第十六話 命を背負う者【1/2】
鼻をつく腐臭と、じっとりとまとわりつく瘴気の中で、ザガンは焦りを募らせていた。
「……っ、セオドア!」
背中に担ぐ少年は浅い呼吸を繰り返し、額からは止めどなく汗が噴き出している。唇は青く染まり、手足は冷たくなっていた。
ザガンは歯を食いしばりながら、毒の谷を駆け抜ける。靴底はぬかるみに沈み、足を取られるたびに、セオドアの身体がぐらりと揺れた。
(まずい、毒が回ってやがる。一早くセオドアの毒を解毒しねぇとやべぇ!)
後悔がザガンの胸を焼く。
(セオドアの唯一の毒消しだとは知らずに飲み干した、あまつさえそんなセオドアの事を俺は殺そうとした)
ザガンの表情には力がこもり牙を剥く。
だが、立ち止まって悔やんでいる暇はない。
ザガンは毒の瘴気に包まれた第四階層を見回しながら、ひとつの希望にすがった。
「俺だって、ルーメンベル一の情報屋!クロー・リングの一員なんだ......!」
(……たしか、この辺りには──)
毒や薬草に関する情報を思い出す。
(あったはずだ......!毒消しの効果を持つ第四階層に自生する“逆牙草”──)
ザガンは立ち止まり、近くの岩陰に駆け寄る。湿気と瘴気の流れから、そこが谷風を遮る風下であることを確認する。
──そして見つけた。
岩の裂け目に、ひっそりと息を潜めるように生えた奇妙な草。茎は赤黒く、葉は鋭く天に牙を剥く様に生える三叉葉。根本には白い斑点のような模様があり、見る者に危険を知らせているかのようだ。
「……間違いねぇ、“逆牙草”だ」
「......それ......は......?」
途切れ途切れの意識でセオドアが弱々しくザガンに問いかける。
「この逆牙草の葉は第四階層の毒の瘴気を吸収し、根っこで浄化している。だから根っこには毒の浄化作用がある!!」
ザガンはセオドアと体を結びつけているマントを解き始める。
「葉っぱには濃縮された毒が残ってる。だから葉っぱと根っこを素早く切りわけなきゃなんねぇ!」
ザガンはセオドアを地面へと下ろし、近くの岩へともたれかけさせる。
「待ってろ、今解毒薬を作るからな」
セオドアは虚な目でザガンに小さく頷く。
ザガンは短剣を取り出すと葉と根を見極めうに凝視する。
一閃。ザガンの振るった短剣の一筋の光と逆牙草の葉が宙に舞う。ザガンはすぐに断面を観察し、葉の毒が根っこに垂れていないか確認する。
「よし......」
ザガンは根を引き抜くと、短剣で切れ目を入れて、小瓶に逆牙草の根から出た汁を入れていく。
ザガンは懐から銀筒を取り出す。蓋を開けるとふわりとアルコールの匂いが香った。
小瓶にアルコールを混ぜる。
時間は一刻を争う。だが、焦りが手元を狂わせれば命を奪う。ザガンの額にも汗がにじむ。
(頼む……間に合ってくれ……)
そして即席の解毒薬が完成した。
「できたぞ......ほら飲め、セオドア」
だが、喉が動かない。
「くそ、飲め……!」
ザガンはセオドアの顎を持ち上げ、鼻をつまんで無理やり嚥下反射を誘発させる。ようやく喉が一度だけピクリと動き、液体が流れ込んだ。
それでも、セオドアの瞳は閉じたまま、か細い呼吸が続くのみだった。
静かな時が流れる。
数秒、いや、数分に感じられるほどの長い沈黙のあと──
「……ッ、けほっ、う……」
セオドアの喉が鳴り、小さくむせた。
するとさっきまでの苦しそうな浅い呼吸が楽になった様に深く息をする。
「ふぅ......」
セオドアの解毒が間に合ったザガンから深いため息が漏れた。
しかし、ここは第四階層。ザガンは胸を撫で下ろしたのも束の間、直ぐに緊張が走った。
ザガンの黒豹の耳がピクピクと物音を聞き分ける。
「くそっ......」
ザガンは立ち上がり、セオドアを壁際まで引きずり、もたれ掛からせる。するとザガン達の背後に物音が迫った。
蛇型の中型のモンスターが舌をチロチロと出しながら岩陰から姿を現した。
ザガンは双剣を引き抜く。
「少しは休ませろよ、クソ蛇......」
モンスターは牙を剥き、ザガンを威嚇する。ザガンの牙を剥き、威嚇する。
モンスターの素早い攻撃を受け流したザガンは双剣を振い、応戦を始めた。
幾度か毒牙の谷に小さくザガンの剣戟の音が響く。
蛇のモンスターは苦痛にたうち回る様にして暴れると、ザガンが首を刎ねて息の根を止めた。
「はぁ......はぁ......」
ザガンは息を切らしながら、地面に突き刺した剣に寄りかかる。
すると再びザガンの黒豹の耳がモンスターの音を察知する。
「あぁもう!このままじゃ埒があかねぇな......」
ザガンは急いで、未だ衰弱しているセオドアを背負うと第三階層へと戻る道を小走りで駆け抜け始めた。
逆牙草の即席解毒薬が効いたのか、セオドアの呼吸はゆるやかに落ち着いてきた。
それでも、瞼は閉じたまま、意識が戻る気配はない。
「……ったく、頼むぜ。坊主!」
ザガンはセオドアの様子を横目に独り言のように呟いた。
ザガンは唇を噛みしめながら、第三階層へと戻る道を進む。
すると谷を吹き抜ける風がザガンの髪を靡かせた。
「風が吹いてる......って事はあともう少しで第三階層に戻れるな......」
ザガンが少しばかりの笑みを浮かべる。
そんな時、
「何をそんなに必死こいて坊主を守ってやがる」
ザガンの後ろで声がした。ザガンは目を見開き恐る恐る後ろを見る。そこには自分と同じ姿をした存在が立っていた。
「あんたは......俺......?」
ザガンは動揺した様に声を発した。
ザガンと同じ姿をした何かがニヤリと笑みを浮かべた。
「そうだ......俺はお前だ......」
「なんで......?」
「なんで?お前が生ぬるい事やってるからだろう?」
「なんだと?」
「その坊主を殺せば、ループすんだろ?何を躊躇ってやがる。坊主がもっと上手くやればこんな事にはなんねぇだろ」
ザガンは自分の言葉に恐る恐る背負っているセオドアを見る。
セオドアは悪夢を見ているのか、小さくうなされている。
ザガンは生唾をごくりと飲み込み。
「ザガン......」
更にザガンの背後で声が聞こえた。ザガンが振り返るとそこにはヴァンベッタとグウェンが佇んでいた。
大切な仲間の2人を見た、ザガンの反応は恐怖を露わにしていた。
ヴァンベッタは血に塗れて腹部からは腑が流れせている。グェンは身体の所々が潰れている。
「お前ら......」
ザガンは恐怖で後ずさる。
「ザガン......早くそいつを殺して私達を救ってよ......」
「そんな奴より俺らの方が......大切だろ......」
2人がザガンに詰め寄る。
──また、あの“衝動”が来た。
喉の奥から熱がこみ上げ、頭の奥に鋭い痛みが走る。背筋が泡立つような寒気と共に、理解不能な“殺意”がせり上がってくる。
──殺せ。殺せ。巻き戻せば、全員救える。
「やめろ……!」
ザガンは頭を抱えて立ち上がった。
呼吸が荒くなる。思考が濁る。剣を抜きかけていた自分に気づき、慌てて鞘へと押し戻す。
セオドアも悪夢を見ている様にうなされていた声が大きくなる。
「悪夢を見ているのか......」
(俺の意志じゃねぇ。これは──)
その時、風が吹いた。
毒の谷にありえないほど冷たい風。まるで、遥か上階──第三階層から吹き込む“通り風”だ。
ザガンの黒豹の耳がピクリと動く。
「──ミノタウルスの……瘴気」
ザガンは確信した。
この幻影......衝動の正体は、あの理不尽の権化──第五層のフロアボス・ミノタウルスが纏う瘴気だ。
それが通り風に乗って、この第四階層にまで流れ込んで来ている。毒の瘴気に混ざって、精神を蝕む“何か”が漂っているのだ。
「なるほどな……」
ザガンは額の汗を拭い、背中を伸ばした。
ヴァンベッタとグウェンの幻影がザガンに歩み寄る。
「すまないお前ら。お前らの事はもう救えねぇんだ......」
ザガンは目に涙を溜めながら、2人を拒絶した。
「お前らとの冒険......楽しかった......今までありがとう......」
ザガンが涙を流しながら2人と決別する。
「俺はセオドアを死なせるわけにはいかねぇ!お前らの思いも全部背負ってこれからも冒険してやる。だから!安心して眠れ!!」
ザガンは剣を引き抜き、2人の幻影を切り伏せる。
2人の幻影はゆっくりと姿を消していった。
「はぁ......はぁ......」
ザガンは息を切らしながら、涙と汗を拭う。
「ったく胸糞の悪りぃことしやがるぜ......」
ザガンは三階層への道を睨みつける。
「ミノタウルスが近くにいる……。しかも瘴気がこの層にまで届いてやがる。今遭遇したら、マジで終わりだ」
ザガンはセオドアと第三階層への道を交互に睨みつける。
「戻る道は……いったん捨てる!」
元来た道──すなわち第三階層へと戻るルートには、今も瘴気が流れている。という事はミノタウルスが第四階層へと向かってきている。
「この状況であのミノタウルスと遭遇したらひとたまりもねぇ......」
ならば、今は……
ザガンは今まで通ってきた第四階層の奥へと続く道を睨みつける。
「……ったく、どこまでも厄介なダンジョンだぜ」
目指すは、毒牙の谷の奥──
セオドアを守り抜くと、心に誓いながら、ザガンはゆっくりと歩を進め始めた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。
次回もどうぞよろしくお願いします。




