全部丸裸にできるんじゃないかなって」
アイラの提案を聞いた瞬間。騎士団長は息を呑み、セオドアすらも顔を引き攣らせた。
対象者の精神に直接侵入し、無理やり記憶を暴き出す。
それはもはや、お伽話で言うところの、魔女の中でも禁忌に近いえげつない所業だ。
倫理観の強い騎士たちからすれば、ドン引きするのも無理はない。
しかし、ただ一人。腹黒王太子ジュリアンだけは、その緑の瞳を爛々と輝かせ、歓喜に肩を震わせていた。
「くくっ……あはははははっ! 素晴らしい! なんて悪魔的なんだ! 既に尋問の枠を超えている!」
ジュリアンは立ち上がり、狂喜の笑い声を上げた。
「相手の口を割らせる必要すらない、記憶の直接強奪! 平時ならば人権を問われるだろうが、王都の危機が迫る今、これほど効率的で確実な手段はない! アイラ、君という令嬢は、本当に私の期待を裏切らないな!」
「どうも。でも、これ絶対に頭と魔力をすっごく使うと思うんです」
アイラはジュリアンの賞賛をサラリと受け流し、一番重要な条件を提示した。
「だから、術を使う前に、美味しいケーキとお紅茶の差し入れは必須でお願いします。王宮のパティシエさんが作った、最高に甘いやつ!」
「ふっ、安いものだ! すぐに厨房に命じて、王宮が誇る至高のスイーツを山のように用意させよう!」
王宮の特命捜査班の作戦会議が、いつの間にかアイラの胃袋を満たすための交渉の場へとすり替わっている。部屋の隅では、騎士団長が別の意味で戦慄していた。
「マリー。お姉様、また悪い顔をしてます……」
「いいのよ、リリアお嬢様。アイラお嬢様が悪い顔をしている時は、美味しいものが食べられる合図だから」
マリーとリリアがこそこそと囁き合っているが、聞こえないふりをしておく。
「よし、特命捜査班の最初の一手は決まりだ! アイラ、君のその恐るべき力で、隣国のネズミどもの脳内を隅々まで暴き出してくれ!」
「お任せを。糖分さえくれれば、頭の先からつま先までスッカラカンに読み取ってあげますよ」
王太子による全面的なバックアップを取り付け、アイラはニシシと笑った。
隣国が何を企んでいようと関係ない。この王都の美味しいスイーツと平和な日常を脅かす奴らは、アイラとリリアの探偵バディが残らず叩き潰すだけだ。
「ん〜っ! さすが王宮のパティシエさん、この濃厚なチョコレートケーキ、最高に美味しい〜!」
厳重な警備が敷かれた王宮の地下牢。薄暗くカビ臭い空気が漂うその空間に、全くそぐわない優雅なティーセットと、アイラの幸せそうな声が響き渡っていた。
ジュリアンが急遽手配してくれた王宮特製スイーツの詰め合わせである。
アイラはマリーに紅茶を淹れてもらいながら、これから始まる大仕事に向けて、限界まで糖分を摂取していた。
「アイラ嬢……国家の危機を前に、その豪胆さには恐れ入る」
鉄格子の外で待機しているスタンが、アイラのマイペースっぷりに引き攣った笑いを浮かべている。
「アイラ。糖分の補給は済んだか?」
ジュリアンが、鉄格子の奥、頑丈な拘束衣を着せられ、壁に縛り付けられている黒髪の工作員を見据えながら尋ねてきた。
「はい、バッチリです。頭の先からつま先まで、魔力とカロリーが満ち満ちてますよ!」
アイラは最後の一口を飲み込み、口元をナプキンで拭って立ち上がった。
そして、冷や汗を流しながらアイラを睨みつけている工作員の前へと歩み寄る。
「さてと。お兄さん、痛い拷問とかはしないから安心してね。ただ、ちょっとだけ頭の中にお邪魔するだけだから」
「ふん……子供の脅しなど通用せん。我が祖国への忠誠は、どのような尋問にも屈しは……ッ⁉」
強気な言葉を吐いていた工作員の声が、驚愕に裏返った。
アイラが懐から取り出した銀のペーパーナイフで、彼の手の甲に浅い傷をつけ、ツツーッと流れた傷口を指先で振れたからだ。
「いくよ。新スキル応用――深淵の記憶!」
アイラはその傷口の血を触媒にして、強烈な魔力を練り上げた。
対象がその場にいない過去の血痕から記憶を読むのが通常のブラッド・メモリーだとするなら、目の前にいる生きた人間の生の傷口から血液を触媒に体にアクセスするこれは、相手の精神そのものに直接接続する黒魔法の深淵。
ボワァァァッ! と、アイラの指先の血から、青黒い禍々しい炎が燃え上がった。
その炎はアイラと工作員の体を包み込み、周囲の音と光を完全に遮断した。炎に包まれても、工作員の肉体には一切の痛みも苦痛も生じなかった。
しかし、アイラの意識は青黒い炎を伝って、彼の脳内へ何の抵抗もなく、スルスルとダイブしていく。
本人の同意など必要ない。堅牢な忠誠心も、鍛え上げられた精神力も、黒魔法の圧倒的な強制力の前では薄紙のようなものだ。
アイラは彼の記憶の海を掻き分け、必要な情報をピンポイントで引っ張り出し、まるで絵本でも読み上げるかのように無造作に口に出していった。
「ふーん……あなたたちはサイフリート王国の人なのね。隠れ家は、王都の地下水道の奥深くにある忘れられた古代遺跡なのね……作戦は、強力な魔石を集めて、王都の防衛結界に干渉して結界を消すこと」
「な、なぜそれを……⁉」
「隠れ家に大量の青星の魔石を運び込んで、巨大な魔力増幅器を構築してる。明日の夜明けに、王都の防衛結界の要石を内側から破壊して……国境にいる本国の軍勢を雪崩れ込ませる。へえ、冷酷そうな指揮官ね」
アイラの口から次々と紡がれる極秘情報に、工作員の顔から急速に血の気が引いていく。
肉体的なダメージは一切ない。ただ、己の魂の奥底に隠したはずの祖国への忠誠と最も重要な機密が、何の抵抗も許されずに吸い上げられ、暴露されていく。
それは、どんな物理的な苦痛よりも恐ろしい、己という存在の根幹を無造作に暴かれる絶望的な恐怖だった。
「ひっ……ば、化け物……やめろ、私の頭の中を、覗く、な……!」
「……なるほどね。大体の全容は把握したわ」
十分な情報を得たアイラは、対象への精神接続を強制終了させた。
青黒い炎がフッと消え去り、地下牢に元の薄暗い照明が戻る。工作員は、魂の底から絶望と恐怖に心を折られ、ガクンと首を垂れて完全に気絶していた。
廃人になってはいないだろうが、当分は立ち直れないだろう。
「……終わりましたよ。殿下」
アイラが振り返った直後、彼女の体は強い目眩に襲われ、グラリと大きくよろめいた。
「アイラ!」
「大丈夫です、ちょっと魔力酔いしただけですから。……だから、事前にしっかり糖分が必要だったんですよ」
とっさに支えてくれたジュリアンに、アイラは強がって笑って見せた。
鉄格子の外にいる全員が、息を呑んで硬直していた。
拷問具も使わず、ただ血に触れただけで、強靭な工作員の精神を完全に破壊してみせたのだ。その光景は、正義と誇りを重んじる騎士たちからすれば、あまりにも恐ろしく、そして悪魔的な所業に見えただろう。
(うわぁ……自分でやっておいてなんだけど、これ完全にアウトなやつだ。教会の連中に見つかったら、一発で異端審問にかけられて火炙りコース間違いなしの真性の黒魔法じゃない……。絶対に、教会関係者の前では使わないように気をつけよう)
アイラが内心で冷や汗を流していると、静寂を破ったのは、やはりジュリアンだった。彼は戦慄よりも歓喜に満ちた瞳でアイラを見つめ、ふっとアイラを抱いている腕に力を込めた。
「……恐るべき力だな。だが、これほど頼もしいものはない。……アイラ、念のために言っておくぞ」
「はい?」
「君のその力――特に、他者の精神に無理やり暴くような魔術は、決して教会関係者の前では使うな。知られれば、異端として魔女裁判にかけられかねんからな」
アイラの危惧を正確に読み取ったかのように、ジュリアンが鋭く釘を刺してくる。アイラがコクリと頷くと、彼は王太子としての威厳に満ちた、力強い声で続けた。
「だが、安心しろ。君が私に協力し、その悪魔的な知略と力を貸してくれる限り……王家の権力と私の名にかけて、君の秘密と安全は完全に守り抜く。教会の異端審問官などには、君に指一本触れさせないと約束しよう」
それは、権力闘争の只中を生きる王太子からの、最大級の保護の誓約だった。
セオドアが、我が家の妹に何と恩着せがましい……! と後ろで歯軋りしているが、王家という最強の後ろ盾が確約されたのは、純粋にありがたい。
「ふふっ。頼もしいですね、殿下。火炙りにされて美味しいケーキが食べられなくなるのだけは絶対に嫌なので、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せておけ」
ジュリアンは満足そうに微笑み、本題へと切り替えた。
「それでアイラ。ネズミどもの巣穴と、次の企みは分かったか?」
「ええ、バッチリです。連中のアジトは、王都の地下水道の奥深くにある古代遺跡。そこに大量の青星の魔石を集めて、魔力増幅器を構築しています」
アイラの報告に、スタンとセオドアがハッと顔を見合わせた。
「地下水道の古代遺跡だと⁉ あそこは迷路のように入り組んでおり、容易には近づけぬ場所だぞ!」
「連中の狙いは、明日の夜明けにその増幅器を暴走させ、王都の防衛結界を内側から破壊することです。結界が消えれば、国境に控えている隣国の軍勢が一気に王都へ雪崩れ込んでくる手はずになっています」
「なんだと……! 明日の夜明けだと⁉」
タイムリミットは、あと十時間もない。
ジュリアンの表情から笑みが消え、王太子としての冷徹な顔つきに変わった。
「結界が破られれば王都は火の海になる。……騎士団長! 直ちに王都防衛の騎士団をフル稼働させ、地下水道への出入り口を完全封鎖しろ!」
「はっ!」
「そしてセオドア! お前は精鋭を率いて、その古代遺跡へ突入し、魔力増幅器を破壊しろ! ネズミどもを一匹残らず駆除するのだ!」
ジュリアンの的確で迅速な指示が飛ぶ。いよいよ、隣国の陰謀との最終決戦だ。
「あの、殿下。地下水道は迷路みたいになってるって言ってましたよね? それなら、私たちも行きます」
アイラが手を挙げると、セオドアが血相を変えた。
「ダメだアイラ! ここから先は本物の戦場になる。お前たちを危険な真似に巻き込むわけには……」
「でも、正確なルートが分からなくて迷っている間に夜明けが来ちゃったら、王都は終わりでしょ?」
アイラはリリアと顔を見合わせうなずいた。
「私が引き出した記憶の道順と、リリアの白い探知【ホワイト・サーチ】で魔力増幅器の場所を辿れば、迷わず最短ルートで敵の本陣に突っ込めるわ。……それに」
アイラはニシシと笑い、ジュリアンを指差した。
「王都が火の海になったら、約束のフルコース食べ放題もパーになっちゃうでしょ。私の食い扶持を守るためにも、最後まで付き合いますよ」
アイラの揺るぎない執念を聞き、ジュリアンは堪えきれないように吹き出した。
「ふっ……あははははっ! そうだな、君の胃袋を満たす約束を反故にするわけにはいかない! セオドア、アイラたちを連れて行け。ただし、彼女たちの護衛には最優先で当たれよ」
「……承知いたしました。俺の命に代えても、妹たちは守り抜きます」
かくして、糖分と黒魔法の力で敵の計画を丸裸にしたアイラたちは、王都の地下深くで進行する巨大な陰謀を阻止するため、騎士団の精鋭と共に暗く冷たい地下水道へと足を踏み入れることになったのだった。
王都の地下深くに広がる、広大な地下水道。その隠された入り口の前に、異様な緊張感と、そして、異様なまでの圧が漂っていた。
「……あのさ、お父様、お兄様。いくらなんでも、人集めすぎじゃない?」
アイラが引き攣った顔で突っ込むのも無理はない。地下水道の入り口に集結していたのは、王宮騎士団の精鋭数十名だけではない。
公爵家から呼び寄せられた私兵の猛者たち、さらには完全武装した暗部までがズラリと並び、総勢百名を超える大部隊がひしめき合っていたのだ。
「何を言うかアイラ。相手は国家を転覆させようとする隣国サイフリートの精鋭なのだぞ。そして何より、お前たち姉妹をあのような危険な場所へ連れて行くのだ……これでも護衛の数が足りないくらいだ!」
「そうだぞ! 妹たちの安全を確固たるものにするためには、圧倒的な暴力による蹂躙こそが最も安全な手段。……全員、ネズミ一匹逃がすなよ!」
レオンハルトとセオドアが、親バカ全開の物騒な号令をかける。
さらに背後には、仕込みナイフを大量に隠し持ったマリーが涼しい顔で控えていた。
アイラは内心で同情しつつ、リリアと頷き合った。
「さあ、夜明けまで時間はないわよ。リリア、ナビゲーションお願いね!」
「はいっ! 白い探知【ホワイト・サーチ】……魔力増幅器の方向、ロックしました!」
リリアの持つ銀のペンが、迷いなく地下水道の奥を指し示す。アイラは、工作員の脳内から引き抜いた記憶のマップを頭の中で展開した。
「よし、出陣! 最初は右! その後、三つ目の角を左に行くと隠し通路があるから、そこをぶち破って進むわよ!」
「「「おおおおおっ!」」」
アイラの指示と共に、地鳴りのような足音を立てて、百名超えの重武装部隊が地下迷宮へと突撃を開始した。
同時刻。
地下水道の奥深く、忘れられた古代遺跡の祭壇にて。そこには、山のように積まれた青星の魔石と、それを動力源とする禍々しい巨大な魔力増幅器が構築されていた。
周囲を警戒しているのは、隣国から選りすぐられた十数名の暗殺部隊。
そして中央で陣頭指揮を執っているのは、顔に大きな傷を持つ冷酷な指揮官だった。
「……ふん。どうやら地上の連中が騒がしいな。我々の計画に勘付いたか」
指揮官が、地下に響く微かな振動を感じ取って鼻で笑う。
「だが、気付かれたところで遅い。夜明けまであと二時間……この古代遺跡は、恐るべき罠と複雑怪奇な迷路で守られている。王宮の騎士団が総出で雪崩込んだところで、ここに辿り着く頃には、既に王都の結界は吹き飛んでいるだろう」
彼らの作戦は隠密行動を前提とした少数精鋭部隊による破壊工作だった。
もし見つかったとしても、この迷宮の構造と罠を利用すれば、少人数で大部隊の足止めなど容易い。
指揮官は勝利を確信し、魔力増幅器の最終調整に入ろうとしていた。
しかし。
彼らの計算には、致命的な誤算が一つあった。
相手陣営に、迷宮の構造を完全に把握しているアイラと、目的地への最短直線ルートを指し示すリリアがいるという事実である。
『――そこ、落とし穴があるからジャンプして!』
『――その壁、偽物です! 叩き割って直進してください!』
迷宮の奥から、少女たちののんきな声が聞こえてきたかと思うと。
ドゴォォォォォンッ!
祭壇の入り口を塞いでいた分厚い石の扉が、外側からの凄まじい物理攻撃によって、粉々に吹き飛んだ。
「なっ……⁉」
指揮官が驚愕に目を見開いた。
土煙を上げて雪崩れ込んできたのは、予想していたボロボロで満身創痍な騎士たちなどではない。
傷一つ負っていない、体力も魔力も満タンの、怒り狂った百名超えの重装甲部隊だった。
「ば、馬鹿な⁉ なぜこんなに早く⁉ しかも、この数はなんだ! 隠密工作の制圧に、軍隊規模の戦力を投入してきたというのか⁉」
「「「逆賊ども、覚悟ぉぉぉぉっ!」」」
指揮官の悲鳴のような疑問を、騎士たちの怒号がかき消す。
「おのれ……! こうなれば、貴様らを道連れに増幅器を強制起動して……がはっ⁉」
指揮官が魔力増幅器のレバーに手を掛けようとした瞬間。
レオンハルトの振るった天使の剣から放たれた衝撃波が、指揮官の体を軽々と吹き飛ばし、祭壇の壁に叩きつけた。
「……我が娘たちの食事を邪魔する輩に、構っている時間はない」
氷の公爵の冷徹な一撃。結果として、戦闘は完全な一方的蹂躙で幕を閉じた。
敵の少数精鋭部隊は、こちらの過剰なまでの多数の精鋭部隊の前に、罠を活用する暇も、時間稼ぎをする隙も与えられず、ものの数分で全員が床に転がる羽目になったのだ。
「そんな……我らの、完璧な計画が、こんな……あっさりと……」
縄で縛り上げられた指揮官が、絶望の涙を流しながら呟く。
「ま、ドンマイ。こっちは早く帰って朝ごはん食べたいんで、巻きで進行させてもらったのよ」
アイラとリリアがのんきに歩み寄り、祭壇の中央で禍々しい光を放つ巨大な魔力増幅器を見上げた。
「お父様、これ壊しちゃっていい?」
「ああ。跡形もなく粉砕してしまえ」
アイラは頷き、レオンハルトから天使の剣を少しだけ貸してもらった。
そして、魔力増幅器の核となる巨大な青星の魔石に向かって、思い切り剣を振り下ろす。
パキィィィンッ!
清々しい破砕音と共に、魔力増幅器は真っ二つに割れ、周囲に集められていた魔力が光の粒子となって霧散していく。
王都を脅かしていた結界破壊の危機は、今度こそ完全に、そして物理的に叩き潰された。
「よしっ! 任務完了! 悪党どもは騎士団に任せて、私たちは帰ろう!」
アイラがガッツポーズすると、リリアも満面の笑みで飛びついてきた。
レオンハルトとセオドアも、全てが終わった安堵から、ようやく親バカな笑顔を取り戻して彼女たちを撫で回してくる。
「さあ、ジュリアン殿下との約束通り……王宮のシェフが作るフルコース、お腹いっぱい食べに行こーっ!」
「はいっ! 熟成肉のステーキと、幻のタルトですね!」
国家の危機など、所詮は彼女たちの極上のフルコースに添えられた前菜にすぎない。
国家規模の陰謀をあっさりと物理で粉砕した探偵バディは、最高の朝食を求めて、足取り軽く王宮へと凱旋するのだった。
戦争の危機から休憩を挟み、遅めの朝食の時間。王宮の貸し切りダイニングルームでは、アイラとリリアが王宮のシェフの腕によりをかけた王家のフルコースを限界まで堪能していた。
「んん〜っ! この熟成肉のステーキ、口の中でとろける〜! 幻のタルトもサクサクで最高!」
「お姉様、こっちのコンソメスープもすごく深い味がしますよ!」
テーブルに並ぶのは、最高級の食材を惜しげもなく使い、洗練された極上の品々。
それを端から端まで平らげていく彼女たちの恐るべき胃袋に、王宮の給仕たちは目を丸くしている。
「ふっ……本当に、君たちという姉妹は。数時間前まで地下迷宮で隣国の精鋭部隊を蹂躙していたというのに、全く相変わらずだな」
向かいの席で紅茶を傾けるジュリアンが、呆れと感心が入り混じった笑みを浮かべた。
彼の隣では、セオドアがなぜか誇らしげに頷いている。
背後に控えるマリーに至っては、次のおかわりを給仕に指示する完璧な采配を見せていた。
「だって、このために頑張ったんですから。やっぱり、平和という最高のスパイスがないとご飯は美味しくありませんからね!」
「……違いない。君たちのその揺るがない食欲が、結果的に我が国を……いや、世界を救ったのだからな」
ジュリアンが苦笑しながら頷く。
美味しいご飯と、それを一緒に笑って食べてくれる家族。
それこそが、アイラが守りたかったたった一つの宝物だ。
その日の午後。すっかりお腹を満たしてアルジェント公爵邸に帰還したアイラたちは、それぞれの部屋で心地よい休息をとっていた。
一方、公爵閣下であるレオンハルトは、執務室で一人、白銀の輝きを放つ両刃の直剣、天使の剣を見つめていた。
凄まじい切れ味だったな。あの巨大な魔力増幅器をいとも容易く真っ二つにするとは。
……だが、これほどの神話の武具を人間が持ち続けるのは危険か。
と、レオンハルトは内心で危惧していた。レオンハルトがそう考えていた、まさにその時。
「ふむ。下界で天使の武具が振るわれた強い波動を感じて様子を見に来てみれば……お前に貸したままだったな、人間よ」
音もなく執務室に現れたのは、見慣れたメイドの姿をした天使だった。レオンハルトは、以前の悪魔による事件で、悪魔と天使の器として使われていたメイドを不憫に思い、何かしてやれることは無いかと考えていた事もあり、名前を知っていた。
「エマ?いや、天使殿か。……ああ、魔力増幅器を破壊するのに使わせてもらった。見事な剣だった」
「うむ。何に使ったのかと過去を見たが、よもや過剰戦力で物理的に迷宮を破壊して回るとは思わなかったが、結果オーライだ。……だが、それは天界の備品だからな。回収させてもらうぞ」
天使が手をかざすと、机の上にあった天使の剣は光の粒子となってフッと虚空に消え去った。
レオンハルトが名残惜しそうに手元を見つめていると、天使は思い出したように、再び何もない虚空へ手を突っ込んだ。
「以前、悪魔の企てたあの巨大な陰謀を、人間の身でありながら阻止してみせた功績は称えねばならんな。天使の剣の代わりに、これをやろう」
天使が取り出したのは、古びた意匠の片手剣だった。しかし、鞘から微かに漏れ出る魔力は、ただならぬ重圧感を放っている。
「それは?」
「五千年前、悪魔との大戦で活躍した人間の騎士が使っていた魔法剣だ。天使の剣ほどの神聖な浄化力はないが……まあ、悪魔相手でも何度か斬りつければ倒せる程度の力はある、なかなかの代物だぞ」
悪魔相手でも何度か斬りつければ倒せる。
その言葉を聞いて、レオンハルトの顔が引き攣った。
悪魔といえば、通常の人間の武器や魔法が一切通じない神話のバケモノである。
それを何度か斬れば倒せるなど、国宝どころか世界を揺るがすレベルの超絶アーティファクトではないか。
補足しておくと、五千年前の騎士が戦っていたのは、高位悪魔であり、中位程度の悪魔ならば一撃で倒せるのだが、その事を知れば、この程度の驚きでは済まないだろう。
「そ、そんな恐ろしいものを、我が公爵家が受け取ってもよいのか……?」
「構わん。お前のその過保護っぷりなら、悪用する心配もないだろう。……ではな。あの規格外の探偵バディたちにも、よろしく伝えてくれ。これ以上、厄介事を引き寄せて私の仕事を増やさないようにな!」
天使は満足げに頷くと、ふと思い出したようにレオンハルトを見据えた。
「ところで公爵よ、一つ報告がある」
「報告?」
「あのセナという娘だが、私の同僚の忘れ形見だ。私が面倒を見ることにしたから、当分はこのメイドの娘を器として使わせてもらうつもりだ」
「待て。それはこのメイド、エマからすれば、はた迷惑な話ではないか」
「そうか? 神聖なる天使の器になれるなど、光栄の極みだろうに」
「それはお前たちの理屈だ。……彼女とちゃんと話して、現状を説明し、合意を得てからにしてくれ」
「やれやれ、人間の理屈は面倒だな。分かった、少し意識を浮上させよう」
天使が指を鳴らすと、エマの体がビクンと跳ね、パチリと目を覚ました。
「ハッ⁉ わ、私、また立ったまま寝てました⁉ も、申し訳ありません旦那様、すぐにモップ掛けに戻りますぅぅっ!」
「落ち着きなさい、エマ。実は今、お前の中に天使がいてだな……」
レオンハルトが事の顛末を説明すると、エマは白目を剥いてパニックになりかけた。
「て、天使様⁉ 私の体に⁉ ひぃぃぃっ、恐れ多いですぅぅ!」
「だそうだ。天使よ、こちらから協力できるのは待遇だけだな」
レオンハルトは怯えるエマを庇うように、天使の意識へと語りかけた。
「セナを我がアルジェント公爵家の養子として、三女として迎え入れよう。そして、その専属侍女としてエマを付ける。これならば、この屋敷で違和感なく一緒に居れるだろう」
「私が、お嬢様の専属侍女に⁉」
「ああ、そうだ」
レオンハルトは一度、エマに返事をしてから、天使の意識へともう一度語り掛ける。
「セナが天使とのハーフだと、いずれ教会が何か言ってくる前に、公爵家で保護しておく必要もあるだろうからな。それに、アイラの大切な家族であり、妹でもあるのだから」
レオンハルトの提案に、天使は表層に出てきて少し考える素振りを見せた。
「なるほど。公爵の庇護下であれば、セナも安全というわけか。悪くない提案だ」
「養子の件は、セオドアとアイラ、リリアの意見を聞いてから正式に決めるが、たぶん大丈夫だろう」
「分かった。では、今後私を呼ぶときはシュシュエルと呼ぶが良い」
名乗ったシュシュエルは満足げに頷くと、エマの意識の奥底へと引っ込んでいった。残されたエマは、カクンと首を揺らして完全に己の意識を取り戻した。
「えっと、その……私、精一杯頑張りますぅぅっ!」
涙目で深く頭を下げるエマを見送りながら、レオンハルトは机の上に残された神話時代の魔法剣を見て、深いため息をついた。
「お父様ー! 開けますよー!」
直後、執務室の扉が勢いよく開かれ、アイラとリリアが飛び込んできた。
「王宮のシェフに包んでもらった幻のタルトのお土産です! お兄様も呼んで、みんなでお茶にしましょう!」
「えへへ、お姉様が絶対にお父様たちと一緒に食べるってきかなくて」
「お前たち……」
満面の笑みでケーキの箱を掲げる双子の娘たちを見て、レオンハルトは魔法剣の恐ろしさも忘れ、一瞬で顔を綻ばせた。
「ああ、今行く。それと、二人とセオドアに大事な話がある」
そこにセオドアも合流し、レオンハルトはセナを三女として迎える件を切り出した。
「セナを私たちの妹に⁉ 大賛成です! まさかまた家族が増えるなんて、すっごく嬉しい!」
「わぁっ! 私にも妹ができるんですね! とっても楽しみです!」
アイラとリリアは両手を叩いて大喜びし、セオドアも力強く頷いた。
「スラムの頃からのアイラの大切な妹分ならば、俺にとっても可愛い妹だ。我がアルジェント公爵家の総力を挙げて、必ず幸せにしてみせよう!」
「うむ。お前たちならそう言ってくれると思っていた」
王国を揺るがす隣国サイフリートの陰謀は去り、代わりに残されたのは、最高の美食と強固な家族の絆。
そして、天使シュシュエルや新しい妹セナを巻き込んだ、最強の探偵バディの騒がしくも幸せな日常だ。
「さあ、お茶会の時間よ! リリア、マリー姉ちゃんとセナも呼んできて!」
「はい、お姉様!」
公爵令嬢アイラの飽くなきグルメと探偵の物語は、これからも甘く美味しく続いていくのだ。




