第七話 編む【2/2】
セオドアがウィンドミルに着いてあと三日で一ヶ月と迫ったある日の依頼をこなしている最中セオドアはいつもより前に出ていることにフィオナが気付く。
「セオドア!前に出過ぎ!下がって!」
しかし、セオドアからの応答はなくセオドアはいつもに増して鬼気迫る勢いでモンスターを切り裂いていく。
「セオドア!!」
返答のないセオドアに異変を感じた他の二人も手を止めてセオドアを見る。
モンスターの返り血を浴びてセオドアの全身が血に塗れていく。
気がついたらセオドア一人でモンスターを壊滅させていた。セオドアは荒い呼吸を繰り返しながらモンスターの死骸の山の上に立っていた。
あまりにも凄惨な光景にノエルは笑顔のまま嘔吐する。
「オエ〜」
そんなノエルをよそにフィオナが亡骸の山に登りセオドアの顔を覗き込む。
セオドアは目には何も写っていない様な灰色の目をしていた。
反応なく荒い呼吸を繰り返すセオドアを心配したフィオナがセオドアの肩を揺する。
「セオドア....セオドア....!」
フィオナの呼びかけにセオドアの瞳に徐々に光が戻ってくる。
「セオドア!」
フィオナの呼びかけにセオドアは気付いて顔を上げる。その瞬間の顔は今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「セオドア......あなた......」
セオドアはすぐにハッとした表情に変わる。
「すいません.....」
そう言って他の二人の間をすり抜けていく。なんと声をかけていいかわからない二人は通り過ぎていくセオドアの名前を呼ぶことしかできなかった。
「セオドア.......」
「セオドアくん......オエー」
ノエルは心配した表情のまま嘔吐した。
月が高く昇る頃。ウィンドミルの広場にある噴水の縁に、セオドアは一人腰を下ろしていた。
その日は、依頼から戻ってからずっと、どこか様子がおかしかった。表情に影があり、笑顔もなく、皆の会話にも上の空だった。
「……ねえ、セオドア」
背後から声がかかる。振り返れば、フィオナが静かな面持ちで立っていた。手には、パンとブドウジュースの瓶を取り出していた。
「一人になりたかったなら、ごめんね。でも、お腹.....空いてるでしょ?」
セオドアは、顔を伏せていた。視線を合わせることができない。だが、フィオナは怒ったり責めたりすることなく、隣に座って包みを差し出した。
「いやー四人のパーティーは楽しいねー」
「そうですね......」
「セオドアさ、最近は笑わなくなったね......」
その言葉に、セオドアの肩が小さく震えた。
「……何でもないです。大丈夫ですから……」
そう言った声はあまりに弱々しい。しばらく沈黙が流れた後、フィオナが優しく言った。
「大丈夫じゃないでしょ。わかるんだから。仲間だからね」
その一言で、張り詰めていた何かが崩れた。
「っ……!」
セオドアは唇を噛んだ。目を閉じても、涙は勝手にこぼれた。
「もう、どうすればいいのか分からないんです……」
嗚咽が漏れる。
「……フィオナさんやドランさん、ノエルさんとパーティーを組んで.....せっかく......仲間ができたのに……
みんなと笑って過ごして……この日々が、本当に、幸せで……でも……もうすぐ、全部終わって......結局僕は一人に戻るんです......」
セオドアの声がかすれる。
「全部終わって.......一人になる?」
フィオナは動揺を見せず、ただゆっくりと問いかけた。
セオドアは涙に濡れた瞳を、ようやくフィオナに向けた。そして、震える唇で一言ずつ言葉を紡いでいく。
「僕は……ずっと、同じ時間を繰り返してるんです。毎回、死ぬと……冒険者になる前......一ヶ月前に戻る……それを、何度も、何度も、何十回も......!」
告白の声は小さかったが、確かに真実だった。
「……」
「信じられないですよね......最初は村の開放祭から始まりました.......
何をやっても僕は最後には死ぬ.....何回も死んで、繰り返して、やっとタイムループを抜け出したと思った.......
ウィンドミルに来て冒険者になって.....上手くやっていた筈なのに気がついたらまた時間が巻き戻っていて......
ループを抜け出す為に.......何度も戦って殺されて......何度も何度も繰り返して、それでも僕は未だに今までループを抜け出せずにいるんです!!!」
フィオナは驚いたように目を見開いたが、それ以上何も言わなかった。
その沈黙が、セオドアをさらに追い詰める。
「僕……急にこんな事言って嘘だと思いますよね......
だからずっとみんなに信じてもらえなかったらって……拒絶されたら......って思ったら言い出せなくて.......」
叫びにも似た声。だが、次に聞こえたのは――優しい音だった。そっと、フィオナが彼の背を撫でていた。
「……大丈夫よ、セオドア。
もう私達はあなたを十分過ぎるくらい信用している。ドランも....ノエルも、私だって......あなたの事を嘘つきだなんて思わないわ.....」
「……!」
「辛かったよね。よく一人で頑張ったね」
セオドアはついに、嗚咽混じりに泣き崩れた。誰かにこうして抱き締められるのは、どれほどぶりだっただろう。
フィオナは黙って、そのすべてを受け止めていた。
「セオドア、私達がついてるよ」
セオドアの涙が乾いたころには、フィオナが他の二人を呼び寄せていた。
夜の静寂の中、四人はギルド近くの小さな宿の談話室に集まり、灯りを囲んで静かに座っていた。
「作戦会議よ!」
フィオナは腕組みをしながらフンと鼻を鳴らした。
ノエルは急な呼び出しとフィオナの様子に不思議そうに首を傾げる。
ドランも黙ってセオドアを見つめている。セオドアは、改めて三人に向かって頭を下げた。
「すいません.......今までみんなに隠してきた事があります......」
急なセオドアの謝罪にノエルは目を丸くさせる。
「え、なに〜?パンツ盗んだとか〜?」
「......ノエル......黙れ」
いつもの調子のノエルとドランを見てセオドアに再び、不安が過ぎる。
もし信じてくれなかったら.......拒絶されたら....そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。
そんな時、フィオナがセオドアの肩に手を置いた。
「大丈夫。みんな信じてくれるわ」
フィオナが、いつもの明るさを抑えた穏やかな声で促す。
セオドアは唇を噛み締め勇気を振り絞る。
「僕は.....タイムループしているんです.....」
そう口にしたセオドアは二人の反応を見るのが怖くて、早口でこれまでの経緯を話す。
姿勢を正し、これまでの出来事――毒キノコ、未来の男、死の同期、石碑による脱出、そしてウィンドミルでもループが始まった事。
ハルトとモンスターのビジョンについて。
セオドアが幾度となくループを繰り返しついにモンスターの討伐に成功をしたがループが終わらなかった事を話した。
話し終えたセオドアは恐る恐る、二人を見る。
ノエルは涙を流していた。今まで黙って目を閉じていたドランは立ち上がるとセオドアを見下ろし近づいた。
目の前にドランの大きな身体が急に迫った事に驚いたセオドアは反応する事ができずにぶつかる。気がつけばドランの大きな胸板に顔を押し付けられていた。
「.......よく.......頑張ったな.......」
ドランはただセオドアを抱きしめていた。セオドアはドランの言葉に言葉を失う。
「セオドアぐ〜ん〜!」
ドランにつられてノエルも涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら抱きつく。
「二人共....?」
セオドアがあっけに取られているとさらにフィオナがその輪に加わる。耳元で優しく囁いた。
「ね?信じてくれたでしょう?」
信じてくれた....こんな馬鹿げた話を......こんな僕を.......
セオドアは目から大粒の涙を流し、声を上げながら泣いた。
ドランも静かに震え、フィオナも笑みを浮かべながら一筋の涙を流している。ノエルは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をドランの背中に押し付ける。
「ノエル.....俺で拭くな」
ドランの言葉にセオドアとフィオナはつい可笑しくて吹き出した。ノエルの様子に場が和んだセオドアと
しばらくするとドランは椅子に腰掛ける。
しかし、背中がノエルの涙や鼻水で濡れているのが気持ち悪いのか、背中は背もたれにつけまいといつもに増して姿勢良く腕を組む。
「黒い毛皮....鋼のような爪......異様な耐久力……“ベルゼルグ”.......」
唐突にドランがそう呟いた。
「ベルゼルグ……?セオドアの話に出てきていたモンスターの事?」
「......その森でると.......聞いている」
「……ベルゼルグ。僕が何度も見たビジョンの中のモンスター、僕が戦ったのはベルゼルグというモンスターだったのですね.....」
セオドアが幾度となく死闘を繰り広げたモンスターの名を初めて知る。
「……つまり、“ハルト”って人が未来でそのベルゼルグに殺されて、それが原因でセオドアに死の同期が起こってビジョンを見てループするってことよね?」
フィオナがまとめるように言いながら、眉間に皺を寄せた。
「はい」
セオドアは頷き、ノートをテーブルの中央に差し出す。
「これが……僕がこれまでにまとめた、ベルゼルグとの戦闘記録です。
動きの傾向、弱点の推定、注意すべき時間帯や天候の条件まで……わかる限りを全部、書きました」
ノエルが身を乗り出し、ノートを眺めながら「うわぁ……」と感嘆の声を漏らした。
「すごいよこれ……セオドアくん、あんな戦いをしながら、こんなに冷静に観察してたんだね……」
しばらく沈黙が落ちたあと、フィオナが意を決したように口を開いた。
「つまり今回は、ただ倒せばいいって話じゃなかったのよね。
未来にベルゼルグの対処法が伝わらないと、倒したところでハルトはまた別の個体に殺されて、結局セオドアも死ぬ……」
「……そうです。毒キノコの時と同じです。あのときは、警告を石碑として未来に残しました。
だから、あのときの“ハルト”は毒を避けて、生き延びた」
「石碑は使えない.....」
ドランが静かに呟いた。
「ええ、僕もそう思います。この情報量は石碑で伝えるにはあまりにも多すぎます。
かと言って情報を絞るとベルゼルグ討伐のヒントが足りなくなってくる事も考えられます。
加えて、ハルトがアルシェール語を読めないのであれば、全て絵を使ってとなるとかなり長い壁画を作らなくてはなりません」
セオドアの言葉に、場が再び重くなった。
そこへ、フィオナがぽんと手を打った。
「ビジョンじゃそのハルトって名前を呼んだ人がいるわけでしょ!だったら……そいつが字を読めれば文字の問題は解決できるわよ!」
「確かに、ビジョンじゃ姿は確認できませんでしたが、同行している誰かがいたとしたらその人は文字が読める可能性は高いですね....」
「つまり、今回は絵じゃなくとも伝わるのよ!」
「でもどうやってそのハルトって人に情報を渡すの〜?何十年も後の人なんでしょ〜」
「それだったら、セオドアの手帳を残せばいいじゃない。セオドアの記録、それ自体が最高の“情報”よ」
「確かに〜!」
ノエルはフィオナの意見に賛成した方にその場に立ち上がる。しかし、セオドアはその案に確実性を感じられなかった。
「いや......それだとこの手帳をいつ現れるかわからないハルトにどうやって渡すのかが、問題になってきます」
「そうかー。いい案だと思ったんだけどなー」
「いい案なのは確かなんですけど......」
「じゃあいっぱい書いてばら撒くのはどう〜? そしたらいつか拾ってもらえるんじゃない〜?」
突拍子もない提案に、場の空気が一瞬止まった。
「あのねーノエル…..」
フィオナが呆れたようにノエルを諭そうと、手を腰に当てて口を開こうとしたその瞬間、セオドアが勢いよく言葉を挟んだ。
「いや、ちょっと待ってください、フィオナさん」
「え?」
その真剣な声音に、三人の視線が一斉にセオドアに集まる。
「ノエルさん!いい案です!!」
まさかの肯定に、フィオナはぽかんと目を丸くした。
「え、どこが?」
「最初からハルトただ一人に届けようと考えていたから難しかったんです!」
セオドアは前のめりになるように言葉を続けた。興奮とひらめきが混ざった声だった。
「どういう意味?」
「ノエルさんのいう様にばら撒くんです!
まぁ表現はちょっとアレですけど、公表するんです!この手帳の情報がこの王国中に広まって、ベルゼルグの対処法を“常識”にするんです!
そうすれば、世間的にベルゼルグの討伐の難易度は今よりも一気に下がります!」
その言葉に、場の空気が一変した。閃光のような発想が皆の頭を貫いた。
「つまり世間的にそうなっていれば、ハルトの耳にもベルゼルグは自然と入ってくるというわけね」
フィオナが驚き半分、納得半分といった顔で頷く。
「けどいいの〜?セオドアくんが何度も死ぬ思いをしながら集めた情報でしょ〜?この情報は一攫千金の価値があると思うけどな〜」
ノエルが悪戯っぽく言うが、その瞳はどこか真面目だった。
「僕は別に気にしません。
そもそも、命をかけてモンスターを討伐する仕事が、それぞれで情報を独占して共有できていない風潮がおかしいとも思っていましたから」
淡々としたセオドアの口調には、これまでの苦しみと、それでも譲れなかった信念がにじんでいた。
「よし、そうと決まればどうやって公表するか、ね」
フィオナが手をパンと叩く。空気に活力が灯った。
「……本としてまとめるのはどうでしょうか?」
「本!いいわね! それだったら――」
フィオナの目がきらりと輝いた。
「“冒険の書”! 冒険の書を作るのよ!
モンスターの情報、危険地帯の特徴、戦術、注意点――未来のハルトにも、それが届けば、生き残れる!」
その言葉は、セオドアの胸を強く打った。
何度も繰り返した死の記憶。幾度となく書き溜めた観察の記録。絶望の中で育てた希望。
それらすべてが――この言葉の中に、静かに、しかし確かに収束していくのを感じた。
「冒険の書……」
その言葉を口にした瞬間、セオドアの胸の奥で、何かがほどけていく気がした。
全ての苦しみも、この一言に編み込まれていたのだと、ようやく気づいた。
「いいと思うよ〜それ」
ノエルが笑顔で言った。
「セオドアくんの書いた記録って、すっごく価値があるものだと思う。
未来に限らず、今の冒険者だって救えるかもしれない。だから、みんなで作ろうよ。“冒険の書”!」
「……“本を編む”。いい案だと思う…..」
ドランも静かに頷いた。その短い言葉の中に、揺るぎない覚悟がにじんでいた。
「ドランさん、意外と詩的なんですね。本を編む……いい響きです」
セオドアは少し照れたように言った。けれど胸の奥では、熱いものが込み上げてきていた。
フィオナは、仲間たちの顔を順に見渡し、最後にセオドアに視線を戻す。
「さあ、セオドア。私たちで“冒険の書”を作るのよ!」
その言葉は、祝福のようでもあり、戦いの号令のようでもあった。
セオドアは、目を伏せ、そして――力強く頷いた。
「……はい。やります。……ハルトが……あいつが死なない為に、僕は――“冒険の書”を編みます!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。
次回もどうぞよろしくお願いします。




