第三十五話 英雄と咎人【1/3】
――血と鉄と、毒の匂い。
第五階層《残響の回廊》を抜け、石段を一段ずつ踏みしめるたび、靴底がじわりと湿る。
セオドアは斧を杖にし、脇でフィオナの肩を支えた。背後ではザガンがクルムの脇を抱え、ヴェロニカは義手の戦鎚を肩に担いだまま、片足を引きずっている。
「……まったく、骨がきしむぜ。背中の毛の先まで痛ぇ」
わざとらしく大げさに呻いてみせるザガンに、ヴェロニカが鼻で笑う。
「その程度で泣き言か。アタシの現役の頃はこの十倍ぶっ壊れても酒を飲んで寝たら治ったぞ」
「へいへい、ギルド長みたいな化け物基準で語られてもな、なぁセオドア?」
「僕に振らないでくださいよ」
軽口が、痛みを薄めた。
四人のやり取りに、フィオナがくすっと小さく笑う。
第四階層《毒牙の谷》の瘴気が鼻孔を刺す。
救出隊が待機する深層へ近づくにつれ、空気はさらに重く、粘ついた。だが、その粘つく空気の向こうから――聞き慣れた声の群れが押し寄せた。
「……誰か来るぞ!」
「構え――いや、違う!味方だ!」
薄闇の先――救出隊の前線に、五人の影が現れた。
「ったく、疲れたって帰ってきたのに毒の瘴気のお出迎えとは泣けるねー」
ザガンが両手を上げ、いつもの調子で肩をすくめる。次の瞬間、待ち構えていた冒険者たちの喉から歓声が爆ぜた。
「戻ったぞ!」
「ギルド長もだ!みんな、生きてる!」
「セオドア君!フィオナ!」
最初に駆けつけたのはノエルだった。小さな体が勢いよく飛びつき、セオドアとフィオナの胸に抱きつく。
「う、うわっ……!ノエル、痛い……けど嬉しい……!」
「よかったぁぁぁ……!よかったよぉ……!」
ノエルはぼろぼろ涙をこぼし、ひくひくしながら二人を抱きしめた。続いてドランが、苦笑いを浮かべながら頭をかいた。
「......よく生きて帰ったな」
厚い掌がセオドアの肩に置かれる。その手の重みが、胸の奥の緊張をほどいた。
ヴェロニカが冒険者達の肩を借りながら一歩前に出る。戦鎚を掲げ、どすんと地を踏み鳴らす。
「聞け、ガキども!」
静まり返る救出隊。ヴェロニカは口角を上げ、血に濡れた顔で吠えた。
「――第五階層、フロアボス、黒幽牛ミノタウロス、討伐完了だ!」
一瞬の静寂ののち、地鳴りのような歓声が谷を満たした。武器が掲げられ、盾が鳴り、涙と笑いが混ざり合う。
「よっしゃー!!!!!」
「すげー!!!第五層のフロアボスの討伐は初だぞ!!!!」
ヴェロニカが再び、戦鎚を地面に叩きつけ、冒険者達が静まり返る。
「この勝利は歴史に刻まれるだろう!しかし、この勝利は我ら5人だけの力によるものではない!皆が、この階層まで奴に傷を負わせ、この階層までの追跡を可能としてくれたお陰だ!誇れ!皆がミノタウロス討伐の功労者だ!!」
ヴェロニカの称賛に皆が歓喜する。
歓喜に沸く冒険者に背を向けるとヴェロニカはセオドアとザガンを見る。
「1番の功労者はセオドア、ザガン。お前達だ。お前達が来なければ我々は奴に全滅させられていただろう。ルーメンベルを代表して礼を言う。感謝する」
ヴェロニカは二人に頭を深々と下げる。
「そんなギルド長......」
セオドアが謙遜して声を上げようとするとザガンがセオドアの背中を叩く。
「こう言う時は素直に礼を受け取っておけよ」
ザガンはそう言って笑みを浮かべる。
「ザガンさん......」
セオドアはヴェロニカに視線を戻すと笑みを浮かべる。
「ありがたきお言葉、謹んで頂戴致します」
セオドアが礼を受け入れるとヴェロニカは頭を上げ、口角を上げた。
「よし。細かい事は地上に戻ってからにしよう!」
ヴェロニカは冒険者達に振り返る。
「よし!!ガキども!!!帰還するぞ!!!」
冒険者達は雄叫びを上げる。
「おー!!!!」
「アタシは寝る!!後は頼んだ!!!」
ヴェロニカはそう言うと腕を広げて仰向けに地面へと倒れ込む。
「え!?ちょっとギルド長!!」
冒険者の一人がヴェロニカを揺するもすでに大女は豪快にいびきをかきはじめる。
冒険者達の顔が青ざめていく。
「嘘だろ......誰がこの巨体を運ぶんだよ......」
何人もの冒険者が4人に駆け寄り、薬を塗り、包帯を巻き、肩を貸す。
「すごいですよ、みなさん!!!」
「ここからは任せて下さい!私たちが地上まで先導します!」
救出隊は素早く布陣を作り直し、五人を中心に護送路を確保する。毒の霧の向こう、石の天井に刻まれた古い刻印が、微かに光を返した。長いダンジョンでの日々が終わりを告げた。
地上に戻るのには一日の時間を要した。
クローリングと冒険者ギルド直属の冒険者、ドランとノエルも先遣隊としてモンスターを倒し、一行の帰路を切り開いていく。
空は鉛色から薄い青へと移ろっていた。
救出隊とセオドア達がダンジョンに入って二日目の昼。ルーメンベルの石門前の広場で、セリカが何度目とも知れぬ往復を繰り返していた。
「来ない……遅い……」
ぶつぶつと呟きながら目の前をうろうろとするセリカをマックスが呆れた様にため息を吐く。
「落ち着いて下さいセリカ記録係。私たちが今できることは待つ事だけです。それにセオドア代表は必ず、フィオナさん達と帰ってくるとおっしゃったのですから、少しは気楽に待ちましょう」
マックスはいつもの飄々とした声色を崩さない。その横でセリカは唇を噛み、両手を胸の前で固く組んだ。
その時――石門の向こうから、規則的な足音がこだました。武具の擦れる金属音。複数人の息遣い。
セリカの瞳が見開かれる。
「……あれは......」
霧のような冷気を押し分け、五人が姿を現した。
セオドアは高く登った太陽を眩しそうに手で影を作りながら見上げる
傷だらけの顔、汚れた装備、しかし確かに踏みしめられた足取り。
セリカは駆け出した。次の瞬間にはセオドア達の胸の中に飛び込み、腕を回していた。
「皆さん!!よくご無事で――!」
「セリカさん……!」
「セオドア氏!フィオナ氏!ドラン氏!ノエル氏!皆さん本当に無事でよかった......」
彼女の肩が震える。嗚咽混じりに名前を呼ぶ声に、セオドアはそっと片腕を回し、背をさすった。マックスはセリカから数拍遅れて歩み寄る。
「皆様、おかえりなさいませ。――ご無事で何よりです」
「ただいま、二人とも」
フィオナにもセリカが抱きつき、ノエルとドランを引き寄せる。四人はぐしゃぐしゃに笑い合い、気の抜けたような泣き顔で頷き合った。
周囲の人々も、その輪に息を呑み、やがて柔らかな拍手が広がる。
――そのとき、空気を震わせる低い音が街に落ちた。
ゴウン――ゴウン――。
ルーメンベルの象徴、巨鐘が鳴り始める。これまで立ち込めていたあんを押し分けるように、豊かな倍音が石畳を伝い、屋根を震わせ、胸骨に沁み込み、どこまでも遠くへ響き渡る。
セオドアは顔を上げた。鐘楼の上、その重い舌がゆっくりと往復するたび、体の奥底に積もっていた澱が、少しずつほどけていく気がした。
セオドアにとってルーメンベルのダンジョンで過ごした時間はあまりにも長く、言葉では言い表せられない程の辛さと困難があった。
しかし、鐘の音で全てが浄化していく様な気持ちになる。
(……終わった)
幾度も繰り返し、幾度も失い、幾度も誓い直した輪廻のような戦い。あの鐘は、たしかに告げている。終わりと、始まりを。
彼はそっと目を閉じ、深く息を吸った。
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