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  第八話 冒険の書【3/3】

 ギルドの応接室を後にした四人の顔には、緊張が解けたばかりの安堵と、確かな達成感が浮かんでいた。


 フィオナは真っ先に拳を突き上げる。


「やったわね、セオドア!ギルド公認、いただきよ!」


「…...ありがとうございます。みんなのおかげです」


 セオドアは、まだ少し実感が湧かないように空を仰いだ。ほんの一ヶ月前ー、


――何もかも一人で抱え込み、誰にも真実を打ち明けられなかった頃の自分が、今こうして仲間と並んで笑っている。


 そんな日が来るなんて、夢にも思っていなかった。


 ノエルがくるりと一回転して、楽しげに言った。


「出版社〜設立〜♪ わーいわーい!セオドアくんが社長だ〜!」


「……いや、まだ設立した訳じゃないですから....」


「立派に言ったじゃん、“僕が出版社を立ち上げます”って〜!」


「……言ってた」


 ドランは無言でうなずきながらも、少しだけ頬を緩めていた。


 彼らは通りを歩きながら、それぞれに今日のやりとりを振り返り、時に笑い、時に肩を叩き合って、まるで長年の仲間のような一体感を感じていた。


 だが――


 その穏やかな時間に、ひとつだけ混じっていた影がある。


 セオドアの胸の奥に、冷たく沈む時計の針。


(……そろそろ、だ)


 何度も味わってきた、あの感覚。胸の奥がざわつく。体の奥底から不吉な気配がじわじわと這い上がってくるのを、セオドアは確かに感じていた。


 ――死の同期が、近づいている。


 正午まで、もう一時間もない。


 このまま何事もなければ、それはつまり「未来が変わった」ということ。


 だが、もし――


(……もし、何かが足りていなかったら?)


 セオドアの手のひらが、無意識に震えていた。その震えを隠すように、彼は懐から試作品の「冒険の書」を取り出して見つめる。


 この書が、本当に未来に届くのか? ハルトの手に届くのか?ベルゼルグにハルトは勝てるだろうか.....


 未来を変えられていなかったら.....僕はこのかけがえのない仲間を残してまた一ヶ月前へと戻されてしまう。


(怖い......やっぱり....怖い.....一番怖いのはフィオナ達との思い出が何もなかったことになる事.....)


 その答えは、あと少しで明らかになる。


(考えてみれば他のループではあんなに必死に駆けずり回ってモンスターを倒して、倒して、血に染まるくらい倒していたのに。


今じゃパーティーを組んで、笑って過ごしている....本当にこんな事でループを抜け出せるのか?


やっぱりベルゼルグを倒しておいた方が良かったんじゃないか....?)


 セオドアの呼吸が荒くなってきたセオドアの手をフィオナがいつの間にか握っていた。


「大丈夫だよ。きっと。こんなに頑張ったのよ」


 セオドアは荒くなっていた呼吸がゆっくりと穏やかになっていくのが自分でもわかった。


 深呼吸をしたセオドアは未だ手は震えていたが、表情はどこか明るかった。


「ありがとうございます。フィオナさん」


 それが、再び終わりの始まりになるか、希望の扉を開く瞬間になるのか。


 すべては、未来がどう動いたかにかかっている。時計の針が、ゆっくりと正午に近づいていた。


 四人は広場に面した小道沿いの小さな広場のベンチに腰掛け、静かにその時を待っていた。会話は途切れがちで、風が木々を揺らす音だけが耳に残る。


 セオドアはうつむいたまま、自分の胸に手を当てていた。


 いつもなら、この時刻になると胸の奥に焼けるような熱が走り、呼吸ができなくなり、意識が混濁していく。


 死の前兆――それが、確実にやってくるはずだった。


 だが。


(……こない......?)


 右腕が切り裂かれる事もない。全身に引き裂かれる様な感触もない。血なんて一滴も流れていない。あるのは何の変哲もない自分の手......


 ふいに、胸の奥に残っていた冷たい影が、音もなく消えていった気がした。


 ビジョンもない。ハルトがベルゼルグと戦い敗れるところも、ハルトを呼ぶ誰かの叫び声も聞こえない。


 見えるのはフィオナさんとドランさんとノエルさんの緊張した様な表情で僕を見守る光景のみ。


 耳に聞こえるのはウィンドミルの雑踏と賑わい。モンスターの荒い息遣いもなければ、苦痛に歪む僕の声でもない。


 鼓動は――正常だ。身体は――軽い。


 その瞬間、セオドアの中で何かが弾けた。


 顔を上げ、空を見上げる。


 真っ青な空。まぶしい太陽の光。


 時間は……正午を、もう過ぎていた。


 セオドアは、息を呑んだ。


(……生きている)


 体は震えていた。それでも、そこにあるのは絶望ではない。


(……ループが、終わった.......?)


 呆然と立ち尽くすセオドアの肩に、フィオナがそっと手を置いた。


「……何も起こらないけど......ループが過ぎたって事......?」


 その一言が、現実を確かなものに変えた。


「……そう....みたいです....僕生きてますよね.....?」


 セオドアの瞳に涙が浮かぶ。張り詰めていたすべての感情が、その言葉と共にあふれ出す。


「セオドア....!やったわね!」


 フィオナは勢いよくセオドアに抱きついた。


「やったー!セオドアくん、やったよー!」


 ノエルが勢いよく飛びつき、セオドアに抱きつく。笑いながら泣いていた。


「……よかった」


 ドランは短く呟いたが、その声はどこか震えていた。


「本当に……ありがとう、みんな……ありがとう……」


 ふいに、胸の奥に、いくつもの記憶が押し寄せてきた。

 

 ―初めてウィンドミルに来た日。死の真相を探すため、冒険者になると決めた、あの日。


 右も左もわからず、登録のためにギルドの扉を叩いた。


 ガストンに絡まれて、怯えて雑務ばかりをこなし、そうして、一歩外に出てみれば――初めてゴブリンを倒したその日にループは始まった。


 ーーそれから幾度となく死んではループを繰り返して気づけば、モンスターの動きを熟知し、繰り返すたびに、斧の腕は洗練されていった。


 殺意も、恐怖も、痛みさえにも鈍感になっていた。


 自分が、人間だったはずの感情を、ひとつずつ錆びつかせていったのが分かった。


 泣くことも、笑うことも、あの頃の自分には無駄に思えた。


 ――それでも。


 いつもループで、ガストンに絡まれる俺を気遣って助けてくれる....


 明るくて、ちょっと騒がしくて、まっすぐなフィオナさんが、僕をパーティーに誘ってくれた。


 ノエルさんがいつも僕を笑わせてくれた。


 ドランさんが、言葉少なにも背中を預けてくれた。


 彼らと依頼をこなし、飯を食い、夜遅くまで語り合って、僕は気づいた。


 ああ、僕は、仲間がほしかったんだ――。


『スチールの以降の依頼は一人で解決できる依頼ばかりではない。君のように全部独りで抱えていては、必ず潰れる。頼る事を覚えろ。いいな?』


『セオドアさん......ここから先はパーティーに参加する事を強くお勧めします......セオドアさんの強さは十分に承知していますが、一人には限界があります......』


 グレッグとミアの言葉を思い出す。


 ――死がすぐそばにある世界で、生きていると感じられる人間関係。


 それが、どれほど温かくて、どれほど恐ろしいものだったか。


 ループの中では、得たものを失うたびにまた一人に戻される。その繰り返しが、どれほど心を削るものだったか。


 でも今――


 (僕は、もう過去じゃなく.....今を生きている)


 胸の内に、確かな手応えがあった。


 何度死んでも終わらなかったあの地獄で


 仲間に出会い、信じ、支えられた。


 だからこそ、ここまで来られた。


 セオドアは小さく深呼吸をした。


 この風も、音も、感情も。やっと、本当に手に入った“今”の一部なのだと、ようやく思えた。


 今はまだ未完成の冒険の書。けれど時間が進み始めたと言う事は僕らは必ず未来に残せたと思う、冒険の書を。


 その未来を確かな物にする為、僕は歩み続ける。今は頼れる仲間もできた。


 彼らと一緒なら次のループが始まったとしても歩みを止める事はないだろう。冒険の書を編み続けるだろう。

モンスターループ編 完


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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次回もどうぞよろしくお願いします。

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