第六話 謹慎【2/2】
翌日も、仮事務所に戻ってきたセオドアは、静かな室内に小さな声を聞いた。
「……んー……よっと……」
台に登りながら、フィオナが高い棚の上の書類を取ろうと手を伸ばしていた。
「フィオナさん、無理しないでください。僕が取ります」
「あっ……ごめん、つい。こういうの、体が勝手に動いちゃうのよね」
軽く舌を出して笑うフィオナを見て、セオドアもつられて笑った。
「それにしてもセオドアも身長が伸びてきたわね?初めて会った時は私より少し低いくらいだったのに........」
「成長期って奴ですかね?」
ごく自然なやりとりだった。それなのに、胸の奥が温かくなる。
「……こうしてると、なんだか不思議ですね」
「何が?」
「最初はパーティーでの行動もなれていなくて距離感がわからなかったんですが……今は、こんなに近くで笑い合ってる」
「そりゃあ……一緒にいろんなこと乗り越えてきたもん」
棚から降りてきたフィオナは、セオドアの隣に並び、ちょこんと腰をかけた。
沈黙が訪れる。しかし、それは気まずいものではなく、心地よい沈黙だった。
「……ねぇ、セオドア」
「はい?」
「謹慎が明けて落ち着いたらさ……ちょっと遠出しない? 山の方に、すごく綺麗な花畑があるって、昔聞いたことがあるの。まだ見たことなくて……」
セオドアは少し考えたあと、静かに頷いた。
「行きましょう。みんなで行けたら、もっといいかもしれませんね」
「……うん。けど.......」
「けど?」
「そ、その二人で.......行けたらいいかな.......」
その時、ふとフィオナがセオドアの手に自分の指先をそっと重ねた。
一瞬、心臓が跳ねた。
けれどそれは、冗談でも、衝動でもなかった。ただ、お互いが自然に近づいた距離。
「そう.......ですね.......」
「……ありがとう、セオドア。私、ちょっとだけ、救われてる」
セオドアは、握り返すことも、はねのけることもせず、ただ、その温度を感じていた。
ーーその時、不意に扉が開きノエルが入ってきた。
「いや〜忘れもの忘れもの.......」
ノエルは事務所に入るなり、手を繋いでいるセオドアとフィオナが目に入り、硬直する。
セオドアとフィオナは急いで距離を取り取りつろうような笑みを浮かべる。
「ノ、ノエル!?依頼はどうしたの!?」
「忘れ物ですか!?」
焦って取り繕うもノエルは目を丸くひん剥いて硬直している。
「ちょっとノエル!?」
「ふ、二人が......手、手を繋いでいた.......」
「ノエル!何を言ってるの!?見間違いよ見間違い!!私とセオドアが手を繋いでたなんてあるわけないでしょ!」
「ノエル......見た........!」
「見てない見てない!」
「みんなに知らせなきゃ......!」
ノエルはそう言うとえっさほいさと事務所から出ていく。
「ちょっと待ちなさいよ!ノエル!」
フィオナはノエルを捕まえに外まで駆け出して行った。
その夜、眠れぬままに書類を片付けていたセオドアは、ふと窓辺に目をやった。
星空の下、フィオナがひとり、外で空を眺めていた。
声はかけなかった。ただ、その姿を静かに見守った。
“何があっても、背中を預け合える仲間でいよう”。
その言葉が、胸の奥でゆっくりと繰り返される。
願わくば、この時間が繰り返されるのではなく、ずっと続きますように――
そんな祈りにも似た感情を、セオドアは胸の中に押し込めた。
セオドアの謹慎処分、フィオナの療養期間が明けた朝、アトラス商会の仮事務所には、久々に全員が顔を揃えていた。
空気はまだ少し緊張していた。だが、それは騒動の余波というより、これからの歩みに対する引き締まった空気――そんな雰囲気だった。
そこへ、勢いよく扉が開く。
「おはよう、みんな!」
声を張って現れたのはフィオナだった。
彼女はいつもの冒険装備に身を包み、髪を一つに束ね、背筋を伸ばしていた。その顔には、これまでになく凛とした表情が宿っている。
「おお、フィオナちゃん復活~!」
ノエルが手を振り、ドランが静かにうなずく。セオドアも小さく微笑み、フィオナの様子を見つめていた。
そしてマックスが帳簿を閉じ、椅子を引いて立ち上がる。
「復帰、心より歓迎いたします。……が、それと同時に、この数日であなた自身がどう整理し、どう前を向くのかをお聞かせ願いたいですね」
その言葉に、フィオナは真剣な眼差しで頷いた。
「わかってる。……だから、今日ここで、ちゃんと伝えさせて」
皆の視線が自然とフィオナに集まる。
彼女は一歩前に出て、堂々と胸を張った。
「今回の一件――ギルドで我を忘れて、暴力沙汰を起こした事。どんな理由があっても、私の行動がみんなに迷惑をかけたのは事実だと思ってる。……本当に、ごめんなさい」
深々と頭を下げた。しばしの沈黙。
フィオナはゆっくり顔を上げると、今度はまっすぐに皆を見渡して言葉を続けた。
「でもね、あの時どうしても許せなかったの。本気で、悔しかった。セオドアが、みんなが、命を削って書いてきた“冒険の書”を、あんな風に踏みにじられて……」
拳を握る。その目には涙こそなかったが、強い意志の火が宿っていた。
「私はこれから、もっと冷静に、でも芯を持って行動します。……そして“冒険の書”を、言葉じゃなくて行動で、守り抜きます。だって、それが私たちの希望だから!」
その言葉に、誰も何も言わなかった。否定も、茶化しも、呆れもなかった。
ただ、沈黙の中に信頼の色が満ちていった。
「……以上、私の反省と決意です!」
フィオナは再び頭を下げた。
やがて最初に口を開いたのはセリカだった。
「いやいやいや……かっこいいです、はい!」
ノエルがぱちぱちと拍手し、ドランが「悪くなかった」とぽつりと言った。
マックスは腕を組みながらも、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「復帰第一声としては十分でしょう。……本日の業務から、通常通り参加していただきます。まずは初心者講習の準備からですね、フィオナ氏」
「任せて!」
その声は、いつものフィオナ以上に晴れやかだった。
そして、セオドアと目が合う。
言葉はなかったが、頷きあった。
その頷きの中に、互いの信頼と、新たな覚悟が確かにあった。
フィオナの決意に場の空気が温まりはじめたその時、セオドアが一歩前に出た。
「僕からも、ひとつお話しさせてください」
その声に、皆の視線が彼へと向けられる。
セオドアはフィオナの隣に立ち、深く一礼した。
「今回、僕のとった行動は……たとえ仲間を守る為であったとしても、衝動に駆られてギルドの規律を破る結果となってしまいました。代表として、仲間を危険に巻き込んだ責任は、重く受け止めています」
静かな口調だったが、その言葉には確かな重みがあった。
「自分が掲げた冒険の書の知識を当たり前にすると言う目標。それを一時の怒りで傷つけてしまったのは、僕自身です。だから、僕もここで約束します」
真っ直ぐに、皆を見渡す。
「これから先、冷静に判断して行動します。どんな時も、冷静に、正しく、仲間と歩んでいけるように。……そして、誰よりも先に、僕が“冒険の書”の価値を体現できる存在になります」
その宣言に、短い沈黙があった。
だが、それは決して否定のものではなかった。
「セオドア君……うん、立派になったな〜」
ノエルがしみじみと呟く。ドランは静かに目を伏せ、小さく頷いた。
マックスは腕を組んだまま口角をわずかに上げる。
「……代表として、まずは及第点、というところですね。今後の行動で、その言葉の真価を示してください」
「はい、必ず」
セオドアは力強く返した。
こうして、アトラス商会は、それぞれが過ちと向き合い、新たな一歩を踏み出した。
「……さて、それでは“再始動”といきましょうか」
マックスの冷静な声に、場の空気が静かに動き始めた。
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