第三話 毒キノコと勇者【1/3】
学校のチャイムで目を覚ました。
そんな気がした。
しかし、目を開けたハルトは見知らぬ草原に立っていた。
どこまでも広がる緑の大地。地平線の向こうまで、家も建物も、人の気配すらない。
「……どこだ、ここ……?」
制服の胸元に手をやり、瞬きする。
ポケットからスマートフォンを取り出すが画面は映らない。電源すら入らなかった。
「つかない......さっきまで、学校にいたよな……チャイム鳴って、次は体育で……って、え?」
感覚がぐらりと揺れる。記憶があるのに、現実感がない。
風が吹き抜ける。生温かい。見慣れない草の匂い。
見上げた空には、巨大な影があった。
「……うそ……」
はるか頭上を、翼を広げた“何か”が飛び去っていく。異様な光沢を持った鱗、尾を引くような飛行。明らかに、地球上の生物ではない。
「ドラゴン!?」
その瞬間、ハルトはすべてを悟った。
「……これ、異世界転移ってやつか……」
言葉にすると、ぞくりと鳥肌が立った。
夢じゃない。
漫画や小説でしか見たことのない「転移」という現象が、現実に自分に起こったのだ。
制服、鞄、携帯、財布。どれも現代日本のもの。だが、この世界には電気も信号も、何一つ存在しない。
「マジかよ……どうすんだよ、これ……」
ハルトはポケットの中のガムの包みを見て、肩を落とした。
食料、水、武器――何も持っていない。
あるのは、空と草と、遥か彼方に伸びる一本の土の道だけだった。
そして、それが彼、神谷春人の冒険の始まりであった。
転移から数時間が経った。
ハルトは、草原に伸びる一本の街道を、ただ歩いていた。
どこかに人がいる。助けを求めれば、水や食料、なにか情報くらいはもらえるかもしれない――そんな希望にすがって。
「……腹減った……」
朝、弁当を持っていくのを忘れたことが、今さらながら悔やまれる。ポケットには溶けかけのガムと小銭、それに使えないスマホしかない。
街道の端には森が広がっているが、そこに踏み入れる勇気はなかった。
というより、装備も知識もない高校生にとって、森はただの“危険地帯”だ。
しかし、空腹は限界に近づいていた。
夕方、思い切って森に入る。
目を凝らす。鳥の声すらしない。地面に小動物の気配もない。
ただ、腐葉土と苔と、奇妙なキノコの匂いが漂っていた。
「……これ、食べられるのかな……」
低い切り株の根元に、小さなキノコが群生している。
傘は赤く、特徴的な白い斑点がある。明らかに“食べるな”と警告している見た目だった。
「毒キノコ......だよな……食えそうなわけないか……」
指を伸ばしかけて、すぐに引っ込める。
結局、その日は何も口にせず、街道沿いの木陰で眠った。硬い地面。虫の羽音。空腹と不安で眠れるはずもなかった。
二日目。
水も見つからなかった。川も泉もない。ただ、歩くだけ。歩いても、歩いても、人や建物は見えてこない。
ふらつく足。意識が遠のく。もはや、転移したことすら幻だったのではないかと思えてくる。
三日目。
草の上で目を覚ました時、自分の体が明らかに軽くなっているのを感じた。
――違う。軽くなったんじゃない、力が入らないんだ。
もう歩けない。足が棒のようで、手は震えている。
お腹が空いたという......状態ではない。
最早それは飢餓であった。
そんな彼の視界に、ふと石碑が映った。
それは、街道脇にぽつんと建っている。
人の手で刻まれたような模様。まるで魔法陣のような不気味な紋様が、石の表面に刻まれていた。
「……なんだよ……こんなの……」
もう、どうでもよかった。
その石碑の根元。そこには、見覚えのあるキノコが生えていた。赤と白の、あの毒々しいやつだ。
ハルトは震える手を伸ばし、摘み取った。
そして、ためらいがちに口に入れる。
苦味と鉄のような味が舌に広がった瞬間――
「う、ぐ……ッ!」
腹が熱を持つ。喉が焼けるように痛い。
次の瞬間、ハルトは地面に倒れ、激しく嘔吐した。
喉を裂くような咳。血が混じる。視界がぼやけ、世界が反転する。
手を伸ばす。何かを掴もうとするが、地面の土を虚しく掻くだけ。
「……あ、れ……なんで……」
そして――
彼は、死んだ。
――世界に、ノイズが走る。
砂嵐のような音。耳の奥で、ザザ……と擦れる音が響く。視界の端がぼやけ、色がにじみ、やがて真っ白に塗りつぶされた。
気がつくと、ハルトは再び草原に立っていた。
制服のまま。ポケットにはスマホと、クシャクシャになったガムの包み。
目の前には、どこまでも続く緑の草原。
風が吹いた。空を見上げると――またしても、巨大なドラゴンが空を横切っていく。
ハルトは3日間の記憶をなくした様に同じ言葉、同じ行動を取り始める。
二度目の転移。
彼はまた歩き、また森へ入り、そして……また、あのキノコの前に辿り着いた。
――三日目の夜。石碑の前。
そして、再び、食べた。
そして、また死んだ。
同じように、嘔吐し、吐血し、痙攣しながら地面に崩れ落ち――死んだ。
繰り返す。
三度目も。
四度目。
人の手で刻まれたような模様。まるで魔法陣のような不気味な紋様が、石の表面に刻まれていた。
「……なんだよ……こんなの……」
もう、どうでもよかった。
その石碑の根元。そこには、見覚えのあるキノコが生えていた。赤と白の、あの毒々しいやつだ。
飢餓からハルトにとってはそれでもご馳走に見えていた。
その時、魔法陣の石碑の横に小さな石碑を見つける。
石碑には文字が彫り込まれている様であった。
(文字......読めない......それに......もうそんな事はどうでもいい......)
ハルトはキノコに手を伸ばし口に入れる。
そして今までと同じ道のりを辿った。
そして――
五度目の夜。
ハルトは、ぼろぼろの足取りで、再びあの石碑の前に辿り着いた。
人の手で刻まれたような模様。まるで魔法陣のような不気味な紋様が、石の表面に刻まれていた。
「……なんだよ……こんなの……」
もう、どうでもよかった。
その石碑の根元。そこには、見覚えのあるキノコが生えていた。赤と白の、あの毒々しいやつだ。
ハルトは震える手を伸ばし、摘み取った。
キノコを口に運ぼうとした時、魔法陣の彫られた石碑の横に小さな石碑が建っていた。
「……ん?」
石碑の“隣”に、もう一つ、石碑が増えていた。
以前にはなかったはずのそれは、背の低い石の板で、粗く削られたような痕が残っていた。
そして、その表面には――
ハルトが手にしているキノコと酷似しているキノコの絵。そしてその上に、深々と刻まれた「×」印。
誰かが刻んだとしか思えないその印。
「……バツ印……?」
ハルトは手に持つ、例の赤と白のキノコを見た。
指先が、止まる。
「バツ......って事は、毒って事だよな......」
目の前のキノコ。もう飢え死にの寸前。だが、口に運ぶことができなかった。
ふらつきながら、その場に崩れ落ちる。
「は……はは……異世界転移されて......飢え死にかよ......」
口の端が、ひくりと笑みに歪んだ。
意識が遠のいていく。空が揺れる。
そのとき――
「……やっと来たのか」
低く、しゃがれた声がした。
「……?」
まぶたを半分だけ開いた視界に、ひとりの老人が立っていた。
その眼光だけは鋭く、何かを確かめるように、ハルトを見下ろしていた。
「いつか来ると信じていた。五十年......やっとだな......」
その言葉の意味を、ハルトはまだ知らなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。
次回もどうぞよろしくお願いします。




