第三話 巻き戻る信用【2/2】
再び冒険者登録を済ませたセオドアは、ミアの案内でギルドホール奥の依頼掲示板へと向かった。
「こちらがクエストボードです。冒険者の方々は、ここで自由に受けたい依頼を選んでいただけます」
ミアは丁寧に案内しながら続ける。
「まずは“ブロンズ専用”と書かれた依頼の中から選ぶといいでしょう。
依頼内容によっては、短時間で終わるものや、一日かけるものもあります。無理なく、自分にできそうなものを選んでみてくださいね」
「……ありがとうございます」
セオドアは頷きながらも、掲示板の高い位置――上位ランクの討伐依頼が並ぶ区域に目をやる。
そこには見たこともない魔物の名前が並んでいたが、その中に“あの影”に近いものは見当たらなかった。
彼は勇気を振り絞って口を開く。
「あの……ミアさん。モンスターの情報ってギルドで収集できたりってできますか?」
問いかけに、ミアは少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「申し訳ありませんが、そういった情報はギルド側からは公開していないんです。
特定のモンスターの調査依頼を冒険者に出すのなら収集は可能ですが、危険度に比例して依頼料は高くなっていきます」
「そうですか……」
「モンスターの習性や弱点といった情報は、討伐を経験した冒険者自身の知識や経験に基づくものです。
基本的には“個人の資産”として扱われていまして……冒険者も生活がかかっている仕事ですから、競合相手に情報を渡すのを嫌がる傾向があるんです」
セオドアは言葉を失った。毒キノコの時は、知ってさえいれば避けられた。
けれど今度の敵は、名前も性質も分からないモンスター。見た目すら、幻のような記憶にしかない。
「依頼以外では……モンスターの情報を知るには?」
「実際にそのモンスターを見たことのある人に話を聞くか、自身で収集する事になると思います」
ミアは心配そうにセオドアを見つめた。
「もちろん、焦る必要はありませんよ。情報が乏しいなら、安全な依頼から始めて地道に経験を積んでいくのが一番です」
セオドアは無言で頷いた。その笑顔に悪意はなかった。むしろ親切心からの忠告だとわかっていた。だが、それでも焦燥は募る。
(モンスターの名前も性質も自分で見つけるしかない。あの……化け物の様なやつを僕が……?)
身震いがしたセオドアは深く息を吐き、ブロンズ帯の掲示を見つめ直した。
(だとしたらブロンズ専用の仕事をやっている場合じゃない。討伐系の依頼をこなして、あのモンスターを見つけなければ……)
セオドアはクエストボードを確認しながら、見覚えのある討伐依頼を見つけた。
『近郊の森に出没するゴブリンの巣の調査と追い払い(ブロンズ推奨)』
依頼主:風車下層農地組合
内容:農地付近で目撃されるゴブリン数体の排除。詳細不明。討伐数は問わず、確認報告でも可。
その紙を見つめる指先に、ほんのわずかに力がこもる。あの時、確かに倒した相手。だが、それでも未来は変えられなかった。
セオドアは依頼書を静かに剥がした。
「これで……お願いします」
差し出された依頼書を見たミアが、目を見開いた。
「せ、セオドアさん……これは討伐依頼ですよ?今日冒険者になったばかりのセオドアさんには少し難易度が高いと思いますが……」
心配を滲ませるように、ミアは慎重に言葉を選びながらセオドアを諭す。だが、彼にはもう、悠長に準備を整える猶予などなかった。
セオドアは一瞬だけ言葉を探したあと、穏やかな笑みを浮かべる。
「村からウィンドミルに来るまでに遭遇したゴブリンを倒してきましたので、ゴブリンの討伐なら問題ないと思います。
もちろん無理をするつもりはありませんよ」
本当の意味では「倒してきた」わけではない。だが、確かに一度はゴブリンを打ち倒し、命を繋いだ。経験のない新米ではない。
――そう思いたかった。ミアを安心させるためでもあり、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
「そう……ですか。では……セオドアさんの“近郊の森に出没するゴブリンの巣の調査と追い払い”の受注を受諾いたします。
ゴブリン討伐の際はゴブリンの右耳をギルド提出する様にお願いします……」
ミアは少し不安げな表情を残しつつも、書類の処理に手を動かす。事務的な動きの中にも、確かに温かな心遣いがあった。
「わかりました。ではすぐに向かいますね」
依頼書を胸に抱え、セオドアは一礼する。背筋は伸びていたが、その内側には、再び繰り返される死への恐怖と、抗う意志が共存していた。
「無事に帰ってきて下さいね」
「はい」
依頼書を手に掲示板から離れ、受付へと戻ろうとしたそのときだった。
「おい坊主、まさか討伐依頼じゃねぇだろうな?」
不意にかけられた声にセオドアが振り向くと、そこには革鎧に身を包んだ大柄な男。
――ガストンが仁王立ちしていた。顎をしゃくってセオドアの手元を指すと、皮肉げに口の端を吊り上げ、セオドアの手から依頼書をひったくる。
「冒険者登録したてのガキが討伐依頼?ゴブリンの餌になりたくて村からでたのかよ?」
(そういえばこんな事あったな。こんなやつに絡まれてる場合じゃないのに……)
セオドアは一拍置き、苛立ちから目を細めて口を開いた。
「いえ。ですが、あなたに絡まれたくて村から出た訳じゃないのは確かです」
ギルド内に静かな緊張が走る。
その瞬間、ガストンの笑みが消えた。わずかに目を見開き、そしてギリッと歯噛みする。
「……テメェ、今なんつった?」
ガストンはゆっくりと歩み寄り、拳を握りながらセオドアににじり寄る。その巨体と殺気に、周囲の冒険者が気まずそうに距離を取った。
「いいか坊主、口の利き方ってもんを――」
その言葉を遮るように、軽やかな声が割って入った。
「はい、そこまで」
割って入ってきたのはエルフの女性――フィオナだった。緑のポニーテールをなびかせ、腰に下げたショートボウと軽装鎧が彼女の冒険者らしさを際立たせる。
「新人にマウント決めようとして言い返されてピキってるんじゃないわよ、みっともない」
「てめぇ、フィオナ!すっこんでろ!俺は今からこいつに口の利き方ってもんをーー」
「ガストン」
今度は、重く響く男の声がギルド内に落ちた。
その場の空気が、凍るように静まる。
奥から現れたのは、灰色の外套を纏った屈強な男――バルド。誰もが一目置く古参冒険者であり、ギルドでも一際重厚な存在だ。
バルドは一歩、ガストンの背後に立ち、低く言い放つ。
「大概にしろ」
たった一言で、ガストンの肩がビクリと震える。
ガストンはセオドアを一睨みしてから、不満げに舌打ちした。
「チッ!覚えてろよ……」
そしてバルドに軽く会釈だけ残し、その場を離れていく。
その視線を最後まで見送っていたセオドアに、バルドが静かに近づく。
そして、低く短く言い放つ。
「ルーキー、ガストンの発言にも一理ある。冒険者としてやっていくのなら、先人への口の利き方には気をつけろ」
セオドアは下を向いて頷くしかなかった。
バルドはそれ以上何も言わず、ガストンの後を追うようにギルドの奥へと去っていった。
緊張が溶けたようにギルド内が再びざわめき始めたとき、フィオナが高らかに笑い声を上げた。
「やるじゃない!新人のくせに、あのガストンに言い返すとは思わなかったわ!言い返されたあのガストンの表情ったら!」
フィオナはセオドアの肩をバンバンと叩きながら、腹を抱えて笑っている。
笑い声は明るく、ギルド内に小さく反響した。緊張に張り詰めていた空気が、一気に和らいでいく。
セオドアは少しだけ戸惑いながらも、そんな彼女の明るさに救われる思いがした。怒りと緊張で固まっていた胸の奥が、ほんの少しだけほぐれていく。
「見た目によらず根性あるのね。私はフィオナよ!」
フィオナは胸を張って名乗ると、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「セオドアです。仲裁してくれて、ありがとうございます」
セオドアは深々と頭を下げた。素直な礼の仕方に、フィオナは満足げに頷く。
「いいっていいって!新人いびりなんて、見ていていい気しないからね!」
肩を竦めて笑うその様子は、まるで年上の姉のようだった。セオドアはその気取らない態度に、肩の力が抜けるのを感じる。
「初依頼でゴブリン討伐?」
「そうですね」
「根性あるじゃない!応援してる!頑張ってね!」
親指を立てたフィオナの激励に、セオドアは力強く頷く。
「はい、ありがとうございます」
フィオナはウィンク一つ残し、踵を返してギルドの人混みの中へと消えていった。
軽やかな足取りと、すれ違いざまに投げかける気さくな声――彼女の姿が見えなくなったあとも、セオドアはしばらくその背中を目で追っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。
次回もどうぞよろしくお願いします。




