第四話 アトラス商会【1/2】
商会の会議室に広げられた机の上には、マックスが用意した分厚い資料の束が整然と並べられていた。
罫線がびっしり詰まった帳票、日程表、組織図、流通計画書。ひと目で「本気の商売」だと分かる内容だった。
マックスは立ったまま、ページを一枚めくりながら淡々と話を続ける。
「さて、まず初めにアトラス商会の現在の問題点を役割別に整理します」
彼は黒板に《制作》《記録》《販売》《管理》と書き、それぞれの担当名を付け加えた。
「現在、記録者である《ブックメーカー》の皆さまが、《制作》《記録》《管理》を兼ねています。《販売》に関しては冒険者ギルドに卸している状況ですね。これが全ての混乱の元凶です」
「元凶て……」
ノエルが苦笑するが、マックスは動じない。
「今後は、セオドア様を代表とする“記録専門部門”と、私が統括する“商業部門”に完全に分離します。では、各人の役割を再確認しておきましょう」
マックスは資料の束から一枚抜き出し、それをセオドアの前に置く。
「セオドア代表:記録責任者兼、情報設計アドバイザー。直接執筆はしていただきますが、出版や販売には関与しないでください、邪魔ですので」
「……じゃ、邪魔......」
「フィオナ様:現場管理担当。冒険者業を通してモンスターの情報を集めてくるのがお仕事です。現場の安全管理もあなたに一任します。血気盛んなところを見るに戦闘も強そうですしね」
「なんか褒められてる気がしないんだけど」
「当然です。褒めてませんから」
「……はあ?」
「ドラン様:貴方はフィオナ様の指揮の元で現場での戦闘要員として同じく情報を集めてきてください」
ドランは静かに頷いた。
「ノエル様:貴方はフィオナ様、ドラン様の後方支援。これまた、現場要員です。あと気が向いたら雑用もお願いしますのでそのつもりで」
「え〜!? なんか私だけ明らかに雑じゃない!?」
「得意分野に応じた適材適所というやつです。期待していますよ」
「期待されちゃった!」
「セリカ様は、素材監修・図鑑部門責任者に任命いたします。主に植物や鉱物の監修に専念してください。図鑑系は商会でも冒険の書同様商品としての価値が見込まれますので」
「……図鑑!ついに私の図鑑が........!」
セリカはどこか誇らしげに背筋を伸ばした。
マックスは、改めて全員を見渡すと、口元だけで小さく笑った。
「以上が、今後の役割分担と方針です。“現場で価値ある情報を集める人々”と、“それを社会に届ける仕組みを整える人々”が、互いに干渉せず、協力し合う。――それが......」
「却下よ」
唐突にフィオナがマックスの話を遮った。
「はい?」
「アンタ勘違いしているみたいだけど。ブックメーカーの中で一番強いのはセオドアよ。セオドアが討伐に出ないのは論外よ」
マックスは少し驚いた様に目を見開かせる。
「セオドア様が......一番強い......?」
マックスはセオドアの方をチラリと確認する。
「この冒険の書の根幹はセオドアが強いからあんなに詳細に情報を集めてこれていたからなの」
「そうでしたか......てっきり、非戦闘員の文学少年かと思っていましたがなるほどなるほど.....」
「そんな感じに見えましたか......」
「……あの詳細な記録はあなたが........観察の鋭さと記録の精度、それが実戦でも発揮されていると」
「まぁ、そうですね......」
「……予想外でしたが、合理的理由がある以上、再考に値します」
マックスは頷き、机の上の資料を床に放り投げ、新しい羊皮紙に何やら素早く書き込んでいく。
「では、代表の現場継続を前提に修正します。その代わり、足りない人的リソースは……外部から雇用しましょう。
製本スタッフ、帳簿係、伝令役……初期人員は私が手配します」
「雇うって……そんな余裕、あるの?」
「借金に決まっています。将来のリターンに比べれば微々たるものですが、失敗すれば一生引きずる額なので皆様気を引き締めておいて下さい」
マックスが軽く笑う。みんなはそんなマックスに微笑にごくりと生唾を飲み込む。
「……最初にセオドア様について仰っていただければ、話はもっとスムーズだったのですが」
「最初にあんたが喧嘩腰だったからでしょ」
「それは申し訳ございません。私は根っからの商人気質ですから、口だけは達者でしてね」
セオドアは、ふと仲間たちを見渡す。
疲れは残っている。けれど今、この場には、新しい風が吹いていた。整理され、言葉になった未来の形が、今ようやく“見えてきた”のだ。
「……マックスさん。本当に、ありがとうございます」
「礼は結構です。結果が出るまでは、信頼も評価も保留いたします」
マックスは淡々と返す。
「……ただ、“やる気”だけは見せてください。そうでないと、私がやる気を失いますので」
その一言に、思わず笑いがこぼれた。
こうして、アトラス商会は新たな布陣のもと、本格的な“商い”としての第一歩を踏み出すことになる。
アトラス商会が“地獄の再編”を終えて数日――。
セオドアたち《ブックメーカー》は、かつての疲労が嘘のように、再び冒険者業へと舞い戻っていた。
それぞれの役割が明確になったことで、連携はより洗練され、討伐依頼もまるで水を得た魚のように進んだ。
「皆さん!ドランさんの後ろへ!ノエルさん、目眩ましを!僕とフィオナさんで回り込みます!」
「了解〜!光の精霊よ、目を眩ませたまえ〜!」
ノエルの精霊魔法が眩い光を放つ。セオドアとフィオナは、ドランの大楯の影に隠れながらタイミングを見計らう。
閃光が消えかけた刹那、ドランが低く号令を飛ばす。
「……今だ」
その声に合わせ、セオドアとフィオナが左右から飛び出す。
フィオナはすかさず矢を連射し、モンスターの動きを牽制。
怯んだモンスターが怒りの視線を彼女に向けた、その背後――
「今だッ!」
セオドアが渾身の力で斧を振るう。刃はモンスターの背を叩きつけたが、一撃では倒れない。
「さすがシルバーランク帯……!でも、ベルセルグよりは――」
(……弱い。そして、僕は一人じゃない)
怯んだ隙を見逃さず、再度斧を振るう。フィオナとノエルの援護がそれを補完し、攻撃の流れを止めない。
だが、モンスターも反撃に出た。唸りと共に、尾が横なぎに迫る。
「危ない!」
ドランが盾を構え、セオドアの前に立ちはだかる。
「ドランさん……!」
「構うな……!」
「……はい!」
敵の挙動を観察し、弱点を見極めろ――。
セオドアは歯を食いしばりながら、再び斧を構える。
この一撃一撃が、未来へとつながる情報になる。
情報は命を救う。仲間の命も、まだ見ぬ誰かの命も。
再び振るわれた斧が、モンスターの咆哮を切り裂いた――。
ギルドの一室。アトラス商会の事務所では――。
マックスが指を鳴らすと、書類を抱えた新人スタッフたちが次々に出入りする。
製本スタッフ、帳簿係、配送管理。すべての歯車が、正確に、滑らかに噛み合っていた。
「納品ルートBは街道沿いの宿場町経由に変更。天候悪化に備えて、二次ルートも同時に整備を」
「は、はいっ!」
最初はマックスの指示に気圧されていたスタッフたちも、今や彼の“合理性”と“実行力”を信頼し始めていた。
ミスを叱ることはあっても、無意味に責めることはない。理不尽がないという信頼は、やがて心を動かす。
マックスは帳簿を閉じ、ふと机の上に置かれた《冒険の書・初心者編》に手を伸ばす。
手作業で綴られたその本には、戦場で命を削って得た知識の重みが宿っていた。
「……やはり、素材は悪くないんですよ......うまく加工すれば、必ず売れる......」
彼の口元に、ほんの少しだけ柔らかな笑みが浮かんだ。
最初は“手作りの素人本”と高をくくっていた。だが今ではやがては大きな富をもたらす価値のあるものとして見ていた。
現場で命を賭して記録する者と、それを社会に流通させる者。
ふたつの歯車は、ようやく噛み合い始めていた。
ウィンドミルの午後。アトラス商会の事務所に、上質なブーツの音がコツコツと響いた。
現れたのは、あの人物だった。
「――ごきげんよう。アトラス商会の皆さま」
商業ギルド監査室・ベアトリスが、再びこの地を訪れたのだ。
「以前より……幾分、整理されてきましたね」
マックスがすかさず出迎える。
「ようこそ、ベアトリス様。お待ちしておりました」
「マックス......今回は追い出されずに済んだ様ね」
「えぇ、皆さんお優しい方ですね.......」
「ふむ……」
ベアトリスの視線が、次々に入れ替わるスタッフ、整頓された帳簿、流通計画の書類、そして――デスクに山積みとなった冒険の書・初心者編 第二版に移る。
手に取った一冊を静かに開く。目を滑らせる速度は以前と変わらず、だが、その表情は明らかに変化していた。
「……余白の取り方、改善されてるわね。図解の精度も高くなっている」
「セリカ様の監修と、編集側の調整の成果です。全体の統一感を持たせつつ、情報の重複を削りました」
「構成は……前よりも“読ませる”流れになっている。単なるマニュアルではなく、“手に取る者の目線”に立っている」
ふと、視線を横に逸らし、ベアトリスはセオドアを見る。
「――あなた、どこでこんな編集センスを?」
「いえ……僕は、現場で記録しただけです。これは、マックスさんが再編してくれた成果です」
セオドアが言うと、マックスはすっと一礼した。
「彼らの記録は、極めて優秀です。“生きた情報”を我々が製品として仕立てた。それだけの話です」
「……ふん」
ベアトリスは静かに本を閉じた。
そして、しばしの沈黙の後、彼女はようやく口を開いた。
「――正式支援の検討に入ります」
「!」
事務所に緊張と歓喜が同時に走る。
「ただし、驕らぬこと、評価は一過性です。市場の声は移ろいやすく、商品価値は時と共に風化します」
ベアトリスはセオドアに近づき、ゆっくりと書類を手渡した。
「アトラス商会。あなたたちは“理想”に手を伸ばし続けている。それを“現実”として形にし始めたこと、認めましょう。次は――“維持する覚悟”を見せてください」
「……はい!」
セオドアは深く頭を下げ、仲間たちもその後に続いた。
そして去り際、ベアトリスは最後にこう呟いた。
「……マックス、まさか貴方がここまでやるとはね。少し見直したわ」
「お褒めに預かり光栄です。ですが.......これからしばらく面白くなりそうですね.......」
「面白い......?」
「えぇ.....ベアトリス様もお帰りの際はくれぐれもお気をつけくださいませ......」
マックスの口元に、皮肉のない笑みが浮かんだ。
予想が的中し、アトラス商会の周りに不穏な影が静かに着実に忍び寄っていた。
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