王太子妃の事件簿_File_004
その日は、月に一度の王家とガーランド公爵家【リリアとエドワード】アルジェント公爵家合同の晩餐会が開かれていた。
豪華なシャンデリアが照らす大広間には、極上の香りを漂わせる私の特製フルコースが並べられている。
誰もが至福の表情で食事を楽しむ中、私とリリアは顔を見合わせ、小さく頷き合ってから同時に立ち上がった。
「実は、皆様に大切なご報告があります」
私がそう切り出すと、和やかだった空気が一瞬にしてピンと張り詰めた。
「私とリリア、妊娠しました」
「「は?」」
私の言葉が響いた瞬間、父様とお兄様が手にしたワイングラスを同時に床へ落として派手な音を立てた。
「誰だァァァッ!俺の愛しい娘たちに手を出した馬鹿野郎はぁぁぁっ!!」
「父上、落ち着いてください。俺が今すぐその薄汚い害虫どもを黒魔法剣で微塵切りにしてやりますから」
「いや、俺たち正当な夫だけど!?」
「なんで僕まで害虫扱いされて命を狙われているんですか!」
一瞬で魔王のような殺気を放ち始めた過保護なアルジェント公爵家当主と次期当主に対し、ジュリアン殿下とエドワード殿下が必死にツッコミを入れた。
「おお、ついに初孫か!これは国を挙げての祝賀行事にせねばなるまいな!」
「ええ、本当に嬉しいわ。可愛いベビー服を山のように用意しなくてはね」
国王陛下と王妃陛下は、背後で巻き起こっている身内同士の殺し合いの危機を完全にスルーして、手を取り合って歓喜の涙を流している。
「ちょっと待ってください。お姉様たちが妊娠されたということは、これからの食事の栄養管理は私が責任を持って徹底的に行わなければなりませんね」
アルジェント公爵家の三女であるセナが、なぜか鼻息を荒くして分厚いメモ帳を取り出し、すでに何やら恐ろしい勢いでカロリー計算を始めていた。
「セナ様の仰る通りです。アイラ様の専属侍女として、私マリーとエマが全身全霊でサポートいたします」
「リリア様のお食事は、専属侍女となった私、ミアに安心してお任せくださいぃ!」
私の侍女であるマリーとエマ、そしてリリアの侍女であるミアも、セナの横でやる気に満ちた表情を浮かべてガッツポーズをしている。
「……とりあえず、お父様とお兄様は一回落ち着いて座りなさい。お腹の子供に悪影響が出たらどうするの」
私が冷ややかな視線でピシャリと言い放つと、二人は「ひぃっ」と短い悲鳴を上げて瞬時に席に着き、子犬のようにプルプルと震え始めた。
「お姉様、ふふっ、みんな私たちの赤ちゃんのこと、すごく喜んでくれていますね」
リリアがエドワード殿下の腕に抱きつきながら、幸せそうに微笑んだ。
「ええ、そうね。絶対に元気な子を産んでみせるわ」
私は自分のお腹を優しく撫でながら、力強く頷いた。
しかし、その幸せな晩餐会の数日後、私は王宮の図書室でとんでもない絶望に直面することになる。
妊娠を機に、この世界の出産や育児に関する知識を深めようと思い立ち、過去の記録文書や医学書を読み漁っていたのだ。
分厚い羊皮紙のページをめくるたびに、私の血の気はスーッと引いていった。
三から六割。
それが、この国における乳児が七歳までに命を落とす確率だった。
現代日本であれば、乳児死亡率は千人に二人いるかいないかという奇跡のような数字だ。
しかし、この世界では衛生概念も未発達で、出産は文字通り命がけのギャンブルであり、ちょっとした感染症で幼い命があっけなく散っていくのである。
私は震える手で文書を閉じ、強く唇を噛み締めた。
このままではダメだ。
手洗いや煮沸消毒の重要性を教養として何となく知っているだけでは、私やリリアの愛しい子供を確実に守り抜くことなんてできない。
もっとちゃんとした、専門的で体系的な医療と育児の知識が欲しい。
強くそう願いながらベッドに入ったその夜、私は不思議な夢を見た。
それはかつて、スラムで美味しいご飯を食べたいと狂おしいほど強く願った時に見た、前世の記憶を追体験する夢と同じ感覚だった。
ただ今回私の脳内に雪崩れ込んできたのは、美味しい料理のレシピではなく、現代の産婦人科医療、徹底された衛生管理、助産学、そして乳幼児の精密な栄養学に関する膨大で正確な知識だった。
朝の光とともにパチリと目を覚ました私は、勢いよく上半身を起こし、両手で拳を強く握りしめた。
「……やるしかないわ」
私とリリアの可愛い子供たちを、こんな理不尽な世界の医療レベルになんて絶対に殺させない。
今日から私が、美味しい料理で世界を救ったように、この世界の出産と育児の常識に革命を起こしてやる。
翌朝、私は早速王宮の医療記録や各領地の報告書を取り寄せ、この国の医療レベルの正確な把握に乗り出した。
膨大な資料を読み解き、現代医学の知識と照らし合わせた結果、乳児死亡率の主な原因は不衛生な環境と慢性的な栄養不良、そして母体の健康状態の悪化であることが判明したのだ。
それは私の前世である地球の中世ヨーロッパとほぼ同じような状況であり、裏を返せば、手洗いや煮沸消毒の徹底、そして私やセナが得意とする栄養管理さえ浸透させれば、十分に生存率を引き上げられるということである。
対策の方向性が地球と同じで大丈夫そうだと分かり、私はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、一つだけ前世の知識ではどうしても補いきれない、この世界特有の大きな引っ掛かりがあった。
それは、この世界の人間が生まれながらにして持っている魔力の存在である。
地球の医学書には当然ながら魔力に関する記述など一切なく、乳幼児の魔力が身体にどのような影響を及ぼすのかは未知数だった。
「ねえ、ジュリアン様。乳幼児から七歳頃までの子供の魔力状態について、宮廷魔法師団に意見を求めてもいいかしら?」
執務室で書類仕事の合間にお茶を飲んでいた夫のジュリアン殿下に、私はそう尋ねた。
「ああ、構わないよ。だが、なぜ七歳という具体的な年齢なんだい?」
ジュリアン殿下がエメラルドの瞳を瞬かせながら、不思議そうに首を傾げる。
「子供の身体機能が安定してくるのが大体七歳頃なのだけれど、この世界特有の魔力の成長や暴走の危険性もその時期と関係しているのではないかと思ってね」
私が真剣な表情で答えると、彼は感心したように頷き、すぐに宮廷魔法師団長を呼び出す手配をしてくれた。
数日後、宮廷魔法師団の専門的な見解を聞いた私は、これまでの衛生管理と栄養学に魔力学の知見を融合させた、国中の子供たちを対象とする壮大な実証実験の計画書を一気に書き上げた。
「名付けて、『子供健康プロジェクト』よ!」
私が王族や公爵家の面々が集まる会議室で高らかに宣言すると、ジュリアン殿下は口元に腹黒い笑みを浮かべながら楽しそうに目を細めた。
「なるほど。国レベルで衛生管理と魔力ケアの実証実験を行い、未来の労働力と兵力を確実なものにするというわけだね。君らしい、大胆で素晴らしい計画だ」
ジュリアン殿下の全面的な賛同を得て、私の出産育児革命はついに国家を巻き込んだ巨大なプロジェクトとして動き出したのである。
「……ちょっと、護衛の数が多すぎないかしら」
王都の喧騒の中、私は周囲をぎっしりと取り囲む王属騎士団とアルジェント家の精鋭騎士たちを見て、思わず深い溜息を吐いた。
「アイラ様とリリア様はお腹に大切な命を宿されているのですから、当然の処置です」
「ええ、少しでも怪しい動きをする輩がいれば、即座に私が消し炭にしますのでご安心ください」
私の専属侍女であるマリーとエマが、物騒な言葉を吐きながら鋭い視線を周囲に配っている。
今日は子供健康プロジェクトの拠点となる物件を探すため、リリアやセナ、そして侍女たちを引き連れて王都の街中へと視察にやって来ていた。
「でも、これでは街の人たちが怖がってしまいますわ……」
リリアが困ったように微笑みながら、専属侍女となったミアの腕に軽く触れた。
「大丈夫ですぅ、リリア様! もし暴漢が現れても、私が得意の白魔法で聖なる結界を張り、即座に浄化して無力化しますからぁ!」
ミアが鼻息を荒くして両手に純白の魔力を集め始めたため、私は慌てて彼女の手を抑え込んだ。
今回のプロジェクトは、まずは平民や孤児院、そしてスラムの孤児たちを対象に行うことになっている。
貴族の子供を対象にするには、保守的な彼らを納得させるだけの確固たる実績が必要だからだ。
「王太子妃殿下、万歳!」
私が先陣を切って母子の健康支援を行うという噂はすでに広まっており、平民やスラムの人々からは熱烈な歓迎を受けていたのである。
「さて、ノア。物件の候補と人員の配置状況はどうなっているのかしら」
私が声をかけると、今回のプロジェクトで補佐を務めるノアが、分厚い資料の束を抱えて進み出てきた。
「はい、アイラ様。拠点にはスラムと平民街の境界にある元修道院の建物を確保し、すでに清掃と魔導具による消毒を完了しています」
「責任者として魔法師団から派遣されたリュカ殿とその部下たちも、すでに現地で魔力測定器の設置を進めてくれていますよ」
ノアが理路整然と報告するのを聞き、私は満足げに頷いた。
学園で私のスパルタ特訓を生き抜いたノアの分析能力と、魔法師団の優秀な魔術師であるリュカの専門知識があれば、プロジェクトの運営は盤石だ。
「セナ、子供たちの年齢別の栄養管理メニューはできているわね?」
「当然です、お姉様。この日のために、市場で手に入る安価な食材を使った最高効率のカロリー摂取プログラムを徹夜で組み上げました」
セナが自信満々に分厚いノートを叩き、私は思わず頼もしさに目を細めた。
衛生環境の改善と徹底した栄養管理によって、乳幼児の死亡率は確実に引き下げられるはずだ。
そう確信し、順調な滑り出しにホッと胸を撫で下ろした矢先だった。
「た、大変です! リュカ様、子供の一人が……!」
拠点となる元修道院の奥から、魔法師団の若い団員が血相を変えて飛び出してきたのだ。
「どうしたの、何があったの!」
私が急いで駆けつけると、薄汚れたベッドの上で、五歳くらいの小さな男の子が苦しそうに身悶えしていた。
「アイラ様、近づかないでください! この子の体内で、魔力が異常なほどの熱を帯びて暴走し始めています!」
魔法師団の責任者であるリュカが、男の子の体に手をかざし、精密な魔力操作で暴走しそうな魔力を制御しながら外に逃がそうと必死に叫んだ。
男の子の肌は異常なほど赤く熱を持ち、その周囲の空気がチリチリと焼け焦げるような魔力の火花を散らしている。
これが、前世の医学知識だけではどうにもならない、この世界特有の魔力の洗礼というやつか。
「エマ、マリー、周囲の子供たちを安全な場所へ避難させて!」
私が指示を飛ばすと、リュカが鋭い声で白魔法の使い手たちに指示を出した。
「アイラ様、リリア様! そしてミア嬢! 暴走する前に、白魔法でこの子の魔力そのものを体内から霧散させてください!」
「魔力を霧散させるって、無限に湧き続けるわけではないのだから、それでは魔力欠乏症になってしまうのではなくて?」
私が問い返すと、リュカは焦りの中にも超優秀な魔法使いとしての冷静な光を瞳に宿して答えた。
「まずは暴走を止めて応急処置を施し、霧散させた直後に我々が微力の魔力を注入して様子を見ます! それが今取れる最も安全で確実な解決策です!」
「わかったわ! リリア、ミア、リュカの指示通りにやるわよ!」
「はい、お姉様! ミア、私に合わせて浄化の魔法で魔力を霧散させます!」
「かしこまりましたぁ、リリア様! 全力で白魔法を注ぎ込んで霧散させます!」
私は覚悟を決め、優秀な魔法師の知見を信じて、愛する我が子とこの世界すべての子供たちを救うための戦いへと身を投じたのである。
リュカの的確な指示と私たちの連携により、男の子の体内で暴走しかけていた魔力が霧散し、微量の魔力を注入されたことで彼の呼吸は穏やかなものへと変わった。
「ふぅ……流石はリュカね、素晴らしい判断と魔力操作だったわ」
私が安堵の息を吐きながら称賛すると、リュカは額の汗を拭いながら深く一礼した。
「いえ、アイラ様やリリア様、ミア嬢の強力な白魔法あってこその応急処置です」
ひとまずの危機は去ったが、根本的な問題が解決したわけではない。
「ノア、すぐにこっちへ来て他の子供たちの様子も確認してちょうだい!」
私が叫ぶと、補佐のノアが魔力測定器を抱えて足早に駆け寄ってきた。
「はい、ただちに全員の魔力波長をスキャンします」
ノアは手際よく魔導具を操作し、暴走に触発されて他の子どもたちが暴走の予兆を見せていないか、あるいはすでに暴走を始めていないかを見て回った。
幸いなことに他の子供たちに異常は見られなかったが、拠点となる修道院の中には重苦しい空気が漂い始めた。
「それにしても、一体何が原因でこんな恐ろしい暴走が起きるのでしょうか……」
ミアが不安そうに呟くと、魔法師団の団員たちからも次々と意見が飛び交い始めた。
「魔力の成長期特有の器の未熟さが原因ではないか」
「いや、スラムという劣悪な環境が魔力の質を濁らせているのだろう」
「暴走で起こる事象も、単なる高熱だけではなく、内臓の破裂や周囲の空間への引火など多岐にわたるはずだ」
様々な仮説が立てられるものの、確固たる原因と解決策はその場では誰にもわからなかった。
そこから一月ほど、私たちは子供たちの衛生環境や栄養状態を徹底的に管理しつつ、彼らの魔力の動きに注視しながら過ごした。
セナが考案した完璧な栄養メニューと、マリーやエマたちによる過剰なほどの煮沸消毒のおかげで、環境や栄養不良による死亡リスクは見事に鳴りを潜めた。
拠点にいる子供たちは見違えるようにふっくらとし、元気に走り回るようになったのだ。
しかし、問題は魔力の方である。
同じ建物内に研究室を間借りして、リュカ率いる魔法師団が懸命に魔力暴走のデータ収集と研究調査を行っていた。
そして一ヶ月目の月末、リュカとノアが青ざめた顔で私の執務室へと報告にやって来た。
「アイラ様、恐ろしい事実が判明しました」
ノアが重々しい口調で提出した報告書を見て、私は言葉を失った。
どうやら、魔力暴走による死亡率は、そのまま暴走の発症率に完全に比例しているらしい。
つまり、一度でも魔力暴走を起こした子供は、適切な処置ができなければ百パーセント死に至るということだ。
「平民や孤児院、スラムの孤児たちの間では、この魔力暴走は『原因不明の必ず死亡する病』として認識され、発症したら諦めるしかなかったようです」
リュカが悔しそうに拳を握り締めながら言った。
「じゃあ、貴族の子供たちはどうして無事に成長できているの?」
私が尋ねると、リュカは重い溜息を吐いて首を振った。
「貴族が特別だったわけではありません。彼らは家系的に魔力を持つ者が多いため、親や専属の魔法師が今回のような『魔法による一時しのぎの応急処置』を何度も何度も繰り返しているうちに、たまたま魔力の器が成長して助かる者が居た……というだけだったのです」
つまり、この国では『魔力暴走による子供の死亡』について、誰も根本的な治療法を確立しておらず、正式に研究調査することすら今回が初めてという絶望的な現実だったのだ。
「……なるほど、状況は最悪というわけね」
私は報告書をパタリと閉じ、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
誰も解決できなかった不治の病なら、私がこの子供健康プロジェクトで完全に打ち破ってやる。
私とリリアの子供、そしてこの国のすべての子供たちを救うための、真の戦いがここから始まるのだ。
リュカとノアが提出した仮説、それは「魔力の器」の成長不全に関するものだった。
「子供の身体が成長する過程で、魔力の生成速度に『魔力の器』の成長が追いついていないという事象が発生していると考えられます」
リュカが黒板に魔力回路の図解を描きながら、重々しい声で説明を始めた。
「生成された過剰な魔力が器を軋ませ、魔力回路に異常な圧力が掛かることで魔力密度が急激に上昇するのです」
「そして密度が上昇すればするほど回路への負荷はさらに増大し、最終的にあの恐ろしい熱暴走を引き起こしてしまう、というわけですね」
ノアがリュカの言葉を引き継ぎ、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
その論理的で筋の通った推論に、私は深く頷きながら顎に手を当てた。
「なるほど、ならばその『器合わせ』を意図的に行うことができれば根本的な解決になるのだけれど、何か良い案はないかしら?」
私の問いかけに対し、優秀なはずのリュカとノアは揃って苦虫を噛み潰したような顔になり、深く考え込んでしまった。
「それが……魔力の器は個人の魂や生命力に直結しているため、外部から物理的あるいは魔法的に干渉して拡張することは極めて困難なのです」
「一歩間違えれば器そのものが砕け散り、暴走するよりも早く命を落としてしまう危険性があります」
二人の有能なブレインが頭を抱えるほどの難題だということは、一朝一夕で解決できる問題ではないということだ。
「……わかったわ、根本的な解決策の模索は引き続き研究班に任せるとして、今は一人でも多くの子供を生かすための持久戦に持ち込むわよ」
私はバンッと机を叩いて立ち上がり、全員の顔を見渡した。
現在の状況として、症状の初期段階である魔力の微細な乱れ程度であれば、魔法師団の一般団員による魔力操作でも十分に対処が可能だった。
しかし、今回のように発熱を伴う熱暴走の段階まで進んでしまうと、私やリリア、白魔法使いのミアのような高度な魔法の使い手でなければ魔力を霧散させることができない。
そこで私は、天才魔導具技師であるミーアを拠点へと呼び出した。
「ミーア、お願いがあるのだけれど、私たちが使う『白魔法による魔力霧散』の魔法を魔導具化することはできないかしら?」
「白魔法の事象を魔導具に定着させるのはかなり高度な技術が必要ですが、アイラ様とリリア様の魔力を結晶化して触媒にすれば、絶対に作ってみせますぅ!」
ミーアは鼻息を荒くして図面を引き始め、三日三晩不眠不休で作業に没頭した結果、ついに画期的な『魔力霧散の魔導具』を完成させてくれたのである。
「これで、発熱の段階まで進んだ子供が複数同時に出ても、白魔法を使えない魔法師団の団員たちだけで対応できるようになりますね」
完成した魔導具を手にしたリュカが、安堵の表情を浮かべて大きく息を吐いた。
こうして、私たちと未知の病である魔力暴走との、命を懸けた果てしない持久戦が幕を開けた。
魔法師団が魔導具を駆使して子供たちの命を繋ぎ止めている間に、私とノアたちは根本的な『器合わせ』の解決策を何としても見つけ出さなければならないのだ。
「そういえば、魔力そのものを別の場所へ転移させることは可能なのだろうか?」
魔法師団が必死に子供たちの魔力を霧散させる持久戦の最中、私はふとそんな疑問を口にした。
「魔力を操り、外部から魔力操作で霧散させることが可能であるならば、いっそ『魔法陣』を子供たちの体に直接描いてみてはどうかしら」
私の突拍子もない提案に、リュカとノア、そしてミーアが同時に目を丸くしてこちらを見た。
「魔力の器が許容量を超えそうになったら、その魔法陣が自動で閾値を感知して、持ち主の余剰魔力を使用して自動発動し、安全に体外へ魔力を放出するシステムよ」
「自動で閾値を感知し、持ち主の魔力を動力源として発動する外部放出の魔法陣……」
リュカが私の言葉を反芻しながら、自身の顎を撫でて深く考え込んだ。
「理論的には……理論的には可能ですが、人体に直接魔法陣を刻み、かつ術者の魔力で自動起動させるとなると、前代未聞の複雑な術式構成が必要になります」
「それに、成長期の子供の体型変化に合わせて魔法陣の形が歪めば、術式が暴走する危険性もありますね」
ノアが眼鏡の位置を直しながら、的確にリスクを指摘した。
「そこは、特殊な伸縮性のある魔導インクを使えば解決できるかもしれません!」
ミーアが目を輝かせながら、鞄から取り出した設計図の裏に猛烈な勢いで数式を書き殴り始めた。
「私はインクと定着用の魔導具を開発しますから、リュカ様とノア様は術式の構築をお願いします!」
「わかった、やってみます! アイラ様のこの発想があれば、あの子供たちを根本から救えるかもしれない!」
リュカが力強く頷き、ノアも口元に知的な笑みを浮かべて頷き返した。
こうして、私のアウトローな提案をきっかけに、王国の最高頭脳と天才魔導具技師による、常識外れの魔法陣開発がスタートしたのである。
それは決して平坦な道のりではなく、術式が安定せずに小規模な爆発を起こしたり、インクの定着率が悪くて消えてしまったりと、何度も失敗を繰り返した。
しかし、子供たちの命を救うという強い意志のもと、彼らは寝食を惜しんで研究と実験に没頭し続けた。
そして、持久戦が始まってから三ヶ月にも及ぶ壮絶な格闘の末、彼らはついに実用レベルの『魔力放出陣』を完成させたのである。
「アイラ様……やりました、ついに閾値感知と自動放出が完全に機能する術式インクが完成しました!」
目の下に濃い隈を作ったリュカが、震える手で完成した魔導インクの小瓶を掲げて報告した。
「本当にご苦労様、これでようやく子供たちを魔力の脅威から解放してあげられるわね」
私は感極まって涙ぐむミーアとノアの肩を叩きながら、心からの労いの言葉をかけた。
こうして、私たち子供健康プロジェクトのチームは、この世界の残酷な理不尽を打ち破るための、最強にして最高の手段をついに手に入れたのである。
魔力転移の魔法陣が実用化されたことで、王都の魔力暴走による子供の死亡率は劇的に低下し、スラムや孤児院の子供たちも健やかに成長できる環境が整った。
プロジェクトの成功を見届けた私とリリアは、ついに臨月を迎え、王宮の特別室で並んで出産の日を待つことになった。
「アイラお姉様、いよいよですね」
「ええ、リリア。私たちの可愛い子供たちに、もうすぐ会えるわね」
大きなお腹を撫でながら、私たちは互いの手を強く握り合った。
これは私たち双子の姉妹が強く望み、国王陛下やジュリアン殿下たちも快く承諾してくれた、王宮での同日出産という前代未聞の計画だった。
そして数日後の夜、王宮全体を巻き込んだ大騒動の末に、私たちは無事に新しい命をこの世界へと産み落としたのである。
「オギャアアアアッ! オギャアアアアッ!」
「おめでとうございます、アイラ様、リリア様! お二人とも、元気な男の子の双子ですぅ!」
助産師として立ち会ってくれたミアとエマが、感動の涙を流しながら四つの小さな包みを私たちのもとへ運んできた。
「四人とも男の子……! まあ、なんて賑やかなことになるのかしら!」
私が驚きと喜びに満ちた声を上げると、隣のベッドでリリアも嬉し泣きをしながら赤ちゃんを抱きしめた。
「リリア嬢! よく頑張ってくれたね、ありがとう、僕たちの天使だ!」
「アイラ、君という人は……本当に規格外で、世界で一番愛おしい女性だ」
部屋に飛び込んできたエドワード殿下とジュリアン殿下が、それぞれ私たちのもとへ駆け寄り、愛と感謝の言葉を囁いてくれた。
「おおお、我が娘たちが同時に双子の男児を産むとは! アルジェントの血はどこまでも最強だな!」
「父上、これで俺には四人の甥っ子ができたわけですね。黒魔法剣の英才教育を今から考えねばなりません」
扉の向こうでは、お父様とお兄様が相変わらずの過保護と親バカぶりを発揮して大号泣している声が聞こえる。
「まったく、うるさい外野ね……でも、最高に幸せだわ」
私がジュリアン殿下の腕の中で微笑むと、彼は優しく私の額にキスを落とした。
私たちが手に入れたのは、美味しいご飯と、愛する家族と、そしてこの国のすべての子供たちが明日を生きられる希望の光だ。
腹黒王太子妃にして規格外の魔女である私の戦いは、四つの新しい命とともに、これからも騒がしく、そして最高に美味しく続いていくのである。
四つの新しい命が王宮に誕生してから、あっという間に一年が経過した。
私とリリアが産んだ双子の男の子たちは、王宮中の愛情と過保護な祖父や伯父たちからの(少し偏った)英才教育を一身に受け、スクスクと健康に育っている。
そんなある日の午後、執務室でお茶会をしていた私とジュリアン殿下のもとに、リュカとノアが興奮した様子で驚きの報告を持ってきた。
「アイラ様、ジュリアン殿下! 例の出産育児革命で魔力暴走の対策を行ったスラムや平民の子供たちの追跡調査結果が出ました!」
ノアが分厚い束になった調査書類を机に叩きつけるように置き、珍しく声を上ずらせて言った。
「対象となった子供たちの魔力値が、軒並み高レベル水準で安定して成長してきているのです」
リュカが書類の数値を指差しながら、信じられないものを見るような目で報告を続けた。
「このままいけば、彼らは平民でありながら、魔法師団員に正式に入隊できるほどの強大な魔力量まで成長するでしょう」
「まあ、それは素晴らしいことじゃないの!」
私が手を叩いて喜ぶと、隣で報告を一緒に聞いていたジュリアン殿下が、美しいエメラルドの瞳を細めてニヤリと腹黒い笑みを浮かべた。
「なるほど……魔力暴走という『間引き』を乗り越えた子供たちは、それだけ強靭な魔力の器を持っているということか」
ジュリアン殿下は顎に手を当て、頭の中で瞬時に国家規模の算盤を弾き始めた。
「彼らを国が責任を持って保護し、幼少期から英才教育を施せば、将来的に王国軍や魔法師団に増員される戦力は計り知れない」
「フフッ、これは次期国王としての私の仕事だな。最高の教育機関と特務部隊の設立計画を、今すぐ練らなくては」
愛する夫の頼もしくも計算高い横顔を見て、私は思わずクスクスと笑い声を漏らした。
「そして、アイラ様。出産育児革命の導入から現在までの一年間における、王都の七歳までの乳幼児の死亡者数は……ゼロです」
リュカが感極まったような震える声で、その奇跡のような成果を告げた。
「死亡者数が、ゼロ……本当に、よかった」
その言葉を聞いた瞬間、私の目から熱い涙が溢れ出し、ジュリアン殿下が優しく私の肩を抱き寄せた。
リュカもノアも、そして執務室の護衛についていたマリーやエマたちも、みんなが一様に安堵の表情を浮かべて微笑み合っている。
「アイラ、君は本当にこの国を、いや、この世界を救ってくれたんだ」
ジュリアン殿下が私の額に口付けながら、誇らしげに宣言した。
「この王都での圧倒的な成果を王国の新たなスタンダードとして、今すぐ王国全土へ、いや、他国へも広めることを決定しよう」
「ええ、ジュリアン様。私たちの美味しいご飯と医療の力で、世界中の子供たちを幸せにしてみせますわ」
私は力強く頷き、愛する家族と、これから健やかに育っていくすべての子供たちの輝かしい未来へ向けて、最高の笑顔を咲かせたのである。
数か月後。出産育児革命が国中に広まり始め、王都がかつてない平和と活気に包まれていた矢先のことだった。
いつものように執務室でジュリアン殿下と書類仕事に追われていた私の元へ、血相を変えたマリーとエマが飛び込んできた。
「アイラ様、一大事です! スラムや孤児院で、子供たちが次々と姿を消す事件が発生しました!」
「誘拐されたのは全員、魔力暴走の予兆を見せ、例の『魔力放出陣』を体に刻まれた子供たちばかりです!」
二人の報告を聞いた瞬間、私の手からペンが滑り落ち、カツンと乾いた音を立てた。
「……何ですって? 誰が、あの子たちを?」
「まだ犯人は特定できていませんが……子供たちを庇おうとしたスラムの大人たちが、何者かの激しい襲撃を受けて壊滅状態に陥りました」
マリーがギリッと唇を噛み締め、エマが悲痛な顔で俯いた。
「死者こそ出ませんでしたが、重傷者が多数出ています。スラムで子供たちの面倒をみてくれていたおじさんたちも、腕や足を失ったり、視力を奪われたりと……とても見ていられない惨状です」
その言葉が脳裏に響いた瞬間、私の視界が真っ赤に染まった。
スラムで子供たちを育て、守ってきた、おじさんとしていつも頼もしく子供たちを支えてくれたスラムのおじさんたち。
彼らを無残に傷つけ、子供たちを奪い去った輩がいる。
「……許さないわ、絶対に」
私の体から、無意識のうちにドス黒い魔力が凄まじい勢いで噴き出し、執務室の窓ガラスがピキピキと音を立ててひび割れた。
「アイラ、落ち着きなさい。君の魔力で王宮を吹き飛ばす気かい?」
ジュリアン殿下が私の肩を力強く抱き寄せ、冷たい怒りを湛えたエメラルドの瞳で背後のノアとリュカを見た。
「襲撃者の正体について、何か手掛かりはあるのか?」
「はい。スラムに残されていた魔法の痕跡や、襲撃者が落とした装備の一部から、王都の裏社会に通じる一部の過激な貴族の影が見え隠れしています」
ノアが眼鏡を押し上げながら、怒りを押し殺した声で報告した。
「おそらく、魔力放出陣によって強大な魔力を宿したまま生き延びた平民の子供たちを、非合法な研究材料、あるいは私兵として利用するために誘拐したのでしょう」
リュカの推測を聞き、私の心の中でドス黒い怒りの炎がさらに激しく燃え上がった。
「なるほどね……平民の命を道具としか思っていない腐った貴族どもが、私の古巣を荒らしたというわけね」
私はひび割れた窓ガラスを見つめながら、氷のように冷たい声で呟いた。
「ええ、これは国家に対する重大な反逆行為であり、私の愛する妻の逆鱗に触れた万死に値する大罪だ。徹底的に調べ上げ、根こそぎ叩き潰そう」
ジュリアン殿下もまた、王太子としての冷徹な顔で静かに殺意を放っている。
平和な王宮の日常に落ちた暗い影を切り裂くため、私は誘拐された子供たちとスラムのおじさんたちの復讐を誓い、新たな戦いの幕を開けたのである。
「リリア、久しぶりに私たちの出番よ」
「はい、お姉様。私たちの愛する家族と子供たちを傷つけた悪党どもに、本物の魔女の恐ろしさを教えてあげましょう」
誘拐事件の報告を受けたその日の午後、私とリリアは王宮のバルコニーで静かに怒りの炎を燃やし、久方ぶりとなる魔女探偵の結成を宣言した。
今の私たちは、かつてのようなただの公爵令嬢ではなく、黒魔法と白魔法の両方を完全に極めた本物の魔女へと成長している。
スラムで私たちの大切なおじさんたちを傷つけ、未来ある子供たちを誘拐した裏組織にとって、この事件の報告が上がった瞬間が彼らの命日となったのだ。
「まずはスラムに残された魔力の残滓から、奴らの逃走経路を手繰り寄せるわ」
私は、空間に残る微かな魔力の糸を可視化させる。
「お姉様、王都の地下水路の奥で、強固な隠蔽結界に阻まれていますわ」
隣で白魔法を展開していたリリアが、青玉の瞳を鋭く光らせて結界の座標を特定した。
「上等よ。その結界の魔力構造を逆探知して、私たち二人で直接転移してぶち破るわよ」
私とリリアが手を繋いで膨大な魔力を練り上げると、空間が歪み、一瞬にして地下水路の奥深くへと転移した。
ズガァァァンッと、耳を劈くような凄まじい轟音が地下空間に響き渡った。
転移と同時に私たちが放った黒と白の魔法の奔流が、敵の隠蔽結界をガラスのように粉々に打ち砕いたのだ。
「な、なんだ貴様ら!」
結界の奥に隠されていた巨大なアジトには、怯える子供たちと、誘拐の実行犯である構成員たちが数十人ほど集まっていた。
「地獄への案内人よ」
私が冷たく言い放つと同時に、リリアの白魔法が構成員たちの動きを完全に封じ込め、私の黒魔法が彼らの意識を刈り取った。
「さて、記憶にダイブさせてもらうわよ」
私は気絶した構成員の頭に手を触れ、黒魔法で彼らの記憶の深淵へと潜り込み、組織のまとめ役と黒幕の正体を一瞬で暴き出した。
魔女として覚醒してから異次元の魔女であるエレノワールから師事を受けた私は最早、精神へのダイブに態々、血を媒介にする必要は無くなっていた。
「……見つけたわ。黒幕は、裏社会で禁忌の研究をしているマッドな魔法使いと、パルシファル伯爵よ」
私が告げると、リリアは氷のような冷たい微笑を浮かべて頷いた。
一方その頃、王宮の執務室では、ジュリアン殿下が冷徹な表情で通信魔導具を握りしめていた。
「我が愛しき魔女たちが黒幕の座標を特定し次第、私と騎士団、そして魔法師団を総動員して即座に転移する。一匹たりとも逃がすな」
ジュリアン殿下の指示により、王国の最強戦力がいつでも出撃できる完璧なバックアップ体制が整えられていたのである。
「ジュリアン様、座標を送るわ。パルシファル伯爵の隠し別邸よ」
通信魔導具で連絡を入れた後、私とリリアは再び転移魔法を発動し、黒幕たちが子供たちを実験材料にしようと待ち構える別邸の地下室へと直接殴り込んだ。
「ば、馬鹿な! 結界はどうした、なぜ王太子妃と公爵夫人がこんな所に!」
パルシファル伯爵とマッドな魔法使いが驚愕の声を上げたが、時すでに遅かった。
「問答無用よ、消えなさい!」
私たちの圧倒的な魔法の暴力と、直後にジュリアン殿下たちが率いる騎士団の突入により、悪徳貴族とマッドな魔法使いの野望はあっけなく粉砕された。
攫われた子供たちは誰一人として実験材料にされることなく無事に助け出され、スラムの大人たちへの手厚い補償と治療も約束された。
事件の報告が上がってから解決まで、わずか一日もかからないという圧倒的なスピード解決だった。
それは、家族を傷つけられた規格外の魔女探偵コンビと、彼女たちを愛してやまない王族たちの、一切の容赦がない完璧な制裁劇だったのである。
出産育児医療の改革と、アイラとリリアの出産と続き、悪徳貴族の陰謀を潰しました。
次回は神聖ルシエラ教国の闇を暴く事件を書くつもりです。
お楽しみに。




