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第二十八話 鐘の音再び【1/2】


 第五階層《残響の回廊》、第六階層へと続く石階段の前で、ベルザは人型の姿に戻り、黙然と立っていた。


 石壁の向こうから漂う冷気と瘴気が交じる匂いが、鼻腔の奥にじっとりと張り付く。階段の闇へ手を伸ばした瞬間――


 バヂィンッ!!


 雷のような衝撃が走り、手は弾かれた。皮膚が焼ける感覚とともに、重い反発が腕全体を押し戻す。


 その衝撃は、彼に古い記憶を呼び起こさせる。


 ――まだ自分が、この第五階層の“フロアボス”として生まれ落ちたばかりの頃。


 生まれながらにこの階層の守護と捕食を本能として刻まれながらも、好奇心だけは尽きることがなかった。


 闇に沈むこの階層の底を進み、やがて辿り着いたこの階段。そこに広がる下層の匂いは、彼を誘い込む甘美な香りだった。


 しかし――伸ばした手は、今と同じように激しく弾かれた。


 それからの日々は単調で、しかし血の匂いに満ちていた。


 瘴気を撒き散らし、回廊に迷い込む冒険者たちを幻惑し、偽装と擬態で欺き、捕食する。


 血の温かさと肉の歯ごたえが、存在を肯定してくれた。


 やがて、一つの“遊び”を思いついた。


 捕食した冒険者の姿を借り、そのまま仲間の前に現れる。人間として受け入れられ、笑い、飲み、歩く。その末に、また喰らう。


 この欺きと捕食の連鎖は、退屈な日々を豊穣な狩猟へと変えた。


 ――ベルザ・ドルグ。


 それは、かつて第五階層を訪れた一人の冒険者の名。


 彼を丸ごと喰らい、その皮と骨格と記憶を纏ったのが、今の“ベルザ”だった。


 ある日、彼はふと、この階段の先に何があるのかを思い出す。


 ならば自分で行けぬのなら――行ける者に調べさせればいい。


 狩りに飽いたフロアボスは、ある冒険者パーティーを巧みに誘導し、第六階層まで進ませた。


 そして、戻ってきた冒険者から何があるのかを聞かされる。


 ――部屋の中央に鎮座する、黄金に縁取られた鎧。まるで呼吸をしているかのような輝き。


 だが、その鎧を囲む結界は、誰一人として破れなかった。


 何度挑んでも、手は弾かれ、光に焼かれるだけ。


 パーティーは撤退し、鎧は再び静寂に包まれた。


 ベルザは思った。


 ――ならば、これを“餌”にすればいい。


 勇者の装備が眠るダンジョン。そんな噂を意図的に流せば、必ず強者が集まる。


 喰らうに値する、極上の獲物たちが。


 だからこそ、今回も同じだと思っていた。


 セオドアとザガンが第六層へ降りても、鎧は決して手に入らない。


 ……そう、高を括っていた。


 だが――その瞬間は突然訪れた。


「......っ!」


 “気配”が、消えたのだ。


 第六階層に確かに存在していた二つの生命反応が、跡形もなく。


 ベルザは眉をひそめ、再び階段に手を伸ばす。


 ……弾かれない。


 信じられないというように、ベルザは一段、また一段と階段を下りた。


 湿り気のない冷気が頬を撫でる。薄闇を抜けた先にあったのは――


 空っぽの部屋と、中央の台座。そこにあったはずの鎧はなく、刻まれた魔法陣だけが残っている。


 ベルザは屈んで魔法陣を調べる。


 「……転移陣、か」


 その声は低く、怒気に濡れていた。


 結界を破り、鎧を奪い、そしてどこかへ逃げた。


 ……許さぬ。


 第六階層に獣の咆哮が響き渡った。



 光に包まれた感覚が抜けたとき、セオドアは思わず目を細めた。


(……まぶしい)


 長く闇に慣れ切った瞳には、降り注ぐ光が痛みすら伴って感じられる。


 目の奥に焼き付くほどの蒼――それは天井の岩や瘴気の霞ではなかった。


 雲が緩やかに流れ、風が頬を撫でる。


 耳を澄ませば、遠くで人の声、馬車の車輪、商人の掛け声……。


どれもセオドアにとっては十年ぶりに聞く、地上の音だった。


「……空だ」


 隣でザガンが低く呟いた。


 その声音には、信じられないという驚きと、胸の奥を締め付けるような安堵が混ざっていた。


 セオドアは仰向けに倒れたまま、肺の奥まで空気を吸い込む。


 湿って重かったダンジョンの空気とは違い、乾いていて軽い。吸い込むたびに胸が膨らみ、胸郭の奥で何かが弾けるような感覚がする。


 ――これが、外の空気……。


 その時だった。


 ゴォォォォォン……!


 空気を震わせる低い音が響いた。


 大地を伝い、骨まで震わせるほどの重い音色。


 ルーメンベルの象徴《グランベル》の鐘だ。

 旅の最中、何度も遠くから耳にしたあの音が、今は真上から降ってくるように聞こえる。


「……俺たち、本当に……ルーメンベルに帰ってきたんだな」


 ザガンの目尻がわずかに濡れているのを、セオドアは見逃さなかった。


 見下ろせば、少し離れた場所に石造りの大門と、その向こうに広がるルーメンベルの街並みが見える。


 白壁の家々が並び、煙突からは昼の支度の煙が立ち上る。石畳の通りには露店が軒を連ね、赤や青の布が風にはためいていた。


 色彩がある――それだけで胸がいっぱいになる。


「セオドア氏!」


 背後から呼びかける声に振り向けば、土煙を上げて駆けてくる二人の影があった。


……セリカとマックス。


 十年ぶりの地上で最初に見た人間の顔が、彼らだという事実に、セオドアは胸が熱くなった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。

次回もどうぞよろしくお願いします。

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