第四話 抱えていく【1/2】
風車農地の外れに広がる林の入口で、セオドアはひとり静かに膝をついていた。
手にしているのは硬貨ほどの太さの木の枝。斧の背で整えたそれを器用に削り、即席の槍を数本、足元に並べていく。
(ゴブリンは攻撃範囲が短いけど、斧じゃその範囲に入りながら戦わなくちゃいけない。槍ならこっちの間合いの長さで、安全に戦える!)
彼の目には、数日前――ゴブリンの短剣が目前に迫った時の恐怖が焼き付いていた。
もう二度とあの間一髪は味わいたくない。その一心で、セオドアは最後の一本を削り終えると、斧を腰に差し、手製の槍を両腕で抱え込むようにして立ち上がる。
風が、森の奥から吹き抜けた。セオドアは深く息を吸い、林の中へと踏み込む。
草を踏みしめる音。枝を掠める風。腐臭が鼻を突いた瞬間、木立の影がざわりと揺れた。
「……来た!」
木々の間から現れたのは、緑色の肌にぼろ布を纏った小柄な影――ゴブリンだ。
しかも一体ではない。
二体、三体、四体……巣の近くに群れていたらしく、次々に姿を現していく。
(いた……! まずは、一体……!)
セオドアは力いっぱい槍を振りかぶり、先頭のゴブリンに向けて思い切り投擲した。槍は空気を裂き、ゴブリンの胸に突き立ってそのまま地面に倒れ込ませた。
すぐさま次の槍を構え、さらに二本を連続で投げる。一つは肩に命中し、もう一つは外れた。
怒りの唸り声とともに、仲間を見た他のゴブリンたちが牙を剥く。
「……っ、くそ!」
セオドアは素早く残った槍を構え、踏み込んでくるゴブリンに向かって突きを放つ。
「どけぇっ!!」
木槍の先が腹に突き刺さり、獣のような悲鳴が上がる。しかし怯むどころか、もう一体が横から飛びかかってきた。セオドアは咄嗟に体を低くして避ける。その瞬間、槍が根元からボキリと折れる音が響いた。
(まずい!一本目が……!)
すぐに次の槍を掴み、再び構える。敵の動きは速く、枝を弾かれ、刃物のように扱われた木槍も削られていく。それでもセオドアは、突き、払い、避け、そしてまた突いた。
「……ああああっ!!」
叫びながら突き出した槍が、敵の頭部に命中。倒れたのを確認した瞬間、槍の中程がパキンと音を立てて折れた。
(もう……ない……!)
地面に転がる槍の残骸を足で払い除け、セオドアは腰の斧を引き抜いた。残る敵は二体。そのうち一体が斜面を滑るように駆けてくる。
セオドアは全身に力を込め、刃を斜めに振り上げた。
ガンッという金属音。ゴブリンの短剣を弾き、斧の勢いをそのまま肩口から胸にかけてめり込ませる。
「っ……!!」
最後の一体が突っ込んでくる。セオドアは木の幹を盾にし、わずかに姿をずらして攻撃を外すと、すかさず飛び出し、斧を振り下ろした。
ドグッ。
斧が喉元を裂き、鮮血が土に散る。敵は動かなくなった。
森に、静寂が訪れた。風が木々をざわめかせる音だけが残る。
「……はぁ、はっ……!」
膝が笑う。息が荒い。それでも、セオドアは確かに、今ここに立っていた。
へたり込むと、斧を杖にしてゆっくりと頭を垂れる。死の恐怖がまだ身体を蝕んでいたが、意識はかろうじて現実を保っていた。
(まだ……終わってない……巣の中に、いる……)
セオドアはゆらりと立ち上がり、突き刺さった槍を引き抜いた。使えるものは二本。深く息を吸い、巣の奥へと足を進める。
「まだいける……依頼をこなしていくしか、僕には……生き残る道がない……!」
血と汗にまみれながら、セオドアは巣穴へと姿を消す。数瞬の静けさの後――
ゴブリンの叫びと、セオドアの雄叫び。そして斧が振るわれる重い音が、森の奥に何度も響き渡った。
ギルドの扉を押し開けた瞬間、広間にいた冒険者たちが一斉に視線を向けた。
返り血に染まった服、汚れた手、腰の斧は乾いた血でくすんでいる。セオドアはそのまま真っすぐカウンターへと向かった。
その途中でフィオナがセオドアの様子に気付いて恐る恐る声をかける。
「ちょっとあんた……セオドア……」
「……お疲れ様です……」
セオドアはフィオナに軽く会釈をして歩みを止める事なく、受付へと向かう。
ミアが顔を上げ、セオドアの姿に息を呑む。
「セオドアさん……!大丈夫ですか!?」
目を見開いた彼女の視線が、彼の傷だらけの姿を端から端までなぞる。だがセオドアは無言のまま、布袋をカウンターに置いた。
「ゴブリン十二体の討伐と、巣の壊滅。報告書もあります」
袋の中で、乾いた音を立てる右耳の証拠。ミアがそっと中を覗いた瞬間、思わず小さく息を呑む。
「……本当に、おひとりで……?」
「はい」
短い返答。だがその声には迷いがなかった。ミアはしばらく報告書に目を通していたが、やがて小さく頷いた。
「……規定に基づき、討伐報酬をお渡しします。セオドアさん、本当にお疲れさまでした。ここまでの成果をあげる方は、ブロンズでは珍しいです……」
報酬袋を受け取ったセオドアは、ほとんど間を置かずに口を開いた。
「アイアンランクへの昇格には、何が必要なんですか?」
ミアは、その問いにふと目を瞬かせた。しばらく考えるように視線を落とし、静かに答える。
「……ブロンズ帯の冒険者がアイアンに昇格するには、討伐系の依頼を五件、正確に完遂し、かつすべての報告が適正に認められている必要があります。報酬や対象モンスターにかかわらず、五件の記録が昇格の最低条件です」
「五件……わかりました」
セオドアの目はすでに次の依頼を見据えていた。ミアはそんな彼の横顔をしばらく見つめていたが、やがて、少しだけ声音を和らげて口を開いた。
「……焦って、無理にランクを上げる必要はありませんよ」
その一言に、セオドアはわずかに動きを止めた。
ミアは静かに続ける。
「確かに、ランクが上がれば、より大きな依頼に携わることができます。でも、冒険者として大事なのは――“自分の命を守る力”です。強くなることと、早く昇格することは、必ずしも同じじゃありません。どうかご無理をなさらないように……」
「……」
セオドアは黙って、拳を軽く握りしめる。
ミアの言葉が優しいものだとわかっている。焦りすぎるなという忠告も、気遣いであることも理解していた。だが、それでも。
(僕には時間がない……)
心の中でだけ呟き、セオドアは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。でも……僕には、やらなきゃならないことがあるんです」
ミアはそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。
「わかりました」
「……また来ます」
セオドアはギルドの扉を背に歩き出す。その背中に、ミアは心配そうに見送った。




