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  第二話 採取の要【3/3】


 昼食をとりながら、セリカは久しぶりのまともな食事にほっとした表情を浮かべた。聞けば、この数日間、彼女は苔を食べて凌いでいたらしい。


 その横で、セオドアはスワンプファングの死体を観察しながら、手帳を広げ、筋肉のつき方や骨の構造、顎の形状などを細かくスケッチしていた。


「……あなたがそれを?」


 ふと横から声がかかる。セオドアが顔を上げると、そこにはセリカがいた。


 その目は、今までとは違う色を宿していた。


「セリカさん……はい、そうです」


「冒険者が情報を大事にするのは知ってますけど……み、見せていただけませんか? あ、その、強制じゃなくて!」


「どうぞ」


 セオドアは素直に手帳を差し出す。


 セリカは、指先で丁寧にページをめくりながら、息を呑んだ。


「“顎骨に対する咬合圧の差異”、……“通常個体と比較した場合、骨格比が一割大きい”……こんなの、どうやって……?」


「まぁ、僕はちょっと特殊な環境にいたもので……」


 セオドアは照れくさそうに頬をかいた。だがその横顔を、セリカはじっと見つめていた。


 目の前の青年は、素材ではなく、“命のために記録する者”だった。


 ページを閉じ、彼女は少し間を置いてからそっと言った。


「……見せていただいて、ありがとうございます」


「いえ。こちらこそ」


「よ、よかったら……私の手帳も……お返しに、見てみますか?」


「え?いいんですか?」


「あなたのを見て、自分のを見せないなんて……不公平じゃないですか」


 セオドアは、ゆっくりと微笑んだ。


「……ありがとうございます。では、見させてもらいますね」


 セリカは照れたように差し出すと、セオドアはそっと両手でそれを受け取った。


 手帳を開いた瞬間、セオドアは思わず息をのんだ。


 そこにあったのは、素材の名称と特徴、採取場所、気候条件、保存法、用途――あらゆる情報がびっしりと記されたページの数々だった。


 文字は小さく整っており、各ページには繊細な筆致で描かれた植物や鉱石のスケッチが添えられている。


 中には断面図や成長過程の比較図、季節ごとの色合いの違いまで克明に描き分けられたものもある。


 その密度、そして愛情のこもった描写に、セオドアはただ圧倒されていた。


「……すごい。これ、全部……ひとりで?」


「はい。長い時間をかけて、少しずつ。あちこちの湿地や山や洞窟を回って、現地で観察して……。あくまで自己満足ですけど」


 セリカの言葉は謙遜だったが、その内容は、セオドアの目から見ても明らかに“個人の趣味”を超えていた。


 知識の深さ。記述の正確さ。そしてなにより――素材一つ一つに向けた、限りない情熱。


 セオドアはページをめくる手を止め、感嘆の息を漏らしながらセリカの方を振り返った。


「……図鑑を作ってるって言っていましたが、本当に図鑑ですね!いや、世に出回ってる図鑑じゃ、こんなにも詳細な情報は載っていないですよ!」


 その言葉に、セリカはわずかに頬を染め、照れたように鼻先をかく。


「ほ、褒めてくれてありがとうございます。でも、それは……ただのメモ書きです。ほんとに。図鑑は、家に数冊……作りかけのが積んであるくらいで……」


「このレベルを、何冊も?」


 セオドアは驚きで目を丸くし、再びノートに目を落とした。


 次のページには、くるんと丸まった小さな花のスケッチが描かれていた。『テンテン花』――その名はセオドアも知っている。


「テンテン花!毒の花として有名ですけど……食用にできるんですか?」


「はい!テンテン花は毒があるってよく言われてますが、実は毒があるのは花弁の部分だけなんです!」


 セリカの声に熱がこもる。


「なんとか食べられないかと思って、花びら以外の部分を色々試してみたんです。


そしたら、茎と根っこには毒がなかったんですよ!


しかも茎の部分と根っこにはでんぷんが多くて、噛むとパンみたいにほんのり甘い!」


 誇らしげに語るセリカを見て、セオドアは驚きを隠せない。


「……試すって……まさか、自分で食べたんですか?」


「当たり前です!」


 セリカは胸を張って答える。


「記録者が食べてみないと、味も、毒の効き具合も正確には記録できないじゃないですか!


食感、匂い、後味、時間経過による変化――全部、自分で確かめてこそ本物の記録なんです!」


 その言葉に、セオドアの口元が思わずほころぶ。


 無謀だ。でも、だからこそ、心が震える。


「……よくやりますね……!」


「いやいやいや!セオドアさんこそ、自分でモンスターを倒して、危険な目に遭いながら記録を残してるんでしょう?それとおんなじです!」


 記録のためならば、多少の危険も厭わない。相手に見せるためではなく、自分の目で見て、自分の言葉で残す。


 二人の間に、確かに“記録者”という絆が生まれていた。


 セオドアはゆっくりと頷いた。


「……そうですね。誰かが知ってるから、じゃなくて。自分で見たこと、自分で感じたことを記録するとなんだか達成感がありますよね?」


「そう!そうなんです!」


 セリカがパッと笑顔を浮かべた。初めて見せた、心からの笑みだった。


「セリカさんはなんで素材研究を?」


「研究......って程ではないのですが、昔いくあてがなく冒険者登録をしたのは良いものの、モンスターと戦う勇気も湧かず、採取系の依頼を始めたんです。収集するうちに素材に興味が湧き出て来てしまって、はい」


 セリカは意気揚々とそう話すも段々と語気が弱くなっていく。


「素材採取に明け暮れていたら、こうなってしまいました......ギルドは臆病者や、変人と蔑まれますし.......」


「僕も似た様なもんです。倒さなきゃいないモンスターがいたんです。


その為にいろんなモンスターを何度も何度も倒している内に記録も気が付けばこんなにもなっていましたからね」


「セオドア氏はなんで冒険の書を作成しているんですか?」


「そうですね……僕も最初は自分の為に書いていたんです」


 セオドアは、静かに手帳を撫でた。


「誰かに教えるためじゃなくて、自分が何を見たのか、何を間違えたのか、それを忘れないようにするために。死なないために、ただそれだけの目的で始めたんです」


 セリカは静かに耳を傾けていた。


「でも……ある時、フィオナさんに気付かせて貰ったんです。この記録が、自分の命だけじゃなく、誰かの命も救えるかもしれないって」


 その言葉に、セリカの表情がわずかに揺れた。


「死ななくていい誰かが、無知のせいで死なない様に、だから……“誰かのため”に記録を書くようになったんです」


「…………」


 セリカは俯きながら、自分のノートを撫でた。


 その指先は、まるでそこに込められた全ての時間を思い出すように、丁寧で、優しかった。


「……誰かのため、か」


「セリカさんがやってきたことは、僕たちとは違うやり方だったかもしれません。でも、記録にかける熱意は、同じだと思います」


 セリカは黙ったまま、ぴくりと肩を揺らした。


「もしも……セリカさんがこれまで好きで集めて来た記録が、誰かを守るために繋がるなら......」


 沈黙が落ちる。


 風が、沼地の上をそよぎ、苔の匂いが一瞬だけ、柔らかく鼻をかすめた。


「……私は、誰かを守れるような立派な人間じゃないですよ」


 ぽつりとセリカが呟く。けれど、その声は、どこか揺れていた。


「ただ、好きなものを集めて、眺めて、満足してるだけで。私なんかが関わって、何か変えられるとも思えませんし……」


「でも、“好き”だからこそ、続けられるんですよね?」


 セオドアのその一言に、セリカの目がわずかに見開かれた。


「好きで続けてきたその記録が、誰かを救うかもしれないんです。だから、僕は、あなたのその好きなものを後世に残したい」


「…………」


 長い沈黙のあと、セリカはそっと口を開いた。


「冒険の書を.......本を作るのなら、今後は他の本も作ったりするの?」


「はい。僕が出版する為の商会を設立する予定です。冒険の書は今は初心者向けですが、


いずれは中級者用、上級者用を作れたらいいと考えています」


「私の情報が役に立ったらで良いのだけど.......私が集めた情報を図鑑として出してもらえたりしないかな.......」


「勿論です!セリカさんの植物図鑑や鉱石図鑑!どれも後世に残さないといけない、多くの人に見てもらう価値があります!」


 セオドアはにこりと笑った。


 セリカの頬がほんのり赤くなる。


「……それ、契約書に書いてもらってもいいですか?」


「いくらでも」


 セリカはくすりと笑った。


「……じゃあ、協力させてください。私の“好き”を、未来に残すために」


 その一言に、セオドアは深く頷いた。


 セリカの言葉に、フィオナとノエルが歓喜の声を上げた。


「よっしゃー!これで『ブックメーカー』に採取担当正式加入だー!」


 ノエルが満面の笑みで親指を立てる。その隣でドランは、いつもの無表情で黙ってうなずいた。


「……あの、先ほどはすいませんでした。よろしくお願いします。私なんかで役に立てるなら、がんばってみますので……はい」


「もちろん、こちらこそ!」


 セオドアは嬉しそうに頷いた。


 夕暮れが、湿地の木々の間から金色の光をこぼしていた。


 泥と風にまみれた一日の終わりに、小さな火が灯ったような、静かな温もり。


 これでまた一歩、「冒険の書」は進化する。


 命をつなぎ、未来へ記すために――新たな仲間を得た《ブックメーカー》は、ゆっくりと帰路についた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。

次回もどうぞよろしくお願いします。

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