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 第五話 静寂と怒声【2/2】


「僕はタイムループしているんです」


 セリカも、マックスも、瞬き一つせずセオドアを見ていた。冗談には聞こえなかった。けれど、容易に受け入れられる言葉でもなかった。


「…………」


 先に動いたのは、マックスだった。


「確認させていただきますが……それは、“時間を遡って同じ時間をやり直している”という意味で間違いありませんか?」


「はい。僕だけが、記憶を持ったまま、過去に戻るんです。何が起きてるか分かりませんでした。けど、同じ出来事が繰り返されるうちに気が付きました」

 

「それはセオドア様の魔法であったり、スキルの様なものなのでしょうか?」


「いえ、僕の能力ではないと思います。村にいたエルダさんという魔法使いにも相談しましたが、僕には魔法や呪いの痕跡も見られないとの事でした」


「それはまた摩訶不思議ですね。起因となる事はわかっているのでしょうか?」

 

「僕もはっきりとわかっているわけではありません。けど......未来で、ある人物.......ハルトという少年がが死ぬこと。


もしくは、僕自身が死んだ時にそれを回避できると思われる時間まで遡ります」


 マックスの眉がわずかに動く。


「ほぅ......興味深いですね.......因果律……未来の少年の死によって過去に影響が及ぶ。まるで逆流する川のような……」


 その横でセリカがそっと息をついた。


「……そんな、まるで物語の中みたいな話、普通なら信じない。でも……」


 セリカは静かにセオドアを見つめた。


「さっきから、ずっと思ってた。“あぁ、これでやっと辻褄が合う”って」


「.......セリカさん」


「みなさんは冒険の書が後世に残るのは確定しているかの様に話す時があるんです。それはセオドア氏がタイムループしているのを知っていたからなんですね」


 フィオナとノエルが顔を見合わせた。


 セオドアは訂正する様に口を開いた。


「少し違います」


セオドアは一呼吸おいて、ゆっくりと語り出した。


「僕は……ウィンドミルに来た最初の一ヶ月を、何度も繰り返していました。


ベルゼルグというモンスターを倒せば、未来のハルトの命を救える


――そう信じて、何度も何度も死んでは挑戦を繰り返し


討伐に成功しました。


けれど……それでも、ループは終わらなかったんです」


 セリカが不安そうな表情を浮かべる。それに対してセオドアは穏やかな表情を浮かべた。


「そんな時、僕はフィオナさん達のパーティーに入り、ループで得た知識を冒険の書に記して未来のハルトに伝えることを決意したんです。


するとループを抜け出すことができたのです」


 セオドアの言葉にフィオナ達は静かに頷いた。


「つまり、冒険の書を作ることを決意した事が前回のループを抜け出す鍵だったんです」


「決意した事でループを抜け出せたという事は冒険の書が未来に存在する事は確定したというわけですね」


 マックスがセオドアに尋ねる。


「そういう事です。逆を言えば冒険の書作る事を諦めた場合、僕は再びあのループに囚われると思います」


「だからセオドア代表は冒険の書を作る事に関しては鬼気迫る思いであったと........そう言うわけですね?」


「はい」


「なるほどなるほど......」


 セオドアの告白のあと、応接室には重たい沈黙が落ちていた。


 静寂の中、誰よりもじっと俯いていたのは、セリカだった。


 マックスは眉間に指をあてながら、沈黙のまま何かを思考していた。


 対して、フィオナ、ノエル、ドランの三人は静かにそれぞれの表情を伏せ、言葉を発しない。


 ただ、改めて言葉にされた事実の重みに、息を呑んでいるだけだった。


「そんな事があったんだね........」


 最初に声を発したのはセリカだった。


 かすれた、押し殺したような声。


「ずっと……一人で……そんな……」


 肩が震えていた。彼女は静かに、でも明確に、涙を流し始めていた。


「何度も死んで……繰り返して……それでも諦めずに……そんなの、つらすぎるに決まってるじゃないですか……!」


 フィオナとノエルがセリカの肩にそっと手を乗せる。


「すいません。こんな突拍子もない話ですから。いつかは話そうと思っていましたが........」


「信じます......今は……全部、繋がった気がしました......」


 セリカはしゃくり上げながらも、涙を拭おうとしない。


「セオドア氏が、どうしてあそこまで必死だったのか……全部わかりました。私、何も知らずに……」


 ノエルがそっとハンカチをセリカに差し出す。


 セリカは思いっきり鼻水を噛む。


「ありがとうございます......ノエル氏」


 ぐちゃぐちゃになったハンカチをノエルに返すとノエルは目を丸くして受け取った。


 セリカが落ち着きを取り戻すとマックスがゆっくりと口を開いた。


 「……情報、確認しました。仮定に基づくにせよ、行動と結果に一貫性があります」


 彼は手帳に数行、何かを走り書きしながら言葉を続けた。


「“タイムループ”という非合理の現象を前提に考えた場合、セオドア代表がここまでの情報を持ち、かつ現実に一致した行動結果を残しているのは――十分に“整合的”です」


 その目は冷静だったが、否定ではなかった。むしろ、目の奥には理解と敬意が宿っていた。


「信憑性は高いと判断します。よって私はこの“仮定”を共有し、今後の計画に反映させます」


 マックスはぴたりと筆を止めると、静かに付け加えた。


 セオドアはゆっくりと息を吐きながら、セリカとマックスの方を見つめた。


「……ありがとうございます。セリカさん。マックスさん信じて頂いて......」


 セリカは、うつむいたまま、小さく頷いた。



 セリカの涙がようやく落ち着いた頃、応接室には静かな空気が戻っていた。


 その中で、マックスが背筋を正し、テーブルの資料を整え直すと、口を開いた。


「……それでは、事実の確認と今後の方針を提示いたします」


 淡々とした声音だったが、その瞳には明確な意志が宿っていた。


「まず前提として、セオドア代表の“タイムループ”という現象――これは通常の商業判断には含まれません。しかし、私たちは今、それを“事実”として共有しました」


 全員が無言で頷いた。


 マックスは続ける。


「そしてこの情報から、重要な指針が一つ得られます。“冒険の書”の作成と普及は、単なる出版活動ではなく――歴史そのものを変える“分岐点である、ということです」


 視線がセオドアに向けられる。セオドアは小さく頷いた。


 マックスは手元の帳簿と資料を素早く確認し、数枚を卓上に並べた。


「現状、我々アトラス商会はギルド内において少数派です。特に高ランクの古参冒険者による反対派からの妨害は、組織的かつ常習性があります」


 マックスはクレームの数々が記された羊皮紙をペラペラと手もに持った。


「そのうえで、今後“冒険の書”をさらに広める場合、衝突は避けられません」


 ノエルが不安げに眉をひそめる。


 「……喧嘩するの?」


 マックスは首を横に振った。


 「いいえ。むしろ、ここからが“商い”の本領です」


 静かに、だが力強く言い切る。


「私は反対派を“論破”するつもりはありません。意見が異なる者と正面から戦っても、感情の炎は燃え上がるばかりです」


「では、どうするか?」


 マックスは一枚の紙を高く掲げた。そこには、ギルド内の初級~中級冒険者の名簿と簡易アンケートの結果が並んでいた。


「――取り込むのです。こちらに可能性を感じている中間層を」


「取り込む.......」


「はい。今現在冒険の書の初心者編は駆け出し冒険者の殆どに支持されています。


となればその次......中堅ランクの冒険者の中には、冒険の書を必要としている者が確実に存在します。


主に冒険者ギルドの構成は初心者2割、中級者が5割.......初心者より数は多い。彼らの信頼を得ることで、私たちの正当性を“成果”で証明できます」


「要するに……支持層を育てて、反対派の立場を相対的に弱めるってこと?」


 フィオナが鋭く聞き返す。


「ご明察です。つまりこれは、商業で言うところの――“市場獲得”です」


 マックスは新たに一枚の紙を取り出した。


「第一段階として、“成果を見せる”ことに注力します。具体的には以下の方針です」


 彼の指が、三つの項目を示した。


「まず一つ。中堅冒険者向けに中級編の制作を継続。実戦向けの実用情報に特化した情報を販売することで現場での有用性を周知することを狙います」


「ギルドの過半数は中級者ですからね」


「はい、その通りです」


「次に二つ目。

新人冒険者向けに実地講習の開催です。


セオドア代表およびフィオナ氏らブックマン実働部隊によるモンスター討伐の実地講習を行っていただきます。月に一度ほどで良いのですが」


「モニターの様なことですか?」


「いえ、今回の目的は冒険の書の有用性を証明するにあらずです」


「じゃあなんでやる必要があるの?新人君達は既に冒険の書がすごいってのは分かってもらえているのに」


 ノエルが首を傾げる。


「ノエル雑用。人からの信用というものは時限付きなのです。


次の冒険の書.....つまり、中級者編を販売するまでにはまだ時間がかかります。


その間に今のお得意先である新人冒険者達がアトラス商会への興味を持続させる事を目的とするのです」


「そこまで人の信用についてわかっていながら、よくもまぁ毒舌を吐けるわね」


「私は実績で信用を勝ち取る性分ですので」


「できるだけ新人職員からブックメーカー……アトラス商会の興味を引いて置くという事ですね」


 セリカが少し身を乗り出して確認すると、マックスは頷いてから紙の端を整えた。


「その通りです。続けます」


 空気にわずかな緊張が戻る。


「3つ目はここ…….アトラス商会の事務所を退去します」


 一瞬、時が止まったようだった。


「…….!」


「は?」


「え?」


「ふぇ?」


「いやいやいやいや……!」


 皆が揃って声を上げる。あまりに唐突な提案に、応接室が一気にざわついた。


「なんでですか!?みんなで四苦八苦しながらもやってきた事務所ですよ!?」


 セオドアが思わず立ち上がる。


「なんでなんで〜?」


 ノエルが口を尖らせながらマックスを指差す。


 マックスは冷静に説明する。


「現在、冒険の書の反対派閥からの嫌がらせが表面化してきております。これから更にエスカレートしてくる可能性が考えられ流でしょう。


荷物の積み下ろしを妨害されたり、最悪事務所に火をつけられた日には.......


皆様が死に物狂いで集めてこられた情報を消失する事だってありうるのです」


 その言葉に、一瞬、誰も返せなかった。セオドアも小さく息を呑む。


「ガストンみたいな連中でも流石にそこまではしないでしょ?」


 フィオナが疑うように問い返すが、マックスの表情は崩れない。


「さぁどうでしょうね?セオドア代表。アトラス商会の事務所の場所は誰かに教えましたでしょうか?」


 マックスはセオドアに尋ねる。セオドアは考え込む様に顎に手を置く。


「ここにいるみんなや取引先、あと冒険者ギルドに商業ギルド........秘密にしていたわけではないので、誰しも知ろうと思えば......」


 セオドアが少し戸惑いながら答えると、マックスは淡々と結論を告げた。


「では反対派閥の方々に場所を十中八九知られていると見ていいでしょう」


 沈黙が再び、応接室に落ちた。


 選択の余地は、なかった。



 ――アトラス商会は、一時的にその拠点を手放す決断を下した。


 退去の準備は静かに、だが着実に進められた。


 表向きには“書庫の改修”“流通経路の見直し”と理由づけ、近隣には告知も出した。だがその裏では――。


「マックスさん、これ……いったいどこまで想定してたんですか」


 セオドアは、夜のギルド裏路地で交渉中のマックスに声をかけた。


「最悪の事態は、常に三手先まで読んでおくのが常識です」


 そう答えたマックスの手には、移転先の鍵束が握られていた。


 新たな拠点は、ギルドから徒歩十五分、丘の中腹にある古びた屋敷の一角。


 「書庫」として登録された建物だったが、構造はしっかりしており、地下には倉庫スペースもあった。光も入りづらく、人目にもつきにくい。


「すごい……こんな場所、どうやって見つけたの……」


 ノエルが呆気にとられる横で、セリカは壁をコンコンと叩いて感触を確かめていた。


「雨漏りもなさそう……図鑑の在庫、ここなら安心ね」


「設備は必要最低限に抑えてあります。今は、目立たないが最優先ですので」


 マックスが淡々と言い添える。


 荷物は一度に動かさず、数日に分け、複数ルートで“ばらけて”運ばれた。セリカの書類類、印刷資材、帳簿の束、冒険の書の在庫――。


 「本だけは、傷つけられないからね」


 ノエルが手元の箱をそっと抱きしめながら呟いた。


「まるで……潜伏拠点だな」


 ドランのその言葉に、誰も否定しなかった。



 事務所を移してから程なくして事件は起こった。


 ギルドの空気は、午後の陽射しよりも重かった。


 ウィンドミルのギルドロビー。フィオナ、ドラン、ノエル、そしてセオドアの四人は、納品と依頼調整のために立ち寄っていた。普段通りの業務――になるはずだった。


 しかし。


「……あんた、何してんのよ」


 フィオナの声が、低く、冷たく響いた。


 ギルドの一角、書棚に設けられた《冒険の書》の設置コーナー。


 そこに立っていたのは、反対派の中心格――ガストンだった。


 彼の手には、破られかけた表紙の《冒険の書・初心者編》。そしてその足元には、無造作に踏みにじられた数冊の本が、ぐしゃぐしゃになって転がっていた。


「なんだ、見てたのか。ちょうど掃除してやってたところだ」


 ガストンは悪びれもせず、破られた本の表紙を足で押しのける。


「……その足、どかしなさいよ」


 フィオナの声が一段階低くなる。


 ノエルが慌てて後ろから制止しようとする。


「フィオナちゃん!落ち着いて!」


 ノエルの制止は間に合わず、フィオナはガストンに向かって飛びかかっていた。


「どかせって言ってるのよ!!」


 フィオナがガストンの胸倉を掴み、そのまま壁際に押しつける。


「何様のつもりよ、あんた!私たちが!セオドアがどんな思いでそれを......!!」


「てめぇこそ、勘違いも大概にしろよ、ガキが……!」


 ガストンの拳が、ぶん、と横から振るわれた。


 ドゴッ――!


 フィオナの身体がよろめき、壁に叩きつけられる。


 「フィオナ!!」


 ノエルの悲鳴と同時に、セオドアが駆け出していた。


 その瞳は灰色に染まり、思考を超えた衝動がすでに身体を動かしていた。


「……よくも……!」


 セオドアの拳が、ガストンの顎を打ち抜く。


 ガストンの身体が吹き飛び、書棚の角に激突した。セオドアはそのまま倒れた彼に、ぬらりと歩み寄る。


「この野郎っ......!」


 反撃に出ようとしたガストンをセオドアが首を掴み更に壁に強く押し付け、ガストンの首を絞めていく。


 ガストンが手で振り解こうとするも、セオドアはガストンの手を力強く踏みつけ動きを封じる。


 騒然とするギルドロビー。周囲にいた冒険者たちがざわめき、一部は距離を取り、一部は面白がるように近づいてきた。


 「やめろ!セオドア――!」


 ドランがセオドアの身体を抑えようとするも、セオドアの身体はびくともしなかった。セオドアはドランの制止にも応答する様子はなく、灰色の瞳でガストンを見つめている。


「な.......!」


 セオドアのあまりの膂力に、ドランが驚愕の声を漏らした。


 フィオナを抱え上げるノエルが悲鳴にも似た声でドランを呼びかける。


「ドラン!早くセオドア君を止めて!」


「やってる......!びくともしない.......!」


 ガストンの口元には泡が浮かび、意識が薄れていくのが見て取れた。


 しかし、セオドアはその手を緩める事なく、ただただ灰色の目で力を込め続ける。



 ――その瞬間、間に割って入ったのは、ギルド長・グレッグだった。



「そこまでだ!!!!」



 セオドアの肩をガシリと掴み、力で無理やりに地面に押さえ込む。周囲にはすでに数人のギルド職員も集まりつつあった。


「全員、その場から動くな!これは……ギルド内での私闘と見なす!」


 その宣言とともに、ロビーの空気は完全に凍りついた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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次回もどうぞよろしくお願いします。

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