第九話 水底に眠る記録【1/2】
第九話 水底の底に眠る記録
焚き火の火が尽きる頃、濡れた服もようやく乾いてきた。
水路での命懸けの戦闘を経て、セオドアたちは再びダンジョン奥への探索を進めるか否か、判断を迫られていた。
「……この状態で進むのは、危険だわ」
フィオナが落ち着いた声で言った。ノエルの腕や脚には小さな噛み傷が散見され、セオドアも鼓膜を破ったせいか、耳に薬草を詰めている状態。
フィオナの唇の動きを読み取ったセオドアが頷く。
「僕も、無理は禁物だと思います」
セオドアの判断に、ドランも無言で頷く。
「ごめんね、私が足を滑らせたせいで……」
ノエルは申し訳なさそうに眉尻を下げたが、誰も責める者はいなかった。命を落としかけた状況で、全員が無事に戻れただけでも幸運だった。
こうして、ブックメーカーは第二階層の攻略を一時中断し、地上へ戻ることを決めた。
既に攻略済みの第一階層は慎重ながらもスムーズに通過し、やがてダンジョンの出入口が見えてくる。まばゆい光が視界を満たし、肌に触れる空気が一気に冷たさから湿った暖かさへと変わった。
空は既に群青に染まり、街灯がぽつぽつと灯る時刻。出入口前には数組の冒険者が待機していたが、その中に、場違いなほど泥まみれで疲弊しきった姿があった。
「──セリカ?」
セオドアが思わず声を漏らす。
振り返ったセリカの顔は泥に塗れ、髪は跳ね、服は水に濡れて乾いた痕跡で汚れていた。背負っている小さなリュックには、植物の茎や紙片が無造作に突き刺さっている。
「お、おかえりなさい……皆さん」
セリカはへとへとの笑みを浮かべた。
「どうしたの、その姿……」
フィオナが眉を寄せる。
「えっと、えっと……私、今日は……フィールドワークに行ってたんです。水棲苔の標本、どうしても確保したくて……」
「一人でですか?!」
セオドアが思わず声を荒げると、セリカは肩をすくめた。
「いやいやいや!以前は一人よくフィールドワークに出ていましたから!」
その言葉に、フィオナが深く息を吐いた。
「無茶しないでって言ってるでしょ。あなたも、私たちの仲間なんだから、必要な時は護衛につくから!」
「……すみません」
セリカはしゅんと項垂れた。
だが、次の瞬間──ノエルがぱっと手を振り上げた。
「でも、ちゃんと帰ってきてえらいっ!」
「……ノエルさん」
「だって、危なかったけど結果的にサンプル取れたんでしょ? すごいじゃん!それに私たちだって全員ズブ濡れだし、お互いさまだよ〜」
ノエルの言葉に、ようやくセリカも小さく笑みを見せた。
セオドアはその様子を見届けながら、そっと呟いた。
「無事で、よかったです。本当に」
夜風がダンジョンの出入口を吹き抜け、冒険者たちの濡れた衣服をさらりと揺らした。闇の向こうに広がる街の灯りが、どこか温かく思えた。
ダンジョンから帰還した翌日、ブックメーカーの面々はルーメンベルの新事務所でそれぞれの傷を癒していた。
ノエルは回復魔法と治療薬のおかげで傷の回復していたが、まだ関節や筋に若干の痛みが残っていた。セオドアは聴覚が戻らず、耳の包帯を外せないままでいた。
そんな中、セリカは他の三人が休んでいる間も、薬草の仕分けや採集データの整理に黙々と励んでいた。
「セリカ、休んでもいいんだよ。昨日だって無茶したんだし」
セオドアが声をかけると、セリカは書きかけのノートを閉じ、少しだけうつむき加減に言った。
「……でも、今の私は戦えないですから。せめて記録や素材の整理くらいは、と思って」
「戦えないからこそ、できることがある。それがすでに、僕たちの力になってますよ」
セリカはその言葉にほんのり顔を赤らめ、口元に微かな笑みを浮かべた。
しばらく沈黙が流れた後、セリカはおずおずと切り出した。
「あの……セオドア氏にお願いがあるんですけど……」
「お願いですか?僕にできる事ならなんでも言って下さい」
「前にセオドア氏が、フィオナ氏たちにスキルを習得させる為に魔力操作についてまとめた本を渡していましたよね?」
「はい、ループを繰り返す中で、魔力操作でそれぞれが感じた感覚をまとめた物をまとめてそれぞれにお渡ししています。
次の上級編でスキル習得についての項目を掲載する予定なので僕の方でもまとめていますよ」
「できれば......あの本を読んでみたいんです」
セオドアは少し驚いた顔をした。
「セリカさん......スキル習得を目指してるんですか?」
「いえ!スキル習得だなんて!ただ魔力操作は覚えたいと常々思っていましたので……魔道具の扱いができる様になれば、採集や調査に役立つと思ったので!」
「なるほど。確かに魔道具が使えるだけでもフィールドワークにも役に立ちますね!ちょっと待って下さい」
その言葉を聞いて、セオドアはすぐに書棚の奥から書物を取り出し、セリカに手渡した。
「一応皆さんの感覚と僕の感覚を平均的にまとめているのでセリカさんにも共通している感覚があると思いますので参考にしてみて下さい」
「ありがとうございます……大切に使います!」
セリカは本を胸に抱えて深く頭を下げた。
その日の午後、フィオナとドランは防具の修繕に出かけ、ノエルは部屋の隅でうとうとと寝息を立てていた。
静かな事務所に、セリカがページを捲る音だけが響いていた。
魔力を操るとは何か。スキルの習得とはどのように起きるのか。読み進めるうちに、セリカの瞳にわずかな光が灯っていく。
数日後、傷の癒えたブックメーカーの面々は、再び《迷鐘の洞》の第二階層《滴る迷路》へと挑む準備を整えていた。
セオドアの聴覚は完全に回復していた。
耳から薬草を取り出し、セリカがセオドアの耳の中を確認する。
「もう回復していますね」
「ありがとうございます。セリカさんの薬草の知識には毎回助けられてばかりですね」
「いやいやいや、私の収集癖が役に立って嬉しい限りですよ」
日常会話には支障がない程度まで回復していた。ノエルも柔らかな笑みを浮かべ、足取りも軽やかだ。
「いきましょう!ダンジョンへ!」
フィオナの掛け声と共にセオドア達はダンジョンへと歩みを進めた。
再突入の朝、セリカは見送りに出る。
「みなさんお気をつけて行ってきて下さいね」
「セリカさんもフィールドワークは良いですが、無茶しない様にお願いしますね」
セオドアの言葉にセリカはヘラッと笑みを浮かべる。
「わかりました」
「では行ってきますね!」
セリカは少し名残惜しそうにセオドアたちの背中を見送った。
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