第三話 商業ギルドへ【1/2】
朝焼けがまだ空の端に残る頃。ウィンドミルの冒険者ギルド裏手、まだ人気の少ない訓練広場に、ふたりの少年の息づかいが静かに響いていた。
「……いっち、に……さんっ、し……!」
地面に両手をつき、一定のリズムで体を上下させるセオドアの横で、同じく腕立て伏せをしているのは、少し年下の少年――リオだった。
「くっ……ぜったい負けるかよ!セオドア……!」
「リオ君......今日も気合い......入ってますね......」
セオドアは汗をかきながらも、どこか余裕のある声で返す。リオは肩を怒らせながらも、その言葉にかすかに笑みを浮かべた。
二人は続けて腹筋に移る。
腕を組んだまま、息を合わせるように体を折り曲げ、地面から顔を上げるたびに視線が交差する。競い合っているようでいて、呼吸はどこか重なっていた。
「なんでっ.....毎日トレーニング.......してんだよ!暇かよ!」
「言ったじゃないですか......僕は弱いんです......」
「セオドアが毎日やってたら、俺が追いつけないだろ......!ずっと......休んどけよ......!」
「無茶言わないでください......」
「くっそー!セオドアが依頼に出てる間もやってやるよー!」
「いい心意気ですけど......無理しないでくださいね.....」
ふたりの声が、朝靄に溶けていく。
東の空が、淡く光を増していく中、今日もまた、それぞれの目的に向けた一日が始まろうとしていた。
朝の光が差し込むギルドの一室。そこに、紙の束を大切そうに抱きしめていたセオドアがいた。
セオドアの腕の中には、厚手の羊皮紙に印刷された一冊の本――《冒険の書・初心者編》がある。
討伐依頼の成功率を上げ、新人冒険者達の死を無茶な依頼をなくす為に仲間たちと共に試行錯誤し、心血を注いで作り上げたものだった。
勿論フィオナ、ノエル、ドランはセオドアの命を救う為、未来のハルトを救う為に心血注いでくれている。
完成までの道のりは平坦ではなかった。特に、セリカが加わってからは――。
『この草は比較的にどこの地域でも生えていて食べれるので入れておきましょう。どうやっても味は不味いですが、背に腹は変えられぬですからね!あぁそれとこれも必要だと思います。薬草なんですが、月に一度は薬屋が依頼を出すのでこれと....あぁあとこれはーー』
思い出しただけでノエルが頭をパンクさせる。
「でもさぁ、セリカちゃんがあれもこれもって情報詰め込みたがるから、整理するの大変だったよね~」
ノエルが出来上がった本をパラパラとめくりながら、呆れたように、それでいてどこか楽しげに笑った。
素材への愛が過ぎるセリカは、記載する情報を削ることを極端に嫌がった。どんな小さな特性でも、記録しておかないと後悔する、というのが彼女の持論だったのだ。
「……でも、それで本当によかったと思う」
セオドアが静かに言うと、隣にいたフィオナがわずかに眉を動かした。
彼女は今、窓辺の椅子に腰かけて、ぼんやりと外の通りを見ている。
このところ、フィオナの口数が減っていた。
セリカが仲間になってからというもの、セオドアは何度も彼女の家に通い、素材の瓶や手作りの図鑑に見入っていた。
セリカもまた、セオドアを“記録者仲間”として特別視している様子で、時には寝る間を惜しんでまで情報交換をしていた。
そんな二人の姿を見て、フィオナの胸には、小さな棘が刺さったままだった。
自分でも、その正体が何なのかはっきりとは分からない。ただ、何かが引っかかっていた。
それに追い打ちをかけるように、最近ギルド内での空気が微妙に変化していた。
中堅冒険者たちの一部が、視線だけでなく、あからさまな嫌味を口にするようになってきている。
「昨日もガストンが新人冒険者から冒険の書を取り上げたりしてて大変だったわ」
「そんな事があったんですか?」
「紙きれ呼ばわりしていたから私もちょっと熱くなっちゃった。
結局はグレッグギルド長が仲裁してくれてガストンに
『人の装備に口出しするんじゃない!』
って叱ってくれたわ」
「僕なんかガストンさん見かけるたびに鬼の様な形相で睨まれるのでちょっと気まずいです.....」
「あんたは投げ飛ばしたからでしょう?」
「今更ですけど謝っておいた方がいいですかね?」
「やめときなさいよ。今更謝ったって、煽りにしかならないわ」
「とりあえず全員、古参の冒険者達には気をつけてね」
新参の若者が作った“冒険の書”が、まるで命の教科書のように扱われることに、不満を抱く者もいた。
「セオドアさん、ノエルさん、ドランさん、フィオナさん!」
受付嬢のミアが、息を切らせて駆け寄ってくる。目を輝かせ、まるで自分のことのように嬉しそうな顔だった。
「冒険の書、完売しましたよ!」
「えっ!?」
セオドアが驚きに目を見開くと、ミアは大きく頷いた。
「はいっ!わずか一日で全部売れました! 追加の問い合わせもいくつか来ています!」
ノエルが歓声を上げ、フィオナも自然と笑みをこぼす。
セオドアは、手の中の本を見つめた。
これは確かに“届いた”のだ。自分たちの記録が、誰かの助けになっているという実感が胸に広がっていく。
セオドアは小さく息をつき、前を向く。
ここからが本番だ。
目指すのは冒険の書の情報が当たり前になる様にする事.....まだもっと先に行かなくては。
この情報を、誰にでも届く“仕組み”として残していくために。
(……よし、出版社を――動かす時だ)
その時ー、
「ただ、一つだけご報告を」
ミアの表情が曇る。
「冒険者の方々から、何件かクレームが来ていまして……」
その場に、一瞬の沈黙が流れた。
だが、それは想定の範囲内だった。
「どうせガストン達でしょ?」
フィオナは呆れた様にため息をつく。
「『新人冒険者が知識ばかり身につけて、技術が伴わない結果になりかねない』、『自分で考える事を放棄させる商品をギルドで取り扱うのは間違っている』などのクレームが寄せられています」
「新人冒険者からも来ていたりするんですか?」
「いえ、新人冒険者達はそれはもう喜んでいますからクレームなどは上がっていませんよ」
「なら、一安心です。古参の冒険者達からの多少の反発は覚悟していましたから.......」
「最近ギルド内の空気もピリついているように思いますのでブックメーカーの方々は十分にお気をつけてくださいね」
「ご忠告ありがとうございます。ミアさん」
ミアは心配そうな表情は晴れることはなかった。
冒険の書──その初版三十部は、たった一日でギルド内から姿を消した。
朝の受付が始まってから夕刻まで。噂を聞きつけた新人冒険者たちがこぞって手に取り、仲間に回し読みされるほどの人気を博した。中には、中堅冒険者が購入した事もあったらしい。
翌日、セオドアたちはギルド長室に呼び出された。
「お前らの作った冒険の書が全て売れたらしいな」
大きな机越しに座るグレッグが、分厚い腕を組みながら静かに言った。壁に立つミアも、小さく微笑みを浮かべて頷く。
「はい。三十部、全て完売しました」
セオドアが答えると、グレッグは「ほう」と唸り、椅子の背にもたれた。
「立派な成果だ。どこまでの物かと斜に構えていたがこれだけの反響を見せられては、見方を改めざるを得んな」
普段は無骨で感情を見せない男が、珍しく肯定の言葉を口にした。
「冒険の記録をこうして形にするという発想自体が新しいですし、実際に役立っているという声も多く届いています。
これまで討伐依頼に踏み込めていなかったブロンズの冒険者も最近は討伐依頼やモンスターの調査依頼を受けることも増えて来ました」
「それでだな……」
グレッグがゆっくりと言葉を繋げた。
「お前たち、ブックメーカーの活動について、商業ギルドに紹介しようと考えている」
「……商業ギルドに、ですか?」
セオドアの目が驚きに見開かれる。
「ああ。元々お前らに全てを頼んでいた以上、いずれはそうなるだろうとは思っていたが……今回の結果を受けて紹介くらいの協力はしておこうと思ってな」
「ありがとうございます……!」
思わず身を乗り出して礼を述べるセオドアの横で、フィオナも微笑む。ドランは無言で頷き、ノエルは「うんうん」と頷く。セリカは「なんで私も呼ばれたのだろうと」興味のなさそうな顔をしている。
だが、その空気を断ち切るように、グレッグが低い声で付け加えた。
「ただし……お前たちの動きに反発している連中もいる。主に、冒険者歴の長い討伐専門の連中だな」
セオドアの表情が引き締まる。
「そうですよね……」
「彼らの言い分はこうだ。『本なんかに頼らず、自分の目と身体で覚えろ』『小手先の知識が命を守るとは限らない』……まあ、昔ながらの連中にはよくある反応だ」
グレッグは肩をすくめた。
「とはいえ、現場での混乱は避けたい。しばらくはギルド側としても“中立”を装うことになるだろう。
……だが商業ギルドへの紹介は、内密に、しっかり通しておく。心配はいらん」
「……ありがとうございます」
セオドアは深く頭を下げる。敵がいることは想定していた。むしろ、それだけ冒険の書が大きな波を生み始めている証拠でもある。
「商業ギルドにはサンプルを持っていって自分たちで説明しろ。あちらが納得すれば、製造と流通の支援が得られるだろう」
「わかりました。準備を整えて向かいます」
ミアが用意してくれた紹介状と書類一式を受け取りながら、セオドアの胸には静かな闘志が燃えた。
「ついにセオドア君が社長になる日が来たね〜」
ノエルが嬉しそうに声をかける。
「よ!若社長!頼りにしてるわよ!」
フィオナはセオドアの背中を力強く叩く。
「.......頑張れ」
ドランは腕組みのまま応援の言葉を口にする。
「あの.......なんで私も呼ばれたんですか?誰か教えてくれませんか?」
セリカは場違いな場だと落ち着かない様子を見せる。
「セリカちゃんも一緒に頑張ったからだよ〜」
ノエルが優しく教えてもセリカは状況を飲み込めていない様子であった。
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